第16話 応酬


 次の日の朝、私は和泉を家まで迎えに行った。


 和泉の家の前でチャットを送る。


 準備して待っていたのだろう。すぐに和泉が玄関から出てきて、気持ちのいい笑顔を見せてくれた。


「おはよう、志穂さん」

「和泉、おはよう」


 微笑みながら挨拶をしてくれる和泉。


 私は最高の幸せを噛みしめた。


 いつか取り戻したいと、あの日からずっと望んでいた幸せが、今私の目の前にあった。


 あまりにも自分に都合のいいまるで妄想のような光景に、私は少し自分が信じられなくなった。


 もしかしてこれは、あまりにも和泉を欲している自分が見た夢なのではないだろうか。


 そんな不安に駆られた私は、和泉に見えないよう後ろ手で自分のお尻の肉をつねってみた。


「……っう」

「志穂さん? どうかした?」

「何でもない。ただ、和泉とこうして一緒に学校行くのが久しぶりで、嬉しかっただけ」

「そ、そう? 思えば小学校以来だもんね。その、僕も嬉しいよ」


 はにかむ和泉は、思わず唇を奪ってしまいたいくらいに愛おしかった。


 ちなみにお尻は普通に痛かった。


 私が見ている光景は夢なんかじゃない。私が取り戻した現実だ。


 朝から幸せ過ぎて、私にはいつもの風景が輝いて見えた。




 学校についてからも私は和泉と常に一緒にいた。


「加奈、杏! おはよ!」

「あ、志穂~」

「なんか嫌に元気ね。あれ、小清水君じゃん……なに、一緒に登校してきたの? どういうこと?」


 まず、さっそく仲のいい友達には改めて紹介した。


「仲直りしたの。本当は私と太一は一番の友達だったから、これからはまた一緒にいれるから二人もよろしくね」

「あはは、あの、そういうわけなので改めてよろしくお願いします」

「おぉ~なんか距離ちかいなぁ。私としては二人の仲をもっと詳しく聞きたいところですなぁ」


 私と和泉の仲を周りにも周知し、和泉を友達にも紹介しておく。


 これは後々の対策のためだ。必要にならなければそれでもいいけれど、和泉のために対策を張り巡らせておく。


 最優先でやるべき事も忘れない。


 あさのうちに職員室へ和泉に付き添っていき、教師に生徒会を辞めたいと考えていることを相談した。


 生徒会を辞めるための理由は昨日のうちに和泉を二人で考えた。


 体調面から無理はできないことを伝えて、少し世間の目を意識させることを言えば、保身のことしか頭にない教師はすぐに納得してくれた。


「よかったね和泉」

「うん。思ってたより全然スムーズに辞めれてすこし拍子抜けしちゃったよ」

「それでいいじゃん。まぁもし引き止められたら私も口出そうと思ってたけどさ」

「僕一人だったら言いにくかったから、志穂さんがいてくれて心強かったよ。わざわざ付いてきてくれてありがとうね」

「お礼なんていいって、私は和泉の一番の友達なんだからさ」

「う、うん。えへへ、一番の友達って言ってもらえると照れちゃうね。僕も志穂さんが何か困ってたら力になるからね」

「ありがとう和泉。でも本当に気にしないで、私が好きで付いてきただけだから。今まで無駄にした時間を、和泉と一緒にいれなかった分を取り戻したいだけだから」

「ぁ、ぁの、志穂さん。そこまで言われると流石に恥ずかしいっていうか。すごい嬉しいけど」

「これくらい慣れてくれないと、私はもう和泉の傍から離れないからね」

「えぇ!? えっと、その、お手柔らかにお願いします」


 無事に生徒会を抜ける事ができた和泉は、憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。


 よっぽど生徒会で羽月を顔を合わせるのが気まずかったのだろう。


 私としても和泉が生徒会を抜けたのは大きな意味がある。


 これからは休み時間も放課後も全て、和泉の時間は私のものにできるからだ。


 そうして和泉と常に一緒にいるためにやるべきことを終え、一安心した時だった、


 あの女が教室に乗り込んできたのだ。




「和泉! いる!?」


 あの女が入って来た時、和泉は相当驚いた表情をしていた。


 和泉は状況をすぐに理解できていなかったらしく、初めは固まっていた。


 だが次第に羽月がやってきたという事実を理解したのだろう。


 表情が怯えたものに変わっていき、身体も可哀そうなほど震え出していた。


 それほど羽月の事を信頼していたんだろう。今はその反動で羽月に対してかなり臆病になっているみたいだった。


 一向に動かない和泉に我慢できなくなったらしい羽月が、自ら和泉に詰め寄っていく。


「和泉! 先生から聞いたよ、生徒会辞めるってどういうこと?」

「あ、それは、その……」


 鬼気迫る様子で和泉を問い詰める羽月と、怯えたように顔を伏せる和泉。


 その二人の姿は、クラスメイト達にはどう見えただろうか。


 少し情報を操作すれば、横暴な生徒会長にこき使われている後輩に見えるだろう。


 羽月は周りを気にすることなく和泉を問い詰め続けている。


「冗談だよね? あの先生は本気にしてたから早く嘘だって伝えないと」

「え? いや、冗談じゃ……」

「あいつもう和泉の後任探してるから急がないと、ほら一緒に行ってやめさせよ」

「あ、せ、先輩!?」


 怯える和泉の姿が羽月にはまるで見えていないらしい。


 必死な形相の羽月は、和泉の腕を掴んで、無理やり連れ出そうとした。


 羽月の様子を見れば、和泉が生徒会からいなくなることに相当焦っているのがはっきりと分かる。


 今の羽月は、いつもの物静かな様子が嘘みたいなくらい別人に見えた。


 ただ、その方が私にとっては都合がよかった。


 羽月が焦って自分勝手に行動するほど、和泉は羽月への想いを断ち切ってくれるのだから。


 私は、和泉を掴もうとしている羽月の手を振り払い、見計らっていた最高のタイミングで和泉を庇うように前に出た。


「は?」

「失礼ですけど先輩、和泉が怖がってるんで止めてください」


 私が和泉を庇った瞬間、羽月の顔が歪んだ。


 さっきまで和泉と話をしていた羽月も、必死すぎる形相で危なく見えたけれど、今私を見ている羽月は、さっきまでとは比べ物にならないくらい剣呑な目をしている。


 間違いなく関わらない方がいいと分かる程のその瞳に悪寒が走る。


 それでも、私は気丈に和泉を庇った。


「私は生徒会長の羽月。知ってるよね? あなたの名前は?」

「梓沢です」

「そう、梓沢さん。私は今生徒会関係の話で和泉に用があるの、関係のないあなたは邪魔しないでくれる?」

「関係ありますよ」

「は? 何言ってるの? 貴女は生徒会の役員じゃないでしょ」

「そうですよ。けど私は和泉の友達なんで、和泉が嫌がってることは止めます。それに、和泉はもう生徒会を辞めることになってますよ。知らないですか?」

「それは何かの間違いなの。今からそれを正しに行くから邪魔をしないでと言っているの、わかる? それに和泉が嫌がってるわけないでしょ」

「……会長は和泉のことちゃんと見てないんですか?」


 私が挑発すると、あくまでも冷静を装っていた羽月の表情が変わった。


 丁寧に取り繕っていた今までの口調も変わり、怒りを露わにして怒鳴り散らしてくる。


「ふざけた事言わないで、私たちは中学からずっと一緒なのよ。和泉のことは私が誰より知ってるの。何も関係ないくせに出しゃばらないで!」


 羽月も相当必死なのだろう。


 和泉を手放さないように必死で繋ぎとめようとしている。


 けれど、必死になりすぎた羽月は自分の事しか見えていない。


 自分の大切な人すら、しっかりと見えてはいないのだ。


「今の和泉を見てもそんなこと本気で言えますか?」


 私はわざと身体をそらし、怯えた和泉の拒絶の色を浮かべた表情を羽月に見せつけた。


 そこでやっと自分に向けられている感情の変化に羽月も気付いたのだろう。


 次の瞬間には羽月は呆然と立ち尽くしていた。




 結局、その場は授業に来た教師に羽月が教室から出されて終局した。


 けれど、その後も何日にもわたって羽月は和泉に付きまとってきた。


 生徒会室に私を呼び出したり、和泉に直接会いに来たり、今日に至っては朝から待ち伏せまでしていて、羽月はまったく和泉のことを諦めてはいなかった。


 そんな羽月が自分を見失っている事に私は気付いていた。


 要は、羽月は必死になるあまり暴走していた。


 このままいけば、こちらから何をするでもなくあの女は自分で和泉を手放すことになるだろう。


 だから私は、ただ見ているだけでよかった。

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