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「はい、どうぞ」


 スーパータケウチにほど近い小さな公園の木陰のベンチで、キリはコロッケを入れた紙袋の口を開けて、繭実に差し出した。

 事情があって、スーパータケウチには顔を出しづらい、という繭実を慮って、キリが一人でテイクアウトしてきた。逃げられないように、キリのリュックサックを繭実に預けて。


「ありがとう。……揚げたてなのね」

「ああ。すぐ食べるって言ったら、総菜売り場のおっちゃんが、包んでくれて」


 手に持つのは熱いから、と紙に包んだコロッケをさらに小さな紙袋に入れて持たせてくれた。

 紙袋に手を入れると、触れなくても熱気が伝わってくる。


 繭実はやけどしないように包み紙の端を持ってコロッケを引き出した。

 スーパータケウチでは買い物ついでに店内レジで会計できるようパック詰めの総菜も売っているが、キリのようにその場で食べる客向けにイートインコーナーに直売の窓口も設けてある。

 冷めてもそれはそれで美味しいが、揚げたて熱々はまた格別である。


「あ、お金……」

「いいから、熱いうちに食べなよ」


 そう言いながら、キリは繭実の隣に座ると、自分もコロッケを取り出し、軽く息を吹きかけてから、パクリ! と食いついた。


「あちちっ! でもうまっ!」

 ハフハフ言いながら、あっという間に3分の2を食べてしまう。


「……」


 繭実もコロッケをかじる。カリッとした衣と、柔らかいジャガイモペーストが口の中で渾然一体となる。

 つぶしたジャガイモに炒めた玉ねぎとひき肉が混ぜ込んであるシンプルなコロッケ。

 なめらか、というよりも、ホクホクした触感の残る味わいは、「ポテトコロッケ」ではなくて「おいもコロッケ」という呼び名が合っている。


「……久しぶりに食べたわ。味、変わらないのね」  


 ソースがなくても美味しい、ほんのり甘いコロッケ。


「ああ。でも、ナミ……弟が言うには、変わらないことがスゴイんだってさ。季節や気候によって、使う芋の状態が違うのに同じ味を提供できるってことは、職人さんや経営者の、えっと、企業努力? があるからだって」

「何それ? 弟さん、すごいこと言うのね。まだ小学生よね?」

 軽くあきれたような顔で言いながら、繭実は再びコロッケをかじり、ゆっくり咀嚼する。


「まあ、料理に関しては、俺、アイツを天才だと思っているから。それ以外は、ただの生意気なガキだけど」

「……仲が、いいのね」

 モグモグと口を動かし、コロッケを飲み込んでから、繭実は答えた。

 その声が、妙に羨ましそうに聞こえた。


「岳内さんは、兄弟姉妹きょうだいは?」

「いないわ。一人っ子」

 そう言うと、再びコロッケを食べ始める。

 とっくに食べ終えてしまったキリは、所在なげにコロッケの包み紙を、内側の油が手につかないよう注意して折りたたむと、紙袋に入れた。


「……土岐田君って、意外に繊細なんだ」

「は?」

「ゴミにしかならない紙くずなんて、ぐしゃぐしゃにして捨てるのかと思ってた」

「……ぐしゃっとすると、かさばって容積が増えるからって、言われて」

「親に?」

「……弟に」

「確かに家事の天才かもね。それを素直に聞く土岐田君も、すごいけど」


 言いながら、繭実も食べ終えた包み紙をたたんだ。キリが紙袋の口を向けると、「ありがとう」と言ってそのゴミを入れる。


「お金、払うわね。値段も70円のまま? 消費税入れると……」

「ああ、いいよ。そのくらい」

「よくないわよ」

「誘ったの俺だし。このくらいおごらせてよ」

「おごってもらう理由にはならないわよ」

「それは……そうだけど」


 ここで、「女のコに70円ぽっち払わせるわけにはいかない! 男がすたる」と言いたくなったが、キリにとっては70円も、それなりに大事なお金だったし、「女のコ」「男が」なんて言ったら、逆に繭実に「男女差別だ」なんて怒られそうな予感がしたので、口にするのをためらった。


 けれど、気持ち的には、繭実にかっこよくごちそうして見せたい気分だったので(70円のコロッケだったけど)。


「えっと、じゃあ、次の時は、岳内さんに払ってもらうから」

「次なんて、ないかもしれないじゃない」

「いや、そこは、『じゃあ、今度ね』で、笑顔で引いてよ」

「……あいにくと、そんな可愛げがないもんで。スミマセンネ!」


 急に繭実の口調がきつくなる。


「……ゴメン」

「いや、そんな素直に謝られると、逆に傷つくんですけど」

「へ? …‥‥あ、そんなつもりじゃ……」


 シュンとしてしまったキリに面食らったのか、繭実のトーンが下がる。いたたまれないのか、繭実にしては珍しく、もごもごと小さく「きつい言い方して、ごめんなさい」とつぶやいた。


「いや、俺の言い方が悪かったから。べつに岳内さんに可愛げがないって肯定したわけじゃなくて……十分、可愛いと思うし」

「へ?」

「可愛いっていうか、きれい? 口に食べもの入れてしゃべらないし、姿勢もシャンとしていて。なんか……かっこいいな、って」

「……ありがとう」


 そう言いながらも、繭実は複雑そうな顔で、目線をさまよわせる。


「俺、また言い方間違えた?」

「間違えていないけど……誤解されるから、やめた方がいいわ」

「誤解?」

「その…そんな簡単に『可愛い』とか『きれい』とか。そんな風に言われたら、勘違いするわよ」

「勘違い、って?」


 キョトンとしてキリは聞き返すが、繭実は忌々しそうに再びきつい口調で言い返した。


「そんな風に! 耳触りのいい言葉を簡単に口にするのはトラブルの元だってこと! 人気者の土岐田君には何でもないことなのかもしれないけど!」

「へ? 人気者?」

「そうよ! 野球部のエース候補で! 容姿もよくて! 部活一辺倒で片手間なのに成績もよくて! 勉強ばっかり一生懸命やって、何とか成績維持している嫌われもののガリ勉女なんてさぞ滑稽でしょうね!」


「……俺、片手間でやっているつもりはないけど」


 ムッとしたキリに驚いて、繭実は軽く目を見開き、それからうつむいた。


「ごめんなさい。また、私、ひどいこと……」

「まあ、岳内さんから見たら、確かに、俺はちゃんとできていないのは、確かだけど」

「そんなこと……これは、私のひがみだから」


「ひがむなんて。それこそ、俺から見たら、岳内さんの方がすごいのに。嫌われものなんて、そんなことないし。城北でベスト10維持するなんて、生半可な努力じゃできないよ。休み時間だって、いつも勉強しているし。ホント、すごいし、尊敬する」


「そこまでやって、やっとこなのよ。すごくなんかない」

「すごいよ。そこまでの努力ができることが、すごいんだって!」

「そんなことない!!」

 

 叫びながら繭実は立ち上がった。


「それだけしかできないのよ! 他は何にもできなくて! 勉強しか! 勉強以外何にも! 何でも簡単にできる土岐田君には分からないわ!!」

「岳内さん?!」


 ポロっと、繭実の頬に涙が伝う。

 それに気づいて、思わず顔を覆うと、繭実は背を向けて走り出す。


 公園の出口に向かって。


「岳内さん!!」


 公園を飛び出し繭実は、もと来た道を城北高校に向かって走った。その背を、キリは追いかける。


 体力も運動神経も上回るキリは、すぐに繭実に追いついた。


 高校の手前の大きな交差点に差し掛かる。歩車分離の信号は、今は歩行者マークが青を示していた。


 走り抜けようとした繭実の腕を、キリはつかんだ。


 そのまま、その体を引き寄せた、…………その瞬間!



 キィー! バキっ! グシャ!



 字にすれば、こんな表現。大音響のそれが、キリの脳内で変換される。



 思わず引き寄せた繭実の体ごと、キリは反射的に体を伏せた。




 ……すぐ目の間、かろうじて1メートルほど左側の歩道の電信柱に、白い軽バンが突っ込んで、ひしゃげていた。

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