禁じられた放課後

 野球部にとって無念の夏大会が終わり。

 三年生が引退後、秋大会に向けて益々研鑽していこうと決意を固めた矢先であったが出鼻を挫くように休部期間になってしまった。


 ……なんで定期テスト前でもないのに、部活休止なんだよ?!


 今は夏休み。

 と言っても、近隣の小中学校も夏休みに突入したというのに、それに遅れること数日、昨日やっと終業式を迎えた。

 

 ハルからいくらか聞いていたが、さすが文武両道・質実剛健が校訓の名門城北高校。

 文の方をおろそかにさせないよう、しっかり布陣を張っている。


 つまり。

 夏休み初日に、全校対象の模擬試験があるなんて!!

 聞いてないぞ!!



 ‥‥とまあ、文句を言ったところで、模試はなくなってくれない。


 部活動の中には栄えある全国大会出場をもぎ取ったところもあり、明日明後日の模擬試験期間中に大会があるところも、実はある。

 そのような部活の対象生徒は模擬試験免除……なんてうまい話はなく。

 自宅に持ち帰って、後日(期限在り)提出するのである。


 自宅でゆっくり教科書でも見ながら解いたら不公平と思われそうだが、成績に関係はなく、あくまでも自分の達成度を確認するための試験なので不正をして好成績を取ったところで、まったく得はない。

 せいぜい虚栄心が満たされる程度で、そんな手段で一時注目されても、次の機会に化けの皮がはがれるのは目に見えている。

 そもそも自分の実力を計るため、という目的ならば、学校で受ける模試とは緊張感も環境も変わり、むしろプライベートの時間を削っての受験で面倒が増えるだけである。

 なので、どうしても日程がブッキングしてしまったり、体調不良や冠婚葬祭(主に葬)などのよんどころない事情がなければ、全校生徒、1学年から3学年まで、全員粛々と受験する。


 文句は言いながらも、キリもきちんと模試は受けた。

 一年生なので科目数は少ないが、三年生のスケジュールに合わせて、少し早く終わるだけで、2日がかりなのは変わらない。むしろ、その空き時間が恨めしい。

 

 一日中机に向かっていて体がカチコチになってしまい、動かしたくてたまらない。なのに、校庭も体育館も使用禁止である。


 バッティングセンターに行くと話していた部員もいて、キリも誘われたが、断ってしまった。

 一番近いバッティングセンターは、AI搭載の最新型で、複数名のプロ野球選手の投球を模した投球組み立てが可能な上、バッターのスイングを見て徐々に難易度を上げる機能もあり(逆に打ちやすくする機能も付いている)、とっても心惹かれるが……料金が高い。

 電車で5駅ほどの場所に、昔ながらの単純な機械で、その分値段もそこそこのバッティングセンターもあるが、往復の交通費を考えると、大差なくなってしまう。

 いずれにせよ、金がかかる。


 瑛比古さんは、潤沢とは言わないが、ある程度標準的な金額のお小遣いを月々キリに渡しているし、急な出費にも対応してくれる。なので、お願いすればバッティングセンター1回分の費用くらい、出してもらえないことはないのだが。


 「小遣いをみんな、買い食いに使ってるの、バレたら嫌だしなあ……」


 潤沢ではないにしろ、部活以外にたいした趣味もなく、遊びに行くことが少ないキリがお小遣いを何に使っているかと言えば。


 部活前の買い食いである。


 もちろん、毎日ナミ特製の弁当を持たされ、帰宅すればホカホカご飯が待っている。


 家まで5分のキリは、部活後、帰宅中の空腹は何とかこらえることができる。

 けれど、授業終了後にすでに腹は減りまくっているのだ。部活前に、高校の真正面にあるコンビニに、つい走ってしまう。他の部員も同様で、皆で競うようにおにぎりやパンを買って食べてしまう。

 1日わずか数百円ではあるが、毎日となると、かなり出費がかさむ。


 この間、引退する三年生の送別会で焼肉食べ放題(格安ドリンクバー付き2000円コース!)に行ったので、月末の今、ほぼお小遣いは使い切ってしまっている。

 手元不如意な現在、模試で部活がないのはむしろ幸い、早く家に帰って、ナミになにか食べるものをこしらえてもらえばよい、のだが。


 ……なんだか、すっきりしないんだよな。


 空腹なのは事実だが、とにかく動きたくて仕方ない。

 走ってもよいが、ボールに触りたい。


 そんなモヤモヤした欲求を抱えながら、キリはせめて走ろうと、校庭の周囲、一応校外の部分を回り道していた。


「あれ? ここって?」


 校庭の隅の樹木の陰に、まだ新しい壁を見つけた。打ちっぱなしのコンクリートの壁である。

 新しいが、部分的に黒ずんでいる。近づいてみると、ボールをぶつけた痕のようだった。


「そっか、これ、先輩の言ってた、マル秘の練習壁か」


 樹木で遮られ目立たず、意外に音も響かないので、こっそり練習するのにもってこいと言う、壁。

 昨年増築されたと伝え聞いてはいた。

 飾り気のない、かなり硬度がある打ちっぱなしのコンクリートなので、硬球もぶつけ放題、だとか。


「いや、でもダメージくらってんじゃね?」


 さすがに集中してぶつけられた壁のあたりは、黒ずんでいるだけでなく、心持ち削れている。

 できて半年程度と考えれば、さすがに硬球をぶつけられ続けるのは痛手なのだろう。そろそろ的の場所は変えた方がいい気がする。

 が、遠目には分からない程度だし、そもそも周囲から見えにくい場所である。

 厚い壁には、多少の削れやへこみの影響は無さそうだし。


「……いいよね?」


 誰に向かってかはともかく、そう確認して、キリは背負っていたリュックサックを下ろし、中からボールを取り出した。


 キリのポジションは現在サードだが、中学まではショートをメインに、控えピッチャーとして何度かマウンドに立つこともあった。

 打撃のセンスがあると褒められるが、体格がやや小さめで、ホームランを打てるほどの強打力ではない。


 体格は今後に期待したいが、ほっそりした瑛比古さんやハルを見ていると、上背はともかく、ウエイトがどこまで増えるか不安ではある。

 中学(リトルシニアリーグ)までは、そこまで体重の差を気にしなくても良かったが、高校野球の世界ではウエイトはプレイにかなり影響する。

 むしろ身長が高いことで得していた分、今になって体重が軽いことのデメリットが目立ってきたように感じる。

 そんな焦りが、キリを練習しないことへの不安に駆り立てているのかもしれない。


 常にボールを持ち歩くのも、いつでも練習できるようにという備えであると共に、いつでも練習できるという安心感をもたらすお守りでもあった。


 それなりに使い込んだ硬球の縫い目を指でなでる。  キュッと指に嵌まる感覚を確かめ、壁に目掛けてまずは軽く放り投げた。

 緩やかな弧を描いて、ボールは黒ずんだ部分に当たって跳ね返る。

 途中で勢いを失くし、キリに向かってコロコロと転がってきた。

 それを拾おうとしゃがんで待ち構えていると、目の前を影が横切った。


「ずいぶん余裕なのね」


 転がるボールを拾いあげ、キリに投げてよこしたのは岳内繭実だった。


「あ、サンキュ」


 一応礼は述べたが、繭実の声に宿る刺々しさを感じて、声のトーンは下がる。


「今日は部活休止じゃなかったの?」

「いや、部活じゃないし……ちょっと、体をほぐしたくて。ちょっとだけ……」


 こっそりみっちり自主練習しようとしていた負い目から、しどろもどろになりながら言い訳する。


「そう。特別がんばらなくても余裕です、大丈夫です、っていうアピールなのかと思ったわ」

「別にそんな気はないよ。それに模試だし」


 少しムッとして、キリは言い返した。

 ふふ、と繭実は鼻で笑う。そしてこわばった声で尋ねてきた。


「模試だから、成績に関係ないから? それとも、模試くらい、大した負担じゃないから?」

「だから、そう言う意味じゃなくて。その……模試だからって言い方は、まずかったと思う。その、自分では、そこまで重要視していなかった。真剣に取り組んでいる人に申し訳なかったと思う。ゴメン」


 模試を軽んじた言い方が繭実の逆鱗に触れたらしいと察して、キリはひとまず謝ることにした。

 素直に謝罪したキリに鼻白んだのか、繭実は少し戸惑ったように目線をさまよわせる。


「別に、誤ってほしいわけじゃ……単なる世間話というか…‥‥私の言い方も攻撃的だったわ。ごめんなさい」

 そう、申し訳なさそうに頭を下げ、再びキリを見つめる。


「あの、ちょっと聞きたいことがあって。土岐田君の弟さん、小学6年生、なのよね? もしかして、私の従妹と、仲が良いのかしら?」

「従妹? 岳内さんの……? ああ、スーパータケウチの南海ちゃん?」

「あ、うん。父方の従妹、なの。あの、最近会ってなくて。その元気かな、って」

「元気……だとは思うよ。ちょっと、しばらく落ち込んでいたみたいだけど。今日はうちで弟と妹と遊んでいるんじゃないかな?」


 お昼ご飯をごちそうがてら、夏休みの宿題をするけど、キリの邪魔にならないかと、朝確認された。

 先日、スーパータケウチ特製の揚げたておいもコロッケを昼食にごちそうになったと聞いて、羨ましく聞いていた。今日はそのお礼だと言う。 おいもコロッケ、そういえば、しばらく食べてない。


 帰りに買って帰ろうかな? 

 なんたって、1個70円という、とってもお財布に優しい価格設定なのだ。残りわずかのお小遣いでもなんとかなる金額だ。


「そう。よかったわ。ありがとう、教えてくれて」  

 一時、おいもコロッケに意識を奪われたキリの脳内には気付かず、繭実は礼を述べると立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと待って」


 その、何となく寂しげな様子が気になり、キリは思わず繭実を引き留めた。


「あの……」


 もう少し、話をしたい。


 そう伝えるつもりだったのだが。

 

 グー、キュルルー。


 盛大な腹の虫が、鳴いた。


「…コロッケとか、食べない?」


 顔を赤らめて誘うキリに、繭実はあっけにとられ……反射的にうなづいた。

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