母と娘

 セルガ・ウォレドを通して、ブロブの一斉駆除が明日から開始されるというニュースを見ていたマリーベルは、「ククク」と不敵な笑みを浮かべていた。

「まあ、こうなるのは当然よ。来るがいい、人間風情が。捻り潰してやる……!」

 そう呟いた彼女の目にどこか邪悪ささえ感じさせる気配が浮かび上がっていたのは気の所為なのだろうか。


 それと同じ頃、フィとシェリルも準備を整え、フィの軍用車の如き大型の四輪駆動車に乗り込み、目的の林を目指して夜道を走っていた。その目に、ぐつぐつとした憎悪を滾らせて。

 だがそんな二人の後を追跡するように一台のタクシーが走る。その運転席には、かつてシェリルを乗せたネドルの姿があった。シェリルを尾行しているのだ。

 尾行している者がいることにフィは気付いていたが、あくまで自分を尾行しているのだと思っていた。時折いるのだ。エクスキューショナーの日常を探り正体を暴こうとつきまとうゴシップ誌お抱えのパパラッチなどが。今回のもそれだろうとふんでさほど気にもしてなかった。生身で森林に入ってしまえば人間ではついてこれないからである。

 自動車については業者にでも回収させればいい。フィにとってはその程度の話だった。


 さらに、マリアンとベルカもワゴンを走らせていた。目的地はシルフィとプリンとシフォンのいる洞窟である。

 実はマリーベルに、シルフィ達の傍にいてやってほしいと頼まれたのだ。それを、マリアンもベルカも快く引き受けた。人間である自分達が傍にいればハンターも駆除業者も無茶はできないと考え、シルフィとプリン、シフォンを守る為に。

 同時に、マリーベルとシルフィの二人を司令塔にしてブロブ全体を指揮し、人間に対抗しようという試みもあった。時間が足りずぶっつけ本番になってしまうが、駆除作戦は二ヶ月に渡って続くので、その間にも要領が掴めてくればいいとも考えていた。

 また、シルフィにもマリーベルのように、ブロブの中にいる人間が人間としての姿を取れるようにサポートできるようになってもらおうというのもある。彼女はまだ、その点においては未熟だからだ。それについてはマリアンもベルカも直接は何の指導もできないが、人間が傍にいることでより人間というものを意識させる効果はある。マリーベルがそれをできるようになったのも、実はイリオが傍にいてくれたからというのもあった。

 人間というものを具体的に意識できないと、ブロブの感覚と区別がつかなくなって上手くいかないこともあるのだった。




 深夜。シルフィ、プリン、シフォンのいる洞窟に到着したマリーベルとベルカは、シルフィと対面を果たした。マリーベルとヌラッカを通じて話はしていたのでスムーズに事は進んだ。

 改めてシフォンを通じてマリーベルの指導を受けながら、シルフィはまず、プリンの中にいる両親を呼び出そうと試みた。

「まあ、理屈なんてあってないようなものよ。あんたがいかにその人間を具体的にイメージできるかってだけ。ただ、ブロブと深く繋がれば繋がる程、自分自分の人間としての感覚が曖昧になってくるから、それを補う為に人間と触れてるといいわ。ま、とりあえずやってみて」

 そう言われて、マリアンとベルカにそれぞれ両手を握っていてもらった上に、プリンの触手を口に咥えて、シルフィはまず、母親の姿を思い描いた。すると、シルフィがいつもイメージしている<情報の海>の中に人影が見えた。

『お母さん…!』

 母だった。母が、海の中から立ち上がって自分を見ていた。

「シルフィ」

 名前を呼ばれて、シルフィはもう我慢ができなかった。自分から駆け寄って、海に入っていく。だがそれは、自分とブロブを隔てている境界線を越え、ブロブの側に飛び込むことでもあった。

 するとその時、海の中に母ではないもう一つの影が見えた。父親ではなかった。それどころか人間の姿さえしていないように思えた。

「な…なに……?」

 シルフィは本能的にそれを危険なものだと感じ取り、体が竦んだ。

「シルフィ、駄目よ。そいつに近寄っては駄目。あなたはここから出なさい」

 母に促されて陸の方に歩こうとするが、何故か体が動かない。その間にも、得体の知れない<影>が近付いてくるのが分かる。

「お母さん! お母さんも一緒に逃げよ!」

 思わず母の手を引いてそう声を掛けるが、母は静かに首を横に振った。

「私はここからは出られない。それに、私は大丈夫。あいつは私には何もできない。だけどあなたにとっては危険なの。あれは<憎悪>。正体は私達にも分からないけれど、とにかく人間を憎んでいる。ブロブが時に人間に対して攻撃的になるのは、こいつの所為よ」

 そう言いながら、母はシルフィの体を押した。それでも、足が動かない。

「駄目! 動けない!!」

 と声を上げた瞬間、

「シルフィ!」

 と彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。ハッと振り返ると、そこにはマリアンとベルカの姿があった。砂浜から二人が必死に手を伸ばしているのが見えた。

「シルフィ、いきなさい!」

 母の強い言葉に弾かれるように手を伸ばすと、その手をマリアンとベルカがしっかりと掴んだ。


「お母さん……っ!」

 ハッとシルフィが意識を取り戻すと、目の前には透明な母の姿があった。プリンの体の一部が変形し、母の姿を形作っていた。成功したのだ。

 実は、<情報の海>から母親が立ち上がって姿を現した時にはもう今の形になれていたのだが、シルフィ自身の意識がブロブ側に引っ張られてしまって危うく戻れなくなりかけたのだった。やはりまだ、一部といえどブロブと融合することについてはそのリスクも含めて分からないことが多いと思わされた。

「お母さん、お母さん…!」

 それでもシルフィは透明な母の胸に縋りつき、涙を流していた。割り切っているつもりでも、こうして母の姿が目の前にあってはやはりまだ幼い子供としての正直な気持ちが前に出てしまう。母の方も、マリーベルの助けを借りて人間の姿を取った時以来の久々の娘との抱擁に、涙を浮かべながら浸っていた。

 ベルカもそんな母と娘の姿を見て、鼻をすすりあげながら涙を拭った。

 その一方で、マリアンはやはりワクワクと興奮していた。この辺りの感覚の違いは仕方ないのだろう。研究対象にいちいち共感していては客観的な視点で考察できないというのも事実であろうし。ただ、

『ああ~、やっぱり私も融合してみたい…!』

 と考えるのが果たして客観的と言えるのかどうかというのもあるだろうが。

 こうして、ブロブ一斉駆除開始前日の夜は更けていったのだった。


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