感覚
ブロブハンターギルドと駆除業者によるブロブ一斉駆除については止められる当てがない。
一斉駆除の話を知った時にマリアンはまず、
『ゴキブリを保護しろ』とか言う人間があまりいないのと似たようなものかも知れない。
しかし、それでは結局、人間にとって都合のいい生き物は保護し、そうでないものは駆除していいというだけであって、自然に則した保護活動などではない筈だ。マリアンはそういう意味では世に溢れる保護団体というものについては懐疑的な立場でもあった。それでも必要とあらば利用するくらいには割り切れるのだが、今回についてはそもそも役に立ちそうになかった。
ただ、一か八かのアイデアというものなら、なくもなかった。マリーベルがいる今なら、おそらく可能な方法だった。実は既にさっき、マリーベルともそれについて話もしている。
「ブロブの中にいる人々に、人間に対して呼びかけてもらうというのは可能?」
と。それに対してマリーベルは、
「人々って言えるほどは呼び出せないかな。たぶん、私一人でサポートできるのは二~三人が限度だと思うし」
とのことだった。さすがにその程度ではインパクトに欠けるかもしれない。何より、逆に故人を貶めるとして反発を招く可能性さえある。ブロブにより亡くなった人々を全員呼び出すほどでなければインパクトが足りないと、マリアンも感じていた。だからこのアイデアは、その時点では保留となった。しかし、マリアンの告白を聞いたベルカの頭によぎるものがあった。
「ねえ、マリアンがマリーベルと話してた、ブロブの中の人を呼び出すって話、一度に全員は無理でも、誰か、特に影響の大きそうな人を代表として呼び出してっていうのじゃダメかな…?」
ベルカのそれに、マリアンは渋い顔をする。
「私もそれは考えたんだけど、正直、それではまだ足りない気がするのよね……」
だが、ベルカも敢えて言う。
「マリアンの父親の事件だって、子供の頃の私でも覚えてるくらいインパクトあったよ。もし今、マリアンの父親がテレビとかに出たら私でも『え!?』って感じると思う。ブロブの件でも、特に有名な人だったらそれだけでも大きなインパクトあるんじゃないかな。ほら、開拓団の代表のウォレド氏なんて、彼の功績を称えて市の名前にもなってるしさ。知らない人は殆どいないだろうし」
無論、マリアンもそれは考えた。ただ、彼女は<学者としての観点>から効果を考えていたというのもあった。それに対しベルカは、そういうのではない、あくまで一般人としての感覚で言ったのだった。
「それでは、よろしくお願いします」
ベリザルトン夫妻にイリオを預けたマリアンとベルカは、その足でマリーベルのところへと引き返していた。ベルカが語ったアイデアを再度検討する為だ。
ブロブに関する事件の発端となった、開拓団の代表であるウォレド氏を呼び出し、人間に語り掛けてもらうというアイデアを。
正直な印象としては上手くいく予感はない。しかし、自分よりは一般人の感覚に近いであろうベルカの感性を無視するのも必ずしも合理的とは思えなかった。結果としてはやはり無理という結論にはなるかもしれないが、検討もせずに決め付けてしまうのも好ましくないだろう。
今はとにかくあらゆる方策を探りたい。
走りづめではあったが、ベルカも殆ど疲れは感じていなかった。今は自分にできることをしたいと思っていたからだろう。
とは言え、考えてみればブロブハンターだった自分がこうしてブロブの為に奔走するというのも皮肉な話ではある。しかし、事実を知ったことで翻意するということは決して恥ずかしいことではない。むしろ事実を知ってもなお妄執に囚われることの方が恥ずべきことなのだろう。
もうすっかり日も暮れて、舗装もされていない林の中の仮設の道路をワゴンを走らせていたベルカが突然、ハッとした表情をした。そしていきなりブレーキを踏む。
「な、何!? どうしたの!?」
急なことにつんのめったマリアンが驚いて声を上げる。ベルカに運転してもらっておいて助手席で寝るのは申し訳ないと思って何とか眠らないようにはしていたものの殆ど意識が飛んだ状態だったのが一気に覚醒した。
「ブロブがいる……」
ベルカの言葉に「え?」と正面に向き直ったマリアンの目にも、道路の脇でうねうねと蠢くものの姿が見えた。間違いない、確かにブロブだ。最近ではブロブの方が人間を避けるようになっているので、道路などの人間の痕跡を感じさせるようなところには自主的には現れなかった筈だが……
よく見ると、透明な体の中に何かの影が見える。動物だ。人間ではない。マリアンの頭によぎるものがあった。この辺りは鹿に似た大型の動物の生息地でもある。おそらくこのブロブはそれを追ってここに現れたのだろう。
マリアンは躊躇うことなくワゴンを降り、ブロブへと近付いていった。ベルカもそれについていこうとするが、マリアンは手の平をかざしてそれを制した。
「大丈夫。私に任せて」
以前よりはブロブに対する敵意も薄れたとはいえ、ベルカはまだ完全には警戒を解けていない。それに反応されて逃げられるかもしれないと思い、マリアンは敢えてベルカに近付かないように指示する。
マリーベルが一緒に暮らしているヌラッカ以外のブロブを見るのは久しぶりだった。それほど、今ではブロブの方が人間を避けているのである。
久々の野生のブロブとの遭遇に、マリアンは興奮さえ覚えていた。しかしそれは決して敵意や害意ではない。それが伝わるのか、ブロブの方も逃げようとはしなかった。大きな獲物を抱えて動くのが面倒だというのもあったのかもしれないが。
そしてマリアンは、この機会を活かし、一つ試してみたいことがあった。
「ねえ、マリーベルに連絡は取れない?」
まるで人間に話しかけるように彼女はブロブに話しかけた。
「マリーベルよ。分かる? マリーベルに連絡を取りたいの」
なるべく穏やかに、柔らかく声を掛ける。しかし、ブロブの方からは特に反応はない。
『さすがにそれは……』
マリアンの意図を察したものの、いくらなんでもそれは無理だろうとベルカが思っていると、不意にブロブがフルフルと体を震わせ始めた。
「!!」
万が一に備えて、ベルカが麻酔弾を装填したハンドガンを構える。だがその彼女の耳に届いてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「もう、ブロブに敵意を向けるなって言ってるじゃん。説得するの大変なんだよ」
「…え!?」
唖然とした顔になるベルカに対し、マリアンの表情はぱあっと明るくなる。
「マリーベル! マリーベルなのね!?」
そう。二人の耳に届いたのは、マリーベルの声だった。見ると、ブロブの体の一部が変化して、唇の形になっている。それが動いて声を発しているのだ、しかも、目と思しきものも見える。ブロブの体に目と口を再現してそれで見、口で言葉を話していたのだった。
「マジかよ……」
これにはベルカも驚くというか呆れるというか。
「まったく、でたらめな生き物だな……」
それが正直な印象だった。まさかこんなことまでできるとか。しかしマリアンもよくこんなことを思い付くものだとも感じた。と言うか、普通は思い付いても試そうとまでは思わないだろう。突拍子もなさ過ぎて。言い方を変えれば発想が子供っぽいのだ。
だがマリアンの発想は、ベルカの想像のはるか先を行っていた。
「ねえ、マリーベル。この子にイレーナを呼び出すことってできる?」
「…は……?」
マリアンの意図が理解できずにベルカが呆然としてる前で、マリーベルと繋がったブロブが応える。
「…まあ、できなくはない、と思うけど。なんで?」
怪訝そうな声色で問い掛けるマリーベルに、マリアンはとんでもないことを言い出したのだった。
「イレーナを、ベリザルトン夫妻に会わせたいの」
「な…!?、あ…!?」
マリアンが言い出したことに、ベルカは呆気に取られるどころかカアッと頭の芯が熱くなるのさえ感じた。
憤りだった。憤りがベルカの体の奥の方から噴き上がってきたのだ。
「マリアン! いくらなんでもそれは酷すぎないか!?」
ついそんなことが口を吐いて出てくる。それは、マリアン自身が想定していた反応だった。ブロブの中にいる犠牲者を呼び出して遺族の前に姿を見せるということで起こるであろうと想定していた反応の一つだった。
確かに、亡くなった人を会わせられればと人間なら誰でも思うことだろう。けれども、それが他でもない、命を奪った筈のブロブそのものによってとなれば、感情的に納得できない受け入れられないという人間も出てくるだろうとは思っていた。まさに、今のベルカのように。
「酷い…か。確かにそうかもね。だけどブロブとの共生を考えるなら、いずれは通る道だと私は思う。だとすれば、ベリザルトン夫妻がそれを試すのには一番の適任者だと思うの」
それは、学者としてのマリアンの発想だった。人間とブロブの共生を図る上での被検体として、ベリザルトン夫妻を選んだということなのだろう。
理屈は分かる。分かるけれど、そんなことを認めていいのだろうか……? こんな、人間を使った、それも、愛する娘を失ったあの二人に、改めてイレーナがブロブに食われたのだという現実を突きつけるようなことを……
「私は、反対だ……」
感情的に喚き散らしてしまいそうになるのを辛うじて抑え付けながら、ベルカは自分の<意見>として端的にそれを口にした。
「そうか……ベルカはそう思うのね? だけど、ベリザルトン夫妻自身はどうかしら? 『会いたくない』と言うのかしら?」
マリアンも、努めて冷静に、あくまで<意見>として述べた。決してベルカの意見を蔑ろにして自分のそれを押し付けようとしてるのではない。単純に学者としてのただの意見だ。ベルカのことを<相棒>と認めたからこそのことだった。
「それは……!」
マリアンの言葉に、ベルカは二の句が継げなかった。確かに、それを『酷いことだ!』と感じてるのは自分であって、夫妻に直接訊いた訳ではない。もしかしたらあの二人なら、たとえブロブになってしまった娘であっても『会いたい』と言うかもしれない。それどころか、あの透明なブロブとしての姿の娘であっても受け入れて一緒に暮らすことだってできるかもしれない。いや、自分が知るベリザルトン夫妻ならそうするだろうとも思ってしまう。ブロブになってしまったイレーナでも、自分達の娘として受け入れてしまう可能性は高い気がする。けれどそれはあくまで自分が勝手にそういう印象を持っているだけだと、ベルカは頭を振って冷静になろうとした。
自分自身の感情としては、やはり不安の方が大きいからだ。娘を亡くして、苦しみ、悲しんでいた夫妻をさらに傷付けることにもなりかねないとも、どうしても思ってしまう。
だからベルカは言った。
「まず、夫妻の意向を確認してからということなら……」
それが、この時点でのベルカにできる最大限の譲歩だった。マリアンはそんなベルカの気持ちも決して蔑ろにはしなかった。
「もちろんよ。軽々しくできることじゃないのは、私も分かってるつもり。だけど、今は僅かな可能性にも賭けたいの」
その言葉にベルカが頷くのを確かめて、マリアンは改めて言った。
「マリーベル。お願い。イレーナを呼び出して」
「まったく……どうなっても知らないぞ」
そう念を押した上で、マリーベルによるイレーナの呼び出しが始まった。ブロブの体がフルフルと震えだす。今は人間の研究室に囚われているイレーナと同期しているのだ。
そして、息を呑んで見詰めるマリアンとマリーベルの目の前で、まるで氷の彫刻でも作っているかのように、透明な塊の一部が徐々に形を変えていく。それは、やはり三十秒ほどの間の出来事だった。
「…お父さんとお母さんに会えるの……?」
静かにそう言葉を発したのは、以前にも見た、透明なイレーナの姿であった。鹿に似た動物を消化中の本体と足の一部で繋がってはいるが確かにイレーナの姿をしているそれは、マリーベルから事情を聞かされ、マリアンが自分を両親に会わせようとしてるのは既に承知していた。
「ええ、会わせてあげる。いえ、是非会ってほしいの…!」
マリアンの言葉には、力が籠っていた。いよいよこれで人間とブロブの関係が大きく動く可能性がある。それを考えると興奮が抑えられなかった。
一方、ベルカはやはり不安そうな顔をしていた。自分の目の前にいるのが本当に間違いなくイレーナなのか、たとえイレーナの遺伝子や記憶を持っていても果たしてそれがイレーナ本人と呼べるのか、ベリザルトン夫妻が彼女を見て取り乱したりしないか、不安で仕方なかった。それでも、もし、夫妻が喜んでくれるならという淡い期待も確かにあった。
やがて、体内に捕えていた動物の消化も終え、身軽になったイレーナをワゴンの荷台に乗せて、ベルカは来た道を戻り始めた。ベリザルトン夫妻の家へと。
マリアンに操作してもらって携帯から夫妻に電話を掛け、
「ごめん。急な話だけど、また会わせたい人がいるんだ」
と切り出すと、夫妻は、
「分かった。大事なことなんだね。いつでも来てくれていいよ」
と穏やかに応えてくれたのだった。
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