マッドサイエンティスト

 イリオを保護することになったマリアンとベルカは、当然のようにベリザルトン夫妻に協力を頼むことになった。

 その決断をする前、一応は行方不明人名簿を検索し、イリオに捜索願が出されていることに気付いたが、それに紐付された情報を手繰っていくとイリオの実の両親は現在、保険金詐欺の罪で実刑を受けて服役中であることも分かった。となれば当然、イリオは施設に保護されることになる。それに、もし服役していなかったとしてもそんな犯罪をするような両親の下に帰すのも好ましくない気がする。しかもマリアンは、イリオが微かに覚えているという記憶から聞き出した話で、彼が虐待を受けていたことも察していた。

 そんな訳で、ベリザルトン夫妻に保護してもらうのが一番安全で確実だと考えたのだ。虐待によって実の両親が逮捕されたキリアに続いて二人目となる。

 しかも、突然の申し出にも夫妻は慌てることなく、

「分かった。そういう事情なら喜んで引き受けるよ」

 と快く応じてくれた。イリオがブロブと共に暮らしていたことも包み隠さずに話した。それでもベリザルトン夫妻は言う。

「そんなことは関係ない。困っている子がいるのなら助けるのが人としての務めだ。それに私達の娘であるベルカの頼みなのだから、断る理由などそれこそない」

 夫妻にとって実子であるイレーナがブロブによって命を落としたことは今でも苦しい事実だが、二人はブロブもあくまで野生の猛獣の一種であり、娘を失ったのは自分達の不注意が原因だと考えていた。だからブロブとさえ共存できる人間がいたというのならそれはむしろ喜ばしいことだとさえ考えたのだ。

 ベルカはそんな義両親の器に胸がいっぱいになるのを感じてしまう。こんな素晴らしい人達の娘になれたことが誇らしかった。

「ありがとう、お父さん、お母さん…」

 ベルカは、夫妻と養子縁組をしてすぐ、二人のことを『お父さん、お母さん』と呼ぶようになった。実母や、実母と再婚した義理の父親とはもう殆ど縁が切れているような状態だったせいもある。

 ベルカがベリザルトン夫妻の義理の娘になっていたことは、マリアンにとっても非常に好ましい事実だった。こうして保護した子供の面倒を見てもらえるのならこんなに助かることはない。さらに夫妻は、もし他にもそういう形で保護が必要な子供がいれば、自分達だけでなく村の住人達にも協力を求めることができるとまで言ってくれた。

 ベリザルトン夫妻はもとより、そういう子供達でも生きていけるような場所を作る為に、フォーレナの村を作ったのであった。


「私の父もね、ロクでもない人間だったんだ……」

 イリオを連れてベリザルトン夫妻の下に向かう車内で、マリアンが不意にそんなことを口にした。

「……」

 ベルカは応えなかったが、それは彼女も何となく察していたことだった。キリアの件の時に、『この手の修羅場には慣れている』というようなことを言っていたのを考えると、身近でそういうのを目の当たりにしてきたのだろうなとは思ったからだ。

 マリアンは続ける。

「父は科学者だったけど、どちらかと言えば自分の研究に心を奪われたマッドサイエンティストって感じだった。自分の研究の為の実験台に、私と母を使ったりしたのよ。

 私のこの体も、父の実験の所為なの……」

「…!?」

『父親の実験の所為でこの体になった』というマリアンの告白には、さすがにベルカもギョッとした表情になった。単なる発育不全の類かと思っていたのだが、そうではなかったのか。

「父の研究は、まあ手っ取り早く言えば不老不死の実現なのよね。その為に父はまず、老化を抑制する研究を始めたみたい。で、その為の実験台として、父は私と母を使った。遺伝子操作によって老化を抑える実験だった。

 私のこの姿は、その実験が行われた時から殆ど変わってないの。そういう意味では成功だったんでしょうね。その代り、私は子供を生めない体になったみたいだけど……

 初潮がね、まだ来ないんだ……」

「……」

 言葉もなく耳を傾けるベルカに対し、マリアンはなおも続けた。

「この姿になってもまだ来てなかったくらいだから元々遅れてたんでしょうね。そういう意味では父の実験の影響なのかどうかははっきりしないけど、この年齢になっても来てないのは事実なの。病院で検査も受けたけど、原因は不明。健康なのは健康だから、単に肉体の成長がまだそこまでいってないってことなのかも。検査した医師も驚いてたわ。『これが老化抑制の為に行われた結果だとしたら、成功なのかもしれない』ってね。

 でも、父は違法な人体実験による殺人の罪で逮捕された」

「!?」

「父の名はガリオン・クレイセット。私が今名乗ってるルーザリア姓は母の姓」

「……それ、ニュースで似た覚えがある……子供だった私でも覚えてるくらいだから、結構な騒ぎになった事件だよね」

 辛うじてそれだけを口にしたベルカに、マリアンが苦々しく笑った。

「でしょうね。違法な人体実験で自分の妻を怪物に変えた上に死なせたんだから……」

 それは、当時、狂った科学者による狂気の実験として世間を震撼させたものであった。


 マリアンが語ったことは、事実である。当時は世間を震撼させたニュースとしてすべての植民惑星にネットワークを通じて配信された。

 不老不死の研究に心を奪われた科学者ガリオン・クレイセットは、自分の妻と娘を実験台にして、自分の理論を完成させようとしたのだ。

 その結果、娘の成長は止まり、逆に妻は細胞が異常な分裂と増殖を際限なく行うようになり、八つの目と六本の腕、七対の乳房を持つ、身長三メートル・体重八百キロの<怪物>と化した果てに、自らの体重に押し潰される形で死んだ。その時点では既に人間としての意識も自我もなく、近寄れば人間さえ捕らえて食おうとする化け物だった。それはほんの一ヶ月ほどの期間に起こったことであった。

 父親が逮捕された後、施設に保護されたマリアンはあまりのことに失語症を患い、三年間、誰が問い掛けても語り掛けても人形のように何の反応も示さず、ただ息をしているだけの存在になった。

 それでも、彼女が当時保護された施設で手厚い看護を受け、三年が過ぎた頃からようやく少しずつ反応を示すようになり、さらに二年をかけて<普通>に見えるほどにまで回復した。言葉も取り戻し、さらには親が凶悪な犯罪を犯した場合などに認められる<絶縁>の手続きを取って過去と絶縁し、彼女はマリアン・クレイセットからマリアン・ルーザリアとなった。完全に氏名を変えてしまうこともできたが、母親のことは忘れたくなくて、敢えて、母につけてもらった名と母の姓を名乗った。

「……」

 マリアンの告白に、ベルカは言葉もなかった。まさかそれほどまでに凄絶な過去を背負っているとは思わなかった。正直、子供みたいな姿の変な学者程度の認識でしかなかった。

 ただ同時に、彼女がブロブに対して異様な熱意を見せる理由の一端も分かってしまった気がした。

 ベルカがそんなことを考えているのを察したようにマリアンが言う。

「私は父親のことを恨んでるし嫌ってもいるけど、でも、私の中にもあの人の血が流れてるんだっていうのは感じるわ。学者としての素養という面でね。

 私も、研究の為ならどんな手段でもっていう気持ちになることはあるから……」

 その言葉に、ベルカの背筋をゾクリと冷たいものが走り抜けた。だがその一方で、湧き上がってくるものもあったのだった。

『彼女が道を踏み外さないようにする為には、誰かが傍にいて抑えてあげなきゃいけない気がする……』


 マリアンが研究に夢中になると周りが見えなくなる原因の一つを見たような気がしたベルカは、これからも彼女の助手として行動を共にしようと改めて思っていた。でないとこの<小さな学者さん>は人としての道さえ踏み外しかねないと感じたからだ。

 もっとも、だからといって助手として付き合おうと思えるのは、マリアン自身の魅力もあるのだろう。真面目で熱心で情熱に溢れていて、それでいてユーモアも解し、生物学者ということを抜きにしても才能と引力を感じる。

『ホントに不思議な人だな……』

 そんなことを考えていたベルカに、後ろのシートで寝ているイリオの姿を見ながらマリアンが言う。

「私の過去を聞いても、あなたは随分と冷静ね。もっとも、これを話したのはあなたが初めてだから、他の人がどう反応するかは分からないけど。正直、肩透かしを食わされた気分だわ。もっとこう、驚いたり同情的な態度になるかと思ってた。私の想定もまだまだね」

 皮肉っぽく笑ってはいるものの、それはマリアン自身に対する皮肉だというのは伝わってきた。

「十分に驚いてるよ。って言うか、驚きすぎて反応に困ってるだけかな……

 だけど、あなたがどんな過去を抱えてたって、あなたはあなたでしょ? 私はあなたの助手だから。自分の仕事をするだけだよ」

 ベルカの言葉に、マリアンは嬉しそうに笑った。

「あなたならそう言ってくれるかなって思って告白したけど、そこは想定通りでよかった……

 ありがとう、ベルカ。あなたは素敵な人よ。あなたに手伝ってもらえて嬉しい」

「いや、私は別に……」

『素敵な人』とか、そんな風に言われることには慣れていなかったことで、ベルカは戸惑ってしまった。頬どころか耳まで赤い。義両親のベリザルトン夫妻も『あなたは素晴らしい』と言ってくれるが、それはあくまで親が子に向かって言う感じだったから、ちょっと面映ゆいくらいで済んでたのに。

 それでも、マリアンが自分のことを認めてくれてるのだと思うと、自分の中に力が漲るのを感じた。元の家庭の問題もあり、どうしても自己肯定感に乏しかったベルカだったが、ベリザルトン夫妻やマリアンといった自分のことをしっかりと見てくれていると感じられる人との繋がりを得て、自分が大きく感じられるようになっていた。以前はコンプレックスでもあった、女性としては大きな体が今は頼もしく思える。

 こんな自分を役立てたいと素直に思える。

 そんなベルカに対してマリアンは言った。

「今のあなたは、ただの助手っていうよりは、もう、私にとって相棒よね」


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