後悔

 マリーベルの指導の下で、森の中で生きていく術を身に付けたシルフィは、二匹のブロブと共に穏やかな日々を送っていた。

 河に行って自分で魚を捕まえてはナイフで鱗を落とし内臓を取り出し、自分で作った塩を振って焚き火で焼いて食べた。プリンが捕まえてきた小動物も血抜きをしてさばいて串焼きにして食べたりもした。その辺りは生きる為に仕方ないという面もあったが、彼女の両親が元々、『生きるということは他の命を戴くことだ』と彼女に教えていたというのが大きかっただろう。そのおかげで生理的嫌悪感という部分での抵抗は少なかったと思われる。

 一人で生活するのもそれほど苦痛ではなかった。学校の友達に会えなかったのは寂しかったが、両親が運営する動物保護施設を襲撃するような人間達がいるところにはさすがに戻る気にはなれなかったというのもある。あの時のことは、今でもたまに夢に見てうなされたりもした。しかしハッと目が覚めて自分がプリンに包み込まれているのを実感するとホッとしてまた眠りにつくことができた。

 一方、事件を受けて地元警察などが彼女の捜索を行ったが、ブロブがいたということで最初から諦めムードが漂っており、正直なところただのアリバイ作りという面が大きかったというのが実際だった。その為、森の中の捜索もおざなりで形ばかりであっただろう。人を使った捜索は精々一キロ四方程度であり、そこから先はドローンを飛ばしてカメラで見ただけである。もちろんブロブによる二次被害の危険性を防ぐという、建前上の理由もあったりはしたのだが、ドローンでの捜索さえ五キロ四方程度に収まっていた。

 故に、町から十キロほど離れたところにある、シルフィ達が暮らす洞窟には、捜索隊の気配すら届くことはなかった。

 とは言え、シルフィにしてみても今さら探し出されてもというのもある。彼女ももう、人間社会を見限ってしまっていたのだ。


 事件から半年が経つと、シルフィはすっかり今の生活に馴染んで、見違えるように逞しくなっていた。

 彼女のサバイバル生活の師であるマリーベルと同じく、人間が町の近くの森に不法投棄したゴミなどから、衣服、食器類、鍋やフライパン、手回し充電ラジオ、カーペット、本等を手に入れ、暮らしぶりもそれなりに充実していただろう。

 ただその分、シルフィ自身も大胆になり、町の近くをうろつくこともあったりもした。ラジオの電波がより届きやすくなるからである。彼女のお気に入りは、元居た町とは別の町のラジオ局が放送している、ずっと音楽を流し続ける番組であり、それが鮮明に聞こえるようにと、不法投棄されたゴミの中から衣服などを探すついでというのを言い訳にして町に近付いていたのだった。

 その町は、彼女達が住む洞窟からは二十キロほど離れていたが、プリンがダチョウに似た動物に変化してくれて、それに乗れば片道一時間と掛からずに行けた。

 こんな風に遠出する時には、一緒に住んでいるもう一匹のブロブも出掛けてくれた。シルフィはそのブロブに<ミルク>と名付けていた。名前の由来は、特に意味はない。ただの思い付きである。ミルクはプリンと同調を行ったことで特質も受け継いでおり、まるで双子のようによく似ていた。見た目と言うよりかはその振る舞いがだ。シルフィに懐き、プリンと同じようにシルフィを守った。

 だがある日の朝、目を覚ますと、シルフィの前にさらにもう一匹、ブロブが増えていた。

「あれ? 新しい子が来たの?」

 その問い掛けに応えるかのように、三匹のブロブは同じようにフルフルと体を震わせた。

 実は三匹目のブロブは、ミルクが分裂した新しい個体だった。シルフィは知らなかったが、ミルクの寿命は尽きかけており、その為に更新が行われたという訳だ。しかしシルフィは単純に別のブロブが仲間に加わったのだと考えてそれを<シフォン>と名付けた。ミルクの新しい体だったのでそのままミルクでもよかったのだが知らなかったので別の個体としてそう名付けた。今回のも当然、ただの思い付きで特に意味はない。

 そんな形で一人と三匹の生活が始まったのだが、それでもシルフィはいつものように使えるものがないか不法投棄されたゴミを見る為(ラジオを聞く為)に町の近くまで出掛けることにした。ただ今回は、

「シフォンはお留守番ね」

 と、仲間に加わったばかりのシフォンを気遣って待っていてもらうことにした。別に会話ができる訳ではないのだが、ブロブの側は彼女の言葉をある程度は理解しているようだった。これもマリーベルから『とにかく一方的にでもいいから話しかけな。そうすりゃそのうち理解するよ』と教わったのを実践していたものである。そうなると不思議なもので、シルフィの方もプリン達の考えてることが何となくだが分かるようになってきた気がしていた。

 ダチョウに似た生き物に姿を変えたプリンに乗り、ミルクを従え、シルフィは町へと向かった。

 一時間ほどで塀が見える辺りまで来ると、ちらほらと不法投棄されたゴミが散乱していた。ラジオのスイッチを入れて、音楽を聴きながらそのゴミを見て回る。基本的には衣服が目当てだった。なかなかサイズが合うものが見付かることがないので、まだ十分ではなかったのだ。そしてゴミを見ながらも、ちらちらと塀の方にも意識を向ける。

 その町の塀には、森の方を眺める為の、完全密閉されたカプセルのような展望台が設置されていた。ブロブを見物する為のものである。

 初期から入植していた人間達の間ではブロブに対する恐怖心や嫌悪感が強かったが、一般人の被害が殆ど出なくなった頃以降に入植した人間達からすればブロブはあくまで珍獣の類でしかなく、興味本位で森に近付いて見学しようとする者が後を絶たなかった為、安全にそれができるようにと設置されたものだった。本来は<監視台>という名目で設置されたものだが、今ではもう<展望台>という認識でしかない。

 しかし、実際にはその時点ではもうブロブが現れることは殆どなく、それ故、ブロブに対する警戒心も薄れ、森にゴミを不法投棄する者まで現れる始末であった。それまでは、小さな子供でさえ塀の外には出ようとしなかったのに。

 この辺りも、ブロブによる実質的な被害は出なくなっているということを表していただろう。

 せっかく設置された展望台(監視台)も、お目当てのブロブが見られることは滅多になかった為に現在は利用する者も殆どいない。それでもたまに物好きな人間が、<利用する者さえなく放置された展望台>そのものを見に来るという形で現れることもあるので、そういう人間に見付からないように気を付けているのだ。

 だが、今日はそんな滅多にないことが起こった。人間の気配があり、プリンがシルフィに寄り添うように近付いてきた。

「え? もしかして人間…?」

 プリンの様子からそれを察し、シルフィは木の陰に隠れた。そしてそっと塀の方を見ると、展望台ではない部分、普通に塀の上に人間が現れるのが見えた。赤い髪は短く切り揃えられていたが、若い女性だというのはすぐに分かった。しかも肩から大きなバッグを下げている。

「…ヤバい……!」

 それを見たシルフィも気付いてしまった。その女性が下げているバッグが、ブロブを攻撃する為の武器、グレネードマシンガンを入れたものであることに。彼女の両親が運営していた動物保護施設にも同じようなバッグに入れられたそれが備えられていたからだ。

 今日のところは退散した方がいいと判断し、ダチョウに似た生き物に姿を変えたプリンにまたがってその場を離れようとした時、彼女の耳をガーン!!という激しい音が叩いた。爆発音だった。辛うじて鼓膜が破れたりすることはなかったものの、キーンと耳鳴りがして音が聞こえにくくなる。そんなシルフィを乗せて、プリンは走った。

「ミルク!!」

 背後で何度も爆発音がして、シルフィは後ろを振り返りながらミルクの名を叫んだ。しかしプリンは止まらない。

「プリン! 待って! ミルクが…!! ミルクを助けなきゃ!!」

 何度もそう叫び、既に爆発音も遠くの方で辛うじて聞こえる程度になった頃、ようやくプリンが止まった。ミルクを助けに行ってくれるのだと思い、シルフィはプリンから降りた。シルフィが木の陰に隠れるのを確認したかのように僅かに待ってから、プリンは体を変形させて触手を伸ばし木の枝を掴んで伝い、町の方へと戻っていった。

「プリン……ミルク……」

 シルフィは不安げにそう声を漏らした。


 ミルクの援護をするべく町の方へと戻ったプリンだったが、それは徒労に終わってしまった。プリンの目の前でミルクの体にグレネードが命中し、爆散する。既に新しい体を生み出して寿命が尽きかけていたことで動きが鈍っていたこともあったのだろう。

 なのに、ミルクを殺した人間は、それだけでは飽き足らず、塀の外へと降りてきて、凄まじい敵意を放ったまま森へと走り込んできたのだった。その露骨な敵意に、プリンも反応してしまう。

『この人間を撃退しないと危険だ!』とでも思ってしまったのだろうか。明らかに攻撃的な気配を放ちつつ、人間の方へと迫る。

 すると人間の方もプリンの接近に気付き、グレネードを放ってきた。とは言え、ミルクよりはまだ若く動きも俊敏なプリンにはまったく当たらなかった。

『殺す、殺す、殺す、殺す!!』

 その人間は、呻くように小さく何度も呪いの言葉を唱えながら狂ったようにグレネードを放ってきた。無茶苦茶だ。至近距離での爆発による破片を自らも浴びながらも、めったやたらに撃ちまくる。

 そんな、あからさまな敵意と害意に反応し、プリンは触手を伸ばした。この危険な人間を葬り去り、状況を終わらせる為に。

 プリンの触手は人間の右脚を捕らえ、即座に消化を始めた。人間は体の一部が損傷しただけでも動きが鈍り、意識が乱れる。これでもうプリンの勝ちは確定した筈だった。

 だがその時、彼女は別の気配を感じ取っていた。咄嗟に身を躱すと、傍の木に何かが当たり爆発した。グレネードだ。別の人間が現れ、攻撃してきたのである。

 しかし、新しく現れた人間に対し、プリンは少し戸惑っていた。目の前にいる方の人間からは激しい敵意を感じるのに、もう一人の人間からはそれが全く感じられない。攻撃はしてくるのに、そこに敵意も害意も感じないのだ。なのでプリンの方も強く攻撃衝動が働かなかった。攻撃を躱しつつ、人間と距離を取る。

「大尉!?」

 激しい感情を剥き出しにしてメチャクチャな攻撃を行っていた若い女がそう声を上げ、新しく現れた方の人間がそいつの方に近付いていくのが分かった。どうやらその人間は女を助けるのが目的で、こちらを害する意図はないらしい。

 それを察したプリンも落ち着きを取り戻し、距離を取った。追ってくる様子はない。さらに距離を取り、やがて十分に離れたところで逃げに転じたのだった。


「ミルクは…?」

 戻ってきたのがプリンだけと察し、シルフィは思わずそう問い掛けてしまった。けれど、プリンはフルフルと体を震わせるだけだった。

「そんな……」

 ミルクが殺されてしまったことを理解したシルフィは、両手で顔を覆って俯いた。自責の念で膝が折れそうになる。自分が音楽を聞きたいが為に町に近付いたりしたことで、ミルクが殺されてしまったと感じたからだ。

 それは確かにそうかもしれない。しかし、そもそも人間がブロブを嫌悪し敵意を向け、ブロブを探し出してでも駆除しようとしている以上、こういうことは遅かれ早かれあったことなのだ。しかもミルクはもう、寿命が近かった。遅くとも数日以内、早ければ今日の夜にも命が尽きていただろう。既にシフォンという新しい体も生み出している。シルフィが気に病むことはないのだ。

 とは言え、その辺りのことを知らない彼女は、プリンの背に乗って洞窟へと帰る間にもずっと涙を流し、悔やみ続けていた。

 洞窟ではシフォンに出迎えてもらったが、その姿を見て、余計に涙が溢れてしまって、

「う…うぇ、…うぁああぁぁあぁぁぁ~…!」

 と声を上げて泣き出してしまった。目の前で両親を殺されたことを思い出し、シフォンの姿がその時の自分と重なってしまったからだった。

 その日以降、シルフィは町に近付こうとはしなかった。ふさぎ込んで洞窟の中で一日を過ごした。

 そんな状態が三日続いたとき、

「なんだよ。しけたツラして」

 と不意に声を掛けられて顔を上げたシルフィの前に、懐かしい顔があった。マリーベルだった。シルフィの様子を心配したプリンが呼んだのだ。

「しょうがねえなあ。いいか、ブロブってのはな…」

 鬣のような赤い髪に手を突っ込んでぼりぼりと頭を掻きつつ、いつの間にかオッドアイになったマリーベルによるブロブ講座が始まったのだった。


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