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「マリー、その目と腕はどうしたの…?」

 マリーベルによるブロブについての講義が一段落した後、シルフィがそう尋ねてきた。講義中ずっと気になって集中できなかったのだ。肘から先が透明になった右腕と、淡い水色になった左目のことが。

「ああこれ? <名誉の負傷>ってやつかな」

「名誉の負傷って…」

「まあこれも、ブロブの特性の一つなんだよ。他の生き物の構造を再現できるっていうさ。

 あんたはさすがに聞いたことないかもしれないけど、エクスキューショナーっていう、ブロブを目の敵にして殺しまくってる奴と遭遇してね、そん時にやられたんだよ」

「ええ…っ!?」

「それでまあ危うく死にかけて、こうして右腕と左目を失ってさ。それを、今、イリオと一緒に留守番してる三代目のヌラッカが補ってくれたのよ。ブロブにはそういう能力もあるの」

 こともなげにそんなことを言ってのけるマリーベルだが、シルフィは呆気に取られていた。ただまあ、彼女がそういう人間なのは分かってるつもりだったけれども。

 透明になった右手を掲げながら、マリーベルは続ける。

「でもこれは、私が二歳の時に初代のヌラッカに同化されかけたことで、私自身がブロブの形質の一部を受け継いでるからできることでもあるんだよね。しかも、私の一部になると遺伝的なあれこれも私の方に準拠するみたいでね。たぶん、ブロブとしての寿命とかは関係なくなるみたい。

 こうして四代目のヌラッカもいるわけで、三代目のヌラッカについては今日明日にも寿命が尽きるんじゃないかな。それで私の右手や左目がどうなるかがはっきりすると思う」

「え? でもそれじゃ、イリオ君が…」

「そうなんだよね~。一応、三代目のヌラッカに何があってもただの寿命だから心配するなとは言ってあるんだけど、あいつまだ小さいから」

「そんな…! じゃあイリオ君の傍にいてあげてよ。一人の時にそんなことになったらきっと不安だよ…!」

 両手を胸の前に掲げて前のめりになってそう言うシルフィに、マリーベルは冷静な視線を向けた。

「……お前はもう大丈夫なのか?」

 マリーベルの言葉に、シルフィは自分がすっかり力を取り戻してることを実感した。

「うん、大丈夫。ミルクはシフォンになったんだよね?」

「ああ、そういうことだ。どっちみちもう寿命だったんだよ。お前が気に病むことはない」

 言い方はぶっきらぼうだったが、マリーベルのその言葉には、彼女なりの気遣いが込められていることを、シルフィは感じていた。だから四代目のヌラッカと共に帰っていくマリーベルとヌラッカを見送る時も、どこかすっきりした気分になっていた。


「シフォン。あなたミルクだったんだね」

 マリーベルが帰ってからシルフィはシフォンに向かって言葉を掛けた。それに応えるかのように、シフォンが体をフルフルと震わせる。

「でももう、シフォンってことになってたからなあ……もうシフォンでいいよね」

 シフォンがミルクの新しい体だと分かったけれども、さすがに今さら『ミルク』と呼ぶこともできず、今後も『シフォン』と呼ぶことにした。

 もっとも、ブロブにとって名前は重要ではなかった。個体差は有ってもそれは一時的なものなので、プリンもミルクもシフォンもヌラッカも全て同じなのだ。

 だからまあそれはいいとして、気になるのはプリンとミルクを攻撃してきた女性のことだった。遠目でも分かるほどに激しい敵意を剥き出しにしたその姿に、シルフィは恐怖と共に悲しさを感じた。

「プリンもシフォンも、こんないい子なのに……」

 確かに以前は人間にとって危険な生き物だったかもしれない。しかし、それは他の猛獣だって同じはずだ。迂闊に近付けば危険だし、襲われることだってある。そもそも人間の方が後から来たのだ。それなのに、両親が運営する動物保護施設を襲撃した暴徒も先日の女性も、どうしてあそこまでブロブを目の敵にするのか……

 シルフィには分からなかった。それどころか、ブロブを保護していたというだけで施設を壊し両親を殺した人間の方がよほど恐ろしい生き物に見えた。先日の女性だってそうだ。まるで悪魔のような姿に感じた。

「パパ……ママ……私、どうしたらいいの……?」

 マリーベルによるブロブ講座のおかげで、プリンの中に両親がいることが改めて分かった。でも同時に、あの時、プリンに取り込まれた暴徒達も一緒にいるのかと思うと複雑な気持ちにもなった。

 講座の中で、マリーベルは両親を呼び出してくれた。プリンの体の一部が変形し、両親の姿になった。透明だし裸だったが、間違いなくパパとママだった。

「シルフィ…」

「あなたが元気で良かった…」

 そう言葉も掛けてもらえた。

「パパ、ママ、これからも一緒にいられるんだね?」

 問い掛けると、二人は優しく「もちろん。ずっと一緒だよ」と答えてくれた。

 ただ、マリーベルの力を借りないとそのままでは話はできないらしい。

「私もプリンに食べてもらったら、いつでもお話しできる?」

 その問い掛けには、両親は揃って首を横に振ったのだった。

「シルフィ。私達は人間なんだ。人間として生まれて、人間として生きて、人間としての命を全うするのが本来の姿なんだよ……」

「パパとママは不幸な出来事があって人間の体を失ってしまったけど、あなたはちゃんと人間として生きてほしいの。それがパパとママの望み……」


『人間として生きてほしい』

 それが両親の願いだと分かっても、シルフィの心は揺れていた。話を聞こうともせず暴徒と化して両親を殺し、そのままでも特に危険もなかったプリンを攻撃したことで反撃されて食べられてしまうような人間達と自分が同じというのがどうしても納得がいかなかった。

 しかも、すっかり今の生活に慣れてしまった以上、いまさら人間社会に戻る気にもなれない。さらに、人間社会に戻るということは、プリン達ブロブと敵対するという意味でもある。それだけは嫌だった。

「私、どうしたらいいんだろう……」

 自分に寄り添うプリンとシフォンを撫でながらシルフィは溜息をついていた。ようやく十一歳になった少女にはあまりに難しい問題だっただろう。かと言って相談できる相手もいない。マリーベルは頼りになるが、彼女は完全にブロブの側の論理で動いてるのが分かる。彼女を見習えば、今の生き方でいいという結論しかないに違いない。

「私、世の中のことをもっと知らなきゃいけないのかな…」

 この問題に解答を出すには、自分はまだまだ幼くて未熟で無知だと思ってしまった。

 と、その時、シルフィはズキン、という痛みにが奔るのを感じた。思わず頬を押さえる。

「え……あ、まさか…?」

 そのまさかだった。虫歯である。それなりに気を付けてはいたつもりだが、歯磨き粉と歯ブラシを使って磨くということができなかったが故に、虫歯になってしまったのだった。

「どうしよう……」

 今の状態では歯医者に行くこともできない。行けば身元を調べられるだろうし、そうすれば自分があの事件で行方不明になった娘だと分かってしまう。となれば半ば強制的に保護されて施設に入れられてしまうに違いない。プリン達とも別れることになってしまうだろう。それも受け入れられそうにない。

 だが、そんなシルフィの頭にマリーベルの姿が浮かんだ。透明な右手と、淡い水色の左目を持ち、それを介してブロブと交信できるという彼女の姿が。

「今のままじゃ、歯医者には行けないよね。じゃあ、この歯をプリンの体の一部で補ってもらったら……?」

 などという発想が頭をよぎってしまったのである。するともう、彼女は自分の考えを抑えておくことができなかった。

「そうだ、そうだよ! どうせ放っておいたらダメになる歯なんだもん。だったらいっそ、プリンに虫歯の部分だけ食べてもらって、交換してもらえば…!」

 子供であるが故の幼稚で無茶な発想だったかもしれない。だが実は、合理的なものでもあったのだ。それは十分に実現可能なことだったのである。


「プリン、分かる? 虫歯よ! この穴が開いてる歯を食べちゃってほしいの。それで新しい歯を作って!」

 口を大きく開けて痛む歯を指差しながら、シルフィはプリンに向かってそう言った。しかしプリンは戸惑うように体をフルフルと震わせる。

「お願い! プリン!」

 ぐいぐいと迫るシルフィに、やがて根負けしたかのようにプリンが触手を伸ばし、シルフィの口の中に触れた。

 普通ならブロブはここまで人間の言うことに従ったりしない。そもそも人間が何を望んでいるのか、感覚が違いすぎるブロブには理解できないのだ。だから特定の歯だけを食べて代わりを作るなどという細かい指示は伝わらない。

 だが、今回は事情が違った。相手がプリンだからこそそれが通じてしまった。シルフィの両親を取り込んだプリンだからこそ。

『仕方ない……確かに今の状態では歯医者には行けないからね……』

 プリンの中でシルフィの両親の思考が働いていた。故にしっかりとシルフィの指示通りに虫歯になった歯とその神経を食べた。

 しかし、その痛みはシルフィの想像以上だった。とは言え、歯と神経を消化されるのだから当然と言えば当然だろう。

「あ……が、あぁああぁぁーっっ!!」

 口を大きく開けてプリンの触手を受け入れたまま、シルフィは悲鳴を上げた。痛みが奔ったのはほんの数秒だっただろうが、その激痛は大人でも泣き出すほどだった筈である。

 さりとて途中で止める訳にもいかず、彼女にとっては長い長い数秒間を経て、痛みは突然、嘘のように消え失せてしまった。

「え……あ、痛くない…」

 痛みが治まったことに気付き、シルフィは「は~…」と長い溜息を吐いた。すると、寄り添っていたプリンから何とも言えない感覚が伝わってくる。

「あ、うん。もう大丈夫。痛くないよ」

 と応える。言葉ではなかったが、プリンが自分を労わってくれているのが分かったのだ。それに気付いて彼女の顔がパアッと明るくなる。

「すごい! プリンの気持ちが分かるよ!! ありがとう、心配してくれたんだね。シフォンも!」

 そうだった。プリンが歯の神経と同化したことで、シルフィとの回路が繋がったのである。完全に消化してしまった歯は、プリンの一部で再生した。なので、歯の一本が透明になってしまっていた。

 無茶な思い付きではあったが、完全な成功だった。

 ただし、全身を同化されかけたマリーベルとは違い、肉体的には殆ど強化はされていない。精々、口のあたりの免疫や再生力が高まり、口内炎や歯周病や虫歯にならないようになった程度だろう。

 それでも、これでいつでも両親と会えるようになったのもまた事実であった。


 虫歯一本と引き換えにブロブと交信する能力を得たシルフィは、そこに蓄えられた情報を見るのが楽しみになった。

 しかも、ブロブは既に多数の人間を取り込んでいる為、その人間が持つ記憶や情報にもアクセスできた。

 そのままでも可能ではあったが、プリンの体の一部で再生してもらった歯に触れさせるとより鮮明に確実に情報が伝わった。

 ただ、その場合、絵的にあまり人には見せられないものになってしまうが。

 何しろ、プリンやシフォンの触手を口に咥えるという形になるのだ。事情を知らない人間が見るとあらぬ誤解を招くかもしれない。

 とは言え、この洞窟にいる限りはそんなことをとやかく言う人間もいない。今はプリンの中にいる両親も、人間としての感覚からすればいささか気になるところだろうが、既にブロブの感覚が混ざってしまっていることで、あまり気にならなかったようだ。

 また、『ちゃんと人間として生きてほしい』と願ったにも拘わらず、一部とはいえブロブと混ざってしまったことについても『虫歯を放置するわけにもいかなかった』という事情もあって承諾するしかなかった。

 なお、数千人分の人間の記憶となれば、そこに含まれる情報量だけでもシルフィ一人が見るには無理があるほどのボリュームだった。それに他人の過去を覗く趣味も彼女にはない。そこで、音楽や映像、書籍の情報に絞ってアクセスすることにした。

 人間は、基本的に見聞きしたことの殆どをそのまま記憶として取り込んでいる。しかし、それでは情報量が多すぎて効率が悪い。それで加工したり改変したり編集するような形でコンパクトにまとめ、普段はその部分だけにアクセスするようになっている。が、それ以外の情報も保存はされているのだ。アクセスできないだけで。

 が、ブロブは人間と違い、それらの情報の中から必要なものに一瞬でアクセスできる能力がある。それでもあまりに情報が膨大だから多少の時間がかかることもあるが、人間とは比べ物にならない情報処理能力を持っていることは事実だった。

『ブロブの知能がネズミほどなんて、やっぱり嘘なんだ…』

 シルフィの人間としての脳は、ブロブが蓄えている情報を<海>として処理したのだろう。目の前に広がる途方もない情報の海を前にして、シルフィは呆然とすることもあった。とは言え、プリンやシフォンを中継すればブロブの情報処理能力の助けもあって、望みの情報に比較的簡単に辿り着くことができた。そうやって音楽や映像や書籍の情報を取り出してはそれを楽しんだ。慣れれば音楽を聞きながら本を読むような形で楽しむことさえできた。

 これにより、不法投棄されたゴミの中から拾ってきたラジオは、もはや使われることもなく埃をかぶることになったのだった。

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