サバイバル

 一人の少女が、薄暗い森の中を歩いていた。それは、十歳から十一歳くらいの、大人しそうな印象の少女だった。悲しげな眼をして、何度も後ろを振り返りながら、それでも彼女は歩いた。

 その少女の先に、彼女を先導するかのように移動するものがいた。透明な体をフルフルと揺らしながら進むその姿は、まるでゼリーが歩いてるようにも見えた。

 ブロブだった。少女はブロブの後について歩いているのだ。しかし、幼い彼女の脚では薄暗い森の中を歩くには無理があった。そもそも服装だってただの普段着のワンピースに可愛らしいデザインの普段履きのサンダルだ。道なき道を進むような恰好ではない。

 かくん、と膝が折れるように、少女はその場に座り込んでしまった。

「パパ……ママ……ごめんなさい……」

 少女は、脆弱な自らの体を恨んだ。自分がもっと大きければ、強ければ、こんなことにはなってなかったかもしれないと思った。つぶらな瞳に涙が溢れ、ポロポロと零れ落ちる。

 そんな少女に、ブロブが寄り添うように近付いてきた。

「パパ……ママ……」

 そう呟きながら、少女はブロブの体に縋りつくように抱きついていた。

 少女の名前はシルフィ・フェルベルト。

 両親が運営する動物保護施設を暴徒に襲撃され、両親を殺された少女だった。しかし、シルフィには分かっていた。父も母も、今も自分の傍にいると。この、彼女が<プリン>と名付けたブロブの中に。

 そんなシルフィがもう体力的に限界だと理解したのか、プリンはそっと彼女の体を包み込むように持ち上げて、自分の体の上に乗せた。こうすればよいのだと分かったのかもしれない。


 それから先はスムーズだった。温かいウォーターベッドに座ったままで、滑るように森の中を移動するかのようにシルフィは感じた。

 一時間くらいそうして移動しただろうか。不意にプリンが止まってシルフィが前を見ると、そこには洞窟があった。高さ二メートル。幅三メートルくらいといった感じの、岩の裂け目のような自然の洞窟だった。ここがプリンの目的地だったのかもしれない。

「もしかして、プリンのおうち…?」

 シルフィが尋ねるが、プリンは体をフルフルと震わせるだけだった。しかしシルフィには分かっていた。それがプリンの返事なのだと。

 実際、その洞窟は、プリンがシルフィの両親が運営する動物保護施設を襲撃して捕獲されるまでねぐらにしていた洞窟だった。が、せっかくの洞窟を前にして、プリンは中に入って行こうとはしなかった。

「…?」

 どうしたのかと思っていると、洞窟の中に何かの気配がした。

「あ…」

 と、シルフィが声を漏らす。日が落ちて辛うじて空が赤いだけの夕暮れの下に現れたのは、またブロブだった。そのブロブと向かい合い、プリンがフルフルと体を震わせていた。すると向こうのブロブも同じようにフルフルと体を震わせる。

「お話してるのかな…?」

 その通りだった。ブロブ同士で会話をしているらしい。

 ただ、それは通常のブロブの行動ではなかった。ブロブは全体で一個の生物なので、それぞれに個性や性格といったものは本来ない。だが同時に、それぞれの環境や状況に合わせて自らを変化させていき、周囲の変化に自らを適応させようとすることで生き残りの道を探るというのもブロブの習性だった。そういう意味での個体差は生じることもある。それによって生じた個体差のすり合わせを、この二匹のブロブは行っているのだった。それを会話と呼ぶのなら、間違いなくこの二匹は会話しているのだろう。

 別にこうして改まってやり取りをしなくても量子テレポートによって常時繋がっているのだが、それぞれで異なる可能性を模索する為に普段は敢えて完全には同調しないようだ。

 また、ブロブにはそれぞれ縄張りがあり、原則、そこから動くことはない。ただし、縄張り内に餌が不足した場合や危険から逃れる場合にはその限りではなかった。また、何らかの形で次の個体を生み出す前に死ぬなどして縄張りに空きができた時には、新しい個体がそこに住み着くこともある。洞窟の中から現れたブロブは、プリンが保護施設で保護されている間にそうやって他からやってきたもののようだった。


 そうして、プリンとシルフィはその洞窟に住むこととなった。

 ただ、ブロブであるプリンは平気でも、普通の人間であるシルフィには洞窟での生活は過酷だった。寝る時はプリンがベッドのようにしてシルフィを包み込んでくれるからそれは快適だったとはいえ、困るのは食事だ。両親から食べられる野草や果実について教わっていたからそれを採って食べてはいたが、さすがにそれだけでは物足りないし、何よりまだ育ちざかりのシルフィにとってはタンパク質が決定的に不足していた。

 洞窟での生活が一ヶ月になる頃には、シルフィの肌は艶がなくなり、抜け毛が増えて明らかにやつれた感じに。体力も落ち、彼女は一日の大半を寝て過ごすようになった。

 そこまで来るとさすがにプリンも異変を感じたのだろうか。洞窟の外に出て、しきりに体をフルフルと震わせ始めた。誰かに何かを話しかけるように。

 と、それから一時間ほどして、プリンとシルフィが住む洞窟の上空に何かが近付くのが見えた。

 鳥…にしては大きい。かと言って飛行機にしては小さいか。

 それは、翼長三メートルほどの、フィクションなどでよく出てくる<翼竜>と呼ばれるものにそっくりな何かだった。だが、この惑星ファバロフにはそんな生物は存在しない。鳥はいても、翼竜などいないのだ。

 その翼竜らしきものは、大きな翼をただ広げ、羽ばたいてはいなかった。しかしよく見ると、大きな翼の付け根辺りで何かがせわしなく動いているのが分かる。さらによく見ると、それは何枚もの小さな翼だった。それが、まるでハチドリの翼のように激しく羽ばたいて推力を生み出しているらしい。そう、大きな翼が風を掴んで揚力を得、小さな翼が推力を生み出すという、非常に特殊な構造をした生き物だった。

 また奇妙なことに、翼が明らかに透き通っていて向こう側が見えてしまっている。体は完全には透き通っていないようだが、表面付近はやはり透き通って見えた。それが徐々に高度を下げて、近付いてくる。

 そして十分に近付いた時、その翼竜の体が真っ二つに裂けて、中から何かが地面に向かって落ちてきた。体が裂けた翼竜も、空中分解した飛行機のように落ちてくる。かと思えば、地上から十メートルくらいのところで再び羽を広げて空気抵抗を生み、落下速度を下げたようだった。体の中から出てきたものを掴みながら。

 こうして地面に降り立ったそれは、人間だった。シルフィとそう変わらない感じの年頃の、ライオンの鬣のようになった赤い髪を腰まで垂らした少女だった。そして翼竜の姿をしていたものも地面に降り立つとみるみる形を変えて、透明な団子のように丸まった。ブロブだった。なんと、翼竜のような姿になったブロブの中に少女が入っていたのだ。そうして空を飛んできたという訳である。

「私達を呼んだのはあんたね? 何? 人間のことを知りたいの?」

 プリンに向かってそう話しかけた少女の名前はマリーベル。ブロブと会話ができる少女だった。

「前置きはいいわ。さっそく会わせてちょうだい」

 そう言ってマリーベルはずかずかと洞窟の中に入っていく。すると、ブロブがもう一匹いた。そのブロブの上に、マリーベルと同じくらいの年頃の少女が横になっている。シルフィだった。明らかに血色が悪く生気がない。

「まったく。人間なんか連れてくるからよ。こいつらはこのままじゃ野生としちゃ生きられないんだから、放っときゃよかったのに」

 鬣のような赤い髪に手を突っ込んでぼりぼりと頭を掻きながら、マリーベルは吐き捨てた。だが、それは彼女のポーズに過ぎない。

「ま、しょうがないわね。プリンだっけ? あんたとにかく川で魚でも取ってきて」

 マリーベルに命じられてプリンはすぐに洞窟を出て行った。その間にマリーベルも外に出て枯枝を拾い、洞窟に戻る。そしてさっそく枯枝同士を擦り合わせるとほんの数秒で煙が上がり始めた。それから五分と経たないうちに火が点いて燃え上がる。それを、マリーベルと一緒に来たブロブ、ヌラッカが集めてきた落ち葉や枯枝に燃え移らせて焚き火にしたのだった。


 良い感じに燃えている焚き火に気付いたのか、シルフィが目を覚ました。しかも丁度そこに魚を掴んだプリンが帰ってきた。その魚を受け取ると、ポケットから薄い金属片を出して魚の体を擦って鱗を落とし、さらに金属片を包丁のように使って腹を裂いて内臓を取り出していく。取り出した内臓は「ほら」とヌラッカやプリンに投げて寄こし、食べさせた。ブロブは内臓なども余すことなく吸収し利用出来るからである。それにしても手慣れた様子だった。彼女の経験が窺われるというものだろう。

 ぼんやりとした感じでシルフィが見詰める中、木の枝を刺した魚を焚き火で炙るといい匂いがしてきた。それを嗅いだシルフィの目に生気が戻る。

「いい匂い…」

 ぽつりとつぶやいた彼女の前に、マリーベルが焼けた魚を差し出した。

「ほれ、ちょうど焼けたわよ。これ食って元気を出しなさい」

 ぶっきらぼうに話し掛けるが、ちゃんとシルフィが受け取りやすいように持ち手の部分を彼女に向けてくれていた。根は気遣いのできる少女なのだというのがそれで分かる。

「いただきます…」

 久々の<料理>と言えるものを口にして、シルフィは「美味しい…!」と声を上げた。そしてゆっくりではあるがしっかりと噛み締めて焼けた魚を食べていった。

「まだあるからね。急がなくていいけど、どんどん食べな。今日のところは魚だけど、今度は肉も持ってきてあげる」

 そう言ってマリーベルが立ち上がった時には、シルフィは三匹も魚を食べた後だった。

「ありがとう…!」

 背中を向けたマリーベルにそう声を掛けた彼女の顔には、すっかり生気が戻っていたのだった。


 もちろん、一回魚を食べたくらいで完全に体調が戻る訳じゃなかったが、その後、二日に一度の割合で訪れたマリーベルが、人間の生活に必要そうな、ナイフやライターや鍋といったものと一緒に、ネズミに似た小動物をさばいた肉などを差し入れてくれた。

「ま、調味料とかもあればもっと料理らしくなるんだけど、金がないならさすがに手に入れるのは難しいからね。塩は、青土を水で溶いてそれを三日ほどほっとくと綺麗な上澄みができるからそれをすくって鍋で煮詰めたら採れるわ。それが面倒だったらこっちの岩塩でも削って使えばいいし」

 青土というのは、かつてここがまだ海だった頃に堆積したもののまだ岩石化する前に隆起して地面となった若い土の層で、大量の塩を含んでいたのだった。更には岩塩の層があるのもマリーベルに教えてもらった。

 そうして一ヶ月も経つ頃には、シルフィも血色が戻り、伸ばし放題の髪が、マリーベルほどではないがやや絡んで鬣のようになり、すっかり逞しい感じになっていた。

「は、いい面構えになったじゃない。取り敢えずもう大丈夫そうね」

 と声を掛けるマリーベルに、シルフィもしっかりした口調で応えた。

「ありがとう。マリーのおかげだよ。自分でも魚くらいなら捕まえられるようになったし、料理もできるし」

 料理そのものは普通に町で暮らしていた頃にも母親から教わっていたが、さすがに道具も食材もきちんと揃っていることが前提の作り方だったので、こんなサバイバル同然で行うようなものはさすがに守備範囲外だった。シルフィの両親もここまでの本格的なものはまだ教えていなかったのだ。いずれはとは思っていたらしいが、その前にあの事件が起こってしまったのである。

「ごめんね。手間をとらせちゃって。イリオくんは大丈夫?」

 イリオとは、マリーベルが一緒に暮らしている人間の子供だった。今は留守番をしてもらっている。なので毎回、夜までには帰れるようにしていたのだった。

 ちなみに、ナイフやライターや鍋については、近くの町に行って失敬してきたものである。外見上は人間のマリーベルが町に潜り込んで入手し、翼竜の姿になったヌラッカがマリーベルを回収して飛び去るということを、ずっと以前から何度も繰り返してきたので、手慣れたものだった。

 明らかな窃盗だが、もはや人間社会からはじき出されて野生動物のように暮らしているマリーベルにとっては人間の法律など知ったことではなかった。これまでの暮らしの中で生きる為に窃盗どころではないこともしてきている。それこそ今更というものなのだ。

「ま、これであんたも一人前って感じだし、免許皆伝ってことでいいわよね。でも、何かあったら呼んでくれたらいいわよ」

 そう言いながら翼竜の姿になったヌラッカが上空から急降下するのにタイミングを合わせて飛び上がり、開いた体に収まって一つの生物のようになって、空へと飛び去って行ったのであった。


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