証言

「あんた、ホント変な人間ね」

 目をキラキラさせながら前のめりになっているマリアンに向かって、マリーベルは辛辣な言葉を投げかけた。しかし、『ブロブは必ずしも人間にとって危険な生物ではない』という、現時点では異端とも言われる説を取るマリアンは、その手のことは言われ慣れていて少々では堪えなかった。それよりも今は、この得難い経験を確実にものにすることに全精力を集中していた。

 また、自分より少し年上なだけにしか見えないが、外見上の年齢と実態とは必ずしも符合しないということを自分自身で感じているマリーベルも、マリアンの年齢についてはさほど気にしなかった。だから素直に自分の経験を語り始める。

 二歳の頃に初代のヌラッカに食われそうになったこと。

 しかし幸いにも消化される前に吐き出され、一命を取り留めたこと。

 その直後から自分の体が劇的な変化を見せ、急激に知能が発達し筋力が高まったこと。

 それが、初代のヌラッカに消化、いや、同化されそうになったことが原因であると理解しているということ。

 その所為で周囲の人間からは怪物扱いされて疎まれたこと。

 自分以外にも、同様の、おそらくブロブに同化されかけながらも何らかの理由でそれを免れたことにより、特異な体質になった人間が他にも複数存在すること。

 そういう人間は、人間に対しての共感性が下がり、自身の状況を他人に相談しないことでそれが一般には認知されていないこと。

 人間に対する共感性が下がることにより、一部には反社会的な行動に出る者がいること。

 そんな、反社会性が先鋭化した人間に殺されそうになり、それを、彼女と同化しかけた初代のヌラッカに救われたこと。

 そして、ブロブと同化しかけた自分のような人間は、基本的にブロブの感覚と蓄えられた情報の一部を共有できること。

 マリーベルの語る全てが、マリアンにとっては至宝であった。

「すごい、すごい、ホントにすごいわ! もしそれが本当なら、ブロブとの共生くらい造作もないことじゃない!」

 興奮したマリアンが鼻の穴を広げつつ声を上げる。しかし、そんな彼女に対してマリーベルは冷淡だった。

「まあね。でも、それを証明できればの話でしょ? 私が言ったこと、特に、ブロブと感覚や情報を共有してるってことをどうやって証明するつもりよ。今の人間の技術ではそれができないことくらい、私だって知ってるわ。証明できなきゃいくらあんたが喚いたところで<トンデモ学者>の烙印を押されるだけでしょ」


 マリーベルの言うことはもっともだった。彼女は実に冷静に客観的に現状を理解していた。それも恐らく、ブロブが持つ情報を、人間である彼女が人間の感覚で整理し理解しているからだろう。

 だがマリアンだって、その程度のことは理解していた。彼女もそういう壁に直面しつつその中で真理を探究してきた学問の徒である。現実というものは痛いほどに思い知らされてきた。

「分かってる。今は確かにそう。だけど、具体的な問題点が分かっていれば、それを解決する為にどうアプローチすればいいのかは分かる。証明する方法がないのなら、今後それを作っていけばいいのよ。時間はかかるかも知れないけど、十分に可能なことだわ。

 それよりも問題なのは、人間の側の思い込みよ。どれほど科学的に立証して見せても、それを信じない人間はどうしてもいるの。いまだに放射線と放射能の区別もついてない人間だっている。閾値を越えなければ危険はないと科学的に立証されてたって、『気持ち悪い』と毛嫌いする人間もいる。そういうのを変えていくには何十年もかかるでしょうね。だけど、一歩を踏み出さなければそれこそ何も変わらないのよ。私達はその一歩を踏み出す為に研究してるの」

 熱心にそう語るマリアンを、マリーベルは呆気にとられたように見た。こんな人間は初めてだった。

 いや、彼女がこれまでマリーベルが見てきた人間と違っているのは早々に分かってたことだ。だから本来なら人間に相談などしない筈なのに、ついつい詳しく語ってしまったのだ。マリーベル自身が既に、マリアンを認めていたのである。

「あんた、本当に変な人間だよね」

 二十歳以上年下のマリーベルにそんな風に言われても、マリアンはまったく気にしていなかった。そんなことよりも興奮が抑え切れなくて鼻息が荒い。顔が紅潮し、汗がにじみ出ている。瞳が潤んである種の色香さえ放っているようにも見えた。いや、実際に性的な興奮とほぼ同じ状態だっただろう。

「はは~ん。さてはあんた、ヘンタイね?」

 シニカルな笑みを浮かべながらそう言ったマリーベルに、さすがにベルカが「おい…!」と声を掛けた。それでもマリアンは手を上げて遮って、満面の笑みを浮かべる。

「そうよ。学者なんて基本的にはヘンタイが成るモノよ。自分の興味あるモノに対して全てをなげうって没入できなきゃ学者なんて務まらないの」

 マリアンの言葉にさすがについていけないものを感じたベルカが何気なく視線を向けると、イリオが眠っていた。幼い彼にもついていけない話だったのだろう。自分もむしろ彼に近い存在なのだとベルカは実感していた。それなりに変わり者だと自分では考えてきたが、この二人に比べればよっぽど<普通>だ。

 ただ、眠っているイリオをヌラッカと呼ばれたブロブが包みこんでいる姿を見ると、やはり複雑な気分になってしまう。現在の彼女の養父母であるベリザルトン夫妻の娘のイレーナは、ブロブに襲われて死んだ。それを思うとどうしても納得がいかないのだ。


「あんた、そんなにブロブが憎い?」

 不意に、マリーベルがベルカに問い掛けた。だから咄嗟に「もちろんよ」と応えてしまった。イレーナのことを思い出していたからである。

「言っとくけど、知り合いがブロブに殺されたからっていうのなら、それこそお門違いよ。元々この惑星の生物ピラミッドの頂点はブロブだった。そこに勝手に押し入ってきて好き勝手してそれでブロブに襲われたからって、そんなのただの自業自得でしょ」

 確かにそうかもしれない。マリーベルの言うことは道理なのだろう。しかし、だからといって納得はできないのだ。人間であるが故に。だがその時、マリーベルが思いがけないことを口にした。

「それに、誰も死んでないわよ」

「…は……?」

 一瞬、意味が変わらず訊き返してしまう。するとマリーベルが鬣のようになった赤い髪に手を突っ込んで頭を掻きながら面倒臭そうにもう一度、

「だから、誰も死んでないって言ってんの。みんな、ブロブの中で生きてんのよ。少なくとも、ブロブに取り込まれたのは全員ね」

 と吐き捨てるように言った。

「え……えぇっ!?」

 マリアンとベルカが声を合わせて飛び上がりそうになる。そんな二人にマリーベルは続けた。

「まあ、何をもって<死>と言うかって話にもなると思うから厳密には『死んでない』ってのは正しくないのかもしれないけどさ。でも、その人間の記憶も意識も何もかもがブロブの中にいるのよ。ベルカだっけ? あんたが頭に思い浮かべた人間の名前、言ってみてよ。名前だけでいいわ」

 意味が分からず、しかし言われた通りに「イレーナよ」とベルカが応えると、マリーベルは、

「ヌラッカ、コンタクトして」

 と言いながら右手を差し出した。するとヌラッカも体の一部を変形させて伸ばし、透明なマリーベルの右腕に触れる。

「明かりが弱いからよく分からないかもしれないけど、私、左目もブロブなんだよ。オッドアイじゃないの。でも、こうなってますますブロブとの情報のやり取りがスムーズになったのよね。この右腕が通信機みたいになってるのよ」

 などと言った後で、

「ああ、いた。イレーナ・ベリザルトン。八歳。女。父親はカール・ベリザルトン。母親はレベカ・ベリザルトン。村の友人であるレイス達とボール遊びしてた時にブロブと遭遇したんだって。今は、人間の研究施設の中にいるらしいわね」

 と、まるで資料でも読み上げるかのようにそう告げた。

「それ、本当なの!?」

 マリアンがますます興奮した感じでつい声が大きくなってしまう。すると、さすがに煩かったのかイリオが「んん~」と声を上げつつ身をよじった。それに気付いてマリアンは慌てて口を塞ぐ。

「嘘言ってどうすんのよ。何だったら、今ここに呼び出しましょうか?」

「そんなことできるの?」

「できるわよ。まあ、それは私が人間として人間の情報を解析するからだけどさ。ブロブ自身はまだ、人間のこと完全には理解できてなくてよっぽど強い思考を核にしないと再現できないけどね」

 こともなげにそう言うマリーベルに対し、ベルカはやはりまだ半信半疑だった。だから訝るように声を掛ける。

「じゃあ、イレーナを呼び出してみてよ」

 簡単にそう言うが、マリアンにしてみるとこれは世紀の瞬間である。ブロブの秘密の最も深いところに踏み込むのだと感じていた。

 なのに、やはりマリーベルは何となく片手間という感じで、

「イレーナ、あんたを呼んでる人がいるわよ。出てきて」

 と、ヌラッカに向かって声を掛けた。

 すると、マリーベルの右手に触れていたヌラッカの体の一部がみるみる形を変えて、マリーベルの手を握る人間の右手へと変化した。それに続いて、腕、肩、胸、首、頭、腹、腰、脚と人間のそれになっていく。そしてとうとう、三十秒と経たないうちに、マリーベルと握手する少女が現れたのだった。その体は透明かつ全裸だが。

「イレーナ…!?」

 ベルカが目を見開いて声を上げる。そこにいたのは確かに、ベリザルトン夫妻の家に飾られている写真の中に写っていたイレーナそのものだった。しかも、

「…あなたは、だあれ…?」

 自分の名を呼んだ見知らぬ女性に、<イレーナ>が問い掛ける。

 まさか、こんなことが……


 さすがにマリアンも言葉を失い、呆然としていた。しかしベルカは少女を見詰めて問い掛けた。

「わ、私はベルカ。あなたのお父さんとお母さんのお世話になってるの。でも……イレーナ……本当にイレーナなの…!?」

 いつの間にか、ベルカの目に涙がにじんでいた。問い掛ける声も詰まりがちになる。そんなベルカを見上げて、透明なイレーナは応えた。

「お父さん……お母さん……お父さんとお母さんは元気なの…?」

 それが限界だった。ベルカの目から涙が溢れて、

「うん……うん……二人とも元気だよ……! あなたのことを今でも愛してる……!」

 としゃくりあげながら言った。

「そっか……良かった……私も元気だよ。また会いたいな……」

 ベルカ自身はイレーナとは面識がなく当然ながら思い出もなかったが、娘を想い悲嘆にくれるベリザルトン夫妻の姿が重なってしまって駄目だった。泣きじゃくってしまってもう言葉にならないベルカに代わって、マリアンがイレーナに話し掛ける。

「あなたは、これまでのことを覚えてるの…?」

「…うん……何となくだけど……ああ、そうだ……私、レイス達と遊んでて、ブロブが来て……うん、覚えてる……私、ブロブになったんだ……」

 そこにマリーベルが注釈を加える。

「正直、人間の体を持ってる私と違って、完全にブロブと同化しちゃった人間は、慣れないとたぶん、ブロブの意識や記憶と元々の自分の意識や記憶とを上手く切り分けられなくて混乱すると思う。イレーナも、今は私がサポートしてるから何とか話もできてるけどさ。だけど、取り込んだ人間の全てがブロブの中にいるってのは本当よ」

 本当に驚きだった。実は人間以上に知能が高い可能性もあると睨んではいたが、まさか取り込んだ人間のDNAだけでなく全ての情報を保持しているとは思っていなかった。しかしこれならば、人間の側の憎しみをいくらか和らげることも可能かもしれない。亡くなったと思っていた家族や知人と再会できるとなれば、状況は大きく変わってくるはずだ。

 が、話はそれほど単純でもないようだった。マリーベルが言う。

「イレーナは本人の想いも強かったからこうやって形になれたけど、本人がそれを望んでなかったりしたら、私が手を貸しても無理な場合もあるかもね」

 しかも、

「ブロブに取り込まれたのはいいとしても、人間として再現しちゃうと、取り込まれる以前に執着してたこととか妄執みたいのまで再現されるかもしれないし、ちょっと面倒臭い部分もあるかもね。

 結構なニュースにもなったからあんたたちも知ってるんじゃないかな。ブロブが保護されてたっていう動物保護施設が暴徒に襲撃されて、施設を管理してた家族が殺されたって事件。実はそのことで出掛けてたのよ」

 とのことだった。

 慣れが必要ということとも併せて、さすがに今すぐ上手くいく訳ではなさそうだ。それでもこれは大きな進展とは言えるのだろう。


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