イリオ

 イリオ・カーヴィアスは孤児である。惑星ファバロフは入植が始まって僅か十年しか経っていないにも関わらず、奇跡的なほどに環境の良い惑星であることから非常に人気が高く、入植希望者が殺到、それ故、審査がやや緩くなっているが為に、入植のどさくさで子供を捨てていく親も紛れ込んでいるのだった。

 イリオも、そういう親に捨てられた少年だった。捨てられた時にはまだ三歳だった。両親はブロブが出ると言われている森の近くに彼を放置し、町に戻ってから『子供がいなくなった』と虚偽の捜索願を出した。わざわざご丁寧に、実際に放置した場所とは違う場所を申請して。

 そうなれば当然、イリオは発見されなかった。だからブロブに襲われたのだろうということで、一ヶ月ほどで捜索も打ち切られてしまった。

 だが、彼は生きていた。放置され、泣きながら両親の姿を求めてさまよってさらに入り込んでしまった森の奥で、既に三年が経過しているにも拘らず。

「イリオ、洗濯終わった?」

 彼にそう声を掛けたのは、癖のある赤い髪を鬣のように伸ばした少女だった。少女もまだせいぜい十歳くらいの見た目をしていたが、その表情はどこか大人びた落ち着き払ったものだった。

 少女の名前はマリーベル。イリオより以前からこの森に住み着いていた先客である。両親に捨てられ泣いていた彼を保護し、ここまで育ててきたのが彼女だった。とは言え、彼女一人で彼の面倒を見てきたわけでもない。その彼女の後ろには、青味がかった透明な体をフルフルと震わせる不定形生物、ブロブがいた。彼女とこのブロブが、イリオの保護者代わりであった。

 さりとて、他に頼る者もないこの環境では、今は六歳になった彼も家族の一員として自分の仕事を果たさないといけない。それが、マリーベルと自分の衣服の洗濯だった。もっとも、洗濯といっても川の水で揉み洗いしてすすぐだけだが。洗濯機どころか洗剤もないのだから。

 しかし、この野生のようなサバイバル生活にも、彼もすっかり慣れていた。

 それには、二人と一緒にいるブロブの力が大きかっただろう。マリーベル一人なら何とか自分だけでも生きていけたが、イリオもとなると、いろいろと力不足な面もあった。それを補ってくれたのがこのブロブ、<ヌラッカ(三代目)>だった。三代目というのは、彼女が初代ヌラッカと共にこの森に住み着いたのが五年前であり、ブロブの寿命は約三年であることから、初代も二代目も既にこの世にはおらず、今のヌラッカが三代目ということだった。

 ヌラッカは、代替わりするほどに大人しく穏やかなものになっていった。一緒に暮らしているマリーベルから人間というものを学び、人間と一緒にいる為にはどうすればいいのかを学んだからである。

 それだけではない。彼女は他のブロブにはないある特徴を備えていた。

「マリー…ゴハン…」

 透明で不定形な体の一部に穴が開き、確かにそう言った。そう、彼女は<しゃべるブロブ>なのだ。

 ブロブは種族全体で一個の生物だった。<個>という概念は持たなかったが、同時に、それぞれの個体が環境に合わせて変化し、生存に適したあらゆる可能性を探るということが行える生き物だった。このヌラッカ(三代目)も、ブロブが模索する可能性の一つということなのだろう。

 彼女達は既に人間を獲物とは捉えていない。今でも飢えればそれを忘れてしまうこともあるが、ヌラッカは言う。

『ニンゲンハトモダチ…エサジャナイ…』

 と。

 だから人間のことをより学ぶ為に、マリーベルやイリオと一緒にいるのだった。


 その、二人と一匹の暮らしは、明らかに人間的で文化的な生活ではないが、どこか穏やかでのどかで平穏だった。二人の<家>は近くの洞窟である。何の変哲もない、人間が快適に住む為に改造が施されている訳でもない。本当にただの自然のままの洞窟だ。しかし二人は何も困らなかった。ヌラッカがいるからだ。

 ヌラッカは、二人にとって、布団であり床であり壁であり暖房器具でもあった。寝る時はヌラッカに包まれて、寒い時には温めてもらって、雨が降り込まないように洞窟の入り口を覆ってくれたりもした。下手をすると、人間社会で暮らしていた時よりも快適だったかもしれない。いや、少なくとも自分達を疎む大人に囲まれていない分、間違いなく快適だったと思われる。

 食べるものは、マリーベルとヌラッカが、鳥やヘビやトカゲや魚を捕らえ、イリオが食べられる果実や野草を採ってくるという形で分担していた。なお、食べられるものと食べられないものの区別は、マリーベル自身の経験から得たものである。

 森の中で住み始めた頃には食べられるものと食べられないものの区別が付けられずに片っ端から食べてみて試した。で、腹を壊したり気分が悪くなれば『食べられない』。そうじゃなく美味いと感じるものは『食べられる』。腹を壊したり気分が悪くなることはないが美味くないものは『食べたくない』と区別していた。

 中には猛毒の植物などが含まれていたりしたが、マリーベルにとっては腹を壊したり気分が悪くなるだけで済んだ。それは、彼女の体が持つある特性故だった。彼女の体は普通の人間より遥かに強靭で耐久性が高く毒などに対する耐性も桁外れに高かった。この森に自生している程度の毒草や有毒動物のそれでは死ぬこともない。

 マリーベルは言う。

『だって、私の体、ヌラッカに<改造>されちゃったし』

 その通りだった。マリーベルは二歳の頃、飢えて見境がなくなった初代ヌラッカに襲われて食われそうになったのだ。が、その時にたまたま、彼女を取り込んだヌラッカが発電機に触れて感電。マリーベルを吐き出して逃げてしまったのである。しかしその時に既に同化は始まっていて、ヌラッカの性質の一部がマリーベルと結合してしまったのだった。それによってマリーベルは、ブロブの強靭な体を得、その思考と蓄えられた情報の一部にアクセスできるようになったということだ。

 だから今のマリーベルは、見た目通りの年齢ではないとも言えるかもしれない。生半な大人よりもはるかに聡明で明晰で利発でタフだった。もはや人間とは別の生き物とも言えるだろう。その所為で人間との暮らしの中では嫌な思いもしたが、今はそんなことを言ってくる者もいない。ヌラッカが蓄えている情報に触れるだけでもその量は膨大で、どれだけ見ても飽きることがなかった。消化しきれない積みゲームや映像ソフトが巨大な倉庫に目一杯詰まっているようなものだからである。

 故にマリーベルは、ブロブが<何>であるかということも知っていた。それについての情報も、ブロブの中にはあったのだ。人間ともブロブとも違う、なんとも言えない奇妙な生命体についての情報が。

 が、それについては今はもうどうでもいい話なので、彼女も触れるつもりもなかった。


 ところで、ブロブは、大半の有機物は徹底的に利用し、金属やプラスチックの一部は要らないということで排出してしまうものの、<排泄>というものを行わない生き物であった。しかしマリーベルとイリオはそうはいかなかった。ブロブに近い能力を得たマリーベルもそこまでではなかったので、食べれば当然、出すものは出す。しかし、それで困ることもなかった。人間にとっては不要な排泄物でも、ブロブにとっては有効活用できるものだったので、まあつまり、そういうことだ。

 ヌラッカは、二人にとっては<トイレ>でもあったのである。

 それほどの生命体であるブロブだが、こと食事においてはある意味では偏食が酷かった。基本的には動物しか食べないのである。動物が取り込んだ植物はそのまま利用するのだが、植物そのものは一切捕食しようとしなかった。その理由も、マリーベルは知っている。万が一の為の<安全装置>だったことを。

 ただ、その安全装置は、人間にとってはまったく安全ではなかったが、それも余談なので今はさて置くとする。それに、ブロブ達はもうこの惑星で数億年にわたって頂点に君臨し根付いてきたれっきとした先住者だ。たった十年やそこらというごく最近になってやってきた人間とは訳が違う。今さらそのルーツをとやかく言っても意味はないだろう。

 いずれにせよ、マリーベルとイリオの生活は安息に満ちていた。

 明るくなれば起き、暗くなれば寝る。腹が減れば食う。ただただ毎日を平穏に過ごし、マリーベルがブロブから得た様々な情報を<お話>としてイリオに語って聞かせる。それで十分だった。

 そして今も、ヌラッカが採ってきてくれた魚を焼いて食う。太陽が真上近くにあるからまあ昼食ということになるか。

 ちなみに火は、マリーベルが木をこすり合わせるなどして起こす。普通の人間にとっては大変な作業でも、彼女の手に掛かれば五分も要さない。

 普通の人間であるイリオはさすがに太い骨は残すが、マリーベルは骨さえ残さず頭からバリバリと食ってしまう。イリオが残した骨はヌラッカが食う。

 水が温めば水浴びをして、寒い時期は不法投棄されていたドラム缶で湯を沸かしてそれに浸かった。もちろん、マリーベルとイリオはいつも一緒だった。寝る時も水浴びする時もドラム缶風呂に入る時も。その姿は、普通に仲の良い幼い姉弟にも見えた。

 ただ、何度か危険もあった。ここは人間の住む町から何十キロも離れているから滅多に人間が現れることはないが、ブロブが目当てのブロブハンターと呼ばれる人間達は奥地に分け入ることもある。ここにもそういう人間が近付いてくることがあった。

 イリオが来る以前には、そういう人間は容赦なく始末した。向こうから攻撃を仕掛けてくるのだから遠慮など必要ないと、マリーベルも考えたからだ。ことごとく返り討ちにして、初代と二代目のヌラッカに食わせた。しかし、イリオが来てからは違った。人間の心理を読んで翻弄し、手に負えないと思わせて追い返すようにした。マリーベルと違って普通の人間であるイリオの前で人間を殺したくなかったからだった。そしてそれは、ヌラッカ自身の考えでもあった。

『ニンゲン…コロスノ…ダメ…』

 イリオが来たばかりの頃、ヌラッカがそんなことを言い出した。イリオを死なせてはいけないというマリーベルの思考がヌラッカにも届いたのかもしれない。イリオを死なせてはいけないのなら、イリオの同族である他の人間も死なせてはいけないと、ヌラッカは思ったのだろう。

『そっか……あんたがそう言うのなら、私も協力するよ…』

 人間に疎まれ、命さえ奪われそうになったことである意味では人間を見限っていたマリーベルも、ブロブであるヌラッカでさえそう思うのならと少し考えを改めるようになった。二年ほどの時間が経過したことで冷静になれたというのもあったかもしれない。

 とは言え、単純に殺してしまうよりもやはり手間はかかった。諦めずに何度も挑んでくる人間もいた。しかし、人間でもあるマリーベルの力を借りたヌラッカの前では、ブロブハンター達の努力は徒労に終わった。

 ブロブハンターがブロブを狩るのはあくまで仕事である。そこには損益分岐点というものがあり、得られる利益に手間が見合わないと判断すれば他を狙うかと諦める。それは、他のブロブが狙われるという意味でもあるのだが、ブロブにとっては<個>というものは重要ではない。いずれ抜け落ちる筈だった髪の毛を提供する程度の認識でしかなかった。今のところは。

 ただ、最近、人間を学びすぎたことの弊害か、ヌラッカが人間を恐れるようにもなっていたのだった。

『コワイ…ニンゲン…コワイ…』

 一ヶ月ほど前にもブロブハンターを追い返したのだが、その際、ヌラッカが何度もそう言って逃げようとしたのだ。だからマリーベルがヌラッカを励ましつつ何とか撃退に成功した。

『いずれは他のやり方を考えなきゃいけない……

 いや、人間にブロブを襲わせるのをやめさせなきゃいけない時期に来てるのかしらね…。ブロブの方はもう、それに気付いてるんだから……』

 ハンターを追い返した後も怯えるヌラッカを見て、マリーベルは呟いていた。

 そんなことも思い出しつつ、マリーベルは、いつものようにイリオに<お話>を語って聞かせていた。それは、オオカミに両親を殺された少女が復讐の為にオオカミを殺し、そしてさらにその少女も、親を殺されたオオカミの子に殺されるという寓話だった。

『そっか、私達がやってることってこういうことなんだな…』

 寓話としてイリオに語りつつ、マリーベル自身もその話から得られるものに思いを馳せていたのだった。


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