欠損

 イリオとマリーベルとヌラッカの穏やかな暮らしは、皮肉なことに人間によって乱される。ブロブを捕獲して金に換えるブロブハンターが現れて暴れるからだ。

「まったく、迷惑な連中よね」

 マリーベルは忌々しげにそう呟いた。また一人、ブロブハンターが近付いていることに気付いたのである。

「イリオはいつも通りここでじっとしててね」

 洞窟の中で、マリーベルは不安そうに見上げる彼に優しく声を掛けた。出会ったころはもう少しぶっきらぼうな感じだったが、最近ではちゃんと『優しい姉』にも見える。

 森の中をサルよりも早く静かに精密に移動し、人間の臭いのする辺りへとやってきた。

「ヌラッカ、大丈夫。私がついてるから」

「コワイ…コワイ…」と繰り返すヌラッカを励ましつつ、ブロブハンターの姿を探す。

「…いた、あいつか…」

 呟いたマリーベルの視線の先には、いかにも<ベテラン>と言った風情の髭面のブロブハンターがいた。油断なく周囲を見回し、身構えている。髭をたくわえているのは、匂いを強くしてブロブを誘き寄せる為だろう。もっとも、もう既にそれは意味をなしていないが。それで誘われるのは、飢えて正気を失くした個体だけである。

 しかし、こうして攻撃的な人間が近くにいればブロブの方も反撃せずにいられないので、結果的には誘い出されることになってしまうが。

「動体センサーを仕掛けてるわね。さすがに用意がいい。ちょっと手強いかも」

 普通の人間では見えない距離から、ハンターの周囲の木々に仕掛けられたセンサーを見付け、マリーベルが感心する。

 カメラには映りにくいブロブには監視カメラはあまり効果がない為、動くものを感知するセンサーを使うのが一般的だが、これも他の小動物などの動きまで拾ってしまうので、反応がブロブなのかそれ以外の動物なのかを見極めるのには慣れが必要な為、経験の浅いハンターなどは敢えて使わないことも多い。いちいち反応するセンサーに振り回されて疲れてしまうことも多いからだ。それよりは自分の五感を頼るという訳だが、そういうものは所詮、勘に頼った一か八かでしかない。不定形生物であるブロブの動きは独特で、センサーの反応にもそれからくる特徴があり、その違いを掴むことの方が結局は確実なのである。

 とは言えそれも、死を恐れない従来のブロブにしか通用しない方法だった。そしてここにいるのは、マリーベルを伴ったヌラッカである。人間のやり方はお見通しだ。

 それでも、ヌラッカは怯えていた。そこでマリーベルは、彼女をそっと抱き締めた。

「ヌラッカ。私に任せて。あんな奴に負けたりしないから。私があなたを守ってあげる」

 そう言いながら、触れることでより一層、感覚を共有していく。ヌラッカの知覚をマリーベルが感じ、マリーベルの思考をヌラッカが感じ取る。人間でもあるマリーベルが人間の思考を類推し、対応する為だ。これでさらに確実に人間に対応できる。人間を理解できずにただ肉体が持つ能力だけで対応している他のブロブとは違う動きができるようになる。

 すると、さっきまでひどく怯えていたヌラッカが落ち着いた様子を見せた。マリーベルの落ち着きがヌラッカにも影響したからだ。

「よし、行こう」

 感覚が共有されたことを確かめて、マリーベルはヌラッカと共に奔った。体は動いていないが、彼女の感覚は既にヌラッカと共にあった。ある意味ではそこにいたのは、マリーベルの心を持ったヌラッカだとも言えただろう。

 体からいくつもの細い触手を伸ばし、ハンターを囲むように広がっていく。その動きを、木々に仕掛けられた動体センサーが捉える。当然、それはヌラッカ自身の動きなので、ブロブとしての特徴的な反応を示す。

「取り囲まれた!?」

 ハンターの体に緊張が走り、そう声を出すのが分かった。殆ど全方位からブロブの反応が帰ってきたのだからそんな風に考えるのも当然だと思われる。

 人間は、ブロブのことを見下している。精々、『多少、悪知恵の働くネズミ』程度にしか思っていない。それは、生物としての在り方が違いすぎて思考の仕方が人間のそれとはまったく違う上に、死や個という概念を持たないが故のブロブの行動を、人間の方が勝手に『知能が低いから』と解釈しているに過ぎない。人間だって静電気に引っ張られる髪の毛一本一本にまでいちいち気を配って操ったりはしないのではないか。そういうことだ。

 しかし、その髪の毛の一本に自我があり勝手に動くとしたらどうだろう?。本来は静電気に引っ張られて分かり切った動きしかしない筈の髪の毛の一本が自我を持って襲い掛かってくるのだから、その有り得ない振る舞いに、すぐには対応できないかもしれない。

 そして、人間の指くらいの太さになった触手をあらゆる方向から伸ばし、ハンターの体を掠める。

「うおっ!? な、なんだこいつは!?」

 それまで彼が出会ったどのブロブとも違う攻撃に、ハンターが慌てる。麻酔弾を装填した銃を放つが、ムチのように動く、指くらいの太さしかない触手にはさすがに当たらない。

 ハンターも必死にヌラッカの攻撃を躱すが、それは実はヌラッカの側がわざと手加減しているからである。その気になれば一瞬で搦めとって絞め殺すことさえできた。だが今は殺すことは目的ではない。手に負えない、手間に見合わない奴だと思わせて諦めさせるのが目的なのだ。最初の頃のベテランの余裕を見せていた姿はもうない。攻撃を躱すのに必死で麻酔弾を撃ち尽くしているのに再装填もできずに恐怖で顔を歪ませた、憐れで非力な人間の姿があるだけだった。ハンターのズボンがいつの間にか濡れている。小便を漏らしたようだ。しかしその時。

「……他にもいる……?」

 目の前のハンターを翻弄し、生涯消えないであろう恐怖を植え付けていたヌラッカ(=マリーベル)が、もう一人、人間がいる気配を感じ取っていた。距離はまだ百メートルほどあるが、こちらのハンターに気を取られて接近に気付かなかったようだ。普通なら数百メートル離れていても音や匂いで気付くというのに。

 なお、ブロブは本来、匂いを頼りに行動しているが、音や振動や温度も敏感に感じ取っている。普段は必要がないから意識していないだけだ。それをマリーベルが活用しているのだった。それなのにこの距離まで気付かなかったというのは、彼女にとっても予測外だった。

『なんかこいつ、ヤバい……!?』

 本能的にそう直感し、こちらのハンターにはもう十分に恐怖は与えた筈だと考えて、いったん距離を取ろうと触手を戻す。そうして通常の形に戻った瞬間、体に衝撃が走った。着弾だ。麻酔弾が体に食い込んだのだ。

「…な……!?」

 咄嗟に、麻酔弾が食い込んだ部分を切り離して捨てる。普通のブロブはわざわざここまではしないが、マリーベルが同調したヌラッカは自らを守る為にそれを行った。しかし撃ち込まれた瞬間に注入された分が既に体に回り、動きが鈍る。

「狙撃か…! こっちのハンターを囮に使ったのか……人間という奴はこれだから……!」

 まさか他のハンターを囮に使って狙撃を行う奴がいるとは。

 これはさすがにマリーベルの経験の浅さが如実に出てしまった。知識としてはそういう可能性もありえると分かっていた筈だが、経験が伴わなかったことで重要視していなかったのである。しかもここまではこういうことをしてくるハンターもいなかった。


 麻酔弾は狙撃に使うことを想定して作られていないので百メートル程度まで近付く必要があったのだろうが、それにしてもすごい腕だ。細くなったヌラッカが元の大きさに戻る瞬間を狙うなどと。

 体の一部を一瞬で変化させ、ヌラッカ、いや、マリーベルは<目>を作ってそいつを見た。自分達を狙撃したそいつの顔を確かめる為に。

 それは、自分の狙いがまんまと的中したことで愉悦に浸っているのかニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた野卑な印象のある中年男だった。ヌラッカの攻撃を辛うじてしのぎ切って腰を抜かして地面に座り込むこちらのハンターが<勇猛>な感じだったのだとすると、そいつは<奸佞>といった感じだろうか。

「くそっ! ヌラッカ、ごめん…!!」

 自分の判断ミスを悔やみながら、マリーベルは距離を取ろうと逃げることに集中する。このままではヌラッカが危険だ。だが、麻酔が全身に回りさらに動きが鈍る。完全に麻痺するほどの量ではなかったものの思うように動けない。

 枝を掴み損ねて地面に落ちる。枝を伝うことは諦めて、このまま地面を移動することにした。自分(=マリーベル)の体のある場所まで戻れば今度は自分が相手をすればいい。

 すると、マリーベルはさらに別の気配を感じ取った。

『人間…!? いや、違う……この感じは…!?』

 狙撃してきたハンターとは別の方向から凄まじい勢いで近付いてくるものがいた。人間では有り得ない動きだった。

『私と同じ…!?』

 咄嗟に、マリーベル自身の体も動いていた。ヌラッカと同調しつつ自分の体も動かすということは今まで試してこなかったが、何とも言えない嫌な予感に思わず動いてしまったのである。

 木々や下草が生い茂った森の中を、マリーベルの小さな体が野生の猫のように駆け抜けた。ヤバい予感が背筋を駆け抜けて止まらない。

「間に合えーっっ!!」

 思わず叫びながら飛び込み、ヌラッカの前に立ったマリーベルは、自分の視界に捉えられた<それ>に対して反射的に手を伸ばしていた。その瞬間、ガーン!!というすさまじい衝撃が彼女の全身を叩き、鼓膜が破れ、体中に細かい固いものが突き刺さりながら弾き飛ばされるのを感じたのだった。

 十メートル近く吹き飛ばされ木の幹に叩き付けられ体中の骨が折れ内臓が破裂する感触を味わいつつ、彼女は地面へと落ちた。何かが爆発したのだ。

 普通の人間なら即死している筈のダメージだったが、それでもマリーベルは死ななかった。左目は潰れ、目や耳や鼻や口からも血が零れ落ち、全身が傷だらけで真っ赤に染まった状態で体を起こそうとするものの、両手を地面に着こうとしてバランスを崩し、再び倒れる。

「…くっ……!」

 右腕の違和感を残った右目で確認すると、肘から先がなくなっているのが分かった。

「グレネードか…!」

 そこでようやく、何が起こったのかを理解した。彼女は咄嗟にグレネードを空中で掴んでしまったのである。

「人間の子供…!? こいつはヤベぇ…! 関わっちゃダメだ…!」

 ヌラッカの体を通じ、そんな声が聞こえてきた。慌てて走り去る気配も伝わってくる。ヌラッカを狙撃したハンターだった。ブロブハンターであるそいつの狙いはあくまでブロブ。その捕獲に人間を巻き込んで怪我をさせたとなってはハンターとして致命的だ。ギルドからも追われ、廃業も免れない。だからそいつは、すぐに頭を切り替えて無関係を装うことにしたようだった。実に抜け目のない奴である。

 小便を漏らして腰を抜かしたハンターはその場から動けず、そのハンターを囮に狙撃によってヌラッカを狙ったハンターは逃走。しかし危険はまだ去ってはいなかった。

 ヌラッカを自分の背後に回り込ませたマリーベルは、地面に伏したままでぎろりと視線を上に向けた。その先にいる人影に向けて。

 それは、黒尽くめの服装でフードを目深にかぶり、ゴーグルで顔を隠した人間だった。両手にグレネードマシンガンを構えているが、その体つきからすると女のようにも見える。先程のグレネードはこいつが放ったものだったのだろう。

 黒尽くめの女は、自分を睨み付ける血まみれの少女を無言のまま見詰めているようだった。そしてやはり何も言わず、再びグレネードマシンガンの銃口をヌラッカへと向ける。

「ふざ…けるな…! <これ>は私のものだ……! 誰にもやらない…!」

 呪文のように言葉を絞り出しながら、マリーベルは体を起こし、立ち上がった。両腕を広げて、ヌラッカを庇うように女の前に立ち塞がる。しかしその瞬間、彼女の体から力が抜けて、その場に崩れ落ちたのだった。


「……あ…? お前、無事だったのか……」

 マリーベルが再び意識を取り戻した時には、日が暮れ始めていた。森の中は既に闇に包まれていた。その中で、ゆっくりと体を起こす。そんな彼女の前に、体をフルフルと震わせるヌラッカの姿があった。代わりに、あの黒尽くめの女の姿はどこにもない。明らかにヌラッカを狙っていたその女について、マリーベルには心当たりがあった。

「あれが、エクスキューショナーか…」

 以前、ネットのニュースで話題になっていたそれを見たことがあったのである。ブロブを執拗に狙い次々と殺して回っているというそいつを。

 だが、何故かヌラッカは無事だった。ヌラッカを狙撃したハンターと同じく、人間の子供を巻き込んだということでさすがに逃げたということかもしれない。実際のところはよく分からないにしても、こうしてヌラッカが無事だったことは確かだ。

 と、ホッとしたのと同時に、マリーベルは自分の体のことに気が付いた。あれほどの重傷だったにも拘らず、どこも痛くない。潰れた筈の左目も見えている。しかも、右手の感触もあった。

 何気なく右手を持ち上げて見ると、しかしそれは見慣れた自分の右手ではなかった。透明で、向こうが透けて見える。それに気付いた瞬間、マリーベルは察した。

「そっか……あんたが治してくれたんだね」

 フルフルと体を震わせているヌラッカを見ながら、マリーベルの顔に僅かに笑みが浮かんでいた。

 そう。失われた左目と右手、体中の傷や破裂した内臓や折れた骨の全てを、ヌラッカが自らの体の一部を使って再生してくれたのだ。初代のヌラッカと同化しかけたマリーベルだからこそのものだった。

 こうして、右腕の肘から先が透明になり、濃いブラウンの右目に対して淡い水色の瞳の左目という姿になったマリーベルは、麻酔の効果も切れて回復したヌラッカを伴い、帰りの遅い二人を心配して洞窟の前で不安そうに待っていたイリオの下へと帰ったのであった。


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