第35話 「ごめんね」

 華は膝をつきながらも立ち上がった。

 コンルの胸元に、小さく抱えられた何かが見える。

 だが、もう、目がかすみはじめ、時間切れは近そうだ。


「ねーちゃん! あの子と、玲那の子たちも、一緒に燃やして!!!!」


 萌が叫ぶ。


 一拍遅れて振り返った華の横を、キクコの腕がぐんと過ぎた。


「……クソっ!」


 切り落とすのが間に合わない──!


 刀をなんとか構え直したとき、ばきーん!と当たりの悪い音が聞こえた。


「華ぁ、お前は、早く、そっち倒せぇー!」


 慧弥だ。

 パイプ椅子でキクコの腕と戦ってくれている……

 もやしで、筋肉の「き」の字もない、ただ青白い生きた亡霊の慧弥が、長い前髪を振り乱し、萌を守っている──!


「……慧に、守られちゃ、おしまいだな……」


 華は左手首を見た。

 なんとか残った深紅の花びらが、ふわりと揺れる。


「……婆ちゃん、萌たちを守ってね……」


 華は刀を振り、左手首に添えた。

 じっと引き抜いた刀に、紫の炎が宿る。

 目を開けた華の瞳も、紫に染まる。


 華は両足で地面を蹴った。

 膝を曲げ、大きく伸びた先は、上空だ。


「コンルー! その子と、玲那の子、出しておけー!」


 なめくじのように進むキクコを飛び越え、宙返りと、片手での側転からの宙返りで、さらに距離を伸ばしていく。


 桜の木にぐっと近づいた瞬間、殺気が背後に絡んだ。

 だが、振り返らない。


「ハナは、神の元へ」


 横を過ぎたコンルが、氷の弾丸でキクコの手を弾いていく──


 キクコにとって、あの猫たちしか、もう、ない。

 残りの力も、少ない。

 自身の手も消え、友だちの手も残りわずか。

 だが、あの猫たちさえ取り戻せば、また、友だちを


 キクコは今持っている限りの力をすべて華に向けた。

 背中から生えた腕は5本。関節は12。


 あと少し、あと少し近づければ、あの女の首を折れる。


 キクコの血走った目には、そこしか見えていなかった。

 出せる限りの力を華へと向けて、取り戻すしかないからだ。


 5本の腕は、こよりのように絡みあい、巨大なドリルのようにとぐろを巻いた。先端は尖り、突き刺すための腕となる。


 キクコは渾身の力で突き出した。

 だが、それが華に届かない!

 コンルが杖で、物理で、殴り返してきたのだ。


「僕だって父の子です……剣のさばきは、上手い方なんですよ」


 杖を剣のように構えるコンルだが、服はやぶれ、ツインテールもほどけてしまっている。

 白い太ももにはいくつもの赤い切り傷が刻まれ、白が基調のボディスーツも、鮮血が滲みはじめる。


 キクコはヘドロを口から飛ばしながら、奇声を張りあげる。

 意味としては、『貴様を殺す』といったところだろうか。


 コンルの唇がかすかに揺れ続けていた。

 剣のように杖を構えたのは、巨大な魔法陣を創るためだ。


 地面に浮かび上がった魔法陣は、コンルの足元から、真横に伸び、コンルを中心に、左右に8つ、魔法陣が並んだ。


 もはやキクコの手は、ハンマーに変化する。

 コンルを叩き潰そうと振り上がる──


「これは壊せないですよ?」


 ボロボロな顔で可愛くウインクしたコンルの足先から、突如、氷の壁が迫り上がった。

 5メートルはあるだろう壁は分厚い。

 さらには触れると凍らせていくのだから、厄介だ。


 それでもキクコは叩き崩そうと氷を叩く。

 もうこの氷を壊すしか進む道がないからだ。

 激しく殴られる氷壁に、ヒビが走る。

 そこに上書きで氷を乗せていくコンルだが、すでに息は切れている。


「ハナ、まだですか!」


 手が痺れ、杖が滑る。

 魔力の底が、もう尽きそうだ。


 コンルの足が、一瞬怯んだ。


 キクコがより、近づいたからだ。


 氷越しにもわかる、黒い闇。

 透けて肌に刺さり込んでくるのは、殺気だ。


 キクコも必死なのだ。

 激しい憎悪と怒りが、この氷すら、溶かしてしまいそうだ。


 コンルは震える顎を、噛みしめる。


「ハナ……!」

「わかってる!」


 華は、木の根が抜けた大きな穴に、そっと寝かされた彼らを見る。4つの塊が、土のなかで小さく小さくかたまっている。


 2匹が小さく鳴いた。

 口ともわからない場所を大きく開けて、小さな声で、呼ぶように鳴く。


「……おやすみ……神様たち」


 華は炎が宿った刀を、ふわりと当てた。

 真綿でもかけたように、炎が4匹を包んでいく。

 じんわりと温められた2匹は、優しそうに鳴いてから、炎が消えると同時に、砂となってすっと崩れた。


 キクコの叫喚が鼓膜を揺さぶる。

 むしろ痛い。

 だが、その叫びは唐突に止まった。


 水平に振り抜かれた刀の炎は、氷の壁を突き破り、キクコの体へ突き刺さったからだ。


 ぼろぼろと砕けていく氷の向こうで、キクコは呆然と立っている。

 自身の身に刺さった炎に、理解ができていないようだ。

 小さく首を傾げて、抜こうと炎に手を添えた。

 だが、その手がすぐに燃え始める。


 炎が手から全身を覆うのに、それほど時間を要しなかった。

 最初はなにも感じていなかったキクコだが、指先が灰になりはじめ、バタバタと両手を振って消そうとする。


 だが、この炎は消えることはない。

 怪人を、彼女を燃すための炎であるのが、華にはわかる。だからこそ、柄に力を込めた。


「……キクコも、さっさと、寝ろ」


 紫炎をキクコに巻きつけ、締めあげていくと、体が土人形のように崩れだす。

 不意に、キクコの赤い口から声がこぼれた。


『……おネエちゃん……ともだぢ……』


 全身が紫の炎に包まれたキクコだが、炎の中の彼女は、萌と同じくらいの少女となっていた。

 それは、悲しそうに顔を歪ませ、憎悪も悲しみも体に溜め込んだ少女だった。

 行き場のない寂しさを、おまじないに頼るしかなかった、少女だった───


 華は空を見上げた。


「雪……?」


 雨と共に桜の花が舞う。

 炎に包まれながら、華を睨み、腕が崩れかけるキクコに、そっと寄り添ったのは、目の青い白い猫。


『……よしこ。……ごめんね。ごめんね……』


 よしこはキクコの肩に乗り、頬をすりよせた。

 キクコもそれにこたえるように、猫の頭をなでようと、崩れて消える腕を持ちあげる。


 ──弾けた。


 白い光が、世界を染めた。


 雨が、花が、逆さに降る。


 時間が戻される高速の景色が見える。


 この世界に取り込まれていた少女たちは、玲那の猫たちに連れられ、もう一つの他界クラックへ登っていく───



 ……晴れた空に、安堵と、言葉にできない気持ちが混じる。


 華たちは、無事に他界クラックから、現実に帰ってきたのだ。


 だが、地面にはキクコがいた存在を示すように、黒い影が焼き付き、記念樹の桜の木もばっきり粉砕済みだ。


 華は青い空を見上げたまま、


「……ゴーストシップ、じゃん……」


 呟くと、そのまま後ろに倒れこんだ。

 コンルがすかさず抱き止め支えるが、彼女の傷が深すぎる。


「ハナ! すぐに助けますから!」


 華はコンルのブローチをぎゅっと握る。

 そして、唇まで耳をよせさせた。


「コンル……キクコさぁ……、女ゾンビだったよね……男ゾンビだったら良かったのにね……」


 ゆっくりと落ちる腕。とじた瞼。

 流れる血は止まらない。


 華の最後の言葉は、あくまでも、ゾンビへの愛だった。




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