最終話

 カタカタと車輪が音を立てている。ひと月前に聞いたはずの音なのに何年も前に聞いていたようで懐かしい。この不規則な揺れに後二日堪えれば、杞里へと到着する。王都からだいぶ離れたので音や匂いは雑音にまみれたものではなくなったが、それでも杞里の静寂には敵わない。雪玲はそっと瞼を下ろして、故郷への到着を今か今かと待っていた。


「……君は、馬鹿だな」


 正面に座った彩妍がため息混じりに呟いた。その指先は檻越しに木槿の頭を撫でている。


「なぜ私を救うんだ? せつ春瑛しゅんえい


 わざとらしく新たな名前で呼ばれたことに雪玲——春瑛は瞼を持ち上げ、彩妍の姿を映すと微笑を浮かべた。

 雪春瑛——海葷と皇太后が新しくつけてくれた名だ。二人は父と兄と共通する雪の文字を姓名とし、春は雪玲が義姉の名を残したいという願いを聞き入れてくれた。輝く宝玉を意味する瑛という文字は「あなたにぴったりよ」と皇太后が推奨したため、名前に組み込まれた。

 董家が無くなり、代わりをと考えていた瑞王が目録を辿ると雪家という一族の存在を知った。百年以上昔、まだ婚姻規制が敷かれる前に董家と分離した雪家は毒を操る能力は低いが常人と比べると毒耐性が高く、遠い異国で地に根を張って生活を営んでいた。そこに目をつけた瑞王が使者を出して、瑞国に招き入れた。——これがおおまかなである。細かい部分はのちにまとめるつもりだ。


「友達だからですよ。柳月りゅうげつお姉様」


 こちらもわざとらしく新しい名前で呼ぶと彩妍——柳月は嫌そうな顔をする。与えられた戸籍は春瑛の腹違いの姉。淳雪と結婚すればおのずと姉という席に座るので本人は満更でもなさそうだが、名付けたのが皇太后と翔鵬ということが不服なようで改名を求めていた。


「友達だから人殺しを庇うのかい?」

「人殺し? 誰のことを言っているのでしょうか」

「私のことだよ。宮女、宦官、妃嬪に皇子皇女……少なくとも三十人は殺しているのに焼印のみで済ますつもりかい?」


 柳月は袖の上から手首を——罪人の印を撫でた。


「おかしなことを言いますね。斉景長公主様は死によって罪を償いましたよ」


 多くの犠牲者を出した斉景長公主は最も重いとされる獣刑に処された。獣刑とは文字通り、獣によって生きたまま食い殺される刑罰だ。死後、肉体が細々になることは魂が定着せず、復活ができないということ。瑞国では斬首刑、火刑と並ぶ極刑とされる。

 また、共犯とされる乾皇后は亡骸を火葬し、肉体を灰にすることとなった。残された乾一族は九族皆殺しの命が下され、十六歳以上の男子及び女子は斬首刑に、十五歳以下の男子は宮刑に、女子は一生を奴婢の身分に落とされることとなった。

 高淑儀に関しては共犯であることは公表しないことになった。彼女の父と姉の立場を守るためだ。


「私を生かしておいたこと、君は絶対に後悔することになる」

「あら、私の心配よりもこれからの行く末を心配したらどうです? 董家に成り変わり、鴆と暮らすことは死よりも辛い人生になります。死んでしまった方が良かった、と後悔しますよ?」


 柳月は、はっと鼻で笑いながら木槿の嘴をつつく。


「本望さ。元より、あの人と人生を歩むつもりで生きていたのだから」

「これからやる事はたくさんあります。柳月お姉様にも手伝って貰わないと」


 やめてくれ、と柳月は口を曲げる。


「お姉様呼びは小っ恥ずかしい」

「あら、私のお姉様になったのに?」

「それでもだ。この名前は好かないが、呼び捨てで頼むよ」

「せっかく、お二人がつけてくださったのに」

「君がつけたのなら喜んで名乗ったさ。あの二人だから嫌なんだ」

「そんなことを言って、来月どうするつもりです?」


 一カ月後、皇太后主催の茶会が禁園にて開かれる。名目上は雪家との親交を深めるため、本当の目的はただの世間話をするために。春瑛はもちろんのこと、柳月も招待されている。


「そんなもの、不参加に決まっている」

「喜ぶと思うのに」

「忘れたのかい? 私は皇太后に毒を盛り、瑞王を殺そうとしたんだぞ」

「けれど、皇太后様は生きています」


 皇太后が鴆毒により、命を失わなかったのは景雪が作った猛毒のおかげだという。その猛毒は毒に侵された者が服毒すれば全ての毒を消し去り、健康体が服毒すれば眠るように穏やかに死に至ることから“鳥王の秘毒”と名付けられた。

 景雪は当時、皇后に身を置いていた彼女に「王族の誇りを、御身を守るために使いなさい」と手渡した。皇太后はお守りとして肌身離さず持っており、毒が混入した薬湯を口にして、すぐに服毒した。

 景雪が独自で作り上げたため、調合法は伝えられていないが実物がもう一つ残っている。茶会の時に見せてもらう約束をした。


「せっかく、お父様の作った毒が見られるのに……。それに皇太后様はあなたを恨んではいなさそうですよ」


 逆に愛娘を狂気に染めたのは自分が原因だと気にしている節がある。


「だからって、のこのこ会いに行けるほど図太くはないよ。私は木槿と留守番させてもらうから白暘とでも行ってこればいい」


 この馬車を動かしている白暘は従者として雪家に仕えることとなった。行く当ても、帰る場所もなく、また本人が宮城勤めを望んでいるわけでもなかったので「毒耐性があるし、使えるはずだ」と翔鵬から下賜された。

 あんなにみんなから怒られて、なお他人を道具扱いするのは尊敬に値するな、と思う。春瑛には無理だ。真似できない。


「恐らくだが高貴妃と崔婉儀、珠音も参加するはずだ。羽根を伸ばして楽しんできなさい」

「ええ、そうさせてもらいます。今後のことも相談したいですし、帰るのは遅くなるかもです」


 今後のこととは娵訾しゅし区と双山そうざんの復元についてだ。娵訾区は董家の処刑が行われた場所、双山は董家の遺体を捨てた山。両方、大地に血が染み渡り、汚染されたため今でも草木が生えぬ土地となっている。

 復元について提唱したのは春瑛だ。翔鵬も頭を悩ませていた案件なので、かかる費用全額を国が負担することを条件に請け負うこととなった。ただし、董家の全員が鬼籍きせきに入ったため、大地を浄化する方法を口伝されていない。そのため、地道に研究しなけれならず、長丁場になることは了承済みだ。


「杞里で木槿と待っているよ」

「鳴家のみんなも、香蘭も優しい人ばかりです。きっと楽しい日々になるはずです」

「……歓迎されるかは別だろうけどね」


 先程から負の言葉ばかり吐き出すので春瑛はうんざりする。見た目は飄々ひょうひょうとしているし、肝も据わった女だが妙なところが打たれ弱い。


「歓迎されるはずです。香蘭は私のお願いを聞き入れてくれますもの。私が姉として、共に鴆を守りたいと願ったのなら喜んでくれるはずです」

「……あんまり我が儘をいうんじゃないよ」

「あら、信用してくださらないのですね」


 むっと唇を尖らせると柳月は「信用できるわけない」と言った。


「後宮で、君が好奇心のみで突っ走る姿を見ていたからね。乳母の方の気苦労も分かるよ。鳴家じゃ、弟君もやんちゃなようだし」

「紫雲はやんちゃではありませんよ。行動力はありますが」

「君に似た行動力ならやんちゃという言葉は間違えてないと思うけどなぁ」

「あら、酷い。妹をいじめるのですね」


 袖で目元を隠して泣くふりをすると柳月は一瞬、ぎょっとした。すぐさま表情は元に戻るがどこか居心地が悪そうにするのが新鮮で、つい笑ってしまう。

 すると柳月は足を組み、居丈高な態度で「君は」と口を開く。


「姉に対する態度がなっていないようだ」


 あれほど姉扱いされることを恥ずかしがっていたのに、自らを「姉」と言う柳月が愛らしくて、春瑛は体を丸めて笑う。

 腕の隙間から盗み見ると花顔がみるみる真っ赤に染まる。そのことがより一層と面白くて、けれど声を上げて笑えば拗ねる柳月の姿が浮かび、春瑛は唇を噛み締めて耐えた。


「……すみ、ません。ずいぶんと可愛らしくて」


 震える声で謝罪をすると柳月はそっぽを向き、木槿を撫でた。ふてくされたようだが、垂れた髪から覗く顔は優しい春空のようだ。

 軒車に沈黙が降りる。けれど、苦ではない。

 少しずつあの懐かしい香りが濃くなる中、春瑛はあくびを噛みしめると微睡まどろみに横たわった。




 ☆★☆




 ネットや書物で中華や後宮と調べると鴆という鳥がよく登場しており、

「羽を浸した酒を飲んだ者は死ぬ」

「畑の上を飛翔しただけで作物が腐る」

 など出てくる文章、すべて鴆の毒がいかに強力かというものばかりでした。調べていくうちに常人では扱えないのでは? これは専門家がいるはずと思い立ち、鴆を主軸に物語を書きたいと見切り発車でスタートしました。

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。これでいったん完結とさせていただきます。

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