第41話 罪悪感
「雪玲、ごめんなさい……。私は、あなたを、みんなを……」
「皇太后様、謝らないでください。お二人は立場があるのに私を守ってくれました。とても感謝しています」
「あなたに、これからも不自由な生活を送らせてしまうわ」
キリキリと枯れた喉が音をたてる。海葷が喋らないように忠告するが皇太后はじっと雪玲を見つめ続けた。
「なにか、私にできることがあれば言ってちょうだい」
「では、杞里に戻る前に皇太后様の診察をしてもいいですか?」
「診察……?」
「と、言ってもお話しするだけです」
雪玲は優しく笑いかける。
「皇太后様の御身を
青文瑾が盗んだ鴆は
皇太后は伏せているが体臭は鴆毒の特徴はおろか、病人のものとは違った。そのことから精神的なものだと雪玲は考えた。
「私は今日、杞里へ帰り、春燕姉さんの名前を借りて、生涯をあの地で過ごします。帰郷の準備が整うまでの間、私のお喋りに付き合ってください。皇太后様は聞いてくれるだけでいいので」
「……あなたは、本当に優しい子ね」
枯れた手が雪玲の頬を撫でる。愛おしいといいたげに。
その手付きに亡き母を思い出していると背後から高貴妃の小さな悲鳴が聞こえた。
帳が揺らめき、翔鵬が顔を覗かせた。
「なぜ」
雪玲は咄嗟に身構える。
翔鵬は気まずそうに視線を彷徨わせて、背後に控えた白暘に助けを求めた。
「翔鵬、この子に手を出してはいけません」
皇太后が翔鵬を睨め付けた。
「全ては私とお前が原因です」
「母上、俺は」
「言い訳など、聞きたくありません。……けほっ」
皇太后は身体を丸めて激しく咳き込む。
「皇太后様、残りは私が」
「かい、くん……。頼み、ます」
「はい。承知いたしました」
海葷はまっすぐな目で翔鵬を見据えながら揖礼する。
「お久しゅうございます。瑞王様」
「……久しぶりだな。海葷。楽にせよ」
姿勢を正した海葷は笑いながら「薔薇もこちらにきなさい」と帳の奥にいる高貴妃へ声をかけた。
「……薔薇、身体は大丈夫か?」
久方ぶりの妻の姿に、翔鵬は慈愛に満ちた眼差しを向けた。
(なんで、高貴妃様だけを気にするのでしょう。他の人間は道具のように扱うくせに)
鎮めたはずの怒りがふつふつと湧き上がる。怒りが爆発しないように堪えていると高貴妃が空いた手を握ってくれた。
「先程の会話は聞いていましたか?」
「……ああ」
「薔薇が守ってきたものを、仙華がしでかしたことを。……妹君がしでかしたことは?」
「白暘から、全て聞いた」
「それは話が早い。結論から述べますと私と皇太后様は彼女を董雪玲として杞里へ帰したいと考えています」
翔鵬は複雑な表情を浮かべた。
無視して海葷は続ける。
「董家は国を裏切っていない。瑞王様の勝手な判断で、彼らは族誅に処された。後宮での事件は全て彩妍様が首謀者。雪玲は一連の事件を解決した、と公表ください」
「それでは王家の信用が!」
「ええ、失うでしょう。しかし、もうとっくに地に落ちた信用ですのでご心配なく」
柔らかな言動だが、どこか冷めた声色に海葷が隠していた怒りが伝わってくる。
そこで雪玲は思い出した。彼もまた自分と同じように翔鵬の政策により、大切な友と家族を失い傷付いた一人なのだと。
「この国が周囲から強国と認められたのは鴆毒があってこそ。周囲が友好国として接してきたのは鴆薬があってこそでございます」
「だから董家に代わる人間を用意している」
「その人間が、董家のようになるまで百年はかかると考えた方がよろしいでしょう。その間、侵攻がないとでも?」
翔鵬は言葉につまった。もっとも懸念すべき侵略国家と名高い清国は、今現在、鳴りを潜めているがいつまた進軍するかは誰も分からない。
「董家の生き残りがいた。それも董沈が認めた毒の使い手、と公表することは瑞国を守ることに繋がります」
しかし、と翔鵬は難色を示す。王家の威厳を保つために雪玲の存在や己の失態は隠し通したいらしい。
「あの、少しいいでしょうか?」
おずおずと雪玲は声をあげた。
「……なんだ」
「私の意見を無視して話を進められるのは困ります」
「なにが言いたい?」
翔鵬の威圧的な態度に、すぐさま皇太后と高貴妃から叱責が飛ぶ。
居づらそうに視線を彷徨わせる男の姿に、雪玲は哀れに思う。
「私、今日色々と考えたのです。自分の望みを、大切にしたいことを」
「望みはきちんと叶えてやる」
「ええ、私もいただくつもりです」
根こそぎ、と心の中で付け加える。
「私の望みは父の死の真相と董家の汚名を返上すること。それから鴆の安全です」
「……それは」
「真相と汚名に関しては公表しなくて大丈夫です」
それに海葷が「いいのかい?」と口を挟む。
「公表しないということは君達はこの国に疎まれ続けるということだ」
「父がもし今の私の立場ならと考えたのです。このことを公表すれば国は混乱します。そうすれば今以上に傷付く者があらわれる……それは駄目なんです」
「君は、やはり景雪どのの娘だな。彼もそう言うはずだ」
海葷は言葉を区切り、皇太后へ近づくとなにやら耳打ちした。
しばらくして、皇太后はゆっくり顎を引く。
「……私達は君の考えを尊重しよう。他に望みはあるかい?」
「董家の土地と没収された財産に書物の返却をお願いします」
「承知しました。土地と財産は約束しましょう。けれど、書物の大半は焼却され、残ってはいません」
「……ですか。分かりました。では代わりに書物分、財産を上乗せしてくださいませ」
書物にはわずかにだが毒が染みているはず。焼却処分されたのは分かっていた。
翔鵬と海葷が頷いたのを確認してから、雪玲は海葷を見据えた。
「私に新たな名前と戸籍をくださいませ」
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