第40話 雪玲の叫び


「皇太后様にご拝謁できたこと、心より嬉しく思います」


 皇太后が住まう白羊宮が一室。この室をうめるのはぜいを尽くした調度品ばかり。緻密ちみつな刺繍が施された紅蓮の敷物、牡丹が生けられた青磁の花瓶、螺鈿らでん細工さいく机案つくえ、鳳凰をかたどる象牙の彫刻、海石榴華文つばきかもんの壺、壁を飾る山水画は瑞国三景のひとつである霊峰、龍口山りゅうこうざんだろうか。

 調度品を一望し、雪玲は跪礼きれいした体勢のまま内心、首を傾げる。このうちのいくつか鳴家にいた頃、見たことがあった。特に白磁の壺は今春見たばかりなのでよく覚えている。義父が奏国を経由して取り寄せた逸品で、千金の価値があるものだ。


(注文品と聞きましたが、それがなぜ皇太后様のところに?)


 見たところ類似品などではない。正真正銘、鳴家が取り寄せた品々だ。


(誰かから贈呈されたのでしょうか? これ全部?)


 悶々と考えていると空間を遮るとばりがゆらりとはためいた。そこから白い手が覗き、手招くように上下する。


「……こちらへ。雪玲のみ、近づくことを許可します」


 か細い声に雪玲は立ち上がった。

 しかし、すぐに帳へは近づけなかった。隣で跪礼した体勢の高貴妃が雪玲の袖を引っ張って食い止め、不安そうな眼差しを向けてきた。

 皇太后に呼び出されたことで雪玲が処刑されると思ったようだ。「私も行くわ」と白暘に高飛車に命じて同行したが帳の向こうへは許可が下りた雪玲しか入れない。現王の妻という立場でも、皇太后の命に背くことはできない。自分の目が届かないところで雪玲になにかあったら、と不安なのは目に見えて明らかだ。

 数秒の硬直後、高貴妃は名残惜しそうに指を離した。唇が「呼んで」と動く。

 頷き返すと雪玲は静かな動きで帳の前へ。


「失礼いたします」


 一声おいて、帳をめくる。

 まず一番に目に入ったのは黄金の海だった。


(ああ、確か高貴妃様は奏人でした)


 奏国は多種多様国家であり、世界最大とも言える貿易国。その王族の出である彼女もまた、奏人らしい容貌の持ち主だった。絹布に広がる金糸の髪、紺碧の瞳。やつれてもなお輝く美貌。どこか彩妍に似ている、とぼんやりと思う。


「やっと、……やっと、会えた」


 骨と皮だけとなった喉が動く度、妙な音が聞こえた。軋むような、響くような。あまり、喋らせてはいけない、と雪玲の本能が告げる。

 緊張で雪玲が動けないでいると、皇太后は泣きながら枯れ木のような手を伸ばしてきた。


「雪玲、あの人の……ああ、無事で、良かった」


 その手を取ることを迷っていると低く穏やかな声が「手をとってあげてくれ」と囁いた。


「あなたは……」


 臥台のすぐ近くにいた初老の男は雪玲と目が会うとおごそかな相好を崩して笑みを浮かべる。

 帳の向こうに複数の気配があるのは知っていたが世話役の宮女や侍女とばかり思っていた雪玲は瞬きを繰り返した。初老の男は見るからに宦官ではない。いくら先代が亡くなっても皇太后が男性を臥室へ呼び込むのはいささか外聞が悪いはず。


「ご挨拶が遅れました。私の名は高海葷かいくん。戸部尚書の席を与えられており、そこにいる薔薇と仙華の父です」


 帳の奥で高貴妃が息を呑むのが聞こえた。父が同席していたことに驚いたようだ。


「自由に、発言しなさい。どんな言葉でも、罰したりはしません」


 皇太后はそう言うと海葷の名を呼んだ。

 心得たとばかりに海葷は頷き、自分の真横の席を指差した。


「さあ、そこに座りなさい」


 移動しようにも皇太后は手を離してはくれない。

 雪玲が困っているのを察した海葷は苦笑をこぼし、椅子を臥台の側へ移動させてくれた。


「まず、何から話せばいいのか……。考えをまとめてきたんだが緊張してしまってね」


 海葷は思考をまとめるためか両目を細めた。


「私と皇太后様は君をずっと見守っていたんだ」

「……ずっと?」

「毒羽の乱が起きた時から、正確に言えば景雪どのが君の名を叫んだ時からだよ。景雪どのに子女はいることは私達も知っていたが捕られたものだと思っていたんだ」


 処刑場で景雪が叫んだことで雪玲が捕らえられていない——遠い地にいることを思い出した。董家の人間は利用価値があるため、療養のためなどで玄枵げんきょう区を離れる際は一部の者にしか告知しないことになっている。董沈は皇太后と先代にのみ、雪玲は杞里へいることを伝えていたという。


「君を守るために、私は君が死んだことにした」


 戸部尚書である海葷なら雪玲の戸籍を改変することも可能だ。


「私が、頼んだのよ。無理を言って……」

「皇太后様、あまり無理をなさらずに。私が説明しますので」

「……ええ、お願い」


 気力も体力も限界なのか、皇太后はそっと瞼を下ろした。


「皇太后様は君をずっと気にしていたんだ」


 海葷は調度品を指差した。


「あれは鳴家から取り寄せたんだ。俊凱しゅんがいどのに君を守ってもらうお礼に、私達は彼らから商品をの値で購入した」


 ご隠居の名前だ。


「勘違いしないでくれ。私達が君を迎えに行った時には俊凱どのは君を鳴春燕として迎え入れるつもりだったようだ。鴆薬が入らないことで春燕はもうじき亡くなる、本人の意思もあり、君に戸籍を与えると。最初は私達が商品を買うことも難色を示したぐらいだ」

「なぜ、そんなこと」

「私達は君達、董家が好きなんだ。それが理由だよ」

「……好きなら、なんで父を見殺しにしたんですか」


 無意識のうちに発した言葉に、雪玲は急いで口を押さえた。

 こんなこと今、いうつもりなかった。

 しかし、いったん流れでた思いはき止めることはできない。


「父は、先代を殺していません」


 胸のうちでくすぶっていた思いが全て口からでていく。感情的に責めるつもりはなかったのに、自分を制御できない。


「父は瑞国を愛してました。国が、民が、暮らしやすいよう董家私達はいるのだとよく言っていました」

「その通りだ。景雪どのは一番にこの国を愛して、その身を犠牲にしていた」

「なら、なぜ父を、みんなを殺したんですか?!」


 臥室に、悲痛な叫びがこだまする。こんなに叫んだのは家族が失ってから初めてだ。喉が渇き、血の味がするのを雪玲は飲み込み、言葉を重ねる。


「私を守っていた? そんなこと望んでいません。そんな小細工をするぐらいなら最初からみんなを守って欲しかった」


 目頭が熱い。頭も沸騰しそうだ。その反面、手足は氷のように冷たい。

 雪玲が叫べば叫ぶほど、海葷は悲痛な面持ちになり、皇太后はさめざめと泣く。周囲で会話を聞いている者達が息をひそめる。


「あなた方はみんなを殺した人間をご存知なのですよね?」

「……ああ、乾太宰だ。彼は、董家の存在が目障りだったようで先代に毒を盛り、その罪を景雪どの押し付けた」

「分かっていながら放っておいたんですか?」

「……乾太宰が毒を盛った証拠はない」


 毒羽の乱から約三ヶ月が経った頃。乾太宰は董家の大半が処刑されたことで安堵したらしく、酒の席で大いに酔った。用心深い彼らしからぬ酔い方に疑問に思った海葷が理由を問いかけると「これは全て自分の策略である」と告白したそうだ。


「乾太宰はとても用心深くてね。証拠を掴もうにもその日以降、飲酒を避けるようになった。私だけが聞いただけでは彼を罰することはできないんだ」

「乾太宰が……」

「敵討ちはやめなさい。彼は狡猾こうかつな男だ。君の正体を知られれば、後宮起きた事件の犯人とされる」

「なら、どうすればいいのですか? この怒りは、悲しみは、どこにぶつければ?」

「私達が受け止める。君にその人生を歩ませることとなったのは私達のせいだ」


 雪玲は奥歯を噛み締める。皇太后と海葷は悪くない。自分を守るために、当時の情勢を考えて最善を選んでくれた。


(父の死の真相を知りたかった。家族の汚名をすすぎたかった。香蘭や鴆を守りたかった。鳴家に恩返しがしたかった)


 やりたいことはたくさんある。


(乾太宰を殺せば、瑞王様を殺せば、全て水の泡。私が全て我慢すれば、この場は丸く収まる)


 董雪玲は死んだ。これからは鳴春燕として生きていけば、平穏に過ごせる。二人が土台を整えてくれたのだから。


「……すみません。感情的になりました」


 自分を殺すことなど、慣れている。

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