第39話 高貴妃の秘密


 東の空が白んで来た。

 とうに夜は開け、朝日が昇る時刻になったことを雪玲はやっと自覚した。虚ろに窓の外を眺めていると臥台で横たわった高貴妃がおずおずと声をかけてきたので、視線を向ける。


「なぜ、助けてくれるの?」


 一刻前に調薬した解毒薬が効いてきたのか、高貴妃は落ち着いていた。殿上人らしい毅然とした態度だ。


「あなた様に恨みはありませんから」

「……翔鵬様は?」


 雪玲は言葉につまる。恨みはないと言えば嘘になる。


(彼はみんなを殺しました。死んだ人間は二度と、蘇りません。会うこともできません)


 ぎゅっと拳を握りしめ、慎重に言葉を選んでいると高貴妃はわざと視線を窓へ移した。


「あなたの正体を知った私を殺すの?」

「……いいえ。非が無い人間を殺すなど、父が悲しみます」

「なら、どうするつもり?」


 どうするつもり、とは雪玲の今後の行動についてだろうか。正体が彩妍と高貴妃に知られた今、このまま素性を隠して生活するのは危険だ。かと言って、口封じに二人を——する気はないが——殺害して逃げれば、雪玲が怪しいと白羽の矢が立ち、香蘭や鳴家に危害が及ぶ。


「ひどい質問だったわね。あなたが私を殺すつもりはないことなんて、最初から分かっていたわ。じゃないと薬を作ったりしないでしょう」


 そう言って、次に視線を遠くに投げる。長椅子には手足を縛られた彩妍が寝ていた。使用した鴆毒の眠り薬は強力のため、昼頃まで眠り続けるはずだ。


「……彩妍様が、我が子を殺したことは知っていたのよ。私」


 知っていて、誰にも言わなかった、と高貴妃は告白した。

 高貴妃が己の妊娠を自覚したのは例の茶会を終えてすぐのことだった。お付きの侍女達は大いに喜んだそうだが、高貴妃は茶会を懸念すべきものとして考えており、隠し通すことに決めた。翔鵬が子供の存在を知ったその時は子供を道連れに自害すると脅せば、周囲は高貴妃の意思を汲み、黙秘してくれた。


「私ね、甘いものは苦手なの。毒が盛られた砂糖漬けは子供達と甘いものが好きな妃のために用意して、私は一口も食べなかったから助かったわ。茶会直後、誰かが私を犯人に仕立て上げるつもりで盛ったものだと思っていたけれど、そうじゃなかった」


 新たに宿した子を守るため、狂ったふりをして全てを拒絶し、宮に閉じこもり数日が経った時、青文瑾を伴い彩妍がやってきた。


「彩妍様は私を心配してくれたわけではなかった。傷付いた私を嘲笑うためにやってきたのよ」


 その日、高貴妃は彩妍の考えを知った。愛した者の仇を討つために翔鵬を傷付ける。そのためには最愛の人間じぶんを傷付ける必要がある。だから、高貴妃が大切にする者達を殺した、と。


「……とても、恐ろしかった。私の知っている彩妍様は天真爛漫で、愛らしい方だったから信じられなかった。信じたくはなかった。けれど、茶会を開く前から宮女や宦官の不審死が相次いでいたの。急に胸を掻きむしり亡くなったり、痙攣を起こして亡くなったりしていて……。彩妍様が、彼らで鴆毒を試したと笑っているのを見て、変わってしまったと知ったわ」


 高貴妃はそっと瞼を下ろした。薄く張っていた涙がまなじりからこぼれ落ちる。


「彩妍様は頻繁に青侍医を遣わしたわ。私の体調を診るため、……いいえ、私を見張るために。隠していたけれど、妊娠していることはすぐ知られてしまった」


 次々と涙は溢れてくる。腕で目元を隠し、嗚咽混じりの声で、高貴妃は続ける。


「この子は殺さないで、と頼み込んだわ。彩妍様は〝好都合だ〟と言って、言うことを聞くなら殺さないと言ってくださった。きっと翔鵬様を傷付ける材料にできると思ったのね」


 彩妍からのは全て高貴妃を傷付けるものだった。高貴妃が懇意にしている侍女や宦官を自作の薬で殺したかと思えば、感想を聞いてきたり、可愛がっていた猫を殺してみたり。乾皇后と高淑儀を殺害した際も「面白いものが見れるよ」と雑木林へ行くように命じた。


「彩妍様は依依と仙華が共謀し、林徳儀けいき李順儀ぎょくえんを殺したことをご存知だったそうよ。自分が手を下さなくても勝手に周囲を巻き込んでくれるから放っていたけれど、あなたが来たことであの子達を殺害することに決めたと言っていたわ。好かれているのね。彩妍様が心から嬉しそうにしているのを見るのは毒羽の乱が起きてから初めてだったわ」

「……なぜ、私に話してくださったのですか?」

「あなたが国家転覆を企てる悪女には見えないから、かしら……。それに、董家にはお世話になっていたから恩もあるの」


 高貴妃の生母は三十を過ぎた頃から手足の感覚が徐々に無くなっていく奇病に悩まされていた。高貴妃の父親が知り合いの伝手を頼り、董沈に相談し、調薬してもらった鴆薬を服用している間は症状が無くなったそうだ。しかし、鴆薬が没収されたことで症状は悪化して、五年前から寝たっきりとなっている。


「信じられないでしょうけど、私、あなたのことは嫌いではないの。小楓の手紙にも信用足る人物だと書いてあったし。あの子がそう言うなんて驚いちゃったわ」


 小楓——崔婉儀の名だ。


「長く話しすぎたわね。あなたは疲れているのに」

「いえ、高貴妃様とお話したいと思っていたので嬉しいです」

「ふふ、ありがとう。ねえ、最後にひとつだけ聞いてもいい? どうして私が子供を隠していることを知っていたの?」


 雪玲は自分の耳を指先で叩いた。


「董家は、毒を制するために伴侶には強靭な肉体を持つ者を選ぶんです。そのおかげか身体能力や五感が優れている者が多く、私もその一人です。高貴妃様の宮近くを通った時に子供の声とあやす女性の声が聞こえたので噂は本当だと思ったのです」

「そう、それを聞いて安心したわ」


 高貴妃は体を起こして、雪玲の目を覗き込む。


「あなたを逃がします」


 はっきりと告げられた言葉に、雪玲は首を振る。


「私は、今日、里に帰るので必要ありませんよ」

「知っているわ。だから、彩妍様は私にここに来るように言ったの。最後の仕上げだ、とおっしゃって」


 高貴妃は立ち上がると火が消えかけている燭台の前へ向かった。


「彩妍様を生かしておけば、あなたを危険に晒すことになる」


 なにが言いたいのか理解した雪玲は高貴妃の手を掴んで止める。


「離してちょうだい」

「駄目です。私は望んでいません」

「これが最適解よ。この殿舎を燃やせば、見つかった遺体はあなただと思われるでしょう。四日後の新月の日まで、あなたを麗鳳宮でかくまいます。抜け道があるの。その身体能力なら見つかることなく逃げれるはずよ」


 高貴妃は冷静を装っているが、その瞳に灯る憎しみの炎は隠れていない。ゆらゆらと揺れている。


「なら、どうするつもり?」

「……それは」


 分からない。高貴妃が言う通りにすれば自分も家族も被害が最小限に抑えられる。

 だが、それは彩妍を犠牲にする上で成り立つ。そこに打算があっても、雪玲を友と呼んでくれて守ってくれた友人を見殺しになんてできはしない。


「私が雪玲だと、告白します」

「翔鵬様は全ての責をあなたに押し付けるわ」


 ぐっ、と言葉に詰まる。世間には雪玲の死は公表していない。好都合だ、と翔鵬は一連の事件の犯人として雪玲を担ぎ上げるはずだ。そこに矛盾が生じても雪玲のがあれば誰しもが納得するだろう——、


「董沈の娘が瑞国を滅ぼそうとした」


 ——と。




「——朗報がございます」


 耳元で聞こえた第三者の声に、雪玲の心臓は一瞬、動きを止めた。すぐさま活動を再開させるが今すぐ破裂してもおかしくないほど、ばくばくと音をたてた。


(気付きませんでした! なんで、彼が!?)


 急いで振り向けば、にこにことこの場に似つかわしくない笑顔の白暘が立っていた。高貴妃との会話に意識を集中させていたため、気が付かなかった。


(どこから聞いていた?)


 白暘の表情から真意は読み取れない。そのことが雪玲の不安をより一層と掻き立てる。


「誰の許可を得て、ここに入ってきた」


 高貴妃が雪玲の腕を引き、自らの背後に隠して問いただした。 

 白暘は雪玲を見つめたまま「皇太后様です」と答える。


「鳴美人様に——いえ、董雪玲どのと話したいそうなので内密に連れてこい、と言われまして」

「皇太后様が、私と?」


 白暘は頷いた。


「はい、大切な話があるそうです」


 危ないわ、と制する高貴妃を躱して、白暘の前に進み出た雪玲はその目を見つめた。いつも通りの人形の顔だが、太陽の瞳は優しい色をしていたことに少しだけ安心を覚えた。


「分かりました。よろこんで馳せ参じます、とお伝え下さい」

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