外伝1 葬儀


 女達の悲しげな慟哭どうこくが晴天を裂く。


(泣けない私は薄情なのでしょうか)


 ひつぎにすがり、そらを仰ぎ、泣き叫ぶ哭女こくじょ達の姿を春瑛は離れた場所から眺めていた。


 本日、杞里では葬儀が執り行われていた。

 故人は鳴春燕。この地では知らぬものはいない娘の名だ。瑞王に見初められ、後宮入りした娘は不幸なことに毒を盛られ黄泉へと渡った。王都から亡骸が納められた棺が到着したのはつい先日のこと。瑞王の名代として遣わされた男は哀悼の意を示すために、と国一の占者せんじゃと数十人の哭女を連れてきた。

 それだけで鳴春燕への寵愛は深いものと思われた。その寵姫を一目見ようとする者達で広場は埋め尽くされているが、瑞王が「美しい姿のまま、黄泉路を渡らせたい」という願いのもと、棺の蓋は一度たりとも開かれていない。


(そこには誰もいませんけれど)


 集う人々を一望して、ため息をつく。


「不思議な表情をしているな」


 耳元で囁かれた言葉に、驚いた春瑛は肩を跳ねさせた。その拍子に面紗の紐が解けて床に落ち、顔があらわになる。咄嗟に両手で顔を覆った。


「きちんと縛りなさい。でないとこの葬儀は台無しになるぞ」


 と言って柳月は床に落ちた面紗を拾い上げると春瑛の手に押し付けた。


「……お姉さま、ありがとうございます」


 受け取って顔を隠した春瑛はまた葬儀を行う広場へと視線を向けた。


「心ここにあらずだな。私が近づいても気付かないなんて」

「悲しいはず、なんです。なのに涙が流れなくて」


 一度、心を吐露とろすると、塞き止めることはできない。洪水のように溢れ、暴れる思いのうちを柳月にぶつけるように語りだす。


「私、春燕姉さんが好きで、ずっと憧れてて、でも、なんででしょうか? 泣けないんです」


 春燕本物の人生を奪った自分が、一番反省しなければいけない自分が、まるで関係ないかのように澄ましていることが春瑛は不思議だった。


「泣くことが美徳だとは思いません。けど、あんなにお世話になった相手なのに……」


 溢れ出る思いを静かに聞いてくれた柳月は「君は」と口を開く。


「本当に我慢強いな」

「我慢強くなんてありません。私は、ただの卑怯者です」


 そうだ、自分は卑怯者だ。利用するだけ利用して、最期には彼女の名前を捨てた。


「ずっと我慢して、耐えてきたんだろう? それが今になって爆発して、混乱するなという方が無理がある」

「混乱、なのでしょうか」

「混乱さ。今はいっぱい食べて、寝て、休みなさい。そうすればいつかは落ち着くだろう」

「……不甲斐ないです。私は、雪家の当主になるのに」

「不甲斐なくていいんだよ」


 柳月は優しい手付きで春瑛の頭を撫でた。


「君が我慢して理不尽な人生を歩まないように私と白暘がいるのだから」


 な? と柳月はどこかへ声をかける。

 面をあげた春瑛はまたもや肩を跳ねさせた。


「は、白暘様もいらしたのですか!?」


 うわずった声で話しかけると柱の影に隠れていた白暘は頷いた。仮面のように見えるが目尻がわずかに下がり、唇が歪んでいる。

 笑われている、と気付いた春瑛はすぐさま視線を柳月に移すとその肩を掴んだ。


「なぜ教えてくれなかったんですか!?」

「私と一緒に来たんだよ。けれど、まさか白暘にも気付いてないなんてな」

「笑わないでください!」

「笑わないなんて無理だ。なあ、白暘」

「ええ、あなたが焦る姿はほっとして、つい笑ってしまうのです」


 どういう意味だ。肩を掴んだまま揺するが柳月と白暘は笑うのをやめない。


「私があなたに助けられた時や後宮にいた頃、あなたはとても辛そうにしていましたから。そうやって焦ったり、恥ずかしむ姿というのは微笑ましく思ってしまうのですよ」

「意味がわかりません!」

「白暘の言う通りさ。君が我をだす姿というのは愛らしくてね、つい笑ってしまう」

「ええ、その通りです」

「爺さんも同じ気持ちのようだよ」


 柳月の言葉に春瑛は瞬きを繰り返した。彼女のいう爺さんとはご隠居のことだ。ご隠居は柳月のことを気に入り、紫雲の嫁にならないかと催促していた。本人達は嫌がっていたため、婚姻の件はまとまってはいないがご隠居は頑固でずる賢いため、いつかは無理矢理まとめられるだろうなぁと春瑛は推測している。

 その頑固なご隠居がなぜ今、春瑛の気持ちに同調していると分かるのだろうか。


「君、本当に気付かないんだな」


 腹を抱えて笑う柳月は白暘の隣を指差した。


「わしも仲間に入れておくれ」


 ひょいっと柱から顔を覗かせたのは鳴紫旦が父であり、紫雲の祖父であるご隠居本人。

 春瑛は驚き、飛び跳ねた。ほとんど寝たきりのはずがなぜここにいるのか、動けるなら葬儀に出てはどうか、様々な言葉が渦巻くが驚きが勝り、音として発することはできない。

 その驚きように三人はもっと笑顔を深くさせる。


「春瑛よ。お前が思い詰めることはなにもないんだよ」


 白暘に支えられたご隠居は老いた目に春瑛を映すと柔らかく笑う。


「私は、姉さんやみなさんの好意に甘えて、迷惑ばかりかけてきました。この葬儀は姉さんを自由にする意味もあるのに、私は……」

「お前に不自由を押し付けたのはわしの我が儘だ。紫旦も秀麗も迷惑だなんて思ってもいない」

「そう、でしょうか」


 素直に信じることが難しく、春瑛は俯いた。王都から帰った自分を、二人は力いっぱい抱きしめてくれたがそれ以降は特に話すこともない。春燕を送る葬儀で忙しいのだと自分に言い聞かせたが、


(もう、私を守る必要も無くなったから)


 だから、昔のように話せないのだと、不安は日を増すごとに色濃くなる。


「わしらはお前を外に逃すこともできた。それをしなかったのは、景雪への恩義のためではない。わしらでお前を守りたかったからだ」


 ご隠居の言葉に、目頭が熱くなる。涙を流さないように春瑛は奥歯を噛み締めた。


春燕あの子の葬儀で泣けないお前は薄情ではない。わしらがお前から涙を取り上げた。ずっと心を殺し続けて、今になって感情を出すのは誰だって難しい」

「お爺様……」

「誰もお前を責めてはいない。あの子をこうやって盛大に弔うことができたのも、鳴家が元に戻ったのもお前が瑞王様と交わした約束のおかげなのだから」


 董家の悪名をそのままに、雪春瑛として生きていく条件として、春瑛は三つの条件を翔鵬に掲示した。


 一つ目、董家の家財のすべてを返却すること。

 国に没収された土地や資料、財産は砂粒一つ残さず。董家狩りの際に紛失した資料があれば金子として返してもらう。


 二つ目、呂彩妍へ恩赦を与えること。

 雪玲以外、族誅に処された董家が以前のようになるには一人でも多くの毒に耐性があり、知識が深い人間が必要。友として側で支え合えて、また独学で鴆毒を作り上げた彩妍の腕前を見込んで、恩赦を願った。


 三つ目、鴆毒の商品を取引する際は鳴家のみ。

 王家との直接取引はしない。もし王家が鴆毒や鴆薬を必要としているのなら鳴家に金を支払うこと。もちろん、定価で。


 そのどれもがお世話になった鳴家へ恩返しできるようにと配慮して考えた。


(たったこれっぽっちの恩返しになんの価値もありません。彼らが受けた理不尽と比べれば)


 春瑛の心配をよそに、ご隠居は下卑た目をして笑う。


「いやはや、さすがわしの孫! これからも呂家から大金をぶんどってやるわい」


 ご隠居の言葉にいち早く反応した柳月がその肩を小突き、ため息をはく。


「爺さん、一応、私は元王族なんだし発言には気をつけなよ」

「おや、柳月。お前さんは呂家の味方をするのか?」


 まさか、と柳月は肩を持ち上げた。


「国庫の中身は把握しているし、母上と兄上の弱みは握っているから喜んで手伝うさ。あんたと私がいれば国庫を空にできる」


 止めるまでもなく手伝うという言葉に白暘も同意する。


「国庫を空にするとは面白いですね」


 なにも面白いことはないはずなのに三人が不敵に笑うのを春瑛は呆然と見守った。今知ったが白暘もこの二人と同類のようだ。


「兄上は馬鹿だから底をつきかけるまで気が付かないはずだ」

「鴆の商品を呂家にだけ割増で売りつけてやればよかろう。あやつらは戦争のたびに多くの鴆毒をかき集めていたからすぐに破産するぞ」

「いえいえ、割増にしては雪家と鳴家の名に傷をつけ、民からの信頼を失いかねません。ここはやはり慎重にいくべきかと」

「白暘の言う通りだ。鴆毒はこちらが全て管理している。鳴家が以前よりも大きな貿易商となればどうだろうか?」

「そのためにも柳月よ。紫雲の嫁に」

「ならない。絶対に。嫌だ」

「あれは見た目もいいし、嫁を大事にする男だ」

「絶対に嫌だ。私は淳雪様にしか嫁がない」

「本当に柳月様は頑固ですね。兄王様にそっくりです」

「おい、お前の主人なのを忘れたか?」

「私の主人は春瑛様お一人です」

「違う。私もお前の主人の一人だ」

「同じ罪人だと思っていました」


 背後で繰り返される喧騒に耳を傾けながら、春瑛は広場を見下ろした。

 三人が国家転覆めいた話に花を咲かせるのは自分を思いやってのことだというのは理解している。そのことが妙に小っ恥ずかしくて、嬉しくてにやける唇を見られまいと隠した。


(不思議です。心のもやもやが無くなりました)


 それどころか清々しい気分だ。

 春瑛達を他所に、哭女達の泣き声が消え去った広場では棺を男達が取り囲んでいた。占者が占った土地へ埋葬するために棺を移動しようとしているのだろう。

 それに気付いた柳月は国家転覆作戦の話を中断すると春瑛の肩に手を置いて、一緒に広場を見下ろした。


「見に行くかい?」

「……いいえ、私はこのままで。もし、大衆の面前で面紗これが取れたら一大事ですもの」

「そうか。じゃあ、ここで見送ろうか。おい、白暘と爺さんもこっちにきなよ」


 柳月の提案に、二人は静かに移動する。

 四人、列に並びながら、春瑛は運ばれていく空の棺に向かって手を振った。


(春燕姉さん、名前をくれてありがとう。道を照らしてくれてありがとう。私は、これから別の人生を歩みます)


 これから進むであろう未来は茨の道となるに違いない。

 けれど、その未来が素晴らしいものになることを春瑛は予感していた。

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毒姫後宮伝記 中原なお @iroha07

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