第35話 散策
「——と、言われたのです」
「最低だ。我が兄ながら最低すぎる」
「最低ですね」
「最低だな。協力してもらってその言い草は心底、軽蔑に値する」
翔鵬の言動に怒りを覚えた雪玲は、昨夜の出来事を遊びに来た彩妍に密告していた。怒りを解消することが主な目的だが、この様子だと彩妍が翔鵬に怒ってくれそうだ。
(いい気味です。無理難題ばかり押し付けるからこうなるのです)
愛する妹から怒られれば、少しは反省するはず。それどころか気落ちして、しばらく大人しくなるに違いない。木槿の檻を掃除しながら雪玲はふんと鼻で笑った。翔鵬の落ち込む姿を想像するのは気分が良い。
「昔から旁若無人な方だったが、最近は特に酷い。君を誘拐同然に連れてきたくせに、その言い方はなんだ」
どうやら、昨夜の出来事が彩妍の怒りに触れるには十分だったようで、怒気をはらむ口調で続ける。
「母上が臥せていることも怒っている原因のひとつだろうが、それとこれとは話が別だ」
怒っている割には木槿を撫でる手付きは優しい。
いつも掃除中は構って欲しさに雪玲の邪魔をする木槿だが、彩妍に懐いたようで一度もちょっかいを出しに来なかった。少し寂しいが掃除が楽なので、次回も彩妍を呼ぼうと心に決めた。
「春燕、兄上のいうこと全てを聞く必要はない。周囲が甘やかしたからああも阿呆になってしまったんだ。これからは厳しく接してやろう」
「ええ、ではこれからはもっと厳しくしましょうか」
「私が許す。甘やかす必要はない」
彩研はきっぱり断言する。
「やはり、婉児のことを兄上に伝えるのはやめようと思うんだが、君はどう思う?」
「彼女は自白したのですか?」
「いや、していない。本人は固くなに自分が殺したと言っていたが、調べてみると高淑儀が彼女の里に使いを出したようだ」
「使い?」
「ああ、高淑儀の腹心ともいえる衛士が五名。どれも剣の腕がたつ男達だ」
彩妍の言いたいことを理解した雪玲は嘆息した。
故郷の家族を人質にとられているから婉児は身代わりを認めない。認めてしまえば、その時点で家族を殺されるからだ。
「あの、彩妍が助けることってできないんですか?」
籠の掃除を終えた雪玲は彩妍の向かい側に座り、そっと声を落とした。長公主である彼女には独自の精鋭がいるはず。高淑儀の使いが婉児の家族を傷付ける前に、どうにかして救えないだろうか? と問えば、彩妍は腕を組み、悩ましげに唸る。
「……無理、だ。火事で失った」
「そうですか……」
「兄上に相談しようと思ったんだが、高淑儀に甘いから身代わりに気付きながら婉児を処罰するする気がしてね」
その言葉に納得してしまう。確かに翔鵬ならやりかねない。
「高淑儀様、口止めしたのに宮女が犯人だと言いふらしているそうですよ」
「ああ、聞いた。本当に言葉の意味を理解しない人だ」
「恐らくですが、もうほとんどのお妃様方はご存知だと思われます」
「兄上の耳に入るのも時間の問題か……。困ったな」
彩妍は頭を抱えた。急に愛撫が止まったのが気に触ったのか木槿は嘴で彩妍の手を突き、撫でろと催促する。
「はいはい、君を無視しているわけじゃないよ。こっちにおいで」
彩妍が腕を前に差し出せば、木槿は悩むことなくその腕に飛び乗った。
「少し気分転換にでもいこうか。あれこれ考えると頭が痛くなる」
「課題は山積みですからね……」
「しかも難題のな。気分転換に、木槿も連れて行っていいかい?」
「でしたら木槿の足輪と紐を持ってきますね」
足輪とは、鳥の足に装着する金属製の輪っかだ。性別や品種など、個体識別のために付けられる。
一応、音笛を鳴らせば戻ってくるように躾けているが、念には念を入れたほうがいい。木槿のように我が道を行く性格の鴆は、時折、分かっていながら笛の音を無視することがある。
「春燕も行く準備をしなさい。私のお気に入りを見せてあげよう」
お気に入り? と首を傾げると彩妍は「まだ内緒だ」と笑った。
***
久しぶりに外に出られたのが嬉しいからか、木槿は自由気ままに空を飛んだ。足輪に括り付けた紐は細く、長さもあるが軽量のため、木槿は気にならないようで気になった枝に止まったり、岩に近づいたりしている。
「木槿、落ち着いてください! 危ないですよっ!」
雪玲は、紐が絡まないように最新の注意を払いながら、その小さな背中を追いかけた。
「楽しそうだね」
「久しぶりに外に出したから、はしゃいでいるみたいです」
鳴家の屋敷では房室から出さないという約束があったので自由にはさせてあげられなかった。飛び方を忘れないようにと練習はさせていたが、こんな広い空間を飛び回るなど木槿にとっては初めてのことだ。
「木槿、私の宮はそっちではないよ」
何か気になるものがあったのか木槿は雑木林へ向かって飛んでいく。その背に彩妍が声を掛けても気にする素振りは微塵も見せない。
「ふふっ、興味がそそられるものがあったのかな? 私達も行ってみようか」
彩妍が言うのなら断る必要はない。雪玲も一人と一羽の後を追った。
微かに湿気が混じる風が駆けると、木々が揺れて青葉がざわめいた。風が吹くたびに辺りには土と風と木の匂いが充満する。木陰の色が濃くなるにつれ、その匂いは濃くなり、雪玲は杞里の土地を思い出した。
(木槿も懐かしいのでしょうか)
軽やかに飛んでいた木槿は疲れたようで、今は彩妍の腕の中だ。周囲を見渡して歌うかのように嘴を鳴らしていた。
「——おや」
隣を歩いていた彩妍が急に足を止めた。何事かと雪玲も足を止める。
「彩妍、どうかしましたか?」
「高貴妃がいる」
と、前方を指差した。
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