第34話 嘘つき同士

 雪肌に咲く花を、雪玲は指先で優しく撫でた。


(必要とはいえ、いささか不愉快ですね)


 いくら自分が寵愛を得ていると周囲に知らしめるためでも、情事を匂わすこの印は不快なものに変わりない。できる限り、見えないようにと合わせ目を整える。

 どこから見ても大丈夫なのを確認し、安堵した時、正面で椅子に深く腰掛けた翔鵬がこちらを睨みつけていることに気がついた。


「どうかしましたか?」

「気苦労をかけるなと命じたのに薔薇に会いにいったそうだな」


 いささか不機嫌な様子で吐き捨てられた。

 昼間、崔婉儀に同伴して麗鳳宮へおもむいたことがもう翔鵬の耳に入ったようだ。その密告の元は記録史として控えている珠音からのようで、微かに心音が飛び跳ねた。


(まさか、もう伝えているとは……)


 珠音は翔鵬の腹心だ。いつかは伝えられると思っていたが、まさか今日中にとは思わなかった。


「ええ。高貴妃様には一度、お会いしたいと思っていたので」


 だが、高貴妃は会ってはくれなかった。そのため崔婉儀の手紙と共に、賄賂の品をいくつか贈ったが受け取った宦官の反応からきちんと手渡してくれたかも怪しい。翔鵬の「いらぬ心労をかけるな」という命令は、恐らくだが宦官にも下されている。


「あれにくだらない苦労をかけるな。これ以上、心身をすり減らすような真似はやめろ」

「けれど、高貴妃様は茶会の主催者です。一度、お話し——」


 雪玲の首に、翔鵬の手が添えられた。

 白暘と珠音が慌てて止めようとするのを横目に、雪玲は笑みを崩さない毅然とした態度で翔鵬を見据える。


「お前を呼んだのは薔薇の不安を無くさせるためだ」

「その不安を無くすために、話したいのです」


 首を絞める手に力が入る。気道は潰れていないので、ゆっくりと呼吸を繰り返す。


「彼女に不安を感じさせるな。どうにか解決しろ」


 無理難題を押し付けな、と言い返す前に、白暘と珠音によって翔鵬の手が首から剥がされた。翔鵬は苛立ちを隠さず、さっきよりも表情を歪めた。


「お前は何が望みだ?」

「全てが分かってから申し上げます」

「何を企んでいる? お前が素直に後宮ここに来たのは、俺のちょうを得たいわけではないのだろう?」


 翔鵬は探るように雪玲の目を覗き込む。


「私がここに来たのは、あなたに命じられたからですよ。断れば首をねる、と言われたので馳せ参じました」


 言い訳めいた雪玲の言葉に、翔鵬は舌をうつ。


「お前は嘘つきだな」

「酷い言い方ですね」

「なにがだ。お前がなにかを隠していることなど、こちらはとうの昔に把握済みだ」


 把握済みでも、言えるわけがない。


(私の目的は父の汚名をすすぐこと。そして、董家を復興させて、あの子達を守ること)


 まだ、信頼の欠片もないのに董雪玲と正体を明かすわけにはいかない。

 雪玲が口を噤むと、翔鵬は片手で眉間を揉み、息を吐く。けれど、ため息だけでは怒りを鎮めるのは難しいようで「涼んでくる」と言い残して、退室した。

 白暘がその後を追いかけ、珠音は雪玲の側によると申し訳無さそうにまつ毛を伏せる。


「私は……」


 雪玲は空席に向かって静かな声で語りかけた。


「ただ、を知りたいだけです」


 董沈ちちの真相はまだ分からない——。

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