第32話 忌まわしき過去


 ——この世は不公平だ。

 生まれた時から進む道が決まっていることを白暘は八つの時に理解した。





「もったいない。他の色ならよかったのに」

「太陽色……なんて縁起が悪いのかしら」

「そんな目で俺を見るな! 不幸になる!」


 幼い白暘を見て、人々はまず瞳の色を評価し、残念がり、恐れた。


「違う色に産んであげれなくて、ごめんなさい」


 実の母でさえ、白暘と目が合うとこの言葉を繰り返した。

 歳の離れた弟妹には笑いかけるのに、自分を見る時はいつも泣きそうになるのが悲しくて、大好きな母に笑って欲しくて白暘は道化のように振る舞った。そうすると、なおさら悲しげに顔を歪めて、謝罪し——いつしか、白暘の存在などなかったように気にも留めなくなった。


(この眼のせいだ。こんな眼がなければ、母さんは僕と一緒にいてくれたのに)


 母が自分を愛してくれないのは自分が生まれ持つ瞳の色のせいだと分かっていた。


「お前は表に出てはいけないよ。死ぬまでこの家の中で過ごしなさい」


 父は、憐憫れんびんの眼差しを白暘に向けた。

 将軍として王に仕える父に認められたくて剣の腕を磨いた。しかし、父は認めてくれるどころか、そんなことは無駄だと言って剣を取り上げた。


(普通の目の色なら、もっと父さんに認められたのに)


 この瞳のせいで、両親が自分をうとんじるのは、痛いほど理解していた。

 周囲を砂で囲まれた祖国は月を神格化しており、太陽は邪神として嫌われている。太陽は生き物の命を奪い、渇いた砂に変える。全てを焼き尽くす炎を、祖国は嫌った。

 だから、白暘は前髪を伸ばして、瞳を隠して生きてきた。周りの目から、言葉から自分を守るためだった。両親の愛を諦めて、屋敷に籠り、しばらくしたある日、一人の少年が訪ねてきた。


「お前はなぜ不幸そうな顔をする?」


 王が旅の踊り子との間につくった末の王子。王位継承権は最下位だが、薬学の才は兄弟一と言われた少年は、将軍である父に会いにきたのだという。

 屋敷で籠る白暘を不思議に思ったようで、それから毎日のように会いにきては、くだらない話をしてきた。無言で聞き流し、いつか飽きてくれると願っていたが、少年は飽きることなく自分に会いにきた。


「お前を俺の従者にする」


 少年は手を伸ばした。末の王子とはいえ、王族の従者。本来ならば喜ばしい事だが、白暘は不吉な眼を持っている。そんな自分が側にいれない、無理だと断っても少年は手を伸ばすのを止めない。


「いいから来い!!」


 少年は白暘の手をとると外に連れ出した。

 その日から白暘は少年の従者となり、常に行動を共にした。主人が月華の麗人に恋をして、彼女を傷つけたことで祖国を追放されても。白暘は自分を必要としてくれた主人に従った。


 それが、幸せだった。

 流浪るろうの旅は辛くとも楽しかった。


 しかし、その幸せは長くは続かない。


 主人が亡くなったことで、白暘はこの世が不公平なことを思い出した——。




 ***




「なにを考えている?」


 酒杯に映る月を眺めながら翔鵬は苛立たしげに言葉を投げかけた。白暘が給仕に徹していないことが不服のようだ。

 過去の余韻よいんに浸りながら、白暘はため息をつく。


「なぜ、翔鵬様の護衛をしているのかと思いまして」


 夜は鳴春燕の護衛を務めることになっているはず。鳥兜毒に倒れた彼女は、容態は安定しているがまだ目を覚まさない。取り込んだ量を考えると生きているのが不思議なぐらいだが、春燕を診た医官達は口を揃えて「命に別状はない」と答えた。耐性があることが幸いした。


「嫌そうだな。奚官局けいかんきょくから中常侍にしてやったのに」


 瑞王の側近を務める宦官を中常侍と呼ぶ。大長秋に次ぐ地位のため、この座を目指す宦官は多い。


「頼んでいません」


 冷たく吐き捨てる。顔を作ってないことが災いし、冷酷に映ったようだ。翔鵬は気まずそうに酒杯を煽った。


「鳴春燕が心配か?」

「主人の容態を気にしない従者はいません」

「主人は俺だ。それに、あいつは鴆と触れ合ってきた女だ。それぐらいでは死なん」


 翔鵬なりに励ましてくれているのだろうか。ちらちらと向けられる視線に気づかないふりをして、白暘は空を見上げた。朧雲おぼろくもの向こうに白銀に輝く月の姿が見える。嫌いな月が隠れていたことで、少し安心する。


「死ななくても痛みはあります」


 何度も体験してきた。毒が喉を焼き、胃を溶かす痛みを。どんなに訓練を積んでも、痛みを無くすことはできない。春燕とて、それは例外ではないはずだ。


「お前、本当に鳴春燕を気に入っているんだな」

「あなたよりは」

「……お前は会った時より可愛げがなくなったな」


 少し考えて、翔鵬は違うなと訂正する。最初から可愛い要素はなかった。


「感情があるのはいいことだが、俺が瑞王なのは分かっているのか?」


 一年ほど前、遠出で訪れた山で座り込み、呆然とちゅうを眺めるこの男を見つけ拾ってきた時は、まだ従順だった。毒鳥である鴆を捕まえてこい、という無理難題に嫌がる素振りを見せず、大人しく従っていたのに今では珠音のように——口うるさくはないが——生意気にも反論するようになってしまった。


「ええ、知っています」

「鳴春燕には文瑾がついている。心配する必要はない」


 その名に、白暘は片眉を持ち上げた。彩妍の侍医である青文瑾は、十年ほど昔、董沈の側近として従事していた男だ。青年だった文瑾は薬学を学び、極めたいと董沈に頼み込んで教示を受けていたが好奇心から鴆毒を盗んだ。厳しい管理の元、すぐさま文瑾が盗んだことが知られて、その鴆毒はのちに回収されたが、鴆毒を盗むのは大罪だ。文瑾は宮刑を受け、宦官となった。

 確かに文瑾の薬学に関する知識は国一と言える。彼がついているのなら安心できるのだが、


「お前は文瑾を信用してないな」

「信用に足る人物ではありません」

「文瑾が鴆の毒が入った壺を盗んだのは尽きる事のない薬学への好奇心からだ。すぐに回収されたし、本人も反省している。信用は十分できる」


 盗みを働いた時点で信用などできるわけがない。それも好奇心から、などというふざけた理由で。


(春燕どのが起きていれば襲われても自分で対処できるだろうが、今は無理だ。まだ目を覚ます気配はないというし……)


 春燕の側には珠音が付きっきりで看病しているが、彼女は口は回るが非力な女に過ぎない。宦官とはいえ、文瑾に襲われれば対抗できないはずだ。


「ん? おい、どこに行く!」


 居ても立っても居られず、白暘は「仕事をするだけです」と言い残してこの場を後にした。






「……変わったな」


 一人残された翔鵬は腹心の部下の変わり果てた姿に小さく笑って、杯を満たす酒を喉奥へ流し込んだ。


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