第31話 軟禁生活


 雪玲が軟禁と称する安静期間、二日目。皇太后の容体が急変し、人手として珠音が召集されたことでやっと自分を手にできた——、


「可愛いなぁ!」


 ——訳ではない。

 見張りとして彩妍が派遣されたので軟禁生活は続いている。


「こんな可愛い子を飼っているなら早く教えてくれればよかったのに」


 そう言って、嬉々として雪玲の愛鳥である木槿を撫でくりまわす。今まで、来訪があった際は鳥籠に目隠し用の布をかけていたので、彩妍は木槿の存在を知らなかったようだ。

 かれこれ一刻二時間も触れ合いは続いている。王族が鴆を触るという、前代未聞といってもいい光景を前に、褥で横になりながら雪玲は乾いた笑みを浮かべた。


「皇太后様の元に行かなくていいのですか?」


 実母が危篤だというのに、なぜこうも楽しめるのだと雪玲は疑問に思う。


「毎日、朝晩と顔を見に行っているからね。文瑾を置いてきたし大丈夫だろう」


 と、胸を張られて返された。


「青侍医をずいぶんと信用しているのですね」


 ついきつい言い方をしてしまう。

 彩妍は気にせず朗らかに笑った。


「春燕も信用しているよ」

「それはどうも」


 嫉妬したわけではないが、訂正するのも面倒だ。


「木槿が、こんなにも他人に心を開くのを初めて見ました」


 木槿は警戒心が無に等しく、人見知りもしないが初対面で心を許すような可愛い性格をしていない。雪玲と紫雲以外が触ろうとすると、触れようとした人間の肉が千切れかけるほどの素晴らしい咬合力こうごうりょくを発揮してきた。


(なんで彩妍には懐いているんですか!)


 翼を広げ、全身を上下に揺らして、彩妍からの愛撫を感受していた。野生を失ったその姿は、飼い主として少し悔しいし、恥ずかしい。


「鳥は好きなんだ。いつか、鴆に触れてもいいように勉強しててね」


 彩妍の夢である董家になるなら、鴆と触れ合う必要はある。そのために勉強したと言われたら董家の人間として嬉しい。


(触れてますよ。今現在、進行形で)


 羽毛の色や体格は違えど、木槿は鴆。それを言ったらどれぐらい彩妍はよろこぶだろう、と他人事のように思う。


「鴆はどんな鳥だい? 君は恵華山によく行っていたのだろう?」

「警戒心が強かったのは覚えています」


 そう、彼ら——木槿を除く——は賢く、警戒心が強い生き物だ。毒羽の乱が起きた際、董家の誰かが檻から逃したのだろう。自由になった彼らは本能に従い、玄枵げんきょう区から遠く離れた恵華山へ住み着いた。

 それを知り、嬉しさのあまり、雪玲が会いに行くが警戒して最初は近付くことができなかったのは今となってはいい思い出だ。


「私の顔を覚えるまで根気強く通い詰めたものです」


 自分達に近付ける人間——董家と認められたら早いもので、彼らは寂しさを埋めるように雪玲に甘えてくれた。


「触れることはできませんでしたが……」


 嘘だ。触れるが一応、そういうことにしておく。


「いいなぁ。私も恵華山に行ってみたいんだが、兄上が許してくれなくてね」

「瑞王様は彩妍を大切にしてますから、鴆に近付いて欲しくないのでしょうね」

「本当に堅苦しいよ。私は嫁ぐつもりはないし、自由にさせて欲しいんだけど」

「彩妍は嫁ぐつもりがないのですか?」

「うん、嫁ぐつもりはないよ。皇女はまだ幼いし、嫁げる王族の女は長公主である私だけだけど、この火傷跡からだだし」


 木槿が眠たそうにうとうとし始める。彩妍は雲に触れるような手付きで木槿を抱き抱えた。


「貰うほうが迷惑だ。それに、嫁ぎたい人はもういないし。春燕にはいないのかい? 嫁ぎたい相手」

「いませんね。婚約をした方はいるのですが、あまり会話をしたこともありませんでしたし」

「そうか……。もし、好きな人がいたら私に教えてくれ。私が仲人なこうどを務めよう」


 腕の中で眠りこける木槿を揺らしてあやす。鳥籠に戻そうか? という雪玲に彩妍は微笑みで一蹴した。


「可愛いね。また、会いにきてもいいかな?」

「ええ、木槿も喜びます」


 彩妍は腕を揺らしながら木槿を見つめた。黒衣越しでも、どこかわびしさが伝わる眼差しに、雪玲はなぜか違和感を覚えた。




 ***




 軟禁生活、三日目。轟轟と降り荒ぶ雨が玻璃の窓を強く叩き、庭園を彩る木々が踊り、しなる。


「体調は、もうよろしいの?」


 その空模様と同じく、暗い顔をした崔婉儀は侍女を伴って見舞いに訪れていた。


「ええ、動けるぐらい回復してます。みなさんが心配性なので臥台ここからは動けませんが」

「鳥兜を食べたのですもの。もう少し、お休みになったほうがいいわ」

「崔婉儀様は体調はもうよろしいのですか?」

「ええ、あなたに救われたから安静をとって昨日までは休んでいたの。本当にありがとう。紅嘉もあなたのお陰で助かったわ」


 崔婉儀は床に視線を落とす。


「ごめんなさい。私が招待したばかりに……」


 自分は殺される予定ではなかった。だから安全だと思っていた、と崔婉儀は今にも泣き出しそうな顔で呟いた。


「紅嘉は女の子で、妊娠してないから大丈夫だと思っていたの」


 白粉がはたかれた頬を涙が滑り、ぽたぽたと床にしみをつくる。涙は止まることなく、外の豪雨のごとく勢いを増してゆく。


「もう、嫌だわ。こんな生活……」


 侍女が差し出す手巾を顔に押し当てて、崔婉儀は体を丸めた。


「昔に戻りたい……。昔、高貴妃様が皇后の時、とても楽しかったのよ。よくみんなでお茶をして、遊んでね」


 崔婉儀の悲鳴に、雪玲は体を起こした。監視していた珠音が止めようとするが、片手で制して崔婉儀の元へ向かい、震える肩に手を置いた。


「……ごめんなさい。高貴妃様のことを言われても知らないものね」

「瑞王様から高貴妃様のことは聞いていて、少し興味があったんです。崔婉儀様がよろしければ、ぜひお話しを聞きたいのですが」

「瑞王様が?」


 崔婉儀が顔をあげた。信じられないといいたげだ。


「瑞王様があなたに?」

「とても大切な女性だと」

「……そう、てっきりあなたが今の寵姫だとばかり思っていたわ。でも、よろしいの? 嫌な気分にさせてしまうわ」


 翔鵬は家族を殺した憎い相手であり、異性として好いてはいない。逆に嫌いだ。悋気りんきを起こす要素は皆無だが、後宮では雪玲は翔鵬の寵愛を一身に受けていることになっている。


しゃくですが、高貴妃様のことを知る機会です)


 本当に、心底、癪だが。


「瑞王様がどのような女性が好きか知りたいのです」


 口元を袖で隠してしなを作り、一途な女性を演じる。


「崔婉儀様のお話しを聞いて、呆れられないか不安になって……」


 まつ毛を伏せて、語尾を震えさせれば崔婉儀はすぐさま承諾してくれた。


「私でよろしければお話ししますわ」

「ありがとうございます」


 雪玲は——珠音の許可が下りなかったので——褥に横たわり、崔婉儀は席に腰掛ける。

 崔婉儀はどれから話すか迷っているようで、茶器を揺らして考え込む。珠音がいれてくれた茶だが、毒が入れてあることを危惧きぐして決して口にはしない。


「私は八年前、十六歳の時に即位したばかりの瑞王様の側室として入内したわ。当時、高貴妃様は皇后で、二十歳。第二子である皇女様を妊娠中だったの。とても穏やかな優しい方で、後宮に馴染めない私を気にかけてくださったわ……」


 ——高貴妃は戸部尚書である父と王族の血を継ぐ母の元、生まれた。家柄もよく、仙女のごとき美貌から幼い頃から縁談が絶えず来ていたのだという。その美しさを耳にした皇太后の願いで登城し、そして皇太子であった翔鵬に見初められた。

 本人は東宮とうぐう妃は重いと断ったようだが、翔鵬からの度重なる口説きに折れて嫁ぐことを決め、翌年、第一子である皇子を出産した。


「母親のようで、姉のような方だったわ。みんな、高貴妃様をお慕いしてて、瑞王様の寵が彼女一人のものでも、誰も疑問には思わなかった。だって、それが普通でしたもの。瑞王様があなたを見初めて連れ帰ったと知った時、正直、驚いたわ」

「優しい女性だったのですね」

「とても優しい人よ。大好きだった」


 崔婉儀は思い出に浸るように目を閉じる。


「高貴妃様の心が癒えたら、いつかまたお会いできると思っていたわ。そのためにあの頃のまま、後宮を維持しようとしていたけれど、もうそれは無理ね。一生、叶わないわ」


 どこか諦めたように言うので雪玲は「どうして」と声を上げた。


「なぜ、諦めるのですか? ずっと戦っていたのに」

「ずっと戦っていたからよ。疲れたの」


 目を開けた崔婉儀は、凪いだ眼で雪玲を見据える。


「ねえ、鳴美人。前に、李順儀様と林徳儀様を殺した人を教えたでしょう?」


 雪玲は頷く。その隣で珠音が息を呑む。

 崔婉儀は順番に顔を見ると艶やかなかんばせに微笑を浮かべた。


「瑞王様に奏上そうじょうするわ。証拠もなければ、彼女の生家いえは、私の生家より高位。下手をすれば私は殺されてしまうでしょう」


 恐らく、崔婉儀は包子に毒を盛ったのは乾皇后だと考えている。


(可能性は高いけれど、違う気もします)


 全て、雪玲の直感だ。胸を張って断言はできない。


「お待ちください。それは危険すぎます」

「紅嘉に危険が及ぶのなら、早い方がいいわ」


 崔婉儀は立ち上がる。冷めた茶器を一瞥すると飲めないことに対して謝罪を口にした。


「……もう、帰るわ。こんな時間までお仕掛けてごめんなさいね」


 そう言葉を残すと、崔婉儀は雪玲の制止を無視して房室を後にした。




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