第30話 話し合い
「まず、李恵妃について」
白暘は手にした書類に目を通しながら穏やかな声を発した。
「発見場所は寿扇宮の池です。発見時刻は本日、
場所は黒嶺宮。雪玲の自室だ。
この場に集まったのは房室の主人である雪玲と見舞いとして訪れた翔鵬と白暘、彩妍、珠音の計五人。
雪玲は褥で横になりながら報告に耳を傾けていた。本当は起き上がり、白暘が持つ書類を自らの目で読み上げたいが彩妍と珠音の強い希望で寝たままの状態となっている。上半身でも起こせば「寝ていろ!」と、発音しようとしたら「安静に!」と叱責が飛んでくるためだ。
「死因は溺死ですが左のこめかみに殴られたような痣と首を絞められた跡が残っております」
「毒は関係あるのか?」
翔鵬が問いかけた。
「いいえ。銀はもちろん、月光石も反応はありませんでした」
「そうか」
「死亡推定時刻は
それと、と白暘は続ける。
「李恵妃の爪には人間の血肉と思われる物体が不着しています。これは抵抗する際に相手の腕や体を引っ掻きできたものでしょう」
次の頁をめくる。
「次に宝美人について。発見場所は寿扇宮の池です。発見時刻は李恵妃と同時刻。死因は出血多量です。心臓を刃物で指したのでしょう。傷は深く、心臓に達していました。死亡時間は卯の刻から
「宝美人の腕に傷跡は?」
「確認できませんでした。防御創もないことから、宝美人は自害したのだと考えられます」
「二人は腕を組み死んでいたのだったな?」
「正しくは違います。宝美人は李恵妃の腕を掴んでいましたが、李恵妃は握り返していません」
宝美人は李恵妃の腕を強く握っていたが、李恵妃は掴み返すこともなく指先は水にたゆたっていた。
「池で亡くなっている李恵妃を、宝美人が見つけ後を追ったと考えれます」
そのことから推定される死亡時間は異なると考えられる。
「心中かと思ったが、宝美人の体に李恵妃がつけた傷がないなら違うと考えるべきだね」
彩妍は腕を組む。
「あの二人はとても仲が良かったのを覚えているよ。宝美人が李恵妃を殺すなんて考えられないし、白暘の予想はあながち間違いではないと、私は思う」
「彩妍、後宮で李恵妃を恨んでいる人間に心あたりはあるか?」
「……心あたりか。それならひとつあるが」
「誰だ?」
「高淑儀だ」
その名を聞いて、翔鵬は見るからにげんなりしてうなだれる。
「よく彼女に喧嘩をふっかけていた。昨日も李恵妃を
頭痛がするのか翔鵬は眉間を抑えた。
「
高淑儀の名だ。
「兄上が高貴妃の妹だからと甘やかしていたせいだろう」
妹の鋭い指摘に、翔鵬はぐっと言葉につまる。
「彼女の振る舞いは、看過できない問題だと前から言っていたはずだ。必要以上に宮女や宦官を痛めつけ、妃に突っかかる。乾皇后や私のような高位には媚びてくるとね」
「……分かっているが。彼女は薔薇の大切な妹だ。ないがしろにはできない」
「で、他の人間をないがしろに?」
「いや、……そんなつもりは無くて……」
翔鵬は言い淀む。高淑儀が姉の威光を借りて、後宮で女帝のように振る舞っていることは知っていた。注意をしようにも、高淑儀は愛しい妻の妹。子を失い、塞ぎ込んできる彼女をこれ以上、傷つけたくないと見逃してきたのは翔鵬自身だ。
「白暘。高淑儀とその周囲の人物を徹底的に調べろ。体に傷がある可能性が高い。嫌がるようなら私の名前をだせ」
「……いや、俺の名を使え。そうすれば断ることはできない」
王命なら誰も断ることができない。高淑儀はもちろん、乾皇后でも。
「春燕、君は何か聞きたいことはないのかい?」
彩妍は褥に横たわる雪玲を見下ろした。
やっと会話を許された。これで気兼ねなく問いただすことができる。さり気なく、体を起こすがそれは珠音に睨まれたので断念する。
「なぜ宝美人様はそんな早朝に李恵妃様の殿舎を訪ねたのでしょうか?」
「侍女から聞いたところ、李恵妃が宮闈局に連行された日は泊まりに来ることが多かったそうです」
三枚目に目を通しながら白暘が答えた。
その回答に翔鵬が首を捻る。
「届けは出していたのか? 俺は聞いていないが」
妃嬪が与えられた殿舎以外で寝泊まりする場合、皇后及び
現在、大長秋の地位についている男は、もとは先代の
「いえ、届けは出していません」
無断で外泊をしていたようだ。それを宮女と宦官は黙認していた。
「無断か」
「懲罰は駄目だ。傷ついた李恵妃を慰めるために尋ねたんだろ。元はといえば、兄上が高淑儀を自由にさせていたのが悪い」
「……分かっている」
さすがの瑞王でも最愛の妹には敵わないらしい。いつもなら嫌味で返してくるのに自分の非を認めている様は少し不気味だ。
「宝美人様は毒によって亡くなったわけではないのですか?」
「ええ、そちらも調べましたが毒は検出されませんでした」
「明日、ご遺体を見てもいいですか?」
「やめたほうがいいです」
白暘は首を振る。
「李恵妃は発見されるまで水の中にいたため全身がひどくふやけております。女人が見るものではありません」
「平気です。埋葬される前に一目お会いしたいのです」
皮膚がふやけたぐらいで気持ち悪くなったりはしない。鴆狩りに失敗して、春先に腐敗した遺体となった者を多く見てきたのだから慣れている。腐臭はまだ慣れないが。
雪玲の申し出に白暘以外の三人も待ったをかけた。
「鳴美人様はしばらく安静にしてくださいませ。青侍医にも言われておりますでしょう?」
珠音は猛禽類のような目で雪玲を睨みつけた。彩妍が毒に詳しいと青侍医を貸してくれたのだが、彼は「こんなに早く回復するなんて前例がありません」と言いながら、大事をとって三日は安静にするように言いつけてきた。
昼間、臥室から抜け出したこともあり、珠音の監視はとても厳しくなっている。きっと三日が経つまで自由を許されない。
「……だって、平気ですもの」
董家の人間なのだから、鳥兜毒で死ぬような
言い返したいが、言い返す事ができないので雪玲は嫌そうな顔をするだけにした。
「鳴美人様はまずご自身を大切になさってください」
「分かってます」
「分かってないから珠音が怒るんだろう。こいつが俺達以外に素を見せるなんて、滅多にないぞ」
翔鵬が口を挟む。
「いいからお前は大人しくしておけ。その事でも少し、問題があるんだから。白暘、崔婉儀とこいつの件も調べるよう命じていたはずだが」
「今現在、分かっていることですが、皇女様のおやつである包子に鳥兜が仕込まれていました。包子は皇女様の好物なので、よく宮女に作らせていたそうです。調理した者に話を伺いましたが誰も心当たりは無いと申しております。また、怪しい人物が入り込んだという情報もございません」
「ならば崔婉儀付きの侍女か宮女が怪しいと考えるのが妥当だな」
彩妍は「しかし」と首を捻る。
「兄上に寵愛されている春燕を殺そうとするなら分かるが、なぜ崔婉儀もなんだ? 彼女が問題を起こしているなんて聞いていないが」
「崔婉儀が首謀者とも考えられるな」
その言葉に四人の視線は翔鵬へ突き刺さった。
「あいつは数口しか食べていないだろう? 自分も食えば疑いの目は背けることができる」
「兄上の考えも一理ある。春燕、君は崔婉儀のことをどう思う? 包子を食べる前、食べた直後、彼女の様子はどうだった?」
彩妍の言葉に、雪玲はしばし黙って考える。
(崔婉儀様が私を殺そうとしたなんてありえません)
あの時、崔婉儀は雪玲に忠告をし、誰が下手人か教えてくれた。その行動に嘘偽りはないはずだ。
「私は、ないと思います。
「ならば、崔婉儀は被害者だ。私は春燕の言うことを信じたい」
「ありがとう、彩妍」
彩妍は立ち上がると周囲を見渡した。
「もう、夜も遅い。今日は解散にしよう。春燕を休ませてやりたい」
それに翔鵬が待ったをかける。
「彩妍、お前に聞きたいことがある」
「なんだい。兄上」
「文瑾が深夜遅くに薔薇の元を訪ねているという情報を耳にした。お前は知っているか?」
あの夜のことだ。白暘の言う通り、翔鵬も知らないようだ。
ああ、と彩妍は肩を持ち上げてみせた。
「高貴妃の体調がすぐれないようでね。文瑾に診させたんだ」
「体調が!? どうして……!」
「落ち着きなよ。ただの風邪だから」
「風邪か……。後で滋養にいいものを届けさせようか」
「兄上からなら受け取らないだろうし、やめたほうがいい」
妹の毒を帯びた言葉に、翔鵬はぐっと胸を押さえた。
「……お前からと言って渡してくれ」
「私は贈り物なんてしないから疑われるよ。兄上が命令したって。今以上に嫌われることになるからやめなよ」
次は刃物となって、翔鵬の胸をえぐる。傍からみても、その切っ先はよく尖っていた。
傷心の翔鵬はうなだれたまま、「薔薇は」と呟いた。
「元気にしているか?」
「元気ではあるんじゃないか? 私は直接会っていないから分からないけど」
「文瑾が診ているんじゃないのか?」
「兄上はなにか勘違いしているらしいけど
「そうか……。無事で本当によかった」
「聞きたいことはそれだけかい?」
「ああ。文瑾に褒賞を与えると伝えておいてくれ」
「了解した。じゃあ、私はこれで失礼すると」
おやすみ、と言い残し彩妍はこの場を後にした。
解散の雰囲気が漂う中、雪玲は重々しい口を開いた。
「あの、伝えたいことがあります」
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