第5話 目的


 翌日。男は気だるげな雰囲気だが思ったより元気そうな様子だった。褥に横たわりながら室の内装を観察していたが、薬湯を手にした雪玲が香蘭を伴って入室すると気だるげな動作で首を動かした。


「き、みたち、は」


 呂律はまだしっかりしていない。鴆毒はまだ完全に体から抜けきってはいないのだろう。

 雪玲は薬湯を卓の上に置くと優雅に拝礼した。


「私の名は鳴春燕しゅんえんと申します」


 春燕とは鳴紫旦の実の娘で、紫雲の姉の名だ。五年間に胸の病によって鬼籍きせきに入ったことでその名と戸籍を雪玲が使っている。


「隣におりますは乳母の香蘭です」


 名を呼ばれた香蘭もつられて拝礼する。入室前は「わたくしがお嬢様をお守りいたしますわ!」と意気込みを見せていたが男を前にすると緊張が勝ったのか、その動作はどこかぎこちない。

 男も名乗りあげようとするが雪玲は「そのままで」と止めた。


「まだ、痺れはとれていないとお見受けいたします。それなのに無理に筋肉を酷使しては痛めてしまいますよ」

「……」

「さあ、今朝のお薬です」


 差し出された前日とまったく同じ薬湯を前に、背後にまわった香蘭によって起こされた男は嫌厭けんえんに満ちた表情を浮かべた。




 ***




 翌々日。薬湯を飲み干した男は居住まいを正すと雪玲と香蘭に頭を下げた。


「先日は命を救っていただき、ありがとうございます」


 口から出たのは少々、なまりのある瑞語だ。男はこの地に来て間もないと雪玲は予想をたてた。


「人として当然のことをしたまでです」


 胸に手を当て、雪玲は人好きのする笑顔で答える。助けた際は男が持つ利用価値目当てだったが、さすがにそれを言動に現すほど雪玲は阿呆ではない。

 乳母の咎める視線に気づかないふりをしていると男はふっと相好そうごうを崩した。


「自己紹介がまだでしたね。私の名は白暘はくようと申します」


 それが男の本名ではないのは一目瞭然だ。癖のある黄金の髪に、太陽が輝く瞳、褐色の肌、彫りが深い精悍な顔立ちはどう見ても瑞人の血は一滴も流れてはいない。本名は捨てたか、捨てられたか。本人が名乗らないことには雪玲から問いただすことはできない。

 雪玲は表情には一切出さず「素敵なお名前ですね」と返すと男——白暘はどこか寂しそうに目を伏せた。先程の笑顔の時も感じたが、


(なんて作り物めいた顔なんでしょう)


 その表情に雪玲は内心、眉根を寄せる。短期間の触れ合いだが彼は心から感情を発しない。計算されたような、どこか作りものめいた顔をする。それが見目麗しい外見と相まって、彼を人形のように見せていた。


「体調も、受け答えも大丈夫そうですね」


 考えを悟られないように、雪玲は笑みを崩さず言葉を重ねた。


「お義父さま——当主を呼んでもいいですか? あなたに色々と聞きたいことがあるそうです」


 白暘は緩慢かんまんな動作で頷いた。

 了承を得たことを確認した雪玲は背後に控える香蘭に目配せをする。香蘭は頭を下げると紫旦を呼びに退室した。

 室に残された二人はにこやかな表情で向かい合っているが会話はない。お互いに相手の思考を読み取ることに集中していた。

 しばらくして沈黙を破り、会話の糸口をきったのは白暘だ。無言の見つめ合いに耐えかねたのか頬を掻き、恥ずかしそうな表情を作る。


「本当になんてお礼を言えばよいのか……。鴆と遭遇し、その毒を浴びた時はもう駄目かと諦めていました」

「私もです。あなたを見つけた時、死んでいると思ってしまいましたもの」

「お恥ずかしながら今、自分が生きていることに実感が湧かないのです。私はとっくに死んでいて、ここは浄土なのでは、と思ってしまいます」


 考えもしなかった意見に雪玲は口元を袖で隠して笑う。


「大袈裟ですよ。浄土はこんな小さな室よりもっと綺麗なところです」

「目を覚ました時、天女のような女性が目の前にいたら誰もがそう考えますよ」

「あら、女性を褒めるのがお上手なのですね」

「真実を言ったまでです」


 雪玲は大きな目を瞬かせた。ただの世辞かと思ったが、白暘の顔は真剣そのもの。嘘を言っているようには見えない。


(けれど、どこか嘘っぽいんですよね)


 目の前の男の本心が読めなくて困惑していると、白暘は吹き出した。


「すみません。困らせるつもりはなかったんです」


 くすくすと笑う姿を見て、からかわれたと知った雪玲は頬に朱を散らす。


「冗談はやめてください」

「冗談ではありませんよ。目が覚めた時、本当に天女に見えたんです。今もそう見えています」

「では訂正を。本物の天女は私と違い、優しく思いやりに溢れた性格をしてますよ」

「おや。それはあなたが酷く自分勝手な女だと聞こえますよ?」


 そうだ、と雪玲は頷く。


「私があなたを助けたのも、私の願いを叶えるためですもの」

「その結果、私はこうして生きながらえています」

「……随分と前向きなのですね」


 呆れ口調で呟くと白んだ目で白暘を睨みつける。

 まだ毒も完全に抜けておらず、苦しいはず。なのに白暘はころころと表情を作り変え、会話を途切れさせないように言葉を紡ぐ。その姿に雪玲は違和感を覚えた。


(わざとそらされている?)


 そう感じたのは白暘の言動に引っかかるものを感じたからだ。自分の感情を隠しつつも、本題に入られたくないかのらりくらりと雪玲をいなす。雪玲が本題に入るため口を開こうとするといち早くそれを察知して、話を変える。かといってなにかを隠している様子はない。


(変なひと。一体、なにが目的なのかしら)


 他人の感情の機微に聡いと自負しているが、彼の心はちっとも読めず、雪玲は困惑する。白暘がいなす言葉を口にする前に唇を開いた。


「あそこには鴆が住んでいるのになぜ登ったのですか?」


 途端、白暘が作る表情は崩れ去る。

 だが、それも一瞬のこと。一呼吸もしないうちに困り顔を作った。


「道に迷っただけですので、気にしないでください」


 この反応は想定内だった雪玲は頬に手を添えて嘆息する。


「気にします。私は鴆を研究するために、通っているのです。本日のあなたの行動で鴆達は人間を警戒するでしょう。そのせいで研究がとどこおってしまいます」

「……鴆を?」


 これを口にすれば大抵の人間が雪玲を訝しむ目で見るのに対して、白暘はさして驚かず、どこか納得する様子を見せた。


「ようやく合点がいきました。どうして私が助かったのか疑問だったのです」


 恵華山は鴆の住まう山。麓には鴆の生息地と示す看板も建てられているため、地元の人間はもちろんのこと、土地勘のない旅人すら近づかない。そんな危険地帯真っ最中の山中で、鴆毒を浴びてしまえば助けは来ないと誰もが諦めてしまうだろう。

 けれど、助けられた。

 そのことがずっと気がかりだったと白暘は語る。


「私、鴆毒に少々耐性があるのです」


 自慢気に言うと、白暘は驚いた顔を作った。彼の仮面を見破った雪玲には白々しい芝居に見える。


「君ですか?」


 、ということは白暘も毒に耐性がある体質なのだろう。


「ええ、胸の病を患っていたため、幼少時、鴆毒で作られた薬を服用していました。そのおかげだと考えています」


 胸に手を当てた雪玲は昔を懐かしむように目を細めた。

 思い出すのは姉と慕った女性だ。優しく、思慮深い彼女——春燕は生まれつき心臓が弱かった。毎日朝晩に、粉末状にした鴆毒と赤松の樹皮、梓実しじつを配合した薬を服用しなければならず、一日の大半を褥の上で過ごしていた。

 幼い雪玲は自分の室を抜け出しては、よく彼女の元を訪ねた。鴆飼いの一族だからと雪玲を怖がったりせず、春燕はいつも優しく笑いながら迎え入れてくれた。


『私、ずっと妹が欲しかったの』


 そう言って、建国伝記や異国に伝わる御伽噺を語ってくれた。


 しかし、その生活は董家が断絶されたことで一変する。


 春燕が服用する薬は鴆毒が必須なのだが、董家が処刑されたことで製造ができなくなった。鳴家が貯蔵していた薬も全て王家に没収され、薬の投与が途絶えた春燕は日に日に弱っていった。元々か細かった体はみるみる肉はなくなり、骨と皮だけとなった。時が過ぎ去るにつれ酷くなる心臓の発作に苦しみ、血を吐きながらも彼女は生きる希望を諦めない。ずっと未来を見据えていたが、


『ねえ、雪玲。この名前と未来をあなたにあげるわ。私の分も生きてちょうだい』


 その言葉を遺言に、春燕は五年前、十四歳の若さであっさりとこの世を去っていった。


(ごめんなさい、春燕姉さん。助けることが出来なくて……)


 そっとまつげを伏せ、心の中で謝罪する。朗らかな姉は雪玲が生き延びるためにその名前と戸籍をくれた。

 けれど、雪玲がこの名を使う時はいつも脳裏に春燕の姿が過ぎるのだ。あの時、静止する乳母の手を振り解いて自分が鴆毒を採取しに行けばよかった。自分のせいで鳴家から彼女を奪ってしまった。自分のせいで大々的に弔ってあげれないことが、いつまでも心の隅に引っかかりとして残っている。


「わたくしは答えましたので、次はあなたさまの番です」


 ぱっと顔をあげ、明るく催促する。白暘までとはいかないが、雪玲も仮面を作るのは得意な方だ。


「……」


 白暘は答えない。太ももの上で手を固く組み、雪玲をじっと見つめている。炎を閉じ込めた瞳は窓辺から差し込む陽光によって、きらきらと輝きを放っているがその真髄はみえない。


「あなたも他の人と同じように雪玲を見つけに来たのですか?」


 雪玲は賭けにでた。


「春燕殿は〝雪玲〟が生きていると考えていますか?」


 白暘は雪玲を見つめたまま答えた。

 それは、どういう意味で言った言葉なのか問いただそうと身を乗り出すが、紫旦と香蘭が入室したためできなかった。


「春燕、嬉しいのは分かるが彼は病人なんだ。そうやって無理させてはいけない」


 回廊まで会話が聞こえたのか、紫旦は咎める目で雪玲を見つめた。瑞人にしては色素の薄い瞳には余計なことは言うな、と書かれている。

 雪玲は「心外です」と抗議の声をあげると義父に椅子を譲るために立ち上がった。


「無理なんてさせたつもりありません」

「はしゃいでいた声が外まで聞こえたよ」

「だって、嬉しかったのですもの」


 むすっとしながら壁際に控える乳母の元に足早に向かう。


「病人に無理させる娘はここで大人しくしてます」


 嫌味ったらしく告げると椅子に腰掛けた紫旦は困ったように太い眉毛を寄せた。


「申し訳ない。一人娘と甘やかしすぎたようで、……嫌なら嫌と言ってくれていい」


 深く息を吐きながら紫旦は白暘に向かって謝罪の言葉を口にする。

 白暘は「いいえ」と首を左右に振った。


「楽しいひとときでした。彼女の薬のお陰で体調は元通りですので心配はいりません」

「あの子の腕は私どもも保証します。けれど、貴殿の身を蝕むのは鴆の猛毒。助かったのは奇跡といっていい。無理は禁物です。さて、自己紹介がまだでした。儂は鳴紫旦。この杞里きりの地にて商家を営んでおります」

「私は白暘と申します。奚官けいかん局に勤めています」


 奚官局という職が分からない雪玲は首を傾げた。

 その動作が白暘の目にも留まったようで優しく目を細めて「後宮の部署のひとつです」と教えてくれた。なんでも後宮内で起きた妃嬪や宮女の死亡、流行った疾病しっぺいを管理・記録・調査する部署のようだ。


(それが鴆の採取となにが関係あるのでしょう)


 これが八年以上前なら鴆毒での毒殺もありえたため、奚官局の宦官を派遣する通りもわかる。

 だが、毒羽の乱が起きてから鴆毒が原材料の商品は王家が全て徴収したのち、焼却処分されたはず。

 王家の目をかいくぐり鴆毒を所有することは不可能といっていい。鴆毒は火薬と同等かそれ以上の危険物と考えられているため、商品の取引記録は事細かく帳簿に記し、最低でも十年は保管することが法で義務付けられているからだ。誰かが隠し持っていても当時、没収された鳴家と董家の帳簿を調べれば、すぐ該当者が分かるはず。新しい毒薬を作ろうにも董家がいない今、それも不可能。生き残っている董雪玲しかできない、と考えるのが道理なのだが、


(彼の言葉からは関係無さそうです)


 悶々と悩む雪玲を置き去りに、二人は今後についてのやり取りを終えたようだ。


「では、ごゆっくり。行くぞ、春燕」


 紫旦に名を呼ばれた雪玲ははっと顔をあげ、急いで拝礼する。


(まだ色々と聞きたかったのですが……)


 名指しで義父に指定されたのならば従わなければならない。この後待つのは立場をわきまえず白暘と交流を重ねたことに対する説教か、白暘の看病に関する相談か。

 紫旦の説教は長いため後者がいいな、と思いながら香蘭を伴って、義父の背を追った。

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