第4話 その正体は…


 焚き木が爆ぜた。鋭い音とともに赤い火花が宙を舞う様子を、雪玲は長椅子に腰掛けながらぼうっと見つめた。

 先程、薪木を数本追加で入れたので火の勢いは強いが室の温度はまだまだ低い。もう何本か追加で投げ入れようとした時、香蘭が室に飛び込んできた。急な来訪者に雪玲が目を丸くさせると香蘭は大股で近づき、雪玲の肩を掴んで前後にゆすった。


「お嬢さまっ!! あなたというお方はなにを考えているのです?!」


 どうやら他の使用人から話を聞いたようだ。どう説明を受けたかは知らないが「鴆毒に当てられた人間を拾ってきた」ということは伝わっているはず。つまり、


(みんなに会いにいったのがバレてますね)


 雪玲は遠い目をする。彼らに会いに行ったとなれば、香蘭の監視はより一層と厳しいものとなるに違いない。今までのように簡単に屋敷を抜け出すことはできないだろう。


「なにゆえ鴆の巣窟で、行き倒れた人間を連れてきたのですかッ?!」


 側で眠っている男への考慮なのか、香蘭は小声で叱責を続ける。


「お嬢様は昼間、商談に参加すると紫雲しうん様がおっしゃっていたのに……!! もしかして、今までも何度もわたくしをたばかったのですか!?」


 紫雲とは義弟の名である。

 姉弟二人に騙されていたことが発覚し、香蘭は怒り心頭の様子。気のせいかその頭上には湯気が見える。

 怒りのなすがままに香蘭は雪玲を揺すった。

 最初は騙していたことの罪悪感から揺すられることを甘受していた雪玲だったが次第に吐き気が込み上げてきたこともあり、香蘭の手を軽く叩く。


「香蘭、やめてください。揺すらないでください。頭がぐらぐらして気持ち悪いです……」

「この現状をしかとご理解なさっていますか?」


 臥台しんだいで眠る男を指差した香蘭は鬼のような表情で雪玲を睨みつけた。


「はい。彼の着替えを任せた使用人から宦官であると聞いています」


 宦官——陽物を切り取られた男性。彼らの仕事は瑞王の花園、後宮の管理だ。


「お召し物も上質で、挿されていた刺繍も庶民のものとは思えないほど精密でしたね」


 淡々と事実を述べる雪玲と違い、香蘭の表情はみるみる青白くなっていく。

 高位の宦官ということは瑞王や他の王族の側仕えと考えて良い。そんな男が鴆が住まう山に一人訪れたということは「董雪玲を捕まえてこい」と瑞王に命じられた可能性が高いと考えるのが妥当だ。


「城使えの方でしょう。それも高位の方とお見受けいたします。……私を探しにきたのでしょうか」


 雪玲が冗談半分で呟いた言葉に、香蘭は大袈裟な反応を返した。唇をわななかせながら雪玲の手を握り、真剣な眼差しで見つめた。


「お逃げください。今すぐに。わたくしがどうにかしますから……!」

「落ち着いてください。は大丈夫ですよ」

「大丈夫ですって!?」


 雪玲は再度「大丈夫です」と繰り返した。

 心配性な乳母を安心させるべく、彼女の背に腕を回して抱きしめる。布越しに香蘭の心音が伝わってきた。早鐘のように忙しないその音はきっと恐怖からくるものだろう。気丈に振る舞ってはいるが董家狩りの記憶が蘇っているに違いない。

 抱きしめてその背をさすっていると小さな吐息が聞こえた。

 その音の出どころは自分でも、香蘭でもない。男が眠る臥台の方からだ。


「……思ったより早かったですね」


 男の目覚めがきたと悟った雪玲は長椅子から立ち上がると香蘭に白湯さゆを持ってくるように命じた。香蘭は戸惑いを見せるが雪玲がもう一度お願いするとくりやへ向かう。この宦官の男の素性がどうであれ、弱っている人間は放っておけないたちなのだ。

 残された雪玲は卓の上に用意していた薬を手に取ると男の側に駆け寄った。

 男は身動ぎしながら苦しそうに浅く短い呼吸を繰り返していた。意識は戻ったが呼吸が上手くできないようだ。

 しばらくして男は落ち着きを取り戻したのか仰向けになった状態で深呼吸をする。


「おはようございます。と言ってももう夜も遅いのでこんばんはの方が正しいですね」


 男の額に浮かぶ脂汗を手巾で拭き取りながら雪玲は問いかけた。


「体調はどうですか?」


 男は重たそうに瞼を持ち上げると太陽の瞳に雪玲を映した。喋りたくても毒の影響で顔の筋肉が弛緩しかんしていて上手く話すことは出来ないようで、もごもごと口を動かすと不服そうに眉を寄せる。


「声を発することはできますか? できるなら一回、難しそうなら二回、瞬きをしてください」


 この問いに男はゆっくりとだが二回瞬きをして答えた。喋れないとなると顔だけでなく、喉の筋肉も弱っているため無理に薬を飲ませると誤嚥ごえんしてしまう恐れがある。

 できれば早急に薬を飲んで安静にして欲しいのだが無理に飲ませるわけにもいかない。どうしましょう、と雪玲が悩んでいると茶器を盆に乗せた香蘭が戻ってきた。

 盆の上に置かれた薬方紙が目に入り、雪玲はほっと胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます。海蘿ふのりも持ってきてくれたのですね」


 海蘿とは海藻の一種で、それを乾燥させて粉にしたものを海蘿粉と呼ぶ。飲み物や汁物にとろみを付ける際によく使用される代物だ。鳴家では隠居生活を送る先代当主のために厨には常に在庫がある。


「おそらく必要かと思ったので……。大丈夫そうですか?」


 それが男の容態ではなく、雪玲の身の安全を指していることは乳母の表情から分かった。雪玲は「はい」と頷いた。


「大丈夫ですよ。まだ筋肉が弱くなっているようですが無事に峠は越えたようです」

「それならよろしいのですが……」


 手にした盆を雪玲に手渡すと香蘭は胡乱げな視線を男に送る。


「では、看病は下男下女しようにんに任せて、お嬢様はお休みくださいませ」

「あら、別に平気ですよ。この方を連れて来たのは私ですから、最後まで面倒みます」

「こんなことお嬢様がする事ではありませんわ。旦那様もお怒りになります」

「お爺様の介護もしてるし、お義父様は病人の介護を途中で放り投げたと知った方がお怒りになるでしょう」


 どうにか雪玲をこの場から離したい香蘭はあの手この手で誘導しようとするが、雪玲は薬と海蘿粉を入れた白湯を匙で掻き混ぜながら一笑した。

 湯気も薄れてきた頃になると流石の香蘭も諦めたのか肩を落として項垂れる。今にも卒倒しそうな様子だが雪玲と男を二人っきりにするのは、と室に残る事を決めたらしく、男の額に乗せる手拭いを水桶に浸し始めた。


「体を起こせますか?」


 男は体を持ち上げようとするが体力気力共に限界の今、それは出来ないようだ。瞬きを二度して申し訳なさそうにした。


「香蘭、手伝ってください」

「はい。失礼します」


 男の頭上にまわった香蘭は男と敷布の間に手を滑り込ませ、慣れた手付きでその体を起こした。

 体勢が変わったことで節々が痛むらしい。男がうめき声をあげる。


「痛いでしょうが我慢してくださいね。さあ、これを飲んでください」


 目の前に差し出された薬湯を、男は訝しむ目で見つめた。

 その気持ちも分かるので雪玲は苦笑する。熱冷ましの薬草と体内に残る毒素を排出させるために発汗と利尿作用がある薬草を配合した薬湯の色はどぶ色。つんと鼻先を刺激する臭いは飲まずともこれが酷く苦くて不味いものだと主張している。配合した張本人である雪玲自身もできれば飲みたくない代物だ。


「別に毒は入っていませんよ。色が濁って、臭いも独特なので嫌気するのも分かりますが」

「安心してくださいませ。お嬢様は薬師くすしとして素晴らしい腕をお持ちですわ」

「あら、香蘭。それは褒めすぎですよ。私の知識はほとんど独学ですのに」

「乳母であるわたくしが保証します。お嬢様のお薬を飲めば貴方もすぐよくなるに決まっております」


 香蘭が自信たっぷりに宣言する。

 最初は抵抗を見せた男だったが覚悟を決めたらしく恐る恐る——といってもわずかにだが——唇を開いた。

 雪玲はそのわずかに開いた隙間に、慈悲もなく薬草を匙で流し込んだ。


「——さて、お薬も無事に飲めましたし、今夜はお休みください」


 空になった茶器を手にした雪玲は満足そうに笑いながら褥に横になった男を見下ろした。男の日に焼けた顔は白を通り越して蒼白だ。本人は我慢していたが薬湯が不味すぎたらしい。「吐いたらもう一杯飲んで下さいね」という雪玲の言葉に、不自由な唇を固く閉ざし、懸命に吐き気を抑え込んでいた。


「では、私達はおいとまさせていただきます。何かありましたら横にある喚鐘かんしょうを鳴らしてくださいね」


 若干、涙目になった男が一度瞬きして了承の意を伝える。

 雪玲は香蘭と共に拝礼を捧げると室を後にした。




 ***




 室を出て、中庭に面する回廊ろうかを歩いていると緊張の糸が切れたのか香蘭がへたり込んだ。


「……どうすれば、なぜ、バレたの。だって、今までずっと、平和に……なんで……」

「香蘭、落ち着いてください」

「落ち着いていられますかッ!!」


 胸を抑えた香蘭は怒りのままに声を発する。


「お嬢様はこの事態を軽視してますわ!!」

「香蘭、声を抑えて。他の方が起きてしまいますよ。あの人にも聞こえるかもしれません」


 指摘され、香蘭はでかかった言葉をぐっと喉奥へと押し込んだ。


「安心してください」

「なぜ、お嬢様はそんなにも冷静でいられるのですか……?」


 鼻をすすりながら香蘭は「わたくしはできませんわ」と弱音を吐いた。

 その震える体を抱きしめ、青玉の耳飾りが揺れる耳朶じだに唇を寄せた雪玲はそっと言葉を囁く。


「彼の目的が雪玲ではないと考えたからです。理由は二つ。まず一つ、彼が瑞王の命で雪玲を探したとしてもなぜ恵華山へおもむいたのでしょうか。雪玲が鴆と共に暮らしていると考えたからから? ……いいえ、毒羽の乱が起きてから何度も恵華山には兵士が派遣されましたが雪玲の姿は見つかりませんでした。人が暮らした痕跡も見つからなかったことから瑞王は兵士の派遣を取りやめました。それなのに八年の歳月が経った今、人を寄越すでしょうか? それもたった一人の人間であり、宦官を」

「それは、山に出入りするお嬢様が雪玲だと邑の者が密告したのでは……?」

「それなら彼はこの家に来て、すぐに私を捕らえるはずです。わざわざ恵華山に危険を冒して近づく必要はありません。だから密告者はいないと考えられます。そして、二つ目。彼の手持ちに人間の捕獲を目的とするものはありませんでした。彼を屋敷に届けた後、私は紫雲の協力の元、山を探して彼が落としたであろう荷物を探し、見つかったのは鳥用の罠と鳥籠、解毒薬……。そこに雪玲を捕らえるための道具はありませんでした」

「では、何のためにあの山へ」

「彼の目的は鴆の生け捕り、もしくは死体を回収することでしょう。瑞王がなんのために鴆を欲しているのかは分かりませんが」


 だから安心して、と雪玲が語りかけるも香蘭は難色を示した。


「だからって、いつバレてもおかしくない状況ですのよ」

「そんなに挙動不審だとすぐバレてしまいますね。香蘭、堂々としていればいいのです。私達は鴆毒に冒された男を助けた。それがたまたま宦官だった。——後ろめたいことは微塵もありません」


 顔を離した雪玲はにっこり告げた。

 長きに渡り、息を殺した生活を送っていた香蘭は納得はしないものの、先程よりかは冷静さを取り戻したようで大息する。


「お嬢様は本当にお強いですわ」


 諦めに似た声音で言うので雪玲は口元を袖で隠して微笑む。


「香蘭やみんなのおかげです」


 落ち着いた香蘭の様子に、雪玲は抱きしめる腕を解こうとするが、


「あの、お嬢様」


 申し訳なさそうに香蘭がその腕を掴んだ。


「もう少し、このままでいいでしょうか?」

「あら、全然いいですよ」

「すみません。不甲斐ない乳母で……」

「幼い頃に戻ったようで嬉しいです」

「あの時とは立場が違いますけれど。……あんな小さかったお嬢様がこんなに大きくなられて、わたくしはほんに嬉しゅうございます」


 王命によって董家狩りが盛んに行われた時、家族を失って不安にさいなまれた幼い雪玲を、香蘭は毎夜抱きしめてくれた。鳴家に匿われてもいつ彼らが裏切るのか、また追手に見つかるのかと戦々恐々する毎日。擦り減る神経に、鬱憤が積もりに積もっても雪玲が泣かず前を向けたのは香蘭が「大丈夫です」と抱きしめてくれたから。

 あの時のお返しに、と抱きしめる腕に力を込めると香蘭は痛がりつつも小さく笑声をあげた。

 その声を聞きながら雪玲はそっと睫毛を伏せる。


(生き伸びてくれたのはよかったのだけれど)


 考えるのはあの男のことだ。


(まさか城勤めの方とは知りませんでした)


 それも高位の宦官など、助けたときは考えすらしなかった。


(彼を引き入れるのは諦めるしかありませんね)


 彼が瑞王の従者ならば必要以上に深く関わるのは危険だ。瑞王の信頼を得ないまま、雪玲が正体を証せば問答無用で族誅ぞくちゅうになる可能性が高い。

 また、彼に恩を売るか、信用を得て、秀女選抜を有利に運ばせることも考えたがこれも得策ではない。瑞王からある程度の信頼を得ている男が一人の女を贔屓ひいきして、後宮入りさせればきっと他の妃嬪は嫉妬と嫌悪の感情を雪玲に向けるだろう。波風立てず穏便に瑞王の信頼を得るためには自らの力で生き残らなければ。


「……私って、運が悪いですね」


 ぽつり、呟かれた言葉は香蘭には聞こえなかったようで静かに闇夜に溶けていった。

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