第6話 瑞王と宦官


 異国生まれの自分は、この地では魅力的に見える。

 そう、理解したのは主人に拾われ、宦官として後宮に勤め始めた時のこと。

 成人してから性を切り取られた白暘は宦官にして勇壮な顔立ちと立派な体躯を持っていた。それが後宮に住む十数名の妃嬪の心を射止めたようで、芸術品を見るかのようにうっとりと眺められ、宮女達からは思慕の眼差しを、宦官達からは羨望の眼差しで見つめられた。主人の「顔を作れ」という命の元、仮面を作り自分を偽る生活を送るとその視線は一層と顕著になり、容姿と相まって以前とは比べられないほど生きやすくなった。


「短い間でしたがお世話になりました」


 現に、白暘が申し訳なく微笑み、礼の言葉を口にすると鳴家の住人——特に女性陣は揃って頬を染めて首を左右に振った。


「いえ、困っている者を助けるのは人として当然のことです」


 白い毛が混じり始めた髭を撫でて答えたのは鳴家当主、紫旦だ。どっしりとした体躯を上品な枯茶からちゃ色の袍に包んだその姿は、かつて瑞国一の商家と言われた鳴家の大黒柱らしく厳格な雰囲気を醸し出している。

 その傍らには彼の妻である秀麗と、彼らの息子である紫雲が控えていた。娘である春燕は少し離れた場所から乳母と共にこちらを見つめている。可愛らしい面にはにこにこと愛想の良い笑みが浮かんでいる。けれど、その目が一寸たりとも笑っていないことに気付いた白暘は内心、頬を掻く。


(ずいぶんと嫌われたものだな)


 それも仕方のないことだと理解していても、他者から負の感情を向けられるのはいつになっても慣れることはない。特に関心を寄せている女性からの視線ならばなおさらのこと。

 他の住民は分からないが、春燕はきっと白暘じぶんが来たを推測し、白暘が敵かどうかを判断しかねているのだろう。


(不安になる気持ちも分かるが、そこまで警戒しないで欲しい)


 春燕の不安も痛いほどよく分かる。鴆使いとして歴史に名を刻んだ董家は鴆毒を商品として売買しており、王家以外で直接取引を行なっていた商家は鳴家ただひとつのみ。


(董家狩りの時、ここもずいぶんと調べられたようだし)


 当時、董家と親交があった鳴家は董雪玲を匿っていると瑞王に目をつけられたため、疑いが晴れるまでの期間、不条理な制裁を加えられたと聞いたことがある。捜索の結果、雪玲は見つからなかったので今は放っておかれているが最大の取引相手を失い、王家に目をつけられた結果、没落寸前まで落ちぶれた。

 少しずつ再興しているようだがそれでも以前のように裕福とまではいかないようだ。

 そんな生活を営むことになった元凶である瑞王と関わりを持っている可能性がある白暘を、春燕が警戒するのも無理はない。


「お礼は必ずいたします」


 にこやかに告げると「あら、お礼ですか?」と春燕が一番に声を上げた。


「では、もうあの山には近づかないでくださいませ。あなたは敵と覚えられたでしょうから、あなたが近づくと鴆達が怒り、近づくことができません」


 唇に笑みを浮かべた春燕は微かに怒りが宿る瞳で白暘を見つつつ、「それに」と続けた。父母に嗜められても口をつぐむという選択は彼女の中にはないようだ。


「やっと私に慣れてきてくれたのに振り出しに戻っては困りますもの。今回は運が良かったから生きていますが次はないと考え——」


 最後の言葉は秀麗が彼女の帯を引っ張ったことで掻き消えた。代わりに「ぐえっ」と潰れた蛙のような声が春燕の可愛らしい唇から漏れる。

 秀麗が泣きそうな顔で春燕を叱りつけようとするのを白暘は「大丈夫です」と制した。


「今回の事態は私の知識不足が招いたことですから……。春燕殿の忠告通り気をつけます」


 眉尻を下げ、困った顔を作ると不満そうな春燕を盗み見る。春燕は眉間に皺を寄せながら腹部を擦っていた。帯を引っ張られたのが痛かったのか夜空の瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。


(賢いが、生きづらそうなひとだな)


 白暘の目には春燕が生き急いでいる風に見えた。彼女にはなにかがあり、その目的を達成するために躍起やっきになっているのか、聡明な彼女らしからぬ行動をする。


(なにをそんなに焦っているんだか……)


 雲を素手で掴むような、薄氷うすらいを素足で渡るような危うさだ。

 だが、嫌いではない。こうやって素をさらけ出す姿はに似ていて、好感が持てた。

 別れ惜しいが、迎えを待たせるわけにはいかない。ちらりと背後を振り返れば御者ぎょしゃが申し訳無さそうな顔で軒車けんしゃの隣に立ち尽くしている。きっと主人から早く連れ帰るように命じられたのだろう。これ以上、帰城を遅らせれば主人が機嫌を損ね、その犠牲に御者も付き合わせることになる。


「では、また後日」


 そう言い残して迎えにきた軒車に乗り込んだ。

 御者が扉を閉める前に床に広がる黄裙こうくんを見て、白暘は咄嗟にひざまづこうとするが、


「いい」


 黄裙の主——瑞王、翔鵬しょうほうが片手で制した。


(なぜ、翔鵬様が……)


 こんな田舎邑に似つかわしくない人物の登場に、白暘は余裕のある表情だが内心、困惑する。入口に掛けられたすだれのおかげで、鳴家の住民にその姿は見えていないため騒ぎにはなっていないのが幸いだった。

 主人と同じ軒車に乗るわけにもいかず、白暘が立ち往生していると、翔鵬は不愉快と言いたげに目を細めた。


「早く乗れ。怪しまれる」


 翔鵬は自身の前の席を指差すと先程と同様、極限にまで抑えられた声で命じた。

 おずおずと白暘が腰を下ろすと同時に扉は完全に閉められ、前に回った御者が出発の合図を馬におくる声が聞こえた。ゆっくりと車輪が滑り、地面を走りだす。




 ***




 どれほど走ったのか、濃い緑の匂いが鼻をつく頃、今まで沈黙を保っていた翔鵬が重々しい口を開いた。


「なにがあった?」


 はぶける睫毛に縁取られた双眸そうぼうがすっと細められる。これは彼が悩んでいる時に見せる仕草だ。

 白暘はどう話すべきか悩む仕草をする。

 それを見た翔鵬は苛立たしげに舌を打つと、


「俺の前でそのはやめろ。不愉快だ」


 見た目に反した低い声で命じる。


「不愉快だなんて酷いです。私はあなたの命に忠実に従っているだけなのに」


 といいつつ、白暘は顔を外した。

 表情を全て削ぎ落とした顔を見て、翔鵬は満足げに口角を持ち上げた。かつて、無表情の白暘が気持ち悪いと、自分で命じたくせに。


「俺が瑞王だから、お前は従っているわけか?」

「別に。ただ行くあても、理由もないので」


 そして、淡々と事実を述べる。鴆を生け捕りにするため、登山したが鴆の奇襲を受けて意識を失っていたことを。その時、鴆の観察に訪れていた春燕に救われ、その手が処方した薬のおかげで生き永らえたことを——簡潔に、要点だけまとめて伝えると翔鵬は神妙な顔付きで唸った。


「……なるほど。鴆の研究をするとは酔狂な女だな」


 翔鵬は鼻で嘲るように笑うと、自らの膝を叩いた。女人のような柔らかな面差しながら、その動作は男らしい。


「よし、彼女にしようか」


 その先の言葉を察した白暘は無意識のうちに手に力を入れる。


「鳴春燕を我が妃とする」


 喜々として告げられた言葉に「彼女にとって僥倖ぎょうこうでしょう」と返しながらも内心、眉宇びうを曇らせた。普通の女性なら瑞王に見初められたと喜ぶだろうが春燕はきっと違う反応を見せるだろう。


「では、帰城次第すぐ準備に取り掛かります」


 白暘の脳裏では可愛らしい笑顔を浮かべているが、事情を把握できずに固まっている春燕の姿が浮かんでいた。

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