第12幕 卒業公演の段


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 文楽研修2年目の専科の一年も早く過ぎた。

 そして、昭和49年(1974年)3月15日。

 文楽研修生第1期生の卒業式を迎えた。

 十一名全員の卒業は、文楽協会としても、ほっとしていた。

 国立劇場で卒業式が行われた。

 舞台中央のホリゾント幕に日の丸の国旗が掲げてあった。

 その前に三段の赤い毛氈が敷かれたひな壇が設けられていた。

 一番前に卒業生十一名の内、十名が座っていた。

 それぞれ和楽器を持っていた。

 義太夫三味線専科の五名は、義太夫三味線。

 残りの五名の太夫、人形遣い専科の連中は、笛、鼓、太鼓、シンバルを持つ。

「只今より、昭和四八年度 国立文楽研修生卒業式を行います。

 国旗掲揚します。

 ご来賓の皆様は、脱帽の上、ご起立願います。

 国歌独唱は、太夫志望船田友吉君」

「はい」

 上手から船田が出て来た。

「いつも声が小さい船田」が抜擢された。

 国歌を和楽器演奏、船田が独唱。

 一連の式典の考案は、正樹と上条の二人のアイデアだった。

 この提案に対して、最初事務局は否定的だった。

 しかし、

「こりゃあ、面白いな。やってみいや」

 と梅太夫の一声であっさり決まった。

 声の小さい船田は、

「ぼ、ぼ、僕なんか無理です」

 と尻込みしていた。

「君は出来る!」

 正樹は力強く押す。

「君は50年後も文楽の世界にいてるから!」

 と口を滑らせた。

「また正樹の予言者ごっこ始まった」

 船田はそう云った。

「はい!僕50年先まで未来が覗けるんです!」

「こいつの予言は当たる!」

 梅太夫も味方してくれた。

 船田の独唱は上手くいった。

 和楽器、特に義太夫三味線メーンの作曲は正樹がやった。

 もちろん、国立劇場始まって以来であった。

 最後のフレーズで、日の丸の旗の左横から何やらが顔を出した。

「猫?」

 場内からどよめきが起こる。

 猫は白かったので、最初わからなかった。

 しかし、下手から上手へ横切った。

 白地から赤字の丸の真ん中を横切った時にわかった。

 卒業生は客席見ているので異変に気づかぬ。

 客席で見ていた照子、秀美は、

「あっヒロコ!」と叫んだ。

 今日もバスケットに入れて持って来たが抜け出したのだ。

 このシーンは翌日のワイドショーで何度も流れた。

「国歌、君が代に、義太夫三味線がこんなにぴったり合うとは、目からうろこでした。さらに招き猫まで登場させるとは、お堅い文楽協会としては、粋な計らいですね」

 小川宏ショーの小川も絶賛した。


 後で、梅太夫も記者団に

「卒業式に招き猫。えらい縁起よろし」

 と一方的に応えていた。

 ご満悦だった。

 送辞は梅太夫が行った。

「十一名の諸君、おめでとう。諸君は二年前、この文楽の城を目指して旅が始まりました。

 そして今日、ようやく、文楽の城の前にたどり着きました。

 一人の落伍者もなく辿り着けた事は、誠に嬉しゅうございます。

 しかし、まだ誰も門の中には入ってません。

 二年前、私は(文楽の城)の荒廃が激しく、助けて下さいとお願いしました。

 明日から、十一名はいよいよ門の中に入ります。

 そこからさらに城までの道中はかなり厳しいものがあります。

 しかし、諸君のこの二年間の努力を振り返れば、必ず辿り着けると確信しております。

 そして必ずお城を修復して、輝かしい(文楽の城)にして下さい

 本日は、ご卒業本当におめでとうございます」

 入学式に比べると、マスコミの数は少なくなったが、それでも生中継するテレビ局もあった。

 上手袖から黒子に身を包んだ原田が、寄席演芸場で使われる「めくり」を持って来て置いた。

 一枚目をめくる。

「答辞・創作浄瑠璃文楽城周囲吠研修生」と書かれていた。

 原田が立ったまま口上述べた。

「東西とーーーーざーーーい!

 只今よりご覧いただく狂言名題。

 文楽研究生代表 坊屋正樹作

 創作浄瑠璃

(文楽城周囲吠(ぶんらくのしろのまわりでほえる)研修生(けんしゅうせい))

 出演 第一期文楽研修生十一名

 その内訳 太夫五名、三味線五名、人形一名)

 相務めさせて候 」


 原田が口上述べて上手に去る時、次のめくりをめくる。

 と同時に舞台上部から横長の白い看板が降りて来た。

 めくりと看板の両方には

「文楽にほえろ!」と書かれていた。

 客席がどっと沸いた。

 2年前からテレビで放映されている刑事ドラマ「太陽にほえろ!」をもじったものだったからだ。

 さらに義太夫三味線、鼓、笛で奏でる、大野克之バンド演奏のテーマ音楽を邦楽にアレンジしたものが聞こえ出す。

 この編曲も正樹が担当した。

 上手下手から三段のひな壇がゆっくりと出て来る。

 壇上には赤い毛氈が敷かれていた。

 さらに奥から一人板付きのひな壇が出て来る。

 それには正樹が座っていた。

 三つのひな壇が合体して、一つになり舞台前にせり出す。

 客席は歓声、笑いから拍手に切り替わった。


 創作浄瑠璃 文楽城周囲吠(ぶんらくのしろのまわりでほえる)研修生(みならいしゅうだん))

 ♬

 各々(おのおの)希望 たずさえて

 文楽の城      門叩く

 握り拳(こぶし)   熱き同士

 十一人の      ついたあだ名は

 イレブンPM    イレブンPM

 我が学び舎は    国立劇場

 朝日座に      大阪森ノ宮青少年会館   

 三峯神社の     遠足で

 出会った銅像    日本武尊(やまとたける)

 タケルもすがる   神の導き

 文楽の導きは    僕らの役目

 大阪の匂い     求めて中座

 藤川トンビ     執念の舞台

 舞台に賭ける    執念魂

 笑いの陰に     潜む鬼ぞな

 新宿くつ底で    己のくつ底

 突然垣間       見る未熟さ

 銀座ホコ天      集まる群衆

 まだ救いの手を    差し伸べる民

 故郷に錦       飾る顔

 はにかみ浮かぶ    成長か

 夏の広島       原子爆碑

 毎年捧げる     魂鎮魂歌

 師匠より聞きし   戦争の恐ろしさ

 永遠の平和を    祈念する

 伊予北条の     近松碑

 熱狂民の      支持燃える

 十字架島之内    若者集める

 竹之輔宅の     厳しき教え

 日比谷野音に    響く三味の音

 あっと云わせた   国会議事堂ライブ

 荘厳華麗な     赤坂離宮

 外国大使      夫人も唱和

 専科で別れても   目指す目標一つ

 二年の学び     ここに結実か

 しかしまだまだ   まだまだと

 己を奮い立たせて  今文楽の門前

 これから門叩いて  いざいざ出陣

 各々方へ      ぬかるな油断するな

 民の皆さん     これからも

 よろしくご指導   ご鞭撻のほど

 お願いいたします


 客席の拍手の渦は、台風と化した。

 国立劇場を大きく揺らした。

 客席の何人かが、もう泣き出していた。

「答辞。卒業生代表 坊屋正樹君」

 原田が呼ぶ。

 正樹が紋付袴の姿で壇上の前に進む。

「二年前、僕たち十一名は栄えある文楽研修生として、第一歩を踏み出しました」

 来賓席には照子も来ていた。

 三郎は、店番すると云って来なかった。

「僕たちにとって、初年度の様々な授業は、本当に目にするもの全てが新しく、ためになりました」

 正樹は、答辞を読み上げながら、この二年間を振り返っていた。

 大阪城公園での青磁との対決。

 道頓堀中座、富士屋、島之内教会ライブ。

 東京では、新宿「くつ底」、銀座ホコ天、日比谷野音、国会議事堂、赤坂迎賓館でのライブ等、考えられない展開、怒涛の二年間だった。

 正樹個人としては、広島「三瀧荘」凱旋公演、広島原爆慰霊碑前での供養の創作浄瑠璃があった。

「この二年間、国立劇場、大阪森の宮青少年センター、道頓堀朝日座で学んだ事を今度は実戦で使って行きたいと思います。

 これまで多くの事を教えてくれた先輩、師匠、先生方、そしてご家族の皆さん本当に有難うございました。

 近い将来、文楽の城を背負って立つ人間国宝がこの11名から出る事をここに固く誓います。

 昭和49年 3月15日。

 国立文楽研修生第1期生 代表 坊屋正樹 」


 割れるような拍手が続く。

 テレビカメラ、報道陣が正樹と梅太夫を追う。 

 正樹が、

「11名の中から人間国宝が出る」と宣言した瞬間、場内が大きくどよめき、揺れた。

 昨年人間国宝に認定されたばかりの矢澤竹之輔は苦笑いを浮かべた。


 卒業公演プログラム始まる。


 その1「二人三番叟」

 ひな壇中央に十一名の内、人形遣い志望の者一人除く十名が並んだ。

 正樹は義太夫三味線を弾きながら思った。

 五十年後、この中で文楽の城にいたのは、三名である事を。

 太夫二名、人形遣い一名が生き残る事を。


 この作品は「寿式三番叟」の翁と千歳の部分を省略したものである。

 景事の中では長編に属す。

 所要時間四十分もかかる。

 卒業公演なので、限られた時間があるので、今回は後半の三番叟の躍動的な踊りを主体にした「二人三番叟」となった。

 三番叟とは人間で、五穀豊穣、子孫繫栄などの意味を込めて踊る。

 おめでたい演目である。

 文楽では、開演十五分前から行われる「幕開き三番叟」と云うものがある。

 これはその日の舞台が無事に行われる意味合いである。

 通常人形は三人で行うが、これは首・右手の主遣いと足遣いと二人で行う。


 その2 「壺阪観音霊言記沢一内より山の段」

 太夫  船田友吉

 三味線 坊屋正樹


 物語。

 お里は、夫の沢一の盲目を直すために壺阪寺に願掛けの夜参りをしていた。

 しかし、満願の日、沢一はこれ以上迷惑をかけてはならぬと、崖の上から飛び降りて自害してしまう。

 お里は、自害した沢一を発見して嘆き悲しむ。

 物語は、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。


 ♬

 ようよう涙の  顔を上げ 

 ああ悔やむまい 嘆くまい

 みな何事も   先の世の

 決まり事と   諦めて

 夫と死出の旅

    (鐘の音)

 急ぐ形見の   この杖を

 渡すはこの世を 去りて行く

 行く先導きは  たまえや南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 声もろとも   谷あいへ

 落ちてはかなき 身の最後

 貞女の施し   哀れなり

    (お里、身を投げる)

 

 お里も夜をはかなみ、沢一の後を追って谷底に身を投げる。


 語る船田と、義太夫三味線を弾く正樹を載せた文楽回しの台が、どんどん空中へ舞い上がる。

 客席からどよめきと拍手が同時に巻き起こる。

 舞台袖で見守っていた関係者は、度肝を抜かした。

 もちろん、そんな演出はしてない。

 梅太夫と竹之輔、青磁は別だった。

「正樹、またやらかしとる」

 梅太夫のつぶやきが三人の心内を現わしていた。

 お里の人形が谷底に身を投げる。

 と同時にストンと文楽回しも元の位置に戻った。

   (暗転)


 途中までは、船田も快調に語って唸っていた。

 しかし、突然語りが止まる。

 物語は、観音様が消えて、谷底に落ちて死んだはずの二人は生き返る、最大の山場である。

 間を埋めるために正樹は、二抜きの音を出す。

「ビョーン」

 正樹は船田の顔を見た。

 真っ青である。

 しかし船田は何も云わなくなった。

「はっ」

「いよっ」

 つなぎの掛け声をかけるが、船田は前を向いたまま完全に固まっていた。

 後で判明したのだが、船田は100㎏の巨体なのに極度の高所恐怖症だったのだ。

 自分が座っている文楽回しが浮遊したのだ。

 驚いて当然なのだ。

 最早この時点で、軽い虚脱状態だったのだ。

 客席がざわつき出す。

 しびれを切らして、正樹は床本見ずに続きを語り出した。

 文楽は「三業」つまり、太夫、三味線、人形遣いそれぞれが独立している。

 三者に上下はない。

 三味線奏者が、語りを行うのはなかった。

 客席も舞台袖もざわつきが大きくなった。

 緊張で、船田は意識が飛んでいたのだ。

 ついに正樹は、一人で義太夫三味線を弾きながら語り出す。

 床本は、船田の前にあるが、それを見ずに語る。

 昨年九月、東京国立劇場で、竹之輔が倒れて研修生の身分でこの同じ国立劇場に出たのだ。

 竹之輔師匠宅でも稽古をした。

 だから完全に語りは頭に入っていた。


 ♬

 はや晨朝(じんじょう)の 鐘の声

 四方に響きて 明け行く空 ほのぼの

 暗き谷間には 夢ともわかぬ 

 二人とも むこっと起きて

「いやあこなたは沢一さん。はっこちの人。お前の目があいているがな」


 物語では、盲目の沢一が観音様のお陰で、目があくようになった。

 それを喜ぶ妻のお里と沢一本人。

 正樹の隣りの船田は、脂汗をかいたまま、目を閉じたままである。

 上手袖から黒子に身を包んだ、上条と仙仁の二人が出て来て、船田を台から引きずり降ろして、袖に引き上げた。

 代わりに、二人の太夫志望者が台の上に座る。

 正樹は義太夫三味線を弾きながら、自分の座る位置をずらして二人の座る位置を確保していた。


 目が開いて初めて沢一はお里の姿を見る。


 沢一「え~~お前がわしの女房かえ~。これはしたり。いやっ初めてお目にかかります。ハハハ嬉しや嬉しや。それにつけても不思議な事」

 お里「お前の目は開く。こりゃあまあ夢ではないかと思う」

 沢一「こりゃあ観音様が直々にお呼びに下さりましてちがいはない」

        


 二人の研修生太夫は、本来一人で語る所を沢一、お里に分かれて語っていた。


 ♬

 ありがたやかたじけなや

 これよりすぐに お礼参りは浮き時の鐘

 初めて拝む日の光りは 母子たち帰ろ


 舞台、客席がどんどん明るくなる。

 奥のホリゾント幕が飛ぶ。

 客席に向かって強烈な光の束が降り注ぐ。

 今まで目が見えてなかった沢一にとって、日の出の光りは強烈なものとなって照らしたはずである。

 斬新な照明が、今回卒業公演で実現した。

 人形が着替えて踊り出す。

 ♬

 今日は嬉しや 杖を収めて

 おりしも朝の 日の目を拝んで

 お礼申すや  神や仏

 

 人形踊りに加えて、上からヒロコ猫が踊りながらゆっくりと降下して来た。

 踊りに参加していた。

 ヒロコ猫が乗っていたブリッジは通称「キャットウォーク」と呼ばれるものだ。

 本来照明、大道具係りが照明器具、大道具の背景画の仕事で使用する。

 キャットウォークに本物の猫が乗っていたのも、国立劇場始まって以来だ。

 この光景は、後日照明家協会の会報に掲載された。

 さらに一連の照明の明かりは、今年度の「日東バックステージ大賞」を受賞した。

 嬉しさ表現に沢一、お里の肩や頭の上に乗って二本足で立ち、猫踊りしていた。

 客席がおおいに盛り上がっていた。

 上手下手から同時にひな壇に座った卒業生が、義太夫三味線を始めとする和楽器演奏しながら出て来た。

 演奏音楽が変わる。

 元唄は、今流行の歌だった。

 上条恒彦&六文銭が歌う「出発(だびだち)の歌」だった。

 大ヒットした曲だった。

 有名作曲家中村八大が大変気に入り、アレンジを無償で提供した。

 卒業式に相応しい曲だった。

 これも義太夫三味線、鼓、笛参加の邦楽に編曲したのも正樹だった。

 最後の歌詞

 ♬「銀河の向こうへ飛んで行け」を

 ♬「文楽の城へ飛んで行け」と変えていた。


 この部分は、文楽研修生卒業生11名全員で考えたものだった。

 舞台、客席の大天井から金色銀色の花吹雪がゆらゆらと風に煽られてゆっくりと舞い降りる。

 さらに色鮮やかな葉っぱの形をした散華が降り注ぐ。

 客席の皆が、その小さな正方形の花吹雪と散華を手で掴む。

 散華一枚、一枚に文字が書いてあった。


「有難うございました」

「僕たち1期生は、文楽の門たどり着けました」

「これからも長きご支援お願いいたします」

「ご両親さま。二年間ご支援有難うございました」


 そして11名の名前が書かれたものもあった。


 沢一の杖を見ながら思った事がある。

 それは、梅太夫の楽屋にある杖だった。

 原爆投下で下敷きになった梅太夫は、三郎によってこの杖で助け出されたのだ。


 正樹を始めとする義太夫三味線奏者五名は卒業後、暫くは文楽の世界で働いたが、結局全員やめていた。

 義太夫三味線志望者は全滅するのだ。

 上条は、父親の会社を継ぎ、「上条酒造」を成長させた。

 日本人が、日本酒をあまり飲まなくなり、日本酒業界全体が聞きに瀕している時、上条は、

「日本酒やめようかな?」キャンペーンを大手広告代理店電報堂と組んで大々的に繰り広げた。

 その時、紋付袴姿の正樹を東京タワー、富士山頂上、大阪太陽の塔頂上での創作浄瑠璃を義太夫三味線で演奏するCMを流す。


「この男、文楽やめました。日本酒もやめますか?」


 のキャッチフレーズ、ナレーションが流れる。

 続いて、


「日本酒はやめません」


 正樹はにっこりとほほ笑んでつぶやく。

 義太夫三味線の胴の形をしたとっくりとバチの形をした盃が、映し出される。

 セカンドバージョンでは、銀座ホコ天の過去の映像も入れていた。

 ワイドショーで何度も取り上げられた。

 素人器用で世間の目をあっと云わせた。

 劇的な市場回復だった。

 正樹の美味しそうに飲む日本酒銘柄はもちろん「銀正」だった。

 本当は、正樹は一滴も酒は呑めないのである。

 当時、文楽をやめて無職の正樹を全国キャンペーンに担ぎ出したのも上条だった。

 持つべきものは友。

 芸は身を助ける。

 これを実践した正樹だった。


 舞台に出ていた正樹は、勤めを終えるとすぐに船田の元に駆け付けた。

「起きろ!船田!」

 正樹はそう云うと、トンビからもらった笛を吹いた。

「ピー!ピー!」

 少し擦れた音だった。

 船田が目を開ける。

 額の汗も引いた。

「その笛は何だ」

 上条が聞いた。

「人をあの世から連れ戻す笛です」

「しかしそれにしても、君は色々な魔法を持ってるねえ」

 呆れた顔を上条は作った。

「有難う正樹くん」

「君はここでは死なない。何しろ君は僕と違って文楽世界で最後まで生き残る人だから」

「予言かあ」

「いいえ真実です」

 船田はにやりとして、黙って正樹の手を握った。


 会議室で11名と師匠、頭取原田を加えた人達による記念撮影が行われた。

 照子は、一瞬正樹と会った。

 原田が二人の記念撮影を撮ってくれた。

「今日はどうするん」 

「青山墓地に行こうと思う」

 上条光蔵の葬儀には参加出来なかったからだ。

 照子が手招きして、正樹を会議室から廊下に連れ出した。

「何ね?」

「お父さん、探偵稼業じゃ云うて、うちとあんたの秘密暴いて。余計な事して。ごめんな」

「余計な事じゃないよ」

「あんた、怒ってるでしょう」

「いいや、怒っとらん。それよりお母ちゃん、どこで上条社長と出会ったの」

「もちろん、あのお守りの京都嵐山の松尾大社じゃ」

「何してそこへ」

「あの神社は、酒の神様祀る所。うちのお店もお酒出すでしょう。だから。上条社長は、組合の大祭で来とった」

「向こうから声かけて来たの」

「いいや。うちから」

「逆ナンパ。ウヒッ」

 照子は顔をほころばせた。

 そしてハンドバックから白黒の写真を見せた。

「これ見てみんしゃい」

 写真は白黒で二人が腕組んでた。

 三郎が正樹の実父の真相を探ろうとした事も、ひっくるめて全て前世から決まっていたように感じた。

 「壺阪観音霊言記」でお里が、沢一の杖を握りしめて崖の下に飛び込もうとする場面でつぶやく場面がある。


 お里「悔やむまい、嘆くまい。みな何事も先の世の定まり事」


 今回の卒業公演を通じて、正樹はこの世の出来事は前もってすでに決まっている事と痛感した。


 人生台本通り


 すっとこの惹句が正樹のこころの底にへばりついた。

 それは終生剝がれなかった。

「正樹、この二年でえろう変わったねえ」

 じっと正樹を見つめて照子は云った。

「どう変わった?」

「何か大人になった」

「大人?そらあ六六歳の大人です」

「六六歳?」

 照子は怪訝な表情をした。

「あっ違う」

 つい、本当の事を云ってしまい、しまったと思った。

「じゃなくて、人生台本通り」

「へえそうなの。あんたのこれからの人生台本見てみたいなあ」

「どこ見てみたいの」

「もちろん、あんたが、文楽界で(人間国宝)受賞する所じゃよ」

「あれ、母さん真に受けたの」

「私も本気。本気じゃよ」

(人間国宝なんて、取れない)

(僕は二三歳で文楽の城を出る)

 一瞬、そのフレーズが正樹の口に出ようとした。

 しかし、ぐっとこらえて呑み込んだ。

 一回目の人生の末路を正直に照子に語るのはやめた。

「あんたが、人間国宝取るまで、母さん待ってるからね」

 今までこらえていた涙の渦が、ぐっと噴出した。

 照子の決意の固さに驚く正樹だった。

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