第56話「エピローグ」
ビスマルク追撃戦―――、あるいはビスマルク最期の戦いと呼ばれるこの戦いは第二次世界大戦の大西洋の戦いにおいて転換期となった。英国にとってこの大型で高速で限りなく堅牢かつ火力のある戦艦『ビスマルク』は、大西洋に出現すればたちまち取り返しのつかない災厄として暴れまわるに違いなかった。
臣民が心より愛するパブから酒が消え、配給制が始まり毎日の紅茶にありつくのもやっとという英国は、たしかに陸より見れば立派だが、海より見れば遥かに衰弱していたと分かる。イタリア海軍とドイツ空軍の脅威がある地中海経由で、いったい誰がインドからの物資を鈍足の貨物船で運んでくれるだろうか? 世界の半分以上の民間の船員たちが海上保険と己の船に命を預け、大英帝国という偉大な歴史的国家を支えてくれていたことを、忘れてはならないだろう。
―――そして、戦艦『エジンコート』は彼ら、彼女らを守る術を行使し、大きな出血を強いられながら新しい時代の洗礼を乗り越えたのだ。
補助海軍としての臣民海軍のとある戦艦が、ナチス・ドイツの強大な戦艦を相手に死に物狂いで戦ったということは、今や数ある戦いの中の一側面としてしか知られていない。同時に臣民海軍という張り子の虎がどのようにして英国に奉仕したかという事実もまた、その与えられた任務の影の薄さも相まって、ほとんど忘れさられ見向きもされていない。
第二次世界大戦、1939年から1941年の短い期間だけを切り取っても、これだけ彼ら、そして彼女らが成した事実はあっても、当事者たちを除いてそれを記憶する者たちは限りなく少ないのだ。彼女たちの戦いは、今や
―――やがて戦いが終わり、冷たい戦争と呼ばれる時代が来ると、戦艦はその役目を終えた。生き永らえていた鋼鉄の強大で荘厳な淑女たちこそは、一つの時代の始まりと終わりを共にした。彼女たちは国家に仕え、忠誠を示し、その一つの時代とついに添い遂げた。
それは決してさわやかな朝とは言えない、戦艦『エジンコート』にとっては馴染みある英国風味のどんよりとした曇天の朝だった。戦艦『エジンコート』は係留地から離れた、解体ドックへ向かうためだ。あらゆる期待を受けて建造され、そんな期待とは無縁の鬼子のような扱いを受け、なお臣民らに奉仕した彼女の、最後の航海。
わずか数週間前に同じ老いぼれの戦艦『ウォースパイト』が、ポセイドンの加護を受けて独りでに解体業者から逃れてプロシア入り江にふんぞり返って座礁するという大立ち回りを見せていた。
マーガレット・ボラン大佐はあの不機嫌そうないつもの表情で、
「プロシアなどと名付けるから、奴は勘違いして攻撃に向かったに違いない。英国臣民しかいなかったから、へそを曲げて座礁したのだ」
と言ったと記録されている。私もそれには同感だ。
戦艦『エジンコート』は古い馴染みの
なんのお祭り騒ぎもなく、彼女を見送る小さな船たちや人もなく、細長い船体はするするとシルクのシーツを切り裂くように海を切り開いていった。生まれてから数十年も英国に仕えた痩せぎすの老女が、穏やかな最期の航海を楽しんでいるようだった。
戦艦『エジンコート』を知っている者なら、彼女が本来は十四門もの主砲を備えた異形の艦だったと知っているだろう。けれども今ここにいる彼女は、もう主砲もあの持病持ちの主機もすべてはぎ取られて、ダインコートの手がけた優雅な船体にも穴や錆が浮いていた。彼女が健気に祖国へ奉仕した過去の数々の働きも知らぬ、タグボートの船主にとっては、よくあるただの一隻の廃船に過ぎないのだ。
やがて、ようやく曇天に切れ目がさして太陽の輝きが梯子のように戦艦『エジンコート』を照らし出す。九一名、イーファ・オドンネル中佐たちの墓標となった水曜日砲塔は分厚い蓋で封印され、その蓋にはボフォース四〇ミリ対空砲の砲座の跡が残っている。無愛想な塔型艦橋は補修パッチがはぎ取られて無数の穴が空きっぱなしになっていて、中腹にはかつて戦艦『ビスマルク』から受けた古傷が刻み込まれていた。
最後の航海は順調で、一番タグも二番タグも突然の晴れ間に驚きながらも、何事もなく巨大な廃船を曳いていった。しかしそこで突如として、一陣の風がびゅうっと吹き、同時に腹の底まで震えるような、恐ろしく大きな汽笛が鳴り響いた。
一番タグも二番タグの船長もびくっとして窓の外をじっと見渡したが、そこにはなんの船影もなくただ穏やかな海が広がっていた。汽笛はすぐ後ろから聞こえたようだったと、一番タグも二番タグの船長たちは、まるで妖精に騙されたような気分だと、そう語った。そこにあるのは、武器も鎧も失った、ただの巨大な
穏やかで淑やかに、数々の古傷を暴かれ身軽になった戦艦『エジンコート』は、そうして最後の航海を終えて解体された。解体中に何層もの塗料を剥がしていると、数十年前の誰かの落書きが出てきたと言われている。
―――
それが彼女が自分で出した、最初で最後の号令だったのだろう。
―――――――――
艦長であったマリア・ヴィクスは終戦まで臣民海軍本部幕僚長参謀として勤務し、参謀長としてヴィンセント中将と臣民海軍を支え、一九四六年に少将で退役した。
退役後はカンタベリーに住み、戦艦『エジンコート』の壮行会に養子であるエマ・ヴィクスと共に何度か顔を見せていたが、一九五四年九月五日、病院で五七歳の誕生日を迎えて二日後に亡くなった。
最後の言葉は、「幸せだ」という一言だった。
マリア・ヴィクスを支えたニーナ・マクミランは、ノーフォーク海軍造船所で修理を終えた後の戦艦『エジンコート』艦長として任についた。戦艦『エジンコート』は再建された東洋艦隊に配属されたが、日本艦隊との交戦はなく、マダガスカルのディエゴ・スアレス攻略、アイアンクラッド作戦に参加したにとどまっている。
一九四三年六月にはまたもや機関の修理とレーダーの追加を強いられ、本国艦隊に帰還し、修理完了後に北岬沖海戦に参加し巡洋戦艦『シャルンホルスト』に命中弾を与えた。
一九四四年にはノルマンディー上陸作戦に参加、ゴールド・ビーチを担当し部隊で唯一の戦艦として猛威を振るった。艦砲射撃中に行われた魚雷攻撃や急降下爆撃により損傷を受けつつも任務を続行するが、陸上砲台からの砲撃を受け、艦橋要員の六名が戦死、ニーナ・マクミラン大佐もその中にいた。被弾後、少なくとも十五分か二〇分ほどは意識があり、血塗れの状態で指揮を執り続けていた。
最終階級は少将、遺言により彼女の遺体は火葬され故郷フォークストンの沖で散骨された。
砲術長のマーガレット・ボランは一度戦艦『エジンコート』を離れ中佐に昇進したが、後任がノーフォークで殺人事件を起こし逮捕されたため、ニーナ・マクミランと共に戻り再び砲術長として戦った。
ノルマンディー上陸作戦での功績とニーナ・マクミラン艦長の戦死に伴い、大佐に昇進し戦艦『エジンコート』の艦長として対日戦に参加。艦砲射撃任務に従事した。
過激な反共主義者として一九六二年に軍から事実上の退役勧告を受け、退役。フェミニスト運動や同性愛差別撤廃運動などに参加し数々の物議を醸しだしながらも、二〇〇四年に九六歳で亡くなった。
シルヴィア・ローレンスは戦後に退役し、民間人としてロンドンの戦後復興を支えた。マーガレット・ボランとの付き合いは戦後も続いたが、シルヴィアが結婚後は一時期疎遠となっていたようである。本書はシルヴィア・ローレンスがマリア・ヴィクス死後、マーガレット・ボランの助けを得て資料をかき集めてつづったものを編集したものである。
資料がなかったものに関しては、老齢の当事者たちからのインタビューや推測で補われている。
臣民のエジンコート 狛犬えるす @Komainu1911
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