第31話「解散と帰港」

 最終的に生き残ったと言うべき捕虜の数は、戦艦『エジンコート』では28名であった。3名が重度の火傷で死に、1名が昏睡状態から回復することなく死に、片言の英語でコミュニケーションを取りつつ、他の水兵たち懸命に介護していた1名が戦闘中に受けた脳挫傷が原因で昏睡に陥り、しばらくして死んだ。名前も知らないそのドイツ人の死で、何名かの水兵たちが取り乱して動けなくなり、それに目ざとく気づいた軍医のアガサ大尉の怒声や張り手を受けてどうにか平常心を取り戻すことができた。

 スループ『キングフィッシャー』では移送が間に合わず5名が死に、6名が残った。仮装巡洋艦『ヘイリング』では1名が「万歳ハイル!!」とかの総統に忠誠を宣言するかのように叫び、静止を振り切ってあの『ヘイリング』の高い舷側から海に飛び降りて行方不明になった。合計で、60名がなんとか生き残った。

 彼らの移送が行われたのはベルギー陥落の報告を受け、第11 1/2任務部隊がハンターキラー任務から解かれた5月28日であった。部隊はアイスランド・フェロー諸島間から撤退し、フェロー諸島近海で捕虜の移送を行った。同時に仮装巡洋艦『ヘイリング』からスループ『キングフィッシャー』へ燃料補給が行われ、彼女たちは上層部からの命令により一足先にダンケルクへ向かった。

 5月末、第11 1/2任務部隊はスカパ・フローへ帰投した。青黒い海と陰鬱で面白みのない色彩がそこには広がっており、その中の一員となるべく戦艦『エジンコート』と仮装巡洋艦『ヘイリング』はタグボートに先導されている。潜水艦『L71』は補給のためチャタムへ向かい、その後に地中海方面へ、そしてあの激戦地であるマルタ島潜水艦部隊に派遣されることが決定されたため、ここにはいなかった。


「……艦長、さきほど連絡が入りました。臣民海軍艦艇はほぼすべて欧州撤退――ダイナモ作戦に投入されており、仮装巡洋艦『ヘイリング』も捕虜の陸揚げが終了し燃料を補給し次第、可及的速やかに任務地へ向かうよう命令が下りました。第11 1/2任務部隊は解散し、戦艦『エジンコート』は待機されたし、とのことでした」

「そうか。連絡ありがとう、マクミラン少佐。それと珈琲も」

「はい、艦長。―――捕虜との接触で、情が移らなければいいんですが」


 タグボートに先導される戦艦『エジンコート』の艦橋で、マクミランは珈琲を啜るヴィクスに対して静かに言った。

 戦闘経験を積み、潤滑油を注がれた機械のように動き始めていた水兵たちだが、マクミランの言うとおり、彼女たちがその手で助け、その腕に抱き、命を救い出した捕虜たちとの触れ合いでなにかしらの情が移ってしまう可能性もある。出来うる限り水兵たちと接触させないようにはしてきたが、それでも彼女たちは彼らの姿を見た。打ちのめされ助けを請う、あの姿を。

 それは脳挫傷で昏睡しそのまま死んだドイツ水兵が、片言ながら英語を喋れたということもあって、彼が懸命に仲間を元気づけたり、毛布や珈琲を皆に配る手伝いをしたりと、善良であるように見えたこともあって深刻だった。彼のようなドイツ人がすべてではないが、その存在を意識してしまうということは、躊躇いが生じるのに十分すぎる理由と言えた。

 しかし、海軍艦艇の良いところは誰かが躊躇うことがあっても、それによって戦艦『エジンコート』が機能不全に陥ることはないというところだ。躊躇いは是正され、この戦艦という組織は問題なく運行可能となるはずだった。


「情が移ったところで、どうにもできないということにすぐ気がつく。彼らは敵国の兵士であって、交戦中の敵兵だ。彼らの処遇を決めるのは、我々ではない。我々は、国王陛下の臣民サブジェクトであって、また我々には彼らの処遇を決定するだけの権利はない」

「それが我々の仕事でもありますからね。仕事以上の仕事をするのは、大抵悪い方向に転びます」

「仕事の範疇で最大限の尽力を期待してはいるが、それがそうできれば誰も苦労はしない。……マクミラン少佐、私は彼女たちがいかなる理由で私の命令を拒もうと、そこに理由などというものを述べて釈明をたれようが、命令違反として処理する立場にある」

「イエス・マム」

「この停泊が幾日続くかは分からないが、今のうちに下々に言い聞かせておいてくれ。我々はドイツと交戦中、すなわち戦争中であるということを」

「アイアイ・マム」


 返答しながら、マクミランはタグボートの船員から渡されたスコッツマン新聞を開いて、顔をしかめた。

 フランスの戦況は壊滅的だというのは噂には聞いていたし、ダンケルク撤退のダイナモ作戦の内容についてもある程度理解はしていたものの、こんな状況になることなど誰もが予想できなかった。

 数百万人が数年に渡って争いあった西ヨーロッパが、こんな短期間で陥落の危機に陥るなどとは。


「……我々、海軍が大昔からやって来たことを、今回もやるまでだよ、マクミラン少佐」


 珈琲を飲み、胸に溜め込んだなにかを吐き出すような息を吐いて、ヴィクスはスカパの空を見上げる。

 

ブリトンの民は決してBritons never決してnever 隷属することはなしshall be slaves.、だ」

「………歯がゆいものですね、我々には旧いが戦艦があるというのに、全力で押し潰しにかかれないとは」

「それが戦争というものなのだろう、少佐。歯がゆさに耐え忍び、体中から血を流して、最後の勝利を手にする。たとえ、後世なんといわれようと、我々は我々の国を守り、そのために攻撃する。それが軍人という仕事だろう、いつの時代も、いつの世も」

「そうでしたね」


 ヴィクスとマクミランはそうして、許される限りの時間、淡々と語り合った。

 良い天気でもなく、良いニュースすら入ってこない灰色の時間の中、その語らいは暖炉の炎のように緩く暖かであった。

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