第23話「艦内巡回」

 ヴィクスは程よく長い目で任務に当たろうと思っていたが、乗組員の中には初戦での昂揚を忘れられず、また華々しい初戦果をあげたいという欲望に抗えずにいる者もいると知っている。

 それは軍人として臣民海軍に入ったからには当然の欲求であり、戦争による犠牲者がどのような姿形になるのかということを未だに正しく理解できていないからだということもまた、ヴィクスは熟知していた。

 既に戦艦『エジンコート』は二名の戦死者を出し、内一名は先のノルウェーで敵弾が原因で死亡しているが、その死に様を見ていない者が大勢いるのだ。



「……今日でこの海域の捜索をし始めて、もうかれこれ四日になる。だが、未だに奴らは見つからない」



 ボラン少佐は昼食を終え、士官食堂のテーブルに残った士官たちを見渡しながら言った。

 戦艦『エジンコート』の士官室はその持ち主が変わるたびに大きな変革を強いられた部屋であり、未だにこの部屋の金属プレートを引っぺがすとポルトガル語やオスマン時代のトルコ語が見受けられ、工員がサボったのかいくつかの細かいところではトルコ語が書かれた場所にポルトガル語の金属プレートが重ねられ、さらにその上に英語の金属プレートを打ち付けてあることも多かった。

 内装は取り繕ってあるもののどこか物足りないもので、戦艦『エジンコート』が臣民海軍籍となってから歴代士官たちが自費で購入したものも多かったが、不燃物で士官たちの趣味にあったものというのはなかなか見つけられず、結局今にいたるまで士官室の内装は物足りなさを残している。

 とはいえ、戦艦『エジンコート』の士官食堂は、あの大艦隊グランドフリートの中でも、もっとも広かったのだ。それは今でも変わることはない。水密隔壁の数を削ってまでして士官食堂を広げたブラジル人の考えはよく分からないが。



「そもそも、我々の探している奴らが、本当に実在するものなのかも分からないが」



 彼女がそう言うと、砲術科の士官たちが小さく笑い声をあげ、まったくその通りだ、などと相槌を打ち始めた。

 ボラン少佐は強硬派で気難しい人物ではあるが、気難しいなりに一度親しみを持った人物は皆友人として扱う、一昔前の―――というよりも、スコットランドのハイランドが生産地のハイランダーそのものな性格をしている。一度知り合ってしまえばこれほど頼りになる女性はおらず、男顔負けの責任感と行動力は彼女が立派な大砲屋であり、立派な士官であるということを物語っている。

 だから自然と彼女の周りには、彼女の友人が集まり、この気難しい砲術士官を中心としたグループが出来上がるのだ。


 そのグループもつい最近、ポンポン砲を巡る憂鬱な技術的問題と一向に進展しない各々の中に存在する「戦争」というものへの苛立ちから、まるで議会に置ける急進派グループのような様相を呈してきていた。

 そのまとめ役であるボラン少佐は、その人柄とは打って変わって合理的な考え方をするため抑制は効くが、彼女の影響を受けた下々の士官や水兵たちは、ヴィクスや海兵隊が危険視する存在になり始めている。



「けれど、ドイツ海軍の潜水艦と補助巡洋艦が脅威であることに変わりはないでしょう。いなかろうがなんだろうが、こうして予防策を取るのはシーレーンの維持に必要なことかと思います」


 

 ボラン少佐に同調する士官たちの言葉を遮って言ったのは、海兵隊のライオネル・カーン大尉だ。

 しんと静まり返った中、一人ミルクティーを啜り、顔を顰めている。



「ミルクは先に入れてくれないと困るんだが……」


「シーレーン防衛と言ったか、カーン大尉?」


「ええ、言いましたが……結果は士官であれば、言わずもがな。皆、知っている通りでしょう」



 ボラン少佐が声を上げると、カーン大尉は肩を竦めながら周囲を見渡した。

 第一次大戦において英国グランドフリートとドイツ大洋艦隊の艦隊決戦がユトランド半島沖で起きたのは誰もが知っている。

 だが、時代が、技術の進歩が艦隊決戦を亡き者としてしまったことを知っているのは、極僅かだろう。


 軍縮条約で戦艦を含む軍艦の制限枠が作られた時、戦艦をより安価で大量生産できるもので倒せるよう、海軍の兵器は進歩してきた。

 潜水艦はより長く航海できるように、より安全になり、魚雷はより直進し安定した兵器になった。

 戦艦とは壁であり、それに立ち向かうドンキ・ホーテの如く、他の艦種の武装は進化し続けていたのだ。


 遥か東方の海軍国家である大日本帝国などはそれが極端に表われ、排水量に見合わぬ重武装艦を次々と就役させ列強に衝撃を与えた。

 水上艦艇相手の殴り合いならば、戦艦に勝るものはないが、艦隊決戦とは敵味方双方にその意思がなくてはならない。

 今戦争においてドイツ海軍は艦隊決戦を良しとせず、その主力は神出鬼没で港を出たかと思えば港にすぐ戻るという始末だ。



「長らく臣民海軍は対潜や機雷処理といった任務や訓練を行い、王室海軍の影となっていましたが、今やその地味な対潜や機雷処理が重要視されています。―――名目上はどうあれ、ですが」



 肩を竦めながらカップを置き、カーン大尉はボラン少佐を見た。

 砲術科の他士官たちがどう思っているかはカーン大尉にとっては瑣末な問題で、真の問題はこの言葉にボラン少佐がどう反応するかについてだった。

 海兵隊は艦内の治安維持にも務める。


 そのためには、危険分子がリーダーだと信じ込んでいるボラン少佐の意見を鑑みた方がよい。

 なぜなら、カーン大尉の知っているボラン少佐は、少なくともヴィクス大佐に反乱を起こすような人物ではない。

 提督アドミラルに対しての反乱なら、また話は違ってくるのだが。



「では、我らが乗艦である戦艦はどうすべきだというのだ、大尉?」


「それは海軍省アドミラリティが決めることでしょう。私は海兵隊員で方針は知っていても、展望を語るには些か知識に偏りがあるかと思います」


「謙遜は必要ない、大尉。そんな下らぬものは、進歩を著しく阻害するだけだ。――だが、シーレーン防衛が我々の責務であるというところは事実だ。島国である我らが連合王国ユナイテッド・キングダムは、古来より海軍大国であり海軍大国でなければならなかった。海運大国は海運を保持するための海軍を持たねばならない。それを忘れた時、あるいはそれを怠った時、その国は番犬も無しにただのうのうと草を頬張る肥えた羊に成り下がる」


「さながら、我々臣民海軍は尻尾無しボブテイルと言ったところですか」


「見方によってはそうかもしれん。後に王室海軍はガーディアン、我々はハーディアンと例えられるかもしれん。だが、今どうこう言ったところで、どうにかなるわけではあるまい」


「たしかに。ここに書記がいるなら別なんでしょうが」



 カーン大尉が言うと、ボラン少佐はくつくつと笑いながら言った。



「書記ならいるじゃないか。ここではなく、忌々しいモスクワにだがな?」



 なるほど、とカーン大尉は心のメモに書き留める。

 どうやらボラン少佐が生粋の反共主義者であることは、本当のことらしい。




―――



 戦艦『エジンコート』は燃料を食い、己が血潮としながら海原を行く。

 その傍らには、老朽コルベットの『キングフィッシャー』が寄り添い、また海面下には哨戒活動中の『L71』が息を潜めていた。補助巡洋艦の『ヘイリング』はよたよたと恰幅のある船体を揺らしながら、この奇妙な戦隊に追従していた。

 ちぐはぐな艦艇が寄り集まり、まるで寒さに凍えているかのように戦隊を組んでいるのには、無論理由がある。


 第一次大戦中において、ドイツ海軍は中立国商船に偽装した軍艦、補助巡洋艦を保有し、通商破壊を行っていた。

 フェリクス・フォン・ルックナー指揮下の帆船『ゼー・アドラー』などはその名が知られ、身分を偽装し商戦を襲撃するという海賊にも似た行為を行っていたにもかかわらず、ルックナー船長は騎士道を忘れずシーマンシップを示した。

 だが、1940年代に入り再び表われた補助巡洋艦は騎士道もなにもあったものではない。


 いったい何隻の商船が撃沈され、拿捕されただろうか。

 武装すら持たない商船はたった数門の砲を持つだけの老朽船にさえあっさりと沈められてしまうのである。

 そもそも、敵の制空権内、制海権内で活動することが前提となっているこれらのドイツ海軍補助巡洋艦は、巧みに偽装されており、見た目は軍艦には見えず、ましてやそれがドイツ海軍のものだと見分けるのは至難の業だ。


 救難信号を発信する船舶に接近したところ、その船舶が掲揚していた中立国のスウェーデン国旗を降ろし、ドイツ海軍旗を揚げながら十五cm砲を発砲してきたなどという噂はまだ手緩い方で、中には救命ボートに向けて機関銃掃射を加えただとか、あのジャガイモ砕きのような形の手榴弾で漂流者をダイナマイト漁よろしく爆発の衝撃波で死に至らしめたとか、出所不明の残虐行為は日に日に増えていた。

 それらドイツ海軍補助巡洋艦の大西洋への進出を阻止することが、巡洋戦艦『フッド』の後釜である戦艦『エジンコート』の、そして『キングフィッシャー』及び『L71』、そして『ヘイリング』の任務であった。





―――






 ヴィクスは寒さに首を竦めながら見張り員に返礼し、すぐに直れと言った。

 二重の防寒着を着込んですっかり着膨れた水兵たちは、歯をがちがち言わせながらそれに答え、ヴィクスから視線を外して再び海原を睨みつけ、しきりに双眼鏡を覗き込むようになる。

 比較的穏やかなフェロー諸島の寒さは剣呑な北海や北極海に比べればまだましだが、今日は雲が空を覆い、気温は一桁のまま上がる気配がない。動き回っているならまだしも、ずっと見張りとして留まっているとなればその寒さも身に染み渡る。


 哨戒任務を請け負ってから今日で四日目になるが、海原はただの海原であり、その上に浮かぶ異物の持ち主は今のところ連合王国しかおらず、ドイツの持ち物である補助巡洋艦やUボートはその姿どころか気配すら感じさせないでいた。

 そのためか、水兵たちの士気は下がり、不信感が募っている。

 まるで数ヶ月前の艦内のようだとカーン大尉は言っていた。


 水兵たちの軋轢や不信感、疑心暗鬼が増し、いずれは大きな問題となって艦の指揮系統を揺るがしかねないと。

 ヴィクスが艦内を巡回しているのは、そのためでもあった。

 歯車が歯車たる責務と義務を果たしているかを確認し、その働きを認めてやらなければならない。


 水兵たちはたしかに戦艦を動かす歯車ではあるが、歯車のように鉄色の肌を持つわけでもなく、無機物でもなく、血の通った人間であり、感情のある人物であるのだ。

 ゆっくりと歩きながら、ヴィクスは彼女たちの仕事を観察し、満足そうに頷いて空を見る。

 その空も完全に連合王国だけのものとなった訳ではない。


 戦前にルフトハンザ航空の旅客機として飛び回っていたFw200がドイツ空軍の長距離哨戒爆撃機として使用され、北海を飛び回り、爆弾を落としては灰色狼グレイウルフの群れを呼び寄せている。

 商船隊や海軍はこの四発のコンドルを疫病神として嫌い、恐れていた。

 奴は自ら手を下すこともあるが、真に恐ろしいのは狩りの術を備えた灰色の狼どもが音もなく忍び寄ってくることだ。


 コンドルは狼の食べ散らかした屍骸を貪り、それだけで腹を満たせる。忌々しいものだ。

 陸は未だフランスやベルギー、オランダが持ちこたえている。

 持ちこたえているというよりは、ただ単にドイツ軍が進撃を停止しているだけに過ぎないのかもしれないが。


 だが彼らは長大なマジノ要塞線に加え、三千両以上の戦車、一万を越す野砲を持っている。

 加えてイギリス海外派遣軍もフランスに駐留し、迎撃の準備を行っていた。空軍は戦力の分散を恐れていたが、結局あのチャーチルの猛弁には耐えられなかったように見える。

 いくつかの飛行隊が既にフランス領内にて活動を始めていた。


 せめて、先の大戦のようにはなってくれるなとヴィクスは思った。

 ヴィクスの父もまたあの大戦によって失われた父親たちの一人であり、総力戦によって流れた鮮血の中の一滴、数千万の犠牲の中の一人だった。

 海軍士官だった父は装甲巡洋艦『グッド・ホープ』に乗り込んでいて、1914年の11月のコロネル沖海戦でマクシミリアン・フォン・シュペー提督率いるドイツ東洋艦隊の装甲巡洋艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」を相手にし、敗北し、全乗員と共に戦死したのだ。ヴィクスは今でも、戦死の報を聞き、泣き崩れる母の姿が思い出せた。あの時、あの瞬間、ヴィクスは強くあらねばと決心したのだ。



「今日はやはり冷え込みます、艦長」


「……冬に比べれば、まだ良心的とも言えるがね。次の当直と交代したら、熱い珈琲を飲むといい。少しばかりのラムも許そう」


「ありがとうございます。それが許されるのなら身体も温まりますから」



 古馴染みの下士官に答えつつ、ヴィクスは微笑む。

 大昔から連合王国の海軍、商船はラムを船乗りたちに与えてきた。

 他海軍では軍艦内での飲酒はそもそも軍規に触れ、また配給制度すら存在しないところも多いが、連合王国はそうではない。


 あのネルソン提督の遺体を腐敗から防ぐためにラム酒漬けにしたのは有名なエピソードで、そのラム酒を船員が盗み飲みしたのもまた有名なエピソードだ。

 これにちなんで今では酒の盗み飲みを「提督と呑む」というのだが、配給量よりも酒を必要とする酔っ払いは大抵ボロを出すものだ。

 その者には海軍が然るべき酒量ではなく、酒の酩酊から最も遠い刑罰を与えるだろう。


 少し歩いてヴィクスは戦艦『エジンコート』の艦橋から後方を見る。

 横幅のない細長い船体に、これでもかと集約された主砲群と対空火器、そして不細工なレーダーアンテナなどが起立し、煙突からは轟々とされど穏やかに煙が立ち上る。

 その遥か後方には真白き航跡が足跡のように長く続き、その向こうには延々と地平線まで続く海原が広がっていた。


 戦艦ほど巨大な移動する海上構造物はないだろうが、それでもこの広大な海原は戦艦などが何十隻いても埋まらぬ広さを持ち、船乗りたちの心と身体を束縛し、時には死に追いやってきた。

 母なる海、とはよく言うものだが、その母は死の間際も我々を優しく包み込んでくれるのだろうかと、ヴィクスは思う。

 この度の戦争がどれほど続くのか、どれだけ人が死ぬのか、そしてどれだけの知識人がそれを批難し、兵士たちの犠牲を露知らず惰性でのうのうと生き続けるのか。


 そんなことは検討も着かないが、ヴィクスにとってこれは最初で最後の戦争だ。

 艦橋の対空監視所から離れつつ、ヴィクスはコートについた露を叩き落しながら、静かに現実を受け止める。

 この戦争は我が身を貪り、我が身はそれに耐えられないだろう。


 平和の時のために戦うが、その平和の時を満足に過ごす間もなく、我が身は没すだろう、と。もしそうでなかったとして、残された時間はわずかに違いない。

 戦いから目を背けたところで平和の時は訪れず、戦い続けたところで我が身は平和を享受できない。

 どちらにせよ、古くある諺どおりとなる。


「我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死ぬ……か」



 自嘲気味に笑みを浮かべながら、ヴィクスは艦内へ戻り、体の節々に感じる痛みを無視しながら、巡回を続けた。

 まだまだ手のかかる娘たちが、この船にはたっぷりと乗り込んでいるのだ。

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