第22話「ハンターキラー」

五月三日

イギリス フェロー諸島近海

旗艦『エジンコート』臣民海軍第11 1/2任務部隊




 酷いものだ、とヴィクスは仮眠室のベッドから腰をあげながら思った。  

 フェロー諸島は元々デンマークの自治領だったが先月イギリス軍占領した。

 この〝ヴァレンタイン作戦〟はドイツのノルウェー侵攻に伴い、戦略的重要位置にあるフェロー諸島を先んじて抑えることが目的だった。

 この作戦に海軍からはH型駆逐艦『ハヴァント』及び『ヘスペルス』にケント級重巡洋艦『サフォーク』が参加し、それぞれがフェロー諸島のトースハウン港に入り、二百五十名のイギリス海兵隊が上陸した。


 そのあとは政治的駆け引きが続いたが、概ね何事もなく、フェロー諸島は現在イギリスの占領下にあった。

 その近海――イギリスの目の上のたんこぶといった海域は、北海と比べればまだマシだが暖かくはない。

 まだ五月だが気温は最高でも十度を下回っている。


 だがこれでも、メキシコ湾流――ガルフストリームのお陰でフェロー諸島近くはまだ暖かいほうだ。

 問題はガルフストリームの上から出たところにある。

 寒さと風、そして波だ。


  

「……冬の北海に比べれば、まだマシだが」



 呟きながら、ヴィクスは服装を整え、仮眠室の扉を開き、ブリッジへと向かう。

 問題といえば対空艤装の問題もある。エリコン機関砲の到着目処がたたず、結局戦艦『エジンコート』の対空艤装はまだあの四連装ポンポン砲になっていた。

 ネルソン級戦艦用の予備が倉庫にあったため、それを突貫工事で取りつけたのだ。


 稼働率はもちろん悪く、さらにいえば倉庫から出してなにもせずそのまま取りつけたため、機関部にたっぷりとグリースが塗りたくられており、それに気づいた水兵が出港後に慌てて分解整備をし始めたという有様だ。

 航行中に実射訓練をしてみたものの、ボラン少佐の警告通り頻繁に弾詰まりを起こし、射撃訓練をやっているのか危険物取り扱い訓練をやっているのか分からないと砲術科が愚痴を漏らすほどで、実際対空兵器としてどれほどの効果があるのか疑念が広まっただけだった。

 同行していたスループ『キングフィッシャー』が標的を曳航していたのだが、あまりに故障時間が長いため標的をさっさと回収したい旨を発光信号で送ってよこしさえした。仕舞いには、



『補正にかかる時間、幾時間なりや?』


 

 と皮肉ったような信号さえ送ってきた。

 提督を乗せた旗艦である戦艦『エジンコート』に向け、そんな信号がよく打てたものだと冷や汗混じりに思ったのをヴィクスはしっかりと覚えている。

 上官を前にしての失態には慣れていたが、だからといって平静でいられるわけでもない。


 とはいえ、問題はヴィクスの面目が潰れることではなく、ボラン少佐が怒り心頭であることの方だ。

 ただでさえ強硬派筆頭のボラン少佐が激怒しているので、砲術科だけでなく士官までもが動揺し、それに引っ張られるようにして上層部への不平不満を漏らし始めている。

 航海科や機関科はまだいいが、運用科と主計科の一部がそれに同期し始めているという噂もあり、座上海兵隊などは目の色を変えて警戒し始めた。

 海兵隊の指揮官であるカーン大尉などは何時もどおりに飄々と振舞ってはいるが、あれでいて相当の切れ者なのだから始末が悪い。



「まったく、家長も辛いものだな」



 溜息混じりにそう呟きながら、ヴィクスはブリッジへと上がる。



―――




 誰もがドイツ海軍の潜水艦と魚雷に脅えていることをヴィクスは知っていた。

 艦長席に座りながらブリッジを見渡し、士官たちの様子を伺いながら、ヴィクスは横目でハワード少将を見遣り、その碧眼がじっと海原を見つめているのを確認してから、提督もあの欠陥をご存知なのだろうか、と思った。

 戦艦『エジンコート』の改装計画で問題とされたのが、水密区画だった。


 英国海軍規格にのっとっていないばかりか、細分化されていないこれらの区画は水線下への攻撃を受けた際、極めて甚大な傾斜をもたらすだろうということが容易に想像できるものだった。

 水密区画を弄ることは即ち工期の延長、改装計画の更なる巨大化を招くため、戦艦『エジンコート』に添付されたのは水密区画代わりのバルジが装着され、これにフランス式の水線下防御方式を限定的に使用したのだ。

 つまりは、それまで燃料か水を充填していたバルジに、ケーソンやエボナイトを充填したのである。


 とはいえ、船体そのものの構造は第一次世界大戦の頃から殆ど代わりがなく、付け焼刃同然のフランス式水線下防御方式こそ戦艦『エジンコート』がドイツ海軍潜水艦から身を守る、ほとんど唯一の盾となっていた。

 それをハワード少将はご存知なのだろうかと、ヴィクスは海原を見つめながら再び思う。

 物質的に考えれば、潜水艦は戦艦からして見るとまさに小人といった大きさしかないが、その手には巨人殺しの投石器を握っている。


 魚雷と呼ばれるその投石器は、ゴリアテの額を割り、死に至らしめるほどの威力があるのだ。

 第一次世界大戦時、英国海軍はその恐ろしさをダーダネルス海峡で嫌と言うほど思い知った。

 戦艦『トライアンフ』と『マジェスティック』はそのために沈んだ。


 あの大戦からもう二十年も経っているというのに、英国の海軍はまたしてもドイツの潜水艦を恐れている。

 水面下で深く静かに息を殺している盲目の狼が、牙を研ぎ、時を待ち、ひたひたと近づき、石を放つ。

 ゴリアテは何に殺されたかも知らずに身を大地に沈めるだろう。

 今の戦艦『エジンコート』は、オンボロのスループ、キングフィッシャーだけが頼りの綱だ。



「L71は長いことかかるな、艦長」



 波に揺られるスループ『キングフィッシャー』を眺めていたヴィクスに、ハワード少将は言う。

 なんら驚きもなく、ヴィクスは相槌を打って答えた。



「はい、提督。潜水艦は遅いものですから、しかたないでしょう。潜水中は波の影響を受けないといっても、彼女は水面下でどれだけ足掻いてもたったの十ノットしか出ないのです。海面に出れば丸太船で、頼みのディーゼルエンジンがあっても海原には勝てません」


「急いでも十ノットか。この『エジンコート』の最大速力の半分だな。なるほど、それなら仕方あるまいな」



 知らぬことでもなかろうに、と胸中呟きながら、ヴィクスは合流地点と時刻を書き写したメモに目を向け、海原を見る。

 合流地点の合流予定時刻に到着したというのに、潜水艦『L71』は見当たらない。

 いったいどうしたのだろうかとヴィクスは訝り、ポットから珈琲を注いでゆっくりと飲み干した。

 その瞬間、先行するスループ『キングフィッシャー』が急に足並みを乱し、減速した。

 ヴィクスやハワードが激昂するよりも早く、スループ『キングフィッシャー』は発光信号で友軍の存在を彼女らに知らせた。



『L71は我が艦隊右舷百七十メートル、水深十メートル』



 信号員がそれを読み上げるよりも早く、ヴィクスは思わず額に手をあてて呟いた。



「……狂犬め。なにをやってるんだ」



 今か今かと首を長くしている戦隊旗艦に対して、雷撃深度から潜望鏡を伸ばしてどっかりと待っていたわけだ。海原をモーセのように引き裂いて、あの潜水艦の艦長を引きずり出すことが出来るのなら、ヴィクスは躊躇うことなく平手で叩いていただろう。

 第一、スループの『キングフィッシャー』も『キングフィッシャー』だ。必要十分なソナーを持っているにもかかわらず、そんな距離と位置にいる旧式のL級潜水艦一隻も探知できない体たらくだ。

 苛立ちが表情に出ないように努めながら、ヴィクスはL71の艦長、イライジャ・ヒースコートは笑っているに違いないと思った。こんなことをやらかす奴は、そういう性格をしているとヴィクスは良く知っている。胃が痛くなるほどに。

 

 

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