第4話「戦艦捜索海域」

メイン諸島沖

HMS『エジンコート』

十一月二十三日



 艦は、常に乗員総出で航行しているわけではない。

 数時間ごとに当直が交代し、当直外の人間はその時間に睡眠や食事、娯楽に浸る。

 総員戦闘配置が掛からない限り、乗員は四時間勤務の後に八時間の非番があり、八時間後には再び当直に戻る。三つの当直が組まれ、それが二十四時間六回繰り返されるのだ。


 十一月二十三日、十九時に出港した戦艦『エジンコート』は、メイン諸島沖を第二哨戒配置で航行中である。

 現在、二十四日早朝八時。艦の当直が入れ替わり、0400から0800までの『朝直』が終わり、朝直の当直は船室に下がった。

 代わりに、夜を眠って過ごした水兵や士官たちが配置につく。0800から1200までの当直である『午前直』である。


 『朝直』が当直交替した時もそうだったが、調理班は珈琲と紅茶をそれぞれ沸かし始める。それをポットに入れて各部署に届けるのだ。これが些細だが、重要な気配りである。

 調理班の最先任であるテレサ班長の計らいであり、これには各部署がありがたみを感じて、一部は神に祈るのと同様に、テレサに感謝した。季節は冬であり、防寒着を着ても内側は冷えて行く一方だったのだから。

 ポットから暖かい珈琲をコップに注ぎ、一口飲んだヴィクスは思わずため息を吐きそうになった。湯気が立ち上るほど暖かい珈琲は冷え切った身体を内側から暖め、その香りと苦みは寒さで鈍化した神経と思考を研ぎ澄ませてくれる。


 もう一杯飲もうとヴィクスはポットを手に取り、コップに再び注いだ。紅茶も飲みたかったが、それは陸に上がった時だけだとヴィクスは心に決めているので、紅茶には手を出さなかった。それが彼女なりの不可解なジンクスの一つなのである。

 戦艦『エジンコート』が北海の波に飲まれる―――とはいっても、船体が全体的に細長い巡洋戦艦のようなシルエットをしている戦艦『エジンコート』は、それほど深刻な縦揺れや横揺れに悩まされはしなかった。

 大波の場合のみ、艦は地面が傾ぐようにぐらりと揺れたが、小型艦に比べればそれさえ細やかなものである。



「艦長、当直将校、交替いたします」


「よろしい。ナイトウォーカー少佐、できるだけ休んでおくようにな」


「アイアイ・マム」



 休む、という言葉を艦橋で口にしたのは、ヴィクスだ。

 彼女はそれを金髪碧眼で典型的なロンドン娘の、任官仕立てであるナイトウォーカー少佐に告げてから、自分が酷く眠いことに気付いた。

 ヴィクスは出港から一度も座りもせず、艦橋で従卒に持ってこさせた珈琲を飲み、キャベツとトマトとベーコンの入ったサンドウィッチを食べ、茹で卵を味わい、トイレに行き、また艦橋に戻るを繰り返している。


 四時間程仮眠した方が良いのだろうか、とヴィクスは思った。立ちっぱなしで両足は棒のようになっており、筋肉も過緊張で疲労している。意気込みは良かったが、気負い過ぎたと言うのが、ヴィクスの判断だ。

 今さっき珈琲を飲んだせいか、鈍っていた身体の感覚が戻ってきて気付かなかった身体の不調が一斉に降り掛かって来たかのようで、正直に言えば酷く具合が悪い。

 カフェインの覚醒効果のせいで大事な睡眠が妨げられなければいいが、と彼女は不安になりつつも、艦橋に登ってきた当直交替の報告を聞いた。



「当直交替いたしました。針路二四○度、前進原速十ノット。艦内哨戒第二配備、実行未遂の命令なし」


「当直は誰だ?」


「ニーナ・マクミランであります」


「よろしい。では、マクミラン中佐。私は仮眠を取ることにする。何か起きたら、すぐに叩き起こしてくれ」


「アイアイ・マム。ご自愛下さい、艦長」



 潮風のせいで枯草のようになっている茶髪に、沈静な灰色の目を持つ最先任士官マクミランが敬礼し、ヴィクスが答礼する。

 艦長が不眠不休で指揮をとり続けるというのは、別段珍しいことではない。だが艦長とて人間であり、忘我の精神を持つヴィクスもまた人間だ。

疲労は思考力を歪め、判断力を鈍らせる。

 ヴィクスは胃の痛みを覚えながらも、痩せ細った身体を精一杯威厳で張り詰めさせて、ラッタルを降りて行った。


―――


 ヴィクスがラッタルを一段一段、ゆっくりと降りて行くのを背中に、マクミラン少佐は当直の一等航海士と海図台を見ながら、ちょっとした議論を始めた。

 曰く、ドイツ海軍ポケット戦艦は、何処にあるか、という在り来たりな議論である。

 仮装巡洋艦『ラワルピンディ』を撃沈したのは、おそらくポケット戦艦だと彼らと彼女らは確信していた。



「恐らく、我が英国海軍を撹乱する為に、一度か二度円軌道を取り、意図的に帰港を遅らせるかと思います。冬の北海では足並みが緩慢になりますので、この遅延で推定位置の割り出しは困難になるかと」



 一等航海士のリチャード・スヴェンソンが、北大西洋の辺りをぐるぐると指で示しながら、マクミランに言った。

 齢四十五歳にして、若かりし頃はノルウェーの船乗りであったスヴェンソンの言葉に、マクミランは頷く。

 ベテランの船乗りは階級に左右されず、尊敬をされている。



「……しかし、ラワルピンディが通報はしましたが、本当にポケット戦艦なんでしょうか」


「砲撃されながらの通報が、初めから正解であるという保証はない。むしろ、間違っている可能性の方が高いだろう。――いずれにせよ我々は、それを補足せんと躍起になっている。意見があればいくらでも言ってくれ、スヴェンソン大尉」


「アイ・マム。では一つだけよろしいでしょうか?」


「許可する」


「水上射撃レーダーなのですが、出力はあれが限界なのでしょうか。荒天になれば、あれが我々の目になる筈です」


「あれか……」



 スヴェンソンの言葉を受け、マクミランは顎に手を当てた。考え事をする時の、マクミラン特有の癖である。

 ドイツ人技術者を拉致拘束し、そこから得た情報を元に開発された水上射撃レーダー『Type-Mk.I』は、カタログスペックでは十九キロメートルの索敵半径を有している。

 だが、その誤動作や誤探知が頻繁に起きるため信用されていない代物だった。


 英国海軍はほぼ同型を『Type-74』として採用しており、しっかりとした後継が開発されるまで、英国の海軍はこの形式のレーダーを使って艦砲射撃を補助するしかない。

 とはいえ、マクミランはそう考えてはいなかった。純粋にレーダーの信頼性が疑っている。

 スカパフロー停泊中に修理と改良を行ったのだとレーダー手と技術者たちが息巻いていたが、それが本当のことかマクミランは信じられなかった。

 今でさえもあれは欠陥品なのではないかとすら、思っている。



「あれは現状通りで最高出力なのだ。もともと、実験装備として我が艦に設置されているもので、信頼性はないに等しい。私はあれに頼るのはいかんと思う」


「ですが嵐となれば、頼らざるを得ません。冬の北海の嵐を、知らない訳ではないでしょう。あの中を肉眼で探すのでは、発見率はぐんと下がります。レーダー手に言うだけで良いんです――このポンコツをまともにしろ、とかなんとか」


「……分かった。大尉の言うとおり、対策は取っておく。だが、本当に役に立つかは分からんぞ」


「逃げ道が増えただけで、私は満足です。少佐」



 なら良いのだが、とマクミランは淡々と言った。

 彼女はいくら考えても、レーダーの有用性などというものが理解できない。スヴェンソンが申し出なければ、彼女の関心はレーダーなどにはいかなかっただろう。

 スヴェンソンの提案を、あとで艦長に報告せねばなるまいと思いつつ、どんよりとした北海の海原を、マクミランは艦橋のガラス越しに見た。


 戦時中であろうと平時であろうと、冬の北海はいつも機嫌が悪い。

 旧式駆逐艦の艦長を勤めた経歴のあるマクミランは北海の波を尽く嫌っていたが『エジンコート』の中で体感するなら、波への嫌悪も和らいだ。

 巡洋戦艦並みに細長い船体と追加されたバルジは、この船の乗り心地を格段に良くしている。



「大尉、ちょっとこっちに寄れ」


「は? あ、アイアイ・マム」



 ふいに、マクミランがスヴェンソンを手招きした。

 一歩、二歩とスヴェンソンが距離を積めると、マクミランは艦橋の誰にも聞こえないような声で言う。



「仮に敵艦を発見したとして、我々はどの程度の戦闘ができるだろうか、大尉に分かるか?」


「それは……たしかに、船乗りとして私は先輩ですが、軍人としては同期。階級上は下です。ですが……船乗りとして言うなら、不安はあります」


「構わん。言え」


「水兵たちの連帯意識が欠けています。イギリスは歴史上、三つの国家――地域カントリーが連合を組んで本土が成立していますから、仕方が無いことではありますが、これでは緊急時に起きてはならないことが起きる可能性が、払拭できません」


「ふむ。いざと言う時には海兵隊のカーン大尉が鎮圧してくれるだろうが、出来る限り迅速に解決せねばならない課題だな。艦長も苦労なされているようだ。我々で解決したいものだ」



 イングランド、スコットランド、北アイルランド――それら三つを纏め、英国本土がある。

 併合と独立、戦争と交渉による歴史を経て、英国本土はその土地に住む人々を君主と政府に提供してきた。

 本来なら出身地ごとに班を編成し、それをそのまま軍艦へ押し込むのが一番良いのだが、発足当初から人員不足の臣民海軍では、そんな悠長な対策を取れるはずもない。


 加えて、スコットランド地方からやって来た女性水兵たちは、独特な訛りと他の水兵への疑心暗鬼から軋轢を生み、結果として士官や下士官が苦労する。

 それが『エジンコート』でも起きていた。ただそれだけのことである。

 だが、それだけのことを改善するのに、いったいどれほどの労力と時間がかかるかを考えると、誰もが頭を垂れ溜息を吐く。

 一刻も争う戦時に置いて、労力と時間は常に不足しているのだ。



「――ともかく、今は任務を果たそう。朝とは言え、敵が吸血鬼のように不動であるとは限らんのだからな」


「アイアイ・マム」



 この会話を最後に、スヴェンソンは海図台に各種定規使ってなにやら計算を始め、マクナマラは艦長不在の間、艦長が認可した航海日程に基づき艦を航行させるという任務に戻った。

 補助巡洋艦『ラワルピンディ』とその乗組員の大半をフェロー諸島北方で葬ったドイツ艦艇は、この海に存在するのかを疑問視したくなるほど、その痕跡を現さずにいる。




―――




 マリア・ヴィクスは、不思議とぐっすり眠っていた。

 波浪と潮風に常時苛まれる軍艦の中は、脆弱なヴィクスにとってある種の戦場であったが、そんな中で熟睡してしまうほど、彼女は疲れている。

 一時間、二時間、三時間―――と、ヴィクスは眠りつづける。彼女の頭脳の中では、海から解放された自分がイングランドの静かな田舎で、今でも純粋を保っているか分からぬ夫とともに隠居する未来が描かれていた。


 ヴィクスはその夢に希望と暖かさを感じて、どっぷりと幻に浸り、その間だけの安らぎを得て笑みを浮かべる。

 ぐらりぐらりと戦艦『エジンコート』が揺れるたびに、ヴィクスは小さな声で呻いた。関節が、ぎしぎしと音を立てて痛むのである。

 しかし、それでもヴィクスは眠りつづけた。何年後になるとも知らぬ、平和で人肌の温もりを備えた理想から、まるで離れたくないのだと言わんばかりに、眠りつづける。


 幸いにして、ヴィクスが起きるべき命令は戦艦『エジンコート』に与えられなかった。

 ただ、一度だけ従兵がやってきて「ノルウェー沖の捜索に就くことになりました。よろしいでしょうか、艦長?」と言ったが、ヴィクスはただ一言「良い」と返しただけで、あとはすべてマクミラン中佐が片付けている。

 ヴィクスが起きたのは、たっぷり五時間眠ってからとなった。


 何度か従兵がヴィクスの様子を見にやって来ては「大丈夫ですか、艦長?」と確認していたが、その度にヴィクスは「あともう少し」だとか「あと三十分」とか、寝惚けながら言い返している。

 その間、ヴィクスに意識はなかった。

 自分でも驚くべきことに、そして恥ずかしくも、眠ったまま応対していたのだ。



「艦長、よろしいですか?」



 現在時刻は正午、1300である。

 マクミラン少佐から任務を引き継いだ、ウェールズ生まれのシルヴィア・ローレンス少佐が艦橋にある艦長仮眠室のドアをノックした。

 生真面目に髪を真っ直ぐに梳いて、軽めのルージュや香水をつける彼女は、ドイツとの国交悪化に伴い大尉から昇進した女性佐官の一人である。

 そのため、水兵や士官たちからあまり信頼されておらず、指揮能力に疑問符をつける者さえいた。


 事実として、シルヴィアは無作法で悪い意味で女性的であり、ヴィクスでさえ嫌っている。

 しつこく、女々しく、シルヴィアが何度もノックするので、ヴィクスは平和な夢から叩き出され、灰色の鉄が周囲を覆う戦艦『エジンコート』の中に戻ってきてしまった。

 ヴィクスは思わず、溜息を吐く。



「何が起きた、ローレンス少佐」



 ヴィクスは分厚いコートを羽織りながら言った。



「敵艦か。それとも、私宛の命令か」


「いえ艦長。敵観測機を視認したらしいのです」



 敵観測機、と聞いて、ヴィクスはドアを開けてシルヴィアに詰め寄った。

 らしいだと? らしいとはなんだ? 哨戒班が新手の冗談でシルヴィア少佐を使って遊んでいるのだろうか。



「現在位置を教えろ、少佐」


「アイ・マム。我が艦は1040にメイン諸島沖からノルウェー沖へ転進しました。そのため、航路は大西洋をつっきる形となり、幾分かの波浪に襲われましたが、乗員の士気に衰えはありません。我が艦は現在、ノルウェー領海より――」


「シルヴィア少佐、もっと簡潔で良い。再度、現在位置を教えろ」


「ブリテン諸島とノルウェーの真ん中辺りです、艦長」



 ラッタルを登りながらヴィクスはシルヴィアに幾つか問いただすべき質問があると思ったが、今ここでそれを叱責したり詰め寄ったりすれば、この即席少佐は間違いなく自信を失い駄目になるだろうとヴィクスには分かった。

 シルヴィア少佐は間違いなく無能であるが、それは彼女自身を責めるべきではない。戦争を前に士官が足りないと、無理矢理佐官へと昇進させた人事の問題だ。ヴィクスはいつの日か、これを後方のある部署へ届け出るつもりだったが、今はその時ではない。

 艦橋にヴィクスが戻ると同時に、当直の一等航海士であるオードリー・ヤング大尉が敬礼した。

 ヴィクスは返礼し、直ちに「直れ」と言う。



「ヤング大尉、状況はどうなっている? 現在位置以外の情報を、簡潔に教えてくれ」


「アイ・マム。哨戒班が観測機のようなものを見つけた、と言っております」


「機種は特定したのか? 母艦らしき艦影は? 敵通信を傍受したのか?」


「艦長、それらはすべて〝ノー〟です。特定は出来ず、艦影もなく、傍受もしておりません」



 いったいどういうことだ、とヴィクスはシルヴィアを睨みつけたくなった。

 全てにおいて〝ノー〟などという報告は、未だかつて聞いたことがない。

 眼光鋭くヴィクスがヤングを睨み付けると、彼女はびくっと肩を強張らせる。ヴィクスはすぐに彼女がなにか隠していると悟り、威厳を込めて言った。



「……どういうことだ、ヤング大尉? 隠し事は無しだ。すべて説明したまえ。命令だ、すべて話せ」


「艦長、私はすべて――」


「返答はどうした。貴様は海軍学校でそう言えと教えられたのか?」


「あ……アイ・マム。例の事案がまた噴出したようなのであります」



 ヴィクスがピストルを引き抜かんばかりの眼光でヤングを睨み付けたため、ヤングは怯えた子供のような震えた声で報告し出す。

 説明は間違っていない。戦艦『エジンコート』で今〝例の事案〟と言えば、心当たりは一つしかない。田舎出身の水兵に対する差別と、下らない悪戯や命令不服従のことだ。

 その事案のお蔭でヴィクスはスカパフローで精神力を使い果たし、幽鬼のような有様になっていたのだから。



「よろしい。ではシルヴィア少佐、哨戒班でこの事案に関係していると思われる水兵は誰だ?」


「事の責任者はベントレー水兵、被害者はマクドゥーガル水兵だと思われます。――ヤング大尉、以上の二名で間違いないか?」


「アイ・マム。哨戒班のベントレー水兵とマクドゥーガル水兵で間違いありません。ベントレー水兵は先の事案でも命令不服従を記録しております」


「だそうです、艦長。如何なされますか?」



 如何なされるもなにも、あったものではない。言葉を荒げそうになるのを必死で堪えながら、ヴィクスは震える声で言った。



「ベントレー水兵を聴取しろ。マクドゥーガル水兵は構うな。この艦で差別主義者レイシストを気取るなら、北海だろうが赤道上だろうが即刻御退艦願うまでだ。自分の行動と態度の責任は取ってもらう」


 艦橋にいる士官の半分が納得するように頷き、残り半分は唾をごくりと飲み下す。

 軍隊は軍隊であり軍隊以外の何ものでもない。自分一人のために行動する者は最低最悪であり、仲間のために行動する者こそが賞賛される組織だ。

 ヴィクスはそれを知っており、実践するつもりでいた。

 人間とも呼べぬ人間性の持ち主が北海の海で凍死しようと溺死しようと、疲れ果てたマリア・ヴィクスは悔いなどしないだろう。



―――




 霧のように北海を航行し、突然補助巡洋艦『ラワルピンディ』に牙を剥き、また霧のように消えたドイツ海軍の艦艇はどこへ行ったのだろうかと、戦艦『エジンコート』にはある種の不安が広がりつつある。

 そんな中でベントレー水兵は、座上海兵隊のカーン大尉に聴取を受けた。ベントレーの所属する哨戒班曰く、ベントレー水兵は優秀な水兵であるの一点張りであったが、それが偽りの歪んだ仲間意識によるものであることは目に見えて明らかである。


 カーン大尉は気さくな偉丈夫で、戦艦『エジンコート』に乗り込んでいる男性士官の中では一番腕っぷしの立つ軍人だ。

 そして良くも悪くも、彼は女性の扱いが人一倍上手い。

 ヴィクスからベントレーの聴取を任されたカーン大尉は、深夜仮眠室の扉を叩き、ヴィクスにすべてを報告した。

 結局、観測機のようなものという不確かな存在は初めから存在せず、すべては哨戒班の面汚しとしてマクドゥーガルの信頼を貶めるために企んだことである。

 カーンは簡潔にそう報告した。ヴィクスは呆れて物も言えず、ただ命令を待つカーン大尉にぼそりと、



「独房だ、三日でいい」



 とだけ伝えた。

 ヴィクスはただただ残念で、がっくりと肩を落とし、航海日誌の末尾に普段は書き込まないようなことを書き足したほどだった。



『我が艦の鉄鋼は堅牢強靭なれど、我らはそれにあたわず』



 臣民海軍設立より士官として文字通り身心をすり減らしてきたヴィクスにとって、若者の個人的感情からくる意味不明な行動は理解しかねる。

 戦艦『エジンコート』は、旧式だが名実ともに超弩級戦艦だ。

 その砲弾投射量は凄まじく、同じく旧式である『リヴェンジ級』戦艦よりも素早い。

 半ば実験艦であるから装備の更新も早く、すべてにおいて充実している。


 しかし、乗員は女性ばかりだ。

 中には軍人というプロフェッショナルである誇りすらなく、今回のような下らない差別を露骨に行い失脚するような馬鹿者までいる。

 頭を抱え込みたくなるのを堪えて、ヴィクスは立ち上がった。


 艦長である限り、ヴィクスは艦の乗員の手本でなくてはならず、どのような状況であれ威厳を持ち続けなければならない。

 仮眠室から艦橋までの階段を登り終え、ヴィクスはふと外を見た。

 航海科の言ったとおり、近々嵐になるだろうと、彼女は思った。

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