第18話 解任騒動だよ、新妻くん

「校長先生。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


 会長が深々と頭を下げる。それに合わせて僕や参加者も一様に礼をした。

 天稜高校理事長兼校長。ともすれば人権侵害という声すら聞こえてきそうなこの学校を、優秀な進学校として世間に認めさせている切れ者だ。


「そんなにかしこまらなくてもいい。生徒主導で企画を立ち上げ、新たな行事として天陵高校の歴史を変えようとしている。行動力のある生徒を見に来ただけだよ」


「副会長や協力してくれた生徒のおかげです」


「なるほど、謙虚な姿勢だ。だが、どうやら君は我が校の生徒会長にはふさわしくないようだ」


 校長は姫路会長を見下ろしながら、低く地を這うような声でそう言い放った。

 お腹の奥が燃えるような錯覚がする。校長の目を見ていると体が自然と震えだす。


 会長の瞳が場を凍らせるほどの青く冷たい瞳なら、校長のそれはすべてを焼き尽くす業火のような赤黒い瞳だった。


「どうしてですか。姫路会長は生徒たちのことを思って!」


 思わず噛みついた僕に校長の目がギロリと動く。それだけで続くはずだった言葉がどこかに消えてしまった。


「生徒会の存在意義はトップをとった人間にのみ圧倒的な権利を与えることで競争を促進させるためだ。君たちが好きに学校生活を送るのはいい。事実、君の髪色にとやかく言うつもりはない。

 だが、今回は別だ。生徒会の特権を享受できるのは、会長と会長に選ばれた役員の四名のみ。その権利を得るために生徒たちは死に物狂いで勉強をする。勉強ができないのなら勉強以外の能力で生徒会長に取り入り、媚を売り特権を得るために策を弄することで頭脳を使う。

 それなのに君たちはこんな多くの人間に特権を分け与えようとする。それでは生徒は努力を忘れてしまう。君たちが好きに学校生活を楽しむことが、本当に生徒たちのためになるとは思わないかね?」


 校長は演説のように優雅に身振り手振りを交えながら、五十人ほどが集まった体育館の中で視線を一身に集めている。


「わかるかね。君たちがやっているのは偽善だ。本来なら彼らは君たちに憧れて生徒会長を目指し、あるいは生徒会役員を目指す。その努力の機会を君たちは奪っているのだ」


「そんなことはありません! 僕たちは少しでも学校生活を楽しんでもらうために」


「それが間違っているというのだ。この学校で楽しみたいというのであれば」


 校長の目に怒りの色がいっそう強くなる。


「勝ち取るのだ」


 思わずはい、と肯定が口から漏れそうになった。それほどの決意と説得力が短い言葉の中にこもっていた。


「でも権利である以上、使い方は自由なはずです。姫路会長は誰よりも生徒たちのことを考えて」


「君は副会長だったかな。どうやら我が校の生徒にしてはいくらか思考能力が劣っているようだ。どうやら今期の生徒会には期待ができそうにないな」


 呆れたように校長の口から溜息が漏れる。


「その権利を決めるのは他でもない私だ。君たちの特権とは私が許した範囲でのみ有効となる。これ以上、見苦しい恥を晒すのはやめたまえ」


 横暴だけど理屈は間違っていない。正しいのはたぶん校長の方だ。僕たち生徒会の権利は法律で決まっているわけじゃない。この閉鎖された学校空間の中で校則によって与えられているに過ぎない。


 押し黙った僕に校長は勝利の笑みを向ける。違う。考えるんだ。この人が言うように思考して、この場で自分の意見を通すためには何が必要かを導き出せ。


 教科書を読むことでは学ぶことができない。基礎から応用、そして実践へ。真理を解き明かす行程を後追いすることで身に着けた思考を研ぎ澄ませろ。


「ではどうやって勝負しましょうか」


 僕の思考よりも早く、会長が凛とした声で答えを出した。


「さすがは生徒会長だ。私から理想とする生徒会を勝ち取る、とそう言いたいのだね」


「私は自分のためだけにこの立場を利用するつもりはありません。生徒の代表になった以上、生徒に奉仕する精神がなければ誰かの上に立つことなどできない」


「ふむ。副会長はまだ力不足のようだが、君はなかなか見込みがある。よろしい。ではこうしよう」


 校長はまだひるみから立ち直れていない僕を見下すような目で一瞥する。何も言わないまま、視線を会長に戻した。


「もうすぐ中間考査があるね。生徒会は生徒の上に立つ者、というのであれば生徒のトップに立つ必要がある。生徒会役員は一位を、というのはあまりにも興が冷めすぎる。ここにこれだけの生徒を集めた人望を加味して、十位以内であれば君たちの反乱を認めてあげてやってもいいだろう。

 ただし、条件を満たせない場合は、生徒会長を解任する」


「その言葉、二言はありませんね」


「私は生徒だけでなくここで君たちに教鞭きょうべんをとる教員や用務員といったサポートすべての上に立つ人間だ。君たち以上に責任を持っているつもりだよ」


 では、中間考査の成績を楽しみにしているよ。そう言い残して校長は体育館を去っていった。焼き払われた廃墟のような空気だった体育館にようやく安堵の風が吹く。


「なんかさ、ヤバいことになってない?」


「ヤバいなんてもんじゃないよ」


 ざわつく体育館の中で、姫路会長だけが冷静さを保ったまま校長が去っていった扉を睨むように見つめていた。


 昼休みになって、僕はいつものように昼食づくりのために生徒会館に向かった。楽しめていた球技会は最後の最後で校長によってぶち壊し。しかもかなりの難題を突きつけられてすっかりお通夜ムードで解散になってしまった。感想アンケートも渡したけど、どのくらい高評価が返ってくるか心配になる。


 それに校長との勝負の条件。あれが僕にとって最大の問題点だった。

 学年で十位以内。僕だって中学時代はほとんどのテストで学年一位をとってきた。中学の時に出た話なら別に何のプレッシャーもなく聞いていられただろう。


 でもここは天稜学園高校なのだ。日本全国から学年一位だった人間が集まり、その中で受験での蹴落とし合いを生き残ってきた秀才たちが相手になるのだ。


 一年生の僕にとっては初めての中間テストってことになる。他の人の実力もわからないけど、最低でも全国模試で偏差値八十。あるいはそれ以上の成績がなければ学年でトップクラスの成績になるのは不可能だろう。


「会長は大丈夫なんだろうなぁ」


 生徒会長になったということは少なくとも去年の秋の時点で上位五名。千波先輩の話では一位だったらしい。少なくとも真面目に勉強に取り組めば越えられないハードルではないだろう。


 キッチンへと向かい、定位置にかかっているエプロンに手を伸ばす。そこにあるはずの白いフリルのついたエプロンはなく、先にキッチンに立っていた会長の体に巻きついていた。


「今日は私が作るから座っていて」


「でも」


「いいから。今日は迷惑をかけちゃったから」


 あの勝負の申し出は自分一人で受けるつもりだったんだろう。迷惑というのは生徒会役員、つまり僕も勝負の対象に入ってしまったこと。裏を返せば会長も僕には無理だと感じているってことだ。


「はい、できあがり」


 甘いタレの匂いが球技会で疲れた体に染み込んでいく。


「うなぎ、ですか」


「そうよ。本当は球技会成功のお祝いだったんだけど、変な終わり方になってしまったわね」


「でも最後以外は盛り上がっていましたよ。きっとみんなもまたやりたいと思ってますよ」


 そこはきっと大丈夫だ。大丈夫だからこそ、これからも生徒のためにいろんな行事をやりたい。文化祭や体育祭。音楽祭や合唱祭があってもいいかもしれない。修学旅行だってきちんとしたところに行きたいし、バレンタインデーにはチョコの持ち込みを許可したい。


 僕が一度も経験していないことばかり。それをこの天稜高校で実現したい。


「僕、頑張りますよ。絶対に会長を解任なんてさせませんから」


「え、懐妊!? 確かにうなぎには亜鉛が豊富だし精がつく食べ物だけど、そんなにすぐに効果が出るなんてことは」


「いや、だから解任なんてことにならないようにしっかり勉強します」


「そうね。きちんと勉強したうえで避妊すれば、たとえ頑張ったとしても懐妊なんてことには」


「あの校長が自分の言ったことを否認しますか? 十位以内に入るしかないですよ」


 これは勝利の味じゃない。明日から頑張るための力をつけるための味だ。

 会長の作ってくれたうな重を食べながら、僕は生まれて初めて、自分の意思で勉強がしたいと感じていた。

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