第17話 ナイトになってよ、新妻くん

 球技会は好評のまま進んでいった。戦績としては運動神経のいい中山さんを擁する一年チームが圧倒していたけど、そんなことを気にする生徒は一人もいなかった。


 勉強以外を認めないこの天稜高校の中で、勉強のことを忘れて子どもの頃に戻ったようにドッジボールに興じることができる。それに価値があるのだ。


 僕を含めて運動音痴の低レベルな争いも同レベルしかいないならそれなりに楽しいものだ。一年チームの優勝が確定しても、誰も消化試合だなんて思っていない。試合は盛り上がったまま進んでいき、最後に会長のいる三年チームと一年チームの試合が始まった。


 試合が終わっている生徒たちがコートの周りを囲んで応援の声を上げている。声援が多いのは三年チーム、というより会長に対してのものだった。畏怖されていた真っ黒な烏から誰もが目を奪われる人気者の白鷺になれたのは間違いないんだろう。


「いくぜー! 全勝優勝するっきゃねーじゃん!」


 中山さんのやる気がある以上、こっちの勝ちは揺るがなさそうだ。球技会に出るとはいえ天稜高校の三年生。どこかの大学に進学するために受験勉強は本格化している。体育の単位は二年生までに取得済み。勉強しかしていない体はすでに限界に達しているようだった。


 そういう意味ではこっちも中山さん以外は似たようなもので、五月さんと有馬さんも僕たち側の人間だったようで、中山さんの叫びについていく余裕もなくなっている。


 試合開始後、ヘロヘロなボールもろくに取れない両陣営はすぐにアウトになって外野へと出ていく。十五分も経たないうちに一年チームは三人、三年チームは会長を残すのみとなった。僕も当然のようにアウトになり、外野の端で会長の行く末を見守っている。


 そこで異変が起きた。


 ボールが会長に飛んでいかなくなったのだ。いやよく思い出してみると、会長には試合開始から一度もボールが向けられたことがない。誰もがレクリエーションとはいえ会長にボールをぶつけることを恐れているのだ。


 白鷺姫の異名は会長の美しさだけからついたあだ名じゃない。あの見る者すべての思考を奪うほどの冷たい瞳も、立っているだけで世界を支配してしまいそうな凛とした姿も。全部含めて白鷺姫の名前で呼ばれているのだ。


 そんな相手にゲームとはいえボールをぶつけるなんて恐ろしい。ましてや顔に当たりでもしたら、会長自身は気にしなかったとしても周囲から白い目で見られるのは必至だろう。そんなリスクを賢い天稜の生徒が背負うはずがない。


 自然とボールという責任は内野と外野でたらいまわしのようにパスで渡され、ときどき申し訳程度の緩いボールが的外れな方向に投げられるばかり。こんな試合が最後を飾るなんて場が白けてしまう。それに時間だって有限だ。このまま時間切れで終了になんてなったら、参加者の印象は最悪で終わってしまう。生徒会の初仕事は失敗になる。


 そうだ、中山さん。中山さんなら空気とか読めなさそうだし、一発ぶつけてくれそう。


 外野から内野にいる中山さんに目で合図を送る。


(会長に思いっきり投げていいから)


 僕の意思はうまく伝わったようで、中山さんがウインクを返す。そして真顔で首を小さく横に振った。


(無理無理無理。さすがにこの人にはボール投げられないって!)


 なんでそこは空気読んじゃうの! 自習している生徒しかいない教室で堂々と大声で雑談できるその空気の読めなさを今生かさなくて、いつ生かすって言うんだ。ここでできなかったら本当にただの欠点だよ。


 とはいえ本人が嫌がっているとなると、僕から強要できる材料はない。この間助けてあげたことを振りかざして言うことを聞かせるのは僕の良心が拒んだ。


「ちょっとタイム」


 策を考えていた僕の前で、会長が両腕を使って大きなTのマークを作る。冷えかけていた空気が一瞬で止まった。会長は止まった世界で一人自由なまま、僕を手招きする。


「新妻くんは副会長だから私の騎士ナイト役ね。私をボールから守って」


「え、なんですかその特別ルール!?」


 そんなの打ち合わせでも聞いていない。そもそも今も会長にボールなんて一つも飛んでいないのに。


「いいから。私に合わせて」


 会長の意図がわからないまま、僕は警備としてさっきまでチームメイトだった中山さんと会長の間に立って大きく両手を伸ばした。状況は大きく変わったわけじゃない。最悪会長にはわざと当たりに行ってもらうくらいのことはしてもらわなきゃいけないかも。


 再開の合図を出す。それと同時に中山さんの鋭いボールが僕のお腹に直撃した。


「おっふぉ」


 情けなさすぎる声が漏れる。肺から押し出された空気が否応なしに口から逃げ出す。なんで急に本気を出したのさ。どうせ取れなかっただろうけど、油断していたせいで余計なダメージを負ってしまった。


「ごめん、新妻なら別にやっちゃっていいかな、って思って」


「それ全然謝ってない」


 やっちゃっていいって何さ。会長とは格が違うっていうのはわかるけど、それにしたって僕の扱い悪すぎない?


 呼んでもらって申し訳ないけど、どうやら僕に会長を守る資格はないらしい。痛みを堪えて外野に出ようとすると、会長から呼び止められた。


「新妻くんは騎士役なんだから、私が負けない限り退場しちゃダメ」


「いても役に立ってないですよ」


「いいから。早く持ち場に戻って」


 いつもに増して人使いが荒いなぁ。そう思いながらまた内野に戻る。でも会長の考えはすぐに証明された。


 控えめだったボールの勢いが増し、みんなが会長に向かってボールを投げはじめる。僕が必死になって守らないとすぐに負けてしまいそうなほどに。


 そうか、これが狙いだったんだ。僕が護衛役として入ることで会長にボールが当たった責任を僕に押し付けることができる。会長に遠慮する必要がなくなるのだ。そこまで考えて僕を呼んだのか。


 そうなれば僕だって期待に応えないわけにはいかない。さっきまで一緒だった一年チームの攻撃を体を張って止める。何度もボールを当てられながらも僕は諦めない。みんなが楽しそうな顔をしている限り。


 投げミスした緩いボールを胸元でガッチリとホールドする。ようやく反撃だ。


「会長、投げてください」


「でも取ったのは新妻くんで」


「会長が投げた方が盛り上がりますから」


 こうして見ると、この球技会の参加者にはもう一つ目的がある。近づきがたい会長と一緒に学校生活を楽しむことができるということだ。


 どうせ負けるなら会長に。それはあの鮮烈な入学式のあいさつを聞いた一年生なら誰もが思っていることだ。


「わかった」


 会長が大きく振りかぶる。助走をつけて、中山さんを狙う。

 その瞬間、足元に落ちていた汗で踏ん張った会長の足が滑った。


「危ない!」


 とっさに走り出す。バランスを崩して倒れる会長の下に潜り込むように体を投げ出した。


 柔らかい感触が全身を包む。目を開けるとまるで会長が僕を押し倒したように覆い被さっていた。


「大丈夫ですか?」


「私は大丈夫だけど、新妻くんは?」


「平気です。大したことはないですよ」


 床との摩擦で腕と脚に痛みが走ったけど、そんなのケガのうちには入らない。そんなことよりも会長が無事だったことの方が何倍も重要だ。


「ふーん、見せつけてくれんじゃん」


 上を見上げたままの僕の視界に中山さんが入ってくる。その両手にはしっかりとボールが握られていた。両手を思い切り振り上げて、僕の顔に向かって叩き落とされる。クリーンヒットしたボールは会長の肩に当たって床の上に転がった。


「アタシらの勝ちー!」


 鼻を押さえて立ち上がる僕を無視して一年チームは完全優勝の喜びを分かち合い、上級生もそれを称えるように集まってハイタッチなんてしている。僕の頑張りはみんなの記憶には残らなかったらしい。


「ありがとう。新妻くんはいつも私を助けてくれるのね」


「いえ、咄嗟のことで体が動いただけです」


「それでいいの。それが新妻くんらしいわ」


 真っ白なタオルが顔に当てられる。中山さんはあれで手加減してくれたみたいで鼻血は出ていないようだった。会長は擦りむけた僕の腕や脚に消毒液を吹きかけてくれる。


 なんとかうまくいったみたいだ。体育館に響く止まない歓声を聞きながら、僕はこの成功に初めての達成感を覚えていた。


「いやいや、実に楽しそうですな」


 寂しく小さな拍手をうちながら、白髪の男が体育館に入ってくる。頬には深みのあるほうれい線が刻まれ、窪んだ瞼の奥で信念のある瞳が歳を重ねてなおギラつくように圧を放っている。この人は入学式で壇上に立っているのを見た。

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