第16話 球技会だよ、新妻くん

 ゴールデンウィークを超えると、本格的にクラスの脱落者の数は増えていった。特に通学組はこの休みを謳歌して、悪魔の囁きに耳を傾けてしまったのだろう。休みの間にどこへ遊びに行ったかだなんて話が教室から聞こえてきていた。


 僕たち寮生組は休日と言いながらも自由参加の補習に朝から夕方まで出ていたから、緊張感が続いている生徒が多い。僕はさらにそこから生徒会の仕事として球技会開催のための調整をして、を毎日繰り返していたら、休みなんてすぐになくなってしまった。


 五月の二週目。だんだんと授業で居眠りが増えてきそうな陽気の水曜日。四時間目。少しお腹の空いてくる中、球技会の参加者五十二人が体育館に集まっていた。


 競技種目はドッジボール。しかも学年ごとにチームを作っての対抗戦となっている。十人チームが一年生は一チーム。二年生と三年生は二チーム。全五チームのリーグ戦を行うことになった。


「ドッジボールなんて小学生以来じゃね?」


「よっしゃー、私ら本気で行くからねー!」


 中山さんたちはやる気十分という様子で準備運動を始めている。上級生もどちらかと言えば中山さんたち側の人間が多い。なんか各所でウェーイとかヒャッホーとかいう奇声が聞こえてくる。


「なんだろう。主催なのにものすごいアウェー感」


 中学の体育祭では僕は勉強以外の無駄なこととして、両親が学校と交渉したことで自習をして過ごしていた。小学生のときに一度だけ参加した体育の授業でやったドッジボールなんて、最初に狙われてやられた後は外野の隅で存在感を消して終わるのを待っていた人間だ。


 天稜高校に入れば、僕みたいに運動なんてできない人が普通なんだと思っていたのに、現実はどこからそんな声が出てくるんだって人たちがウェイウェイ動物の鳴き声のような意味のない言葉をそこかしこで言っている。


「新妻くん。そんな隅に立ってないでもっと堂々としなさい」


「青山先生。監督教諭を担当してくださってありがとうございます」


「新妻くんはちゃんと補習も受けてくれたし、可愛い担任の生徒の願いは聞いてあげなきゃいけないからね」


 青山先生の答えに安堵しながら、その手に持ったものに目をやる。


「なんですか、それ」


 なんかそのカメラ、二十センチくらいある望遠レンズがついているように見えるんですけど。いったいどんな倍率で撮影するつもりなんですか。


「撮影は大事よ。生徒会の活動記録にもなるし、学校行事として学園報にも載せられるかもしれないし。これなら新妻くんの紅潮した表情や飛び散る汗の一滴までバッチリ撮れるし」


「没収します」


 ぐりぐりと望遠レンズを捻る。必死に抵抗する青山先生を取り押さえてレンズを奪いとった。


「カメラがあれば十分撮れますよね」


「そんなー。生徒会は横暴よー」


 明らかに私的利用する気満々だったのに、よくそんなことが言えるよ。没収したこのレンズはとりあえず割れないようにタオルか何かで包んでどこかに隠しておこう。まったく、油断も隙もあったものじゃない。


 こっちは生徒会主催ということもあって、準備や運営で忙しいんだから。

 チームメイトと話をしている会長に声をかけようと歩み寄る。今まで生徒会で一緒だったけど制服を着ている姿しか見たことがなかったから、体操服の会長は新鮮だった。すらりとしたモデルみたいなプロポーションに女の子の中では頭一つ高い身長。それなのに顔は小さくて頭身が周囲と違って見える。


 ショートパンツから伸びる太ももは真っ白で太陽の光も会長に触れるのは恐れ多いと思っているかのように焼けた跡なんてどこにもなかった。ポニーテールにまとめた髪からのぞくうなじがまぶしい。生徒会館に泊まってから、会長を意識してしまっている自分がいる。


 あの人と一つのベッドで寝た、という事実が僕の頬を勝手に上気させる。


「会長、最初の対戦カードですけど」


 話しかけようとして言葉が止まった。会長だけが少し輪の中から離れた位置に立って、口元には微笑みを浮かべているのに少しも楽しそうじゃない。僕にはわかる。あれは愛想笑いでしかなかった。


 クラスメイトなんだしそれなりに仲は良いはずだ。内容だって今日は楽しもうとか勝ちにいこうとかそんな他愛もない普通の話。

 それなのに会長だけが話題の中に入り切れていないように見えた。


「白鷺姫も変わったねぇ」


 立ち止まった僕の横にすっと千波先輩が現れる。新聞部だからか、この人もカメラを持っている。さっきの青山先生とは違ってハンディサイズのデジカメだけど、この人にも注意しておいた方がいいかもしれない。


「会長が変わったってどういうことですか?」


「生徒会長になるまでは人付き合いとか全然しなかったのに。今回だってみんなでドッジボールじゃん」


「あれで人付き合いよくなったんですか」


 僕から見ると、全然そんな感じはしない。どちらかというと無理して人の輪の中に入ろうとして失敗しているようにすら見える。でも元々人付き合いが苦手だったっていうならあの雰囲気も理解できなくはない。


「生徒会長になる前はね、校則遵守で髪も真っ黒だったんだ。その頃は烏姫からすひめって呼ばれてて。会長になったのも信頼とかより畏怖の方が大きかったんじゃない? 他の候補が情けなかったしね」


「会長の髪って染めてるんですか?」


「いやいや。ウチの調査だとあれが地毛。ウチらの学校って校則に例外ないからさ。黒に染めてたみたい。それが会長になって一ヶ月くらいしたら急にあの銀髪になってさ、ちょっと周りにも溶け込もうとする感じなってきたんだよね。その理由が知りたいんだけど、副会長は何か知らない?」


 持っていたペンをマイクのように僕に差し向けながら、千波先輩は猫のような興味津々の目で答えを待っている。知らないどころか僕が聞きたいくらいだ。


 会長って表情も声色も全然変わらない特に感情の起伏が小さい人だから、人付き合いは苦手なんだろうとは思っていた。あれでも改善されているっていうんなら、以前はどんな感じだったんだろう。


「一つ言えることがあるとすれば、本質的にはあまり変わってないんじゃないですか」


 友達と楽しく話しているなら待っていればいいけど、困っているなら助けてあげればいい。愛想笑いをしながら、合わせるようにうなずくだけの会長の背中を軽く叩いた。


「どうしたの、新妻くん?」


「すみません。最初の対戦カードはどこでしたか?」


 リーグ戦の対戦表を見せながらチームから離れるようにゆっくりと歩く。自然と距離が離れ、会長は会話から離脱することになる。


「試合順はこれでいいですね。連戦が起きにくくはなっていると思います」


 一枚の紙を二人で覗き込みながら話していると、会長は周囲に背を向けて少しだけ顔を緩める。


「新妻くん、嫉妬したの?」


「なんでですか?」


「私が友達と話しているのにわざわざ話しかけてきて。男の子もいたしね」


 あれで友だちと話しているつもりだったのかな。そんなこと言って会長を傷つける気にもならないから何も言わないけど。まぁ、会長にも僕以外に話をする人がいるんだってことは覚えておくけど。


「変なこと言ってないで始めますよ」


 時間は一時間しかないんだから、早く始めないとせっかくの生徒会最初の仕事が失敗に終わってしまう。嫉妬したと言ったら、会長はなんて答えてくれるんだろうか、なんて考えながら嬉しそうに微笑む横顔を盗み見た。


「じゃあ第一コートで一年対二年Aチーム。第二コートで二年Bチーム対三年Aチームです。選手はコートに入ってくださーい!」


 さぁ、これからだ。僕たちが生徒に奉仕するために考えた球技会。その反応がこれからの生徒会の活動を左右すると言ってもいい。僕は選手としても主催としてもゲームを盛り上げるつもりでコートに入った。


 球技会というのは運動が得意な生徒が活躍する場面だ。中学の頃、僕がテスト前後になるとクラスの噂話の話題に上がるように、球技会や体育祭の頃になると誰の足が速いとか体力テストで成績がいいといった話に名前があがることになる。


 ただここは天稜学園高校。勉強ばかりしてきた人間だけが入れるいわば純正もやし栽培畑みたいな場所だ。そんな学校の生徒がドッジボールをやるとどうなるか。僕はそんなことも予想できていなかった。


 ふわりと山なりのボールが飛ぶ。ゆるい弧を描いて胸元に飛んできたボールをファンブルして落とす。運動音痴と運動音痴のドッジボールなんてこんなものなのだ。当人たちは本気でやっているんだけど、天性の才能のなさと運動不足が重なって思い通りに身体が動かない。


 数回ボールを投げると、大して動いていないのに額から汗が流れてくる。これって本当に楽しいんだろうか。


「だっーりゃっしゃー!」


 よくわからない奇声を上げて、一人だけ格の違うスピードボールが投げ込まれる。肌に当たる乾いた音が体育館に響いて、二年生チームから恐怖の声が上がる。


「一人やってやったぜぃ! ひゃっほぅ!」


「ナイス美由ー!」


 中山さんが僕に向かってサムズアップしながらウインクをキメている。あぁ、そういえばこの人は勉強ばかりしてきたわけじゃなかった。勉強じゃ悪い意味でしか目立たない中山さんもここではチート能力を持っているようなものだ。


「ラストいっちゃうぜー。いっちゃうぜー」


 言葉と動きでフェイントを交えながら、中山さんは最後の一人の足元を的確に射抜いて、初戦は一年チームの圧勝だった。


「イエーイ! アタシらの勝ちー!」


「いやぁ、普段運動してないとキッツイなぁ」


「でもなんかおもしろかったんじゃない?」


 負けた二年生チームはおもしろかったのか不安だったんだけど、どうやら手ごたえは悪くなかったみたいだ。勝ったことよりもそっちの方が僕を満足させる。


 まだ球技会は始まったばかり。ここからもっと楽しくさせたい。僕は汗を拭ってスポーツドリンクを飲み下すと、次の対戦カードを読み上げるためにマイクを手にとった。

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