帝国暦733年 夏 甘い父親/西暦20××年 立地

 工房の賑やかさは正しく火の如し。職人が往き来し、槌や鑿を振るう活気は勿論、軽々に火を落とすことのできない炉が燃える工房は二重の意味で良く熱されている。


 気迫は夕方になっても衰えることを知らず、多数の依頼を抱えた工房では炉の灯りを頼りとして夜半まで作業が続くこともある。


 そんな工房ばかりが集まった帝都の南、居住地より離れた工房街でも有数の活気を放つのがデヴォン氏族の帝都工房である。


 数ある職人工房の中でも指折りの広さを誇り、塀に囲われた――何処の工房も技術流出を嫌って塀や壁を立てている――広大な敷地には建屋が四つに倉庫が五つ、そして炉が大小用途別含めて八基もある。デヴォン氏族は特に鉄工と宝飾加工に秀で、貴人や軍部との繋がりが深いため金回りも良く、その設備の多くは新しく高品質の逸品が揃っている。


 「おお! 戻ったかベリル!」


 最も繊細にして重要な品を扱う第一工房、親方の塒でもある工房へ引き上げてきたベリルを出迎えたのは巌に手足が生えたような厳めしい男性であった。


 鉄洞人男性では美形とされる角張った顔付きと落ち窪んだ金壺の眼。くろがねの光沢を放つ種族特有の髪は、豊かさのあまりに伸ばした髭と繋がって境目が分からず、諸所を飾る金属の輪や宝石飾りが身分の高さを伺わせる。


 少壮に達しつつも、短く太い手足を鎧の如く包み込む筋繊維の束は衰えを知ることなく隆起し、陽と炉の熱に焼けて黒くなった肌は鍛造された鋼もかくや。


 鍛造用の鉄槌が人になったような短躯の偉丈夫、彼こそがベリルの父にしてデヴォン氏族の親方、グイン・アランソン・デヴォンその人である。


 「ただいま、親父殿」


 「よく帰った! で、首尾はどうだ!」


 喧しい工房の中でも良く通る胴間声と、乱暴に撫でられると痛い程に硬い掌に迎えられたベリルは、言葉の代わりに笑顔を以て返答とした。


 「そうかそうか! よかったよかった! カエサル様のお家は俺らを重用してくださるから心配してなかったが、お前が若殿のお目に叶ってなによりだ! これは殿様にお礼として剣の一本でも献上せねばならんなぁ!」


 「楽な仕事だったよ。早速家で扱いたいつって、証文までしたためてくださったぜ。ほら」


 胸元から取り出されたのは契約や公文書などに用いられる、長期保存が可能で破れにくい羊皮紙だ。たがねのような指がそれを攫って封を解けば、上品な筆致で書かれた契約分が視界に飛び込んでくる。


 「我、ガイウスの子アウルス・アルトリウス・カエサル・オデイシウスの名においてグインの子ベリルに以下の製造を一任する……おお! 製造に口出しせず、販売の権利だけ売り渡してきたのか!? 大したもんじゃねぇか!」


 「へへ、まぁな、若旦那は気が利く人でね。職人を縛りすぎてもよくねぇってご存じだったみたいだぜ。その上、予算もたんまりときた。まるで神様の遣いみてぇだろ、親父殿」


 「まったくだ! お前の手腕と、巡り合わせて下さった神々に感謝しねぇとな!!」


 父が嬉しそうに娘を撫で倒す理由は幾つかあった。


 当然ながら職人が生産できる品物の数は状況によって左右され、時に職人自身に何ら落ち度がなくとも製造が滞ることがある。それは天候であったり流通であったり様々だが、事情を斟酌しない雇用主は世に多く、期日までに規定数を納入できなければ問答無用で罰金を科すこともある。


 これは職人にとって中々酷な物だ。勿論期日まで納品するのは彼等も尊ぶべき大前提であると認識しているものの、やはり抗いがたい事情というのは発生し得る。そこを契約を盾にして強く出られると、利益を削る他なく色々と困る所も多い。


 しかしながら、今回の雇用主はそれらの事情を正しく斟酌し、納入期日や品数に対して特別の事情があれば文句を付ける気はないと公言していた。


 更に専売で余所に売るなという縛りを課しこそすれど、作れば作るだけ買い取る確約も契約には盛り込まれていた。発注したはいいけど後で都合が変わったから半分しか要らない、などと宣って職人側に理不尽を強いる雇用主も世の中には山ほどいるというのに。


 職人にとって、これ以上ないくらいやりやすくて有り難い顧客であった。


 「発注の基準は札1枚につき1セステルティウスか、まぁ単価は安いが数を作れるモンを大量に卸すからな。千枚単位で20デナリウスなら商売としちゃ悪くねぇか」


 「親父、バラバラに混ぜて梱包する手間賃も取れるぜ。珍しさをちゃんと分けて、組紐で両面背中だけ見えるように括らにゃならん。ついでに未開封ってのを示すため、色を付けた蝋で封もすんだ」


 「ああ、そうだったな、その手間賃もいただけるならありがてぇこった。しかし、なんだってそこまでバラにすんだ? 金持ち相手なら10枚でも20枚でもいいだろ」


 「分かってないな親父殿。珍しいのが滅多にでないのと、数を開ける中毒性が子供には堪らないんだぜ。あと、一部の暇な大人にもな」


 子供らしからぬエグい発想と影の差す邪悪な笑みに父親は一瞬怯みかけたが、商売人には非情さが必要であると思い直し、これも可愛い所と受け入れた。この娘が時折、自分とそう大差ない時を生きた大人みたいなことを宣うのはよくあることだった。


 「1組束ねるので1セステルティウス。厳密にやらされるのが厄介だが、一組ごとに1枚作ったのと同じ価値がつく。その上、工場と単純作業に使う工員の雇用費は向こう持ちだ。図面だけで無限に金が入ってくるようなボロい商売だな」


 「いや、てぇしたモンだ、こんな纏まった数を捌ける商売を思いつくたぁ、やっぱりお前は才能あるぜベリル」


 首をへし折ろうとしているのではと不安になるほど強さ頭を撫でられる感触に悩まされながらも、ベリルは会心の笑みを浮かべた。


 人間、ここまで褒めた後でのおねだりを却下するのは難しい生き物だから。


 「なら親父殿、俺ももう玩具以外を作っても良いよな?」


 「え? あ? あー……」


 彼女の言葉に今まで楽しそうにしていたグインの表情が固まり、力強い手が止まる。速乾セメントをかけられたと言うよりも、邪眼によって理力を眼球越しに叩き着けて獲物を硬直させる蛇髪人に魅入られたような勢いで。


 鉄洞人はおしなべて鉱石を掘りたがるか、物を作りたがる傾向がある。それは本能に根ざした欲求なのか、どの鉱山から生まれた部族でも欠かさず患っている性癖であり、卵から生まれ落ちた鳥が空を飛ぶような自然さで追い求める。


 その中で武具や家具、建物に宝飾品と欲する物が異なるだけで――デヴォンの氏族は、その点に関してはかなり“雑食”である――老いも若きも満たされることなく工作に耽ろうとする。


 だが、子供に焼けた鉄やガラス、人を軽く押しつぶせる建材などを扱わせることは危険極まりなく、幾ら頑丈な種族であっても命の危険が付きまとう。故に鉄洞人の部族はどの家系でも、家法において成人に達した者でなければ玩具以外を作ることを禁じていた。


 命知らずを通り越して命が安い緑皮人の氏族ではないのだ。周りが大怪我したり死ぬのを見て覚えろといっては、出生数が大きく異なる鉄洞人ではやっていけない。


 工房に出入りできる体躯と知恵が仕上がる年齢に達することを成人とするのは、流石職人の種族というべきであろうか。


 斯様な決まりの中でも、玩具は例外的に認められている。小刀や小さな鑿で木切れを弄くって玩具を作るのは他の種族の子供でもやっていることであるし、内側で沸々と燃える創作意欲を抑え付け過ぎても暴発が恐ろしい。だから作り手にも作品にも危険の少ない玩具だけは例外なのだ。


 しかし、この若き天才はあと10年がどうしても待てないようだった。


 何枚も何枚も図面を引いては、父親にこれを作りたいと言って、見ても貰えず却下されてきたのである。成人にも達していない半端者が烏滸がましいと。


 されど、ここまで実績を積み上げられていると苦しいところがある。ベリルの母や兄達でさえ彼女の腕を認めているし、周囲の職人達も玩具作りで実力を示しているのだし特例を認めてもいいんじゃないかという、種族が持ち合わせる実力主義によって折れている。


 結局、鉄洞人にとっての偉さとは、どれだけ周囲に認められる傑作を作ったかなのだ。


 「ぐぬ、ぐぬぬ、だがベリル、お前はまだ、まだ小さくて……」


 「親方ぁ、御姫様はもう20ですぜー、小さいってのは言い過ぎでは?」


 「アンタだって15の頃には工房チョロついて、大親方にがなられて頭にゲンコ貰ってたじゃねっすか」


 「うるっせぇカナクソ野郎共! 口動かすより手ぇ動かせ! 二番炉がそろそろ仕上がるだろうが! 鍛造炉冷ましてたら、テメェらくべて暖めてやるぞ!!」


 「「うぇーい」」


 職人にからかわれたことに憤慨して罵声で返しつつ、振り上げた拳を回して溢れる怒りを表明する親方であるも、服の裾を引っ張られて話題からの逃走を禁じられた。


 「なぁ、親父殿、何も最初っから炉を一つ使わせてくれなんて言いやしねぇよ。見習いとしての雑用はやるから、ちょっとだけ、ちょっとだけ構想を形にするのを手伝ってくれりゃそれでいいんだ。な? 頼むよぉ、予算も人手も自分で工面するし、最後まで責任持って頑張るからさぁ~」


 娘に縋り付かれてお願いされれば、待望の初姫だけあって――尚、ベリルには七人の兄がいる――ベタベタに甘い父親の面が否と唱えることができず、厳格な親方としても十分な才気を見せる“職人”に対して首を横に振ることに抵抗を覚えざるを得ない。


 「こ、ここ……今回の件が上手くいったら……認める」


 様々な葛藤と可愛い子供の才能、親方としての威厳や何十代と守られてきた家法が脳内で混淆された結果、様々な思考という絞り器に掛けられて捻り出された言葉がそれであった。


 「やった! 頑張るから見ててくれよ親父! 大好き!」


 結局、娘の大好きやお願いという言葉に勝てる父親など、世の中にそういないものだ…………。












 神が用意した時間が過ぎない空間は、三人が肉体的にも精神的にも健全に過ごせるよう中々気の利いた建物になっていた。


 Aに言わせると小金持ちが住んでいる郊外の一軒家。凝り性の家主が金に飽かして欲しい設備を欲しいだけ詰め込んだ夢のような贅沢さである。


 あの広々としたダイニングキッチンは一階に位置しており、他にも生活に必要な設備が予算の頸木がないのを良いことに際限なく詰め込まれていた。


 トイレはシャワートイレ完備で広々としており、一人一つ使っても余る数が分散している。風呂場は二人で入っても問題ないほど縦にも横にも長い上ジャグジー機能付き。独立した脱衣所にも、何時の間にやら新品の肌着や寝間着が詰め込まれた箪笥が人数分用意されていた。


 趣味の部屋も揃っている。各々の個室には個々人が好んだ物が用意されており、更には地下に――防音など気にする必要もなかろうに――全員で使えるソファー付きのホームシアターが設えてあるなど、正に至れり尽くせりだ。


 生前よりよっぽど良いご身分じゃないかと舌を巻いた三人であったが、それより強く目を惹くのは、広大にも程がある書架だった。


 分厚い遮光カーテンによって光が入らないように気が払われた部屋は、広いと思っていたダイニングの数倍に及ぶ広さがあり、その部屋の半数を占有するように本棚が置かれている。


 普通の本棚ではない。図書室の書架に置かれているような、ハンドルでレールの上を滑らせることができる本格的な物だ何列にも渡って聳えていた。


 更に資料閲覧用と思しき三人分のPCがプリンターと共にセッティングされた机もあり、また会議用にかホワイトボードが数枚と円卓も一つ用意されている。


 正しくこれ以上は考えられない、神対応と呼ぶに相応しい計らいである。


 「最初の生まれは悪くないな」


 「良いとこ引いたわね」


 「この地図持っていきたいな。なぁ、B、後で模写しておいてくれよ」


 「えぇ? めんどいな……」


 「絵心あるのがお前だけなんだから諦めろ」


 「やだなぁ、合同誌で全員分の挿絵と表紙書かされた修羅場思い出すんだが」


暫く部屋の豪勢さに驚いた後――どうせなら生前にこんな家が欲しかったと三人は多いに嘆いた――用意されていた大きな地図をホワイトボードに貼りだし、生まれ落ちる国家と世界の大まかな情勢を確認する。


 さて、彼等が生まれ落ちることになった世界に名前はない。地球に住む人間が惑星に地球と名付け、世界そのものに名前を付けなかったように、彼等もまた自身が住む大地を好き勝手に読んでいるだけで名前はない。


 しかし敢えて彼等が生まれることとなった地に倣って呼ぶならば、テルースとなる。


 テルースは地球型の惑星であり、規模も環境は地球とそう変わらない。


 これは後に神から雑談で聞くことであるが、曰く世界を作るために便利な“テンプレート”が幾つかあるようだ。表計算ソフトで用途に応じてテンプレートを引き出すのと同じく、神も全てを一から作るのは面倒なようで、複数の魂が生きていくのに適した世界の原型を共有している。


 故に異世界の多くは形が似ており、環境も似ており、同じ動植物が繁茂しているという。


 適当なアセットで作ったフリーゲームみたいだなぁ、というAの感想に神は珍しく汗を一つ流したものの、そういうものだと納得してくれと言われたため、全員そういうことにしておいた。


 かつて、神を自称する生命体が発生した黎明期、最も安定した世界の一つが今も多数の世界に流用されているがため、このテルースも環境は地球と似ている。


 広い海洋を持ち、惑星の両端に極が存在し、恒星の周辺を旋回しつつ良い塩梅の熱を受け取れて、また小さな衛星と……その孫衛星を一つ持っている。


 地球に準えれば月とそれより小さな第二の月がある形か。大きさと距離によって潮汐力は地球と同等になっているようだが、空の彩りだけは全く違ったものが見えるであろう。


 それはさておき、惑星には二枚の巨大な大陸と三枚の小さな大陸がある。


 一枚は惑星の中央寄り、西に向かってコの字型の口を開いて鎮座しており、もう一枚はそこから東側で惑星の裏側に存在している。その合間を埋めるように小さな――といっても、オセアニア大陸規模だが――の大陸が三枚散らばっていた。


 三人が生まれることになったのは、そのコの字型に半端に蓋をしている半島と呼ぶには大きすぎる亜大陸である。


 地球に準えるならば、ヨーロッパの地中海をより大きくし、アフリカ大陸の北岸部だけと完璧に地続きに。その上でスペインを細く伸ばして箱の内側に折り曲げた形であろうか。


 この亜大陸の東部から中部域に掛けてを領有する“帝国”と呼ばれる国家が三人の故国となる場所である。


 「海あり、適度に起伏あり、季候は温暖で雨も適度に降りそうだな……神立地では?」


 Aは地図を眺めながら、故国の恵まれた立地条件に唾を飲んだ。かつて好んで遊んでいた戦略ゲームであれば、よっぽど下手をしなければ十分に勝利を狙え、更には勝ち方さえ選べる好条件である。


 「この大陸側との接続路が隘路になっているのも良いわね。攻めるに難くて守るに易い。大軍の侵攻は海からしなきゃ難しい形だわ」


 「なんかゾウで乗り越えてくるヤツが出て来そう」


 「やめて」


 「塩もってこい塩!」


 戦略的に地形を読んだCにBは茶々を入れつつ、ご丁寧に大きな都市の場所を書いてくれている地図に顔を寄せる。


 帝国の首都、帝都は東岸に位置しているようだった。沿岸と呼ぶには内陸寄りであるものの、太い川が何本も大海に向かって流れているため交通の便は大変良さそうであり、河川と街道によって接続された港湾都市も存在している。


 巨大な内海と面した港湾都市を持つ大規模国家など、海洋交易でガッポガッポ儲けていそうではないか。


 「実に温々ファームできそうな立地じゃねぇか」


 「東西の位置を入れ替えたローマっぽさがあるわね」


 「自重で自壊するまで肥え続ける帝国はやだなぁ……その役目は、この内海の東側でコブみたいに突き出た半島の人達にお願いしたい」


 「ならここはスペインか? やだぜ、何百年も宗教戦争の的になるような土地」


 「そうだったら諦めてブタを食べましょう」


 ああだこうだと言いつつ、三人は大体の立地を掴んで感覚を頭に叩き込んだ。土地と国家の位置関係は何を置いても把握しておくべき優先事項である。


 地政学、政治、交易、これから成すべき事業には、全て不可欠の要素であると知るが故に…………。

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