帝国暦733年 夏 予算/西暦20××年 くじびきと目的

 「何はともあれ資金だ資金。世の中のことは、金があれば大抵なんとかなるようにできてる」


 三人が開いた神様謹製不思議な手帳には、様々なことがびっしり書き付けてあるが、多くは個々が必要であると判断して記入した覚書や設計図である。全ての内容を統合すると、それぞれで使い勝手が違うために不便するだろうと記載が同期されることはない。意識の共有は会話と相談によって行われ、その指標となる内容も下準備段階からきちんと用意されていた。


 その一つが、世界を救う道筋を立てるためのロードマップだ。


 「うーん、この序盤は金と権力としか書いてない概略図。準備期間の私達、ちょっと投げやりすぎでは?」


 「実際その通りなのですからいいじゃないですか。ロードマップに詳細を書いたら見づらくなると言ったのはA吾妻でしょう」


 入念に会議を重ねた下準備期間で、序盤のロードマップ策定は比較的早期に済んでいた。いざ転生してみねば分からないことも多いため、案だけ複数用意しておき、目的はざっくりとした内容になっている。


 Aは高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応する最終的には出たとこ勝負、と称したが、BとCは合理的であると思いつつ、あまり良い顔をしなかった。たしかに現地の空気を生で嗅がねば分からぬことは多かろうと、それって詰まるところは行き当たりばったりというのではなかろうかと。声だけが良い無能の姿が被る提案は、理があると思っても不穏な未来を予見させたのである。


 どうあれ、合流することと転生先での地盤を強化することは論ずるまでもなく重要なことであったし、それ以降の事業で必要になる物も分かりきっていたため、複数プランを必要に応じて回すだけ、と考えることで最終的な合意に至っている。


 金だ、金が要る、何をするにも金がなければ始まらない。


 最終的にこの世界に魔の手を伸ばす外なる神――彼等はヤクザとしか呼ばないが――の目的を挫くには、軍備が欠かせないという前提を理解しながらも、三人は継続的に利益を上げられる構造を一番に欲した。


 詳しいことは必要になってから語るが、どうあれ三人には戦う力が必要であり、それも三人が鍛えればどうこうできる話でもない。倒すべき敵は多く、制圧すべき拠点があるなら、どれだけ強力な個が三人いたところで解決する問題は少ないのだ。


 喩え一次大戦に21世紀の第3.5世代型主力戦車を数両持ち込もうが戦争に勝利できないのと同じで、文明を保つのに必要なのは人手であり、それらを飼い慣らすための金なのだから。


 巨大な建物を作るには土台から。強力な軍事力を握るには予算からという原則は世界が変わろうと不変である。


 「で、アウルス、お前幾らくらい動かせる? 貴族のお坊ちゃまだろ」


 「まぁ、最初の事業だからな。父上が貸してくださるのは50アウレウスが限度だろう。その辺、家の家系は親族間でもかなりドライでな。母上が口利きをしてくれたが父の財布の紐は固くて、兄上が初めて事業を始めた時の半分くらいになった」


 しれっと言い放つアウルスにベリルは何とも形容しがたい表情を見せた。これだから金持ちはという呆れ、とんでもない額を軽く扱うようになってしまった友人への恐怖、更には今から始める事業へのちょっとした不安といった感情が複雑に混淆された表情だ。


 それはさておき、帝国の貨幣は流通の簡便化と共に帝国という国家の権威を示すために鋳造され、建国から700年を超える今では自然な概念として受け入れられている。


 貨幣は実質的な価値を持ち、含有する金属量よりも高い価値を示すのは、巨大な国家が発行し担保しているからに他ならない。


 ここでアウルスが口にしたアウレウスは金貨であり、銀貨にあたるデナリウス25枚分の価値を持つ。そして銀貨一枚が市井における基軸通貨とされる、青銅貨のセステルティウス50枚分に相当し、以下市民が日常生活に用いる黄銅貨や銅貨という微少単位に続いていく。


 かつてはもっと煩雑で数が多かった貨幣も制度の改革と改鋳が進むにつれて数を減らし、元々の名前の意味から外れつつも市場を環流している。


 物の価値が違うため一概に評価することは難しいが、基本的な食料――パンや酒――を基準に現代日本価格に変換するならば銀貨一枚が約15,000円。つまり金貨一枚が375,000円に相当し、アウルスが父から引っ張ってきた予算は1,800万円以上の大金となる。


 国家を救う一大事業の取っ掛かりと見れば些末なれど、結構な数の奴隷使役権を購入できる金額は、お坊ちゃまの初出店費用と見ると大したものである。これにケチを付けるのは、それこそどこぞの大統領を経験した不動産王くらいのものだ。


 「……俺ぁ逆さに振っても7,000セステルティウス約250万円しか出んぞ」


 「そんなに親御殿から出して貰えるのか。玩具の稼ぎが元手なら、相当荒稼ぎしたんだなお前」


 「先に十倍近い額をポンと用意されたら立つ瀬がねぇよ……」


 それでも一応は市民感覚を忘れきっていなかったアウルスに打ちのめされつつ、ベリルは持って来ていた鞄に手を入れた。


 「……まぁ、将来的に俺が欲しい工房を作るにゃ金がしこたま要るから文句は言うめぇ。炉も工作機械も一から作ると死ぬほど金が掛かるから方法は選んじゃいられん」


 ホイと放られた鞄の中身を受け取って、スポンサーとなる御曹司は何故か荒み始め、初めて見る表情を作った古馴染みに首を傾げる。何か辛いことでもあったのだろうかと。


 何はともあれ、今投げ渡された包みが本日の目的である。ベリルが二人と合流し、一所にいても怪しまれない立場を作るために用意した名目ではあるが、新しい事業に貴族の口利きが必要になるのも事実である。


 この新しい玩具を用意した時、ベリルの父グインは試供品を遊んで大変気に入った。読み書きや答弁に必要となる論理、そして簡単だが算術の勉強にもなるからよく売れるだろうと。読み書きをできる者はごく僅かな支配者階級に限られるが、そのごく僅かな一部が財産の大部分を握っているため標的とするには丁度良かったのである。


 しかし、直ぐに生産に移ろうとする父を止め、熔鉄の髪を持つ乙女は言った。


 こういう物は貴族が箔を付けて守ってくれなければ直ぐに無茶苦茶になると。


 長い長い交渉と説得の末に娘は父を言いくるめて、スポンサーにして後ろ盾となる家を探して貰った。


 そして、そのスポンサーである御曹司が“ちょっとした符号”によって娘を見つけ、工房の当主ではなく発案者本人を呼び出すために母を口説き落として、変わった会合が催された訳だ。


 「おぁ……!?」


 「どれ、あたしにも見せて下さいな」


 包みを開いたアウルスは中身に驚き、覗き込んだカリスは手に取ったそれを読んで眉根を寄せた。


 「帝都騎士、火と①、配下、霊猿人、兵士。この配下は兵士以外と戦闘する場合、+1/+1の修正を受ける。1/2」


 「TCGかよ!? しかもどっかで見たことあるぞコレ!!」


 機械的に内容を読み上げる護衛、そして意図を察して悲鳴を上げる御曹司。


 包みの中で束ねられていたのは、極薄の木片に描かれた版画の骨牌カルタ。しかしながら、それはトランプや百人一首とは異なる、俗にトレーディングカードゲームと呼ばれるような代物であった。


 無論、紙に印刷されたよく知る製品と比べれば随分とお粗末だ。予算の都合か版画は一色刷の簡素なものであるし、文字も判子を並べて捺したのか綺麗ではあるものの傾きも見られる。また、薄いとは言え木の板ということもあって数を束ねるとシャッフルも紙ほど軽快には行えない。


 「どうだ、中々綺麗だろ! 文字や神話、算術を覚えるのに適していますと貴族階級で評判になれば、勉強嫌いの子供を抱えた大人に馬鹿売れ間違いなしだ! 簡単だが計算も要るから、子供の時から遊べば暗算も身につくときた!」


 「いや、お前これは……どうなんだ? 確かに相談段階ではいつかやりたいなとは言ったし、簡単にルールも練った覚えはあるが……これってたしか、製紙技術を発展させてからやろうぜって話じゃなかったか?」


 難色を示すアウルスにカリスは待ったを掛けた。


 「だけど実際行けそうじゃないコレ。骨牌遊びはかなり昔に流行ったと聞くし、素人目にも良い物に思えるわ」


 事実、刻まれた版画の質はかなりよい。掌より二回り小さい木片の半分ほどの空間を占有する絵は、簡素ながらも勇壮で、帝国美術に多い写実的なタッチより親しみがある戯画的な絵柄になっていた。


 若い子供にはこちらの方がウケもよかろう。それに字も読みやすく画一的であるため、勉強のためという名目も十分に立つ。後は余白に関係する格言や英雄詩の一節でも引用してみれば格好もつくだろう。


 「だろう? 向こうで死ぬほど練習した絵の成果だ。他にも腕が良いのにちょっと描いて貰ったから、賑やかだろう? 版画仕上げは親父の工房で腕が良いのを借りてきたから、こっちも大したもんだろうよ!」


 「ですね、貴女一番苦労してましたもの。液タブと鉛筆が持ち込めないことにぐだぐだ文句言いながら」


 「実際難しいんだからな、木炭で板きれに絵ぇ書くの。予算付いたら優先的に製紙と活版印刷を終わらせてやると硬く誓うくらいに」


 「政治に影響でる技術は、足場固めてからだってあれ程……ってか、よく見たら活版印刷に手ぇ出しかけてるだろうお前」


 ばれたか、と小さな鉄洞人は臆面もなく舌を出して笑った。判子で捺したような文字は、実際は一文字一文字独立した判子を木枠の中に束ねて作った物で、枠をバラすことで簡単に組み替えることができる。帝国語は表音文字でアルファベットに近く、二六文字しかないため活字を作るのも比較的簡単であった。


 彫刻の活字を組み合わせた組版に乗せた塗料を木版に移して印刷する技術は、地球ならば11世紀頃に産まれた技術だ。これもまた発想自体は簡単な技術であり――難しいのは品質の維持と大量生産を考える場合――三人のロードマップにはきちんと記してあった。


 しかしながら、文字、つまり言葉を大量に流布する技術は政治を大きく動かす力があるため、あまり軽々に持ち出しては“都合が悪い”と為政者から目を付けられる公算が高く、確固たる政治基盤を持ってから実用化すると決めていた物の一つだ。


 その片鱗を見せるのは如何なものかとアウルスは難色を示したのである。


 「まだ荒いからいけるいける。判子みてぇな技術自体はあるんだし、誰も気にせんて」


 「それより値付けとルールの策定ですね。これ、どういうルールなんです?」


 「おー、最初から凝ると刷るカードが多すぎて困るから、できるだけ簡素にしてあるんだが……」


 が、それも儲けを前にした友人二人の前だと些末な物だと流されてしまう。実際、版画がある時点で似たような技術は存在するのだ。それは木版に一文を書ききって印刷するという、制作に手間も掛かるし転用も利かない不便な代物ではあるものの、一つ一つ作っておりますと言えば誰も不思議には思うまい。


 必要なのは口の硬い従業員と秘匿性の高い工房である。


 手の中でじゃらつく木版を眺めながら、とりあえず父上に事業計画書を提出せねばなと若き御曹司は溜息を吐いた…………。












 下準備に入る前に、と言って神は三人の前に箱を用意した。コンビニで何百円か買い物したら引かせて貰える、クーポンや商品引換券が入っていそうな風情の箱である。


 「これにの、転生先の情報が入っておる。産まれる境遇が分からねば、予定を立てるのも難しかろう?」


 「まぁ、そうですが……選ばせてはくれないので?」


 「そこは、ほれ……遊び心じゃ」


 気が合うからこそ三十路を過ぎてもつるんでいた三人は、この時もやはり同じ感想を抱いた。髭の爺が要らん茶目っ気を出して、ついでに舌まで見せられたらぶん殴りたくもなる。


 何より、これから事業として手を付けることなのだから、キャラクターくらい選ばせろと言う物だ。それにそれぞれにも好みという物がある。


 Aは安定志向なのか、パッシブ恒常効果が強くて常時安定した性能を発揮できるキャラを愛好し、Bは癖が強くとも一瞬の爆発力に秀でるキャラ全ブッパ型を好み、Cは何をすれば強いとかではなく“ただただ強い”強キャラを選ぶ傾向があった。


 露骨に不満そうにする三人にイカンと思ったのか、神は慌ててフォローに移った。


 「とはいえ、酷い物は入っておらぬから安心せよ。雑に放り込んで三人揃って街の孤児に生まれたり、一人だけ人里離れた秘境の子に生まれては効率も悪いからの」


 「その辺のバランスは考えて下さっているのですね……」


 「無論じゃよ。生まれも育ちも違う異国の者が偶然集まって偉業を為す、というのは浪漫もあるが、実際には難しいことくらい分かっておる。この地球でさえ、全く身分が異なる立場の人間が合力して国を為した例は希であるからの」


 このオッサン、私と趣味が合うなと内心で考えるAを余所に、女二人は浪漫を理解するものの効率を考えてくれてよかったと思いつつ箱に手を突っ込んだ。


 古今の神話を見るに、神とは面白さ優先で人間に無茶振りをすることが珍しくなかったからだ。悲惨な結末を辿ることが多いギリシャの英雄しかり、苦難の道を歩かされ過ぎていることに定評があるアブラハムに連なる聖人諸氏しかり。


 しかし、この自称神は、この件を事業と見ているからか多少の遊び心はあっても効率をかなぐり捨ててはいなかったらしい。


 三人は必ず同じ国家、同じ都市に生まれるように調整されているようだ。


 そして、その国は世界の中でも先進国に分類される国家が選出される。また、全く寄る辺のない所に生まれることもないよう慈悲を垂れて下さっているらしい。


 まぁ、姉小路家詰み立地公孫康クソ雑魚勢力みたいな所に放り込まれて、ゲーム開始時から処刑までのカウントダウンが始まっていると困るのも事実であると、各々好いた歴史ゲーに準えて理解しつつ妙に凝った籤を開いた。


 「おっ、有力貴族の次男坊、これは当たりでは?」


 「何か種族が書いてあるが、ファンタジー世界なのか? ……異種族の体に突っ込まれて気が変になったりしないだろうな」


 「そこら辺は良い感じに差配してくださるのでは? なにせ神ですし……って、あたしAの家臣!? ここで身分差付くの!?」


 結果を見つつぎゃぁぎゃぁ喧しく感想を言い始めた三人を朗らかに眺めつつ、神は立場が決まったならば目的も教えねばなるまいと頷いた。


 「では、そなたらにやって貰いたい目的を教えよう……外より来たりし神が打ち込んだ楔を破壊して貰いたい」


 三人が辿るべき救世の道。それは、他の神が持つ世界を破壊して刹那的に形而上学的熱量を得んと試みる神の“橋頭堡”を破壊することである…………。


【修正補記】

 2021/12/2 誤字脱字訂正・一部加筆

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