帝国暦733年 夏 回顧/西暦20××年 転生チートとは

 「あれから11年とは、時の流れは早いものだ」


 「俺にとっちゃ20年だぞ。まぁ、寿命が長い種族のせいか、なんか凄いあっという間感があるが」


 貴族らしい上品な口調をかなぐり捨てたアウルス、そして営業用の外面を脱ぎ捨てたベリルも飄々と言葉を交わす。手酌で注いだ酒に自分の懐は痛まないからと高級な蜂蜜を遠慮なく大量に混ぜ込み、よく冷えた水で割って景気よく呷った。


 普通であれば顰蹙を買う、遠慮のなさ過ぎる地下者の振る舞いも、今となっては懐かしい過去を思い出せる行為だ。アウルスは前世からの付き合いという下駄抜きに、古い古い友人が変わっていないことが心から喜ばしかった。


 「で、B毒嶋よ、その早かった20年はどんな具合だった?」


 「まぁまぁかね。ご存じの通り成人を前にして職人になれそうだし、親父も遊ぶ金じゃなくて研究費としてなら、俺が考えた玩具のアガリをケチらずくれる。何人か専属としてついてきて貰いたい若手の……つっても全員年上だが、まぁ欲しい面子の目星もついたし上々って所さ」


 豪快に呷ったせいで口の端から微かに零れた酒を親指で拭いつつ、ベリルはお前らは? と問うた。


 アウルスは手付きだけは上品に果物の皮を剥き、しかし霊猿人の貴種らしく寝椅子に寝そべって怠惰に甘みを堪能しつつ答えた。何も彼が自堕落なのではなく、こうやって寝そべって話をしながら贅沢に物を食うのが霊猿人貴族の文化なのである。


 「途中危ないところはあったが、一応は順調だ」


 「焦ったわ、アウルスのご母堂が彼を正嫡になんて言い始めた時は」


 「一番焦ったのは私だよ馬鹿野郎」


 半笑いで思い出話をしようとするカリスへ渋い顔をするアウルスであったが、なんだそれ面白そうじゃねぇかとベリルは腹を抱えて笑いながら続きを促した。貴人にとって思い出したくない失敗談も、友人間では単なる笑い話に過ぎぬ。


 「いやいや、俺の下準備は予定通りだが、大した下準備だったなA吾妻


 「うるせぇブス、生きた人間の行動を全部予測できるわけあるか」


 「次そのネタ擦ったら殺すから覚えとけよアホ」


 前世での名前ネタ――A・B・Cトリオの由来ともなる――を弄られて柳眉を逆立てるベリルにアウルスは、喧嘩っ早さも20年経とうと変わらずかと素直に謝罪した。


 「……私の醜態が聞きたいなら、先に語るのが筋ではないか? 市民」


 「へいへい、かしこまりましたよ御貴族様。つっても、俺ぁ本当に予定通りに下準備を終えてきただけだぜ?」


 さて、ここでベリルの言う下準備とは、今この時に至るまでの基盤を作ることであった。


 三人が産まれた国家、中央大陸の西方亜大陸東部から中部にかけて広大な領域を支配する“帝国”は、三人が理解し易い形で言う所のローマ的な国家であった。


 様々な種族が一つの国家に纏められて融和し、その中には貴族階級と呼べる市民層と庶民にあたる平民層、そして奴隷階級が存在する。政治は“貴族”とも呼ばれる伝統ある裕福な市民層が主催する元老院と、近年力を得た貴族や有力な庶民によって構成される貴族院と民会院の二院が連帯しており、これら三機関から選出された代表たる皇帝が元首として全権を握る統治体系をとっていた。


 ベリルは大陸東岸、穏やかな内海に面した帝都に拠点を持つデヴォン氏族の人間だ。鉄洞人は山に流れる熱い鉄より産まれた一族と知られ、暗闇を見通す目、常人には耐えられぬ熱を心地好く感じ、狭い坑道で生きるに適した屈強な短躯に恵まれた種である。


 鉱山と工作の種族と呼ばれる鉄洞人の例に漏れず、デヴォン氏族も帝都に工房を構えつつ、本拠のデヴォン鉱山から鉱石や宝石を供給されて様々な道具を作っている一派である。日用品は勿論、鉄工、木工、建築から武具まで。


 彼女はそんな家の中で物心が付き、前世を自覚すると同時に短刀を手に取って工作を始めた。早い内から家人の信頼を得て、さっさと独立し行動の自由を得るためである。


 子供らしく、というよりも元手も要らずアイデアだけで勝負ができる玩具が彼女の武器だった。


 最初に作ったのは、家の中に転がっていた薪の切れ端を使った竹とんぼだ。


 竹を使っていない竹とんぼをそう呼んでいいかはさておき、乾いた軽い木を薄く薄く削って作った処女作は良く飛び、家の屋根を越える高度に達して親の度肝を抜いたという。


 地球では15世紀頃にヨーロッパへ伝わった東晋生まれの玩具は、この世界にはまだなく――或いは東晋に該当する地域から伝播しておらず――親馬鹿を発揮した父親が職人衆の会合に持ち込んだ末、“竜虫の羽”として瞬く間に街へ広がった。


 構造は簡単ながら、回せば空を飛ぶ玩具は人々の目に目新しかったのだ。この新しい玩具は市民の目に止まると、すぐに人気が出た。空を飛ぶという珍しい機能を持つ上、単純な原理故に安価であったことで帝都に広まっていった。


 都市レベルでの人気作が作れたなら職人として大したもの、という評価はさておき、ベリルはそこで止まる事はなかった。よく飛ぶ品は良い値がついたが、安価すぎて儲けは然程でないからである。


 次に彼女が手がけたのは、同じく木切れを材料に作り出したけん玉だ。道具がないため玉の代わりに、木切れを熱で曲げて作った輪が採用されたが、これも同様に父が喜んで会合に持ち込んで話題を集めた。


 簡単に見えるが、実際やってみると難しい遊びは職人衆の興味を惹き、奥深さによって魅了した。


 江戸時代に日本に伝来し、フランスでは国王が愛好するほどだった玩具は竹とんぼよりもテクニカルで、娯楽に乏しい時代で希少な遊び道具として大歓迎されたのである。カンコンと玉と皿が奏でる音は――後に父へ輪っかより玉の方が良いと進言して改良された――帝都の至る所で響き渡り、物珍しさから貴族に買い求められたそうな。


 一時は売れ行きに釣られた木工職人がけん玉ばかり作りすぎたせいで、日用品の供給が滞った程である。


 娘の発明品二つが売れに売れたことで、親馬鹿は単なる親馬鹿でなくなってしまった。一族の人間が次々とベリルに会いに来るようになり、次第に次は何を作るのだと期待され始める始末。


 鉄洞人にとっては作ったものがどれだけ売れ、どれだけウケたかが槍の勲にも等しい名誉なのだ。同じ一族の者が幼いにも拘わらず発揮した才覚が注目されるのは無理からぬ話であった。


 一族の圧力と親馬鹿の後押しもあり、本来は成人してから漸く出入りが許される工房に――今までは忍び込んでいたに過ぎない――ベリルは7歳にして、公然と出入りするようになり、それからも多数の玩具で名前を上げていった。


 木製の巻き筒と布を巻いた棒で作った水鉄砲は人気があったが、途中で悪戯に使われすぎたため発禁の憂き目を見たが――何処の世界でも子供がやることは一緒らしい――続いて作った達磨だるま落としもよく売れた。


 貴種に愛好される程の人気を博した作品はけん玉だけではなく、“忠臣と奸臣”と名付けた玩具も素晴らしい売上げを彼女の家にもたらした。


 これは二人で遊ぶ対戦型の盤上遊戯ボードゲームである。各員8個、4個ずつの忠臣と奸臣を使った戦略ゲームで、相手の忠臣を全て自分のコマで討ち取るか、自身の奸臣を相手の手によって全て除かせる。または自らの忠臣を相手の陣地に送り込ませることで勝利が決まるゲーム。


 余人には知る由もなかろうが、これもまた前世でよく売れたドイツ製ボードゲームの借用である。


 悪く言えば盗用であるが、この世界にない物をある所――つまりベリルの脳内――から輸入したと思えばまぁ適法といえよう。何より、全て此方には存在していないのだから、誰の利益を損なった訳でもなし、そこまで卑下する必要はなかろう。


 ともあれ、これらの商品を作って金と実績を重ねることでベリルは必要な準備を整えた。即ち、貴族の子弟であるアウルスの知己を得るという第一段階を。


 三人は前世からの知り合いであっても、他の者にとってはそんなこと知るはずもないのだから、面倒と思えど手順を踏むのは必須であった。なんといっても現代とは比べものにならぬ厳格な身分制度がある世界故、地下の職人志望が訪ねて行って、貴族邸宅の門が開かれることはありえない。


 「……つまんねー、順調過ぎてつまんねぇー……」


 「ひがむんじゃねぇよ、お坊ちゃま。俺は俺で色々大変だったんだぜ? 工房に忍び込んだのがバレたら、親父にゃ笑顔でゲンコ喰らうし、イイもん作っても悪いことは悪いことだってゲンコがセットだ。褒めるか叱るかはっきりしろってもんよ」


 「公平でいいお父上じゃないの」


 「自慢しながら娘のドタマに鉄みてぇな拳落とす性根が分からねぇつってんの。それよか、お前の番だぜ、Aよぉ」


 ニタニタと邪悪な笑みで可憐な童女の顔を染める鉄洞人に、霊猿人の貴族は今生において誰にも晒したことがない程、露骨な渋面を作ってみせた。


 ベリルが順調に下準備を進めていた一方、アウルスの準備はベリルと比べると物理的な手間はともかくとして、大変に精神的な手間を要する物であった。


 勉学に精を出し、人品をよく演出し、出会う人から気に入られるようにする。


 言葉にすれば簡単であるが、これがどれ程の難事であるか。


 貴族的観点における高潔で好かれる人間というのは堅苦しく、世俗にて自由に過ごしてきた中産階級の人間には息苦しいとしか言い様がない。礼儀作法は誰が見ていようが見ていなかろうが完璧に保つ必要があり、言葉使いどころか時制一つの誤りで相手に不快を引き起こすことがあるのだから、のしかかるプレッシャーと貫徹する難易度は凄まじい。


 相手の顔色や所作、立ち振る舞いに声音等を読んで望むままに振る舞い、好人物を演じ続けることは一種の拷問でさえあった。血を分け合った家族の前であっても、屁は疎かクシャミの一つさえできぬのだ。ここまで息苦しいことがどれだけあろう。


 その上、気に入られすぎるのも問題であるから困りものである。


 先ほどアウルスが言った通り、頑張りすぎたせいで本来の予定にない、というよりも避けるべきであった次期家長への擁立話が出て来てしまったのだ。


 これは完全にアウルスのやり過ぎに起因するものである。


 公学校が存在せず、大学が知識の頂を求めて開校される時代、子供の勉学とは主として当主直々に行うか、その道で名高い専門家が家庭教師として雇われて行うものである。


 中でも帝国の貴人が尊ぶ七課――語学、修辞学、弁証学、幾何学、天文学、算術学、詩学――にて「成人に匹敵する」との評価を下した家庭教師達が教鞭を不要として投げ捨てるだけの実力を見せ、更に高貴とされる哲学にも深い理解を示したことで彼の母は舞い上がった。


 元より母親似の顔付きであったアウルスは、母のメッサリーナからの寵愛が篤かった。生意気を言わず、母を立てて適度に愛情を求める子供が親からの愛を獲得するのは、それはもう容易いことであった。


 これに一つ、アウルスは何も両親からの覚えがいい方が便利だと打算だけで行動した訳ではないと弁護しておこう。


 彼はAであった頃、早い内に母親と死に別れ、母親の愛情に知らずに育った。産まれ直して体が子供の精神に引っ張られていた彼は、始めて与えられた“母性に基づく愛”に酷く感激し、甘えることに安らぎを見出してしまったのである。


 それが悪い方に働いた。


 人間心理として、可愛がっている子供に当主位を継がせたいと考えるのは至極当然の流れであるからだ。事例は歴史の中に数え上げられぬほど見つけ出すことができるだろう。


 そして、往々にして陰惨かつ血みどろの結末に終わってきたことも。


 噂を聞いた本人は、もう必死で火消しに走った。兄と仲良くし、父に兄は良い人物だと態とらしすぎるほど売り込み、自分を推している家人の元も訪ねて己が如何に兄と仲が良く、彼が当主を継いで自分を上手に使ってくれるかを楽しみにしていると説いてまわる。


 態とらしい、鼻につくと誹られかねぬ態度を続けるのは実に肩身が狭く、元々弱い胃に宜しくない時間であった。


 当主位は便利ではあるが、自由が利かないことでもある。アルトリウス氏族は大きく、カエサル家が有力家とはいえ比肩する大家も多く、面従腹背で下克上を狙っている分家筋も同様に少なくない。


 斯様な親戚づきあいがある中で家を継承してしまえば、家の統制に力を割く必要が出てくるが、そうなっては彼がこの世界に送り込まれた目的である、世界を外から来た神より救う事業に手を出しづらくなる。


 まかり間違って尊い血の義務とされる従軍に引っ張り出され、異郷に指揮官として送り出されては堪ったものではない。元老院に席を持ち、領邦を預かるカエサル家の当主は、時に軍団指揮官として戦地に赴く可能性が十分にある。心配性に基づく、現実性に乏しい懸念ではないのだ。


 本来の目的が果たせぬ身分となれば、残った二人から盛大に煽られる! とアウルスは大慌てで走り回り、これらの難事を胃壁をゴリゴリ削りながら乗り越えて――未だに母は納得しかねているようだが――今日に至っている。


 母親の甘やかしに依る、そろそろ自分だけの事業を与えてあげたいという思惑に乗せられながら。


 余談であるが、かいつまんだ此処までの説明を聞いたベリルの笑いが止まることは一時とてなかった。よい酒の肴であるとばかりに楽しみ、普通であれば無礼打ちにされても可笑しくないくらいに楽しんでいた。


 因みに二人に比べればカリスの準備は単調なものだ。彼女の分担区分がまだ大きく手を出せる時期ではなかったため、母や家中の人間に襤褸雑巾のようにされつつ毎日鍛え上げられ、軍学を脳髄に叩き込まれるだけの日々。


 肉体的には辛いものの、諸事情により“慣れていた”C知多にとっては、前世からの延長、ないしは己という道具を高みに持っていくよい習慣の形成でしかない。


 ただ恐ろしいのは、事業が進むにつれて我が身に降りかかる物理的な負担であった。護衛として働くのみならず、家の義務として軍団にまで兵士として放り込まれるなど、普通に考えればやり過ぎでしかない。


 「あー、笑った笑った……じゃあ我らの大いなる下準備はある程度順調に進んだっていうことか」


 「……ここまでウケを取れて何よりだよクソッタレ。ああ、バッチリさ、積み重ねてきた下準備の下準備があったからな」


 腹を抱えてひぃひぃ笑うベリルをじっとりした目で見ていたアウルスは指を一つ鳴らす。カリスもそれに続き指を鳴らし、またベリルも苦しげに悶えつつ指を鳴らす。


 するとだ、何も持っていなかった筈の三人の手に豪奢な本が現れた。


 余人には見えぬ本。持っていても手の中にある、その場に存在しているとさえ認識できぬ本。


 これこそが神が与えたもうた偉大なるチート、下準備の一端である。


 「じゃあ改めて状況を摺り合わせよう。第一段階の合流までは完了と」


 「えーと、ロードマップは何頁だっけ」


 「だから付箋を貼った方が良いわよとあれ程」


 アウルスは必要なページの位置を記憶しているのか指の感覚で迷わず開き、ベリルは笑って覚束ない指で頁を次々攫っていく。カリスは幾枚か貼った付箋を頼りに目的の頁を一発で開き、それぞれの個性を伺わせながら話の舞台を整える。


 彼等は何も今日まで出会うことだけを考えて生きてきたのではない。


 全ては遠大なる下準備のままに動き続けてきた…………。












 2000年代初頭から流行しはじめた、いわゆる転生チートと呼ばれる物語の中、往々にして主人公達は無条件で強力無比な力を与えられてきた。


 それは主人公が何かの手違いで死んでしまったことに対する詫びであったり、世界を救うために履かせて貰う下駄であったり、あるいは人間が猿に道具を与えてどう動くかを観察するに等しい行為だったり様々だが、どうあれ彼等は“特典”や“チート”と呼ばれる力を授けられて異世界へ旅立っていく。


 並ぶ者のない身体能力や才能はオマケのような気軽さで与えられ、既存の創作にて作中一の強キャラが扱った力、ゲーム的なシステムで動いている世界のバランスを破壊しかねない固有のスキルは当たり前。何故か主人公だけがトンチめいた理屈で強力に使うことができる、他の異世界人が価値なしと断じた能力など列記するとキリがない“依怙贔屓”を授かって。


 しかしながら、往々にしてそれらは神によってポンと投げられたものであり、本人達に必要なのは習得への努力ではなく、使いこなすことの慣れと創意工夫であった。時にはそれすら必要としないこともある程、与えられる能力は万能であることが多い。


 が、しかし、ここに来て神が言い放った“下準備”という意味が彼等には分かりかねた。


 「えーと、神様?」


 「なにかのA氏」


 「下準備とは……何の?」


 本意を問えば神は好々爺然とした笑い声を上げて指を一つ鳴らした。


 そうすれば、いつの間にか簡素な面談室が洒落たダイニングキッチンへ姿を変えたではないか。四人が座っていた椅子と机も乗っている物を動かさず、座っている者達に認識すらさせずに装いを変えていた。


 あまりにも唐突な情景の変化に人間三人は大変に困惑した。Aは放心し、Bは落ち着きなく首を巡らせ、Cは何を思ったか机を蹴り上げて遮蔽を作ろうとして失敗していた。机が固定されているようにも見えないのに、どうあっても蹴倒せなかったのである。


 ジェラルミンの盾を凹ませる怪力を込めた膝蹴り受けて軋みもしないテーブルに肘を突き、神はまぁ落ち着けと笑い声を上げた。


 万能のパラドクス、などという人間の思考遊びすら超越する存在にとって、この程度の所業は児戯に等しいのだから。


 「この空間は基底現実時間と切り離されており、そなたらも魂の状態であるため老いも死もない状況にある」


 そんなご大層な空間には到底見えなかった。板張りの床とシステムキッチンや冷蔵庫が並んでいるだけの、金は掛かっているが普通のダイニングとしか思えぬ普通の空間だ。窓の外には小綺麗な庭があるし、真ん中が曇り硝子になったドアの向こうには廊下と玄関が広がっている。


 誰の家とは言わないが、現代日本であれば何処にでもありそうな戸建て住宅。神はそこで下準備をしろという。


 異世界に産まれ、現地で身を立てるためのプランを策定し、技術を学んで役立てる準備を。


 「あの……質問よろしくて?」


 「何かなC嬢?」


 「あたしはあまり転生物に馴染みがないのだけど、普通こういうのって無限の魔力とか、比肩する者のない魔法の才能とかをポンとくれるものじゃないのかしら?」


 「あぁー、それのぉ……それやると大抵どこかで破綻を来すのでなぁ。知人のところを見てからワシはやらんことにしとるのよ」


 「破綻、とは?」


 「いじめられっ子に拳銃を寄越しても碌なことになるまい?」


 アッハイ、と剰りにも飾りのない返答にCからは間抜けな声しか出てこなかった。


 力とは飽くまで振るう人間の能力が付随してこそ初めて役に立つもの。何も考えずに強力な力を与えたところで、受け取った人間が世のため人のため役立てるかは別問題である。


 それこそ神の出した例に従えば、悲惨な結果が目に見ている。復讐を果たせばいいものの、狙いを外して別の人間に被害が及んだり、拳銃をいじめっ子が取り上げて更なる圧政が行われては誰も幸せにならない。


 仮に力の持ち主が自己犠牲精神に溢れた底抜けの善人であったとしても、力を正しく振るう“方向”を誤れば悲劇が量産されるばかりだ。ちょっと可哀想な境遇の異性に囁かれるだけで、相手の都合良く力を振るうようでは救世の道はままならぬ。


 最終的に、余程人品が優れていなければ目の前の善行だけを脊髄反射的に行い、感覚的に気に入らない者を武力で排除する“その人間にしか優しくない世界”ができあがる。


 これでは本末転倒なのだ。劇物を自分の世界に放り込んで反応を見たいという、魚の生け簀に石を投げ込むクソガキのような思考の持ち主でもない限り。


 「故にの、ワシは基本的にスキルがどうとかいう世界は作らんことにしとるし、それ一本もっとれば成り立つような権能も与えんことにしとる」


 「それもまた経験則で?」


 Aの問いに神は頷き、指で空中に箱を描く。指の軌跡はぼんやりと発光し、ゲームのステータスウィンドウめいた図形を作り出す。


 「これのぉ、人類発生直後の発達は適材適所が簡単に見つかって早いんじゃが、ちょっと慣れ始めた途端に発展が止まるから駄目なんじゃよ。なんというか、スキルありきというか、スキルやステータスが伴わんと、もーいいやで人生投げがちな人間が増えおるし。優れたスキルの持ち主も、そのスキル以上のことをしようとしなくなるんで、下手すると数千年同じ絵面が続きおる」


 「たしかにまぁ、育成ゲーだとありがちですが」


 思い当たる節があるのか三人はそれぞれ姿勢を崩して神の言うことを受け入れた。


 あ、これもう目標達成無理ぞ、と悟ってリセットしたり別の個体の育成に移ったりした覚えは、ゲーマーであれば多かれ少なかれあるものだから。


 「なのでそなたらには準備をする時間をやるので、人造的な天才として振る舞って貰うことになろう」


 人造的な天才の意味を彼等は感覚的にすぐ理解した。


 今日、文明を飛躍的に発展させた技術にも原理が極めて単純な物が多い。知ってさえいれば子供にでも真似できるようなことであっても、知らなければ数千年は効率が悪い方法を続けることになる。


 これはどの分野でも同じで、一人の画期的な思いつきに至った人間が現れねば解決しない。生産でも製造でも軍事でも変わらぬ普遍的な法則で、現代においても発想だけみれば単純なブレイクスルーによって新技術が開発されることは珍しくなかった。


 「ここの書架に転生先の情報を全て纏めておいた。産まれるであろう時点での情勢、技術、周辺の有力人物の内容など色々とな。必要となるであろう専門書も、必要である物は全て揃えてある。おまけででパソコンも用意してあるでな、SNSなんぞはできんがそなたらの時代のネットには繋がるようにしておこう。ま、いわば巨大なデータアーカイブといった所か」


 神の与える転生特典、下準備はここで満足行くまで調べ物をし、勉強を重ね、技術を身に付けてから転生してもよいというもの。


 世界に馴染むための知識は勿論、転生後に立身するための方法を考えるもよし、向こうで作りたい物があるならここで青写真を書いていくもよしというものだ。


 「ちょっとした専門家に繋がる回線も用意してあるので、存分に活用するがよい。それと、全てを記憶して出て行けというのも酷じゃろうからな、こういうオマケも用意した」


 机上に現れたのは三冊の豪奢な装丁をした本。開いてみれば中は白紙で何も書かれていない。


 しかし、これはただの白紙の本ではなかった。


 神曰く、頁が尽きることのない覚書であり、何処であろうと自由に取り出せる外付けの記憶である…………。

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