俺にだけ効く惚れ薬

「惚れ薬だって……古川に対してだけ効果のある惚れ薬」

「……は?」


 パタリと足を止める。

 言葉の意味を解釈するのに、時間が掛かった。

 たっぷり三秒ほどはフリーズしていただろうか。氷漬けから解放されると、首を斜めに傾ける。


「意味、わかんねぇんだけど」

「だから瑠璃るりがくれたの。アンタにだけ効く惚れ薬を!」

「え、っと……瑠璃がふざけてるだけだろ。まさか本気にしてないよな?」

「……あ、当たり前でしょ。本気になんかしてない!」


 ぷいっとそっぽを向く。

 白い肌は紅葉し、黒目の焦点は定まっていなかった。


「先に言っとくけど、俺に使っても無駄だからな。どっかの誰かさんみたいにはいかないから」

「……っ。古川さ、どういうスタンスなわけ」

「は? スタンスって?」

「あたしが……その、だから……うぅ、なんでもないわよ! 古川のバカ! 死ねぇ!」


 罵詈雑言をぶつけられる。

 どういうスタンス……か。

 要するに、惚れ薬を本物だと信じているのか、偽物だと看破しているのか。どっちで通すつもりなのか、という事だろう。


「わかんねぇよ俺だって。元はといえば、お前が惚れ薬とか変な物渡してくるから悪いんだろ」

「あたしのせいなわけ。てか、あたしは全然覚えてないけどさ、全然覚えてないけどあたし多分結構ぶっちゃけたわよね。全然覚えてないけど」


 この設定、やっぱ無理がありすぎやしないだろうか……。


「あぁまぁ……ぶっちゃけてたな」

「だったら、ちょっとくらい……アンサー的な何かがあってもいいんじゃないの?」


 みるみるウチに頬を紅潮させると、俺はガシガシと強めに頭を掻いた。

 アンサー……つまりは、付き合うかどうかって事だろう。そこまで直接的でなくとも、何かしらの答えはほしいってことだ。至極当然の要求だった。


 七条は、俺のことを恋愛的なニュアンスで好きでいてくれている。


 性格こそ可愛げに欠けている。けれど、外見は抜群。

 お互いの性格も熟知していて、好きな物嫌いな物、大体わかる。そんな彼女のことを俺は──。


「俺さ」

「……うん」

「俺……多分、七条のこと──」


 そこまで言いかけた時だった。

 チリンチリンと、鈴の音がなった。音のした先を見れば、自転車が一台こちらに向かって走ってきている。右手だけハンドルを掴み、飄々と俺たちの前に来ると、


「──あれ、古川と七条さんじゃん。一緒に登校とはお盛んだねぇ」


 軽薄な口調で、けらけらと笑いながら告げた。

 安城三太郎あんじょうさんたろう。中学からの悪友だ。


 途端、俺と七条が顔に朱を注いだ。

 タイミングがタイミングなだけに、俺が喉を詰まらせていると、七条が反論した。


「おかしな事言わないでよ安城くん! あたしと、古川はそんなんじゃないから!」

「じゃ、また後でなぁー」


 安城は特になにか言うでもなく、ひらひらと左手を振ってこの場を後にする。間の悪い奴……あとで一発殴ろう。


 再び、二人きりになる通学路。

 住宅路なだけあって、人気は少ない。すれ違う人も、ほとんどいない。


 安城の登場で、沈黙に落ちた俺たちは、どちらともなく歩を進めていく。

 そうして一分近く無言の時間を経て、最初に口を開いたのは俺だった。


「訳わかんねぇ」

「え?」

「さっき安城に俺たちの事、茶化されたじゃん」

「うん」

「すぐそうやって……いや、なんでもない。ごめん忘れてくれ」

「最後まで言いなさいよ。ちゃんと言ってくれないと気になるでしょ」

「いや、すげぇ女々しいから。だから忘れて。聞かなかったことにしてください」

「む。話して……じゃないと、直せるものも直せない」


 そう言われてもな……。

 直接口にするのは憚られる。我ながら、女々しすぎる。


 俺が言いよどんでいると、痺れを切らした七条がポケットからモノを取り出す。

 瑠璃からもらった俺にしか効果がない(設定の)惚れ薬だ。


「えっと、何してんの?」

「あたしに惚れれば、ちゃんと言ってくれるのかなって思って」

「いやバカなの? ねぇバカなの?」

「どっちを選ぶかは古川に任せる」

「任せるって──」


 ──ぷしゅっ


 惚れ薬が吹きかけられる。

 完全に水だった。香水ではない。


 さすがは兄妹というところか。考えることは同じらしい……。


 当然、これで俺が七条にメロメロになるなんてことはない。

 でもまぁ、これで何も起きないと、瑠璃が嘘つきになっちゃうしな。


 覚悟を決める。


「──大好きだよ、七条」


 俺は恥を押し殺して、惚れ薬にかかった演技をすることにした。

 いや、あながち演技とも言い切れないけど……。


 七条はピクッと身体を跳ねると、挙動不審におろおろする。

 胸に手を置き、すぅはぁと深呼吸した後で、さっきの会話の続きをした。


「さっき、言おうとしてやめたことなんなの?」

「……安城にからかわれた時さ、七条『あたしと、古川はそんなんじゃないから』って言っただろ」

「うん」

「あんな事言われたら、七条は俺のこと異性としては見てないんだなって、思う。特に中学の頃、さっきみたいに揶揄やゆされることしょっちゅうあったじゃん。そのたびに、七条が強く否定するから……俺は七条にとって、幼馴染でしかないんだって思ってた。……だから、余計な感情を抱いちゃダメだって強く自分を戒めてた」


 素直に赤裸々に、女々しい自分の感情を打ち明けた。

 なるほど……すごいな惚れ薬。大義名分があるだけで、胸の内を明かす重荷がなくなる。


 七条は、ゆでたタコみたいに顔を真っ赤に染め上げると、俺の身体にすり寄ってくる。そっと、左手を掴んできた。


「ごめん。あたし、恥ずかしくて……つい」

「べ、別にいいよ……あ、えっと、好き、大好きだよ七条」


 恥を忍ばせ、惚れ薬の設定を貫く。

 七条は更に体温を上げると、べったりと密着してきた。


「多分、多分だけど……惚れ薬が切れたら古川は記憶失うわよね」

「ぶはっ……ごほっ、な、なに言って」

「だから、今はなにしてもいい、よね?」

「……っ。し、七条……さん?」


 無理矢理共通認識を立てた後、七条は目をぎらりと光らせる。

 ただ一緒に登校するだけでは、済みそうになさそうだ……。


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