誰よりも強いひと:3

『……い。おーい、聞こえる? 愛しの弟子ちゃん』

「!」


 聴き慣れた声に、思想に沈んでいたフィールーンはぎょっとして辺りを見回した。しかし期待した師の姿はなく、代わりに自分のとなりに行儀よく座っている水の猫が小さな口を開いている。


「アガト先生!」

『連絡遅くなってごめんね。こっちはやっと片付いたとこで、被害はなし。そっちはどう?』

「は、はい。こちらは――」


 自分たちの現在地と、セイルの負傷について報告する。澄んだ水が渦巻く身体をもつ魔法獣は、師そっくりの仕草で頭を傾けて聞いていた。


『オッケー。状況は分かったわ』

「先生。助けたお子さんは」

『あの少年なら、リンちゃんが家のある村まで連れて行ってる。君の側付はあれでも王国騎士だし、エルシーちゃんもついてるから上手く言っといてくれるっしょ』

「そう……ですか」


 安堵する一方で、なぜか心の隅がちくりと痛んだ。膝の上に頭を乗せたままのセイルも、何も言わない。


『どしたの? もしかして二人して、“ばけもの”って言われたの気にしてる?』

「!」


 目を見開いたフィールーンだったが、同時に仲間も身体を強張らせたのを感じた。視線がぶつかったが、妙に気まずくてすぐに逸らしてしまう。


「き、聞いていらしたんですね」

『まあ、ちょっと“耳が良い”人材が多いからねえ。タルちゃんもエルシーちゃんも聞いてたし。聞こえてなくて教えてもらったリンちゃんなんか怒って、もうちょっとで少年を怒鳴りつけるところだったんだから』


 騎士の主である王女は肝を冷やしたが、どうやら未遂に終わったことを察して安堵する。おそらくエルシーあたりが制止してくれたのだろう。密かに感謝していると、師は続けた。


『精神が落ち込んでいると、魔力の巡りが鈍くなって回復が遅れる。たまにはフィルの膝枕を堪能してくれてもいいけどさー、セイちゃんには早く元気出してもらいたいのよねえ。日が暮れる前に街に着きたいし』

「す、すみませ……どうして膝枕のことを!?」

『ありゃ、ホントにしてたの? 邪魔しちゃってごめんねー』


 猫が得意げに口の端を持ち上げるのを見、師の話術に嵌められたことを知る。ぶすぶすと顔から湯気を立ち昇らせていると、猫が小さな前足を口に添えて咳払いした。


『それじゃ、元気が出る魔法をかけてあげようか』

「え?」


 師の声がふいに乱れ、猫の身体がざざざと波打つ。やがて、雑音が混じりではあるが魔法主以外の音が入ってくるようになった。


『え、今話せるの? ちょっと寄って、アガトさん――お兄ちゃんっ! ねえ、聞こえる!?』

「!」


 甲高い妹の声に、怪我人はぎょっとして茶色の瞳を丸くした。フィールーンも同じ驚きの表情をし、魔法獣を見つめる。透明な瞳の端が、心なしか吊り上がっているように見えた。


『あの男の子には、ちゃんと言っといたから。あなたを助けてくれた“ばけもの”は、あたしの兄だって』

「……」


 汗の筋が流れるこめかみの中で、太い眉が神妙そうに下がる。フィールーンはぎゅっと拳を握りしめ、女友達の声を待った。


『兄があなたの前に飛び出てくれなかったら、あなたはこうして家に帰ることはできなかったのよって言ったらあの子は、えっと……ちょっと困っていたわね』

『どこが“ちょっと”なのだ。俺の後ろに隠れて大泣きしていたではないか』

「リン!」


 割り込んできた側付の声に、今度はフィールーンが身を乗り出す。「ちょっと二人とも、押さないで。服の一部を掴むだけで良いって言ってんでしょ!」と師の迷惑そうな声がするが、素直な仲間たちはよく通る声で語り続けた。


『ご安心下さい、姫様。少年は分からぬなりにも、最後には我らに害意はないと理解してくれました』

「よ、よかった」

『だから、その……何だ、ホワード』


 長い尻尾でぱしゃぱしゃと草地を叩いたあと、魔法獣はキッとセイルを見下ろして吠える。


『貴様はか弱き民を守り、名誉の傷を負った。バケモノだろうがなんだろうが、それは誇るべき事実だ。胸を張れ。あと姫様に心配をお掛けするなッ!』

『素直に褒めてやったらどうなんすか、リクスンさま? すげーぞセイル、よく頑張ったな友よ! っつって』

『なっ……だ、誰が言うかッ!』

『あー、ごほん。旦那? 聞こえてやすか』

『話を聞けッ』


 商人の意思が伝わったらしい猫は、小粋な角度に鼻を持ち上げて小さな口を開く。

 

『旦那はそんなデケぇ身体を持っておきながら、心根が優しすぎるところがありやす。対してあっしら商人ってぇのは、哀しいことに罵詈雑言とはオトモダチでしてね。そういう無神経な一言をぶつけられるなんてのは日常茶飯事でさぁ』


 ぺろりと前足を舐め、猫はじっとセイルを見つめた。熱に浮かされながらも真剣な眼差しを返す木こりを見、フィールーンの胸が小さく脈打つ。


『そんな時にはね、こう言い返してやるんすよ。“うるせえっ!”てね』

『うん、そうね。それがいいわ』

『同意だ』

『そうそ』


 ここだけ綺麗に賛同の声が揃い、思わずフィールーンは吹き出しそうになる。なんとか耐えていると、商人が気楽な口調で締めくくった。


『伝説みてぇな竜と、カワイイ獣人と、“精霊の隣人”。あと、不死身じゃねえかと思うくらい丈夫な騎士さま』

『何だと』

『つまり、こんなヘンテコな一団なのがあっしらでしょ? これに“ばけもの”がひとりふたり入ったからって、何の不都合もないってもんです』

「……!」


 フィールーンとセイルは思わず、互いの顔を見合わせた。目が合ったのは少し久しぶりのような気がする。


『ま、そゆコトだから。ちょっと休んだら、二人で帰っておいで』

『お兄ちゃん、竜人になったらお腹減るでしょ? パンケーキでも焼くわ』

『わーい、おやつっすぅ!』

『待たずとも、迎えに行けば早いではないか』

『いーからいーから。じゃあねフィル、一旦切るよ』


 とぷりと水が揺らめき、魔法獣は口を閉じて静かになる。しばらく呆気にとられていたフィールーンだったが、膝上にある重みを思い出して慌てた。


「あっ、あの! 皆さん好きに仰っていましたけど、その――!」

「……ふ」


 その息の音は、熱がもたらす苦しみを吐き出すためのものではなかった。空色の瞳を大きくし、王女は仲間の顔を見つめる。


「なんだ、あいつらは……。何が言いたい」


 上気した頬の上にある茶色の瞳が、可笑しそうに細められている。血の痕がついたままの口も、少し弧を描いていた――笑っている。


「セイル、さ……っ!」


 名を呼ぶだけの言葉が上手く紡げず、かわりに王女の頬をひと筋の涙がこぼれ落ちた。木こりの顔から笑みが吹き飛び、不可解だという表情に変わる。


「なんでお前が泣く」

「す、すみませっ……な、なんだか、力が抜けて」

「意味がわからん」


 短髪をわしわしと掻き、青年はごろんと横向きになった。まだ膝上から頭を退かす気はないらしい。


 すんと鼻をすすり、フィールーンはその後頭部に小さな声を投げた。


「セイルさん」

「何だ」


 数々の物語の中で目にした、落ち込んだ仲間を鼓舞するための力強い言葉。それらはたしかに頭の中にあるというのに、王女が採用したのは自身の奥から湧き上がってきた質素で奇妙なものだった。


「私も、“ばけもの”です。忘れないでくださいね」

「……。ああ、わかった」


 帰ってきた言葉は素っ気なかったが、フィールーンの心を静かに満たしていった。彼も――そして自分も、きっとこれで大丈夫だ。


「でしたら今度は、一緒に言い返しましょうね! “うるせーっ!”って」

「それは……お前の騎士が、あとでうるさくなると思うが」


 困ったように呟く不器用な木こりに、不器用な王女は満面の笑みを返す。



 彼は強い。

 ならば自分も、彼と同じように強くなろう。



 誰も、寂しくないように。




−誰よりも強いひと 完−


***

お読みいただきありがとうございます!

近況ノートにあとがきとおまけを掲載しておりますので、お時間あればぜひ♪

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817139554825767009

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