ある日の彼ら〜仁義なき手合わせ〜:2
「はああッ!」
「決めるわよ!」
開幕と同時に動いたのは、速さが自慢の2人だ。リクスンの長剣とエルシーのナイフが真昼の陽光を反射しつつ、アーガントリウスの左右から斬りかかる。
「いきなり挟み撃ちとは、容赦ないじゃないの。いいねえ」
両側から迫る白刃にも、知恵竜は焦る素振りを見せない。手をかざす動作もなく、みずからの周りに虹色の魔法防壁を展開させる。それよりも早く内側へ踏み入ろうとした2人だったが、見事に弾き飛ばされて野原に転がった。
「お兄ちゃんっ!」
妹の声に応えるべく、セイルはすでに大上段に掲げていた戦斧の柄に力を込めた。自分が知恵竜の背にまわりこの動作を完了させるまで、一切の魔法を撃たせない――それが先に飛び出した2人の狙いなのだと、言葉を交わさずとも知っている。
「いい連携攻撃じゃない。普段からそれくらい、仲良くできるといいのにねえ」
「余裕だな」
「まあね」
人を斬れない特殊な戦斧だと分かっていても、顔よりも広い刃をもつ得物の接近は恐ろしいだろう。しかし知恵竜は額に迫るその刃を見上げつつ、笑顔を崩さない。
「ッ!」
魔法の壁と大戦斧がぶつかり、七色の火花を撒き散らす。硬い――まるで岩に向かって刃を突き立ているかと思うほどだ。腕を駆け抜ける痺れに、セイルは思わず片目を細めた。
「ありゃ、痛かった? ごめんね、竜人サマ――んじゃ、これはどう」
「!」
からかうような声が響いた瞬間、セイルが感じていた手応えが消失する。見れば戦斧を突き立てた部分が陥没し、まるで溶けた飴のように変形を成していた。まさかと思った瞬間には、猪に突かれたような衝撃が身体を襲う。
「ぐっ……!」
軟化させた防壁がまるでゴムのように戦斧を弾いたのだと気づくも、その勢いが弱まることはない。むしろ得物の重さが災いし、セイルは引きずられるようにして後方に吹き飛ばされた。
「おい、止まれホワード! 後ろは水だッ!」
「無茶言うな。あとは頼む」
「簡単に諦めるなーッ‼︎」
そうは言っても、セイルとて自然法則には逆らえない。竜人になって翼を出せば湖への落下を回避できるが、ここでは反則だ。七色の防壁の中で爽やかに笑む相対者の横顔が、みるみるうちに小さくなっていく。
「主戦力サマには一番に退場してもらわなきゃ、ね」
水上に自分の影が落ちるころになってようやく、自分たちの動きを読まれていたのかと諦観する。そこへ、今まで黙していた最後の参加者の声が飛んだ。
「セイルさん! 着地してくださいっ!」
「!」
その叫びが王女のものだと気付くと同時に、湖の上をさあっと冷気が疾っていく。ぱきぱきという季節外れな音を耳にし、セイルは腹筋に力を入れて身体をひねった。
掴んでいただけの柄を持ち直し、地に突き立てるように振り下ろせば――。
「……ッ」
水上では感じるはずのない手応えが返ってくる。無事に両足が踏みしめたのは大嫌いな水ではなく、平坦な足場――湖の一部を凍結させて作り出された、氷の台座であった。
(へえ、さすがだね。水の魔力が溢れる場所とはいえ、こんなに正確な位置に魔法を設置するのは至難の業だよ)
「……そうか」
心中の賢者が送った称賛はもちろん届かなかっただろうが、魔法の使い手――フィールーンは、湖の縁でこちらに両手をかざしたまま呆然としていた。
「で、できた……!」
「姫様、お見事ですッ!」
「すごいわ、フィル!」
仲間たちから飛ぶ歓声に、王女が照れたように笑む。戦いの最中だというのに和んだその雰囲気に、自分も礼の一つでも言うべきかとセイルが立ち上がった瞬間。
「うん、良い手だったよ愛弟子ちゃん。でもね――同じ魔法使いがいる場では、もう一工夫必要かもしんないよ?」
「えっ?」
知恵竜がこちらに手をかざすのを見、セイルは本能的に跳躍の体勢に入ったが遅かった。ジュッという音を立て、一瞬で足元の氷が蒸発する。
「「「あ」」」
陸にいる者たちの声が重なる。セイルはどこか間抜けなその声たちに見送られ、水中へと沈んだ。
*
「うーっ、悔しいっ! ちゃんと強いじゃない、あの竜! 何なのよもう!」
目を覚ましたセイルの耳に飛び込んできたのは、妹が憤慨する声だった。どこからか温かい風が吹いているのを感じて身を起こせば、かたわらに膝をついていた王女と目が合う。
「あ! 気がつきましたか、セイルさん」
「ああ。……一時撤退したのか」
「は、はい」
こちらの身体を乾かしてくれていたのだろう。フィールーンの両手には火と風の魔力を混ぜて作り出したらしい輝きが灯り、そこから温風が吹き出している。
「仕方なかろう」
岩に腰掛けたリクスンは不機嫌そうな顔でそう言い、両手で赤い騎士服を絞っている。ぼたぼたと水が草地に落ちた。
「あのあと知恵竜殿は、姫様にもホワード妹にも一切の魔法を使わせなかった。必然、俺が貴様を拾いに行かねばならなかったのだ」
「正面からの魔法合戦じゃあたしもフィルも、アガトさんの相手になんてならない。すぐにそれがわかったから、作戦立てるために退くことにしたのよ」
頬を膨らまして言い添えたエルシーは、手にしていた小枝をバキリと折る。自分が水没したあと一体、あの場ではどんな戦いがあったのだろうか。負けず嫌いな妹がこうして大人しく身を引くほどだ、おそらく決着にそう時間はかからなかったのだろう。
「あたしたちが背中を見せて逃げ出すのを見ても、アガトさんは何もしてこなかった。完全にナメられてるのよ。しかもあの竜、余裕顔でこう言ったの――」
“賢明、賢明。まあそっちは大人数なんだから、そのことを活かせる策を考えてきなよ”
髪を払いながら気取った声で真似をしてみた妹は、思い出して腹立たしくなったのかさらに小枝を粉砕しはじめた。側付の服に温風を当てていた王女が苦笑しつつも、不安そうにちらと空を見上げる。
「残りの時間は……半分というところでしょうか」
「お前の師匠は強いな、フィル」
「は、はいっ! そうなんです!」
素直な所感を述べると、途端に王女の顔が輝き出す。火の魔力が強くなったのか、岩にかけた服から濃い蒸気が立ち昇りはじめた。脇で乾燥を待つ騎士がわずかにぎょっとした顔になるが、彼の主君は熱心に語りはじめてしまう。
「先生は私と同じ、すべての魔法属性を操る特殊体質――“全属”と呼ばれる存在です。なので相性の悪い属性をぶつけて攻めるという、魔法の基本戦術が通用しません。それに運良く多少魔法を当てられたとしても、元が竜なので魔法耐性が高く、有効打にはならないんです!」
「ひ、姫様、その程度で十分かと……」
ごうごうと温風に炙られる服を見守るリクスンがそう申し出るも、王女はセイルとエルシーを交互に見て早口でまくし立てる。
「あの七色の防壁を見ましたか? 簡単なように見えますが、そもそもあんなの普通の魔法使いには出来っこない技なんです。まずはあれを突破、もしくは先生自身に解かせないと、何もはじまらないと言っても過言ではありません!」
「あの、フィル? ちょっとやりすぎなんじゃ」
「やりすぎ……そうですね、やはりそれくらいの力を込めた攻撃でないと、ヒビのひとつも入らなさそうです。けれどそこに注力しすぎてしまうと、以降の魔力配分が困難に――」
「……焦げるぞ。服」
「えっ?」
セイルが言うと、ようやく王女は我に返った。慌てる仲間たちの視線を追った先には、今にも火がつきそうなほど熱された臣下の服がある。
「わああっ、ごめんなさい! ひ、冷やしたほうが?」
「いいえ姫様、このくらい温まっていたほうが有り難いです! 冷えた身体では動けませんので」
元気よくそう言って服を回収した側付だったが、さすがにすぐに袖を通すことはできないらしかった。おさまった場を見回し、セイルは小さな息を落とす。
「つまりあの防壁をなんとかしない限り、じいさんには傷ひとつ入らないと」
「は、はい……。でも、近接戦闘は苦手だと仰っていたことがあります。ご自身での竜化も禁止としている今、やはりどうにか接近して攻めるしか策はないかと」
「ま、倒す必要はないしね。近づいて、水晶玉だけ奪えばいいんでしょ」
「簡単に言うな。それが難しいから困っているのだ」
「何よ、弱気ね。こっちから手合わせ吹っかけたんだから、絶対負けられないわよ!」
「啖呵を切ったのは君ではないか! まあ俺も、負けるつもりは毛頭ないが」
絶望的な状況下では、いつもの言い合いにも勢いがない。しかし沈黙が降りた場に、王女の澄んだ声が響いた。
「倒す必要はない。大人数だからこそ、できること――そう、そうだわ」
フィールーンが背筋を伸ばし、セイルをじっと見た。興奮に上気した頬の上で、空よりも明るい色をした瞳がきらりと輝く。
「私たちが目指すのは先生を打ち倒すことではなく――伝説の知恵竜すら予想できない意外な策をもって、一瞬の油断を勝ち取ること」
「……つまり?」
セイルが促すと、王女はさらに子供のような笑顔を深めた。純粋な悪戯を思いついた子供のようなその表情に、木こりは言い知れぬ不穏さを感じとる。
代わりに心中の友が、諦めたように呟いてくれた。
(たいへん遺憾ながら、彼女は少し――師に似てきたのかもしれないよ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます