ある日の彼ら〜仁義なき手合わせ〜:3

「あっしも不思議なんでやんすがね、知恵竜さま。どうして戦いの時、お力を貸してくれねえんです?」

「んー?」


 可愛らしい見目に似合わぬ商人言葉に、知恵竜――アーガントリウスはゆるりと振り向いた。弟子を含む“挑戦者たち”が消えていった木立はまだ静まり返っている。少し集中を切らせても大丈夫だろう。


「賢いタルっちならわかるでしょ」

「……。まさかホントに、お弟子さん方の成長に期待してるって?」

「なーによ、その驚いた顔は」


 三角耳をぴんと立てて目を丸くしている獣人を見下ろし、アーガントリウスはローブの肩をすくめた。胸の前に提げた水晶玉を指で弄りつつ、言い加える。


「そりゃそうでしょ。どんなに良い原石だって磨いて金で飾らなきゃ、“宝石”とは呼ばれない」

「そうでやんすが……。あっしはてっきり、面倒くさがっていらっしゃるのかと」

「もともと俺っちは平和主義なのよ。でもね」


 澄んだ湖の縁に立つと、じっと自分を見返してくる端正な顔立ちの男が水に映る。今や本来の竜姿よりも見慣れた姿になってしまった。


「あの子らが歩む道には否応なく、戦いの運命が待ち受けてる。いつか突如現れるのは、日々襲ってくる雑魚なんか相手にならないくらいの脅威――でもそこで力を発揮するには、やっぱり日々を頑張るしかないってコトよ」

「ほえー。意外と優しいんでやんすね」

「商人が易々と本音を吐露しないの、タルっち。んで、残り時間は?」


 問いかけると、商人は切り株の隅に設置された道具たちに目を遣った。ひとつは四つ足の宝石箱、もうひとつははすでにずいぶんと中身が偏った砂時計だ。


「あと10分を切ったってとこっすか。驚きやしたよ、こんなに攻めてこねえなんて。まさか揃って、打つ手なしってこたぁ」

「たぶん無いと思うけど。ま、ここまで引っ張るのも作戦なんじゃない? 運良く俺っちから水晶を奪えたとしても、残り時間が豊富なら奪い返される可能性が高いし」

「そこを加味して、最後の瞬間に賭けてるってことっすか。なかなか博打でやんすね。……おっ? なんか、湖の様子が変わりやしたぜ」


 獣人の分厚い尻尾が太くなるのを見、アーガントリウスも湖面を見た。鏡面のようだった湖から、白い霧がもうもうと発生している。それらは湯気のように空へと消えることはなく、触れられそうな濃厚さを保ったままこちらへと滑ってきた。普通の霧ではないことは明らかだ。


「魔法の霧……フィールーンさまでやんすか?」

「たぶんね。これを教えたのは俺っちだけど――なるほど。これが言ってた、“手を加えた”結果か」


 霧の中に浮かぶ、きらきらとした小さな塊を見上げる。そのひとつが身体に触れたのか、ぎゃっと小さな悲鳴と共にタルトトが飛び上がった。


「つめたっ! この粒、氷でやんすか」

「そう。しかもあの子の魔力を閉じ込めてある。俺っちに自分の居場所を感知させないためかな。水場を活かした良い技だけど、消費も大きい。長くは保たない」


 すでに視界には霧のカーテンが降り、かろうじて木立の影が見える程度となっている。その奥から、こちらを目指して一直線に走ってくる足音が聞こえた。


「タルっち。切り株より外には出ないでね」

「へい、もちろん。焼きリスにも痺れリスにもなりたくないっすから」


 魔法防壁――こちらは外部から誰かが直接触れると消えるという、保護目的のものだ――の中で尻尾を抱えて小さくなった商人を確認し、数歩前へと歩み出る。


「さーて、お楽しみの時間だ。誰が来るかね」


 猛烈な勢いで走ってくる足音はひとつ。普段の魔力探知が出来ずとも、がちゃがちゃという金属質なグリーヴの音で簡単にその正体は知れた。


「リンちゃんか。まさか考えなしの突撃じゃないでしょーね」


 魔法も魔術も使えないあの騎士なら、その姿を視認してからでも対処できる。おそらくは後続のための囮だろう。しかし日々鍛錬しているだけあって、リクスンの剣技には油断できないものがある。刃が触れるだろう部分の結界は強化するべきだ。


 手短に思考をまとめている間に、霧の向こうから向かってくる挑戦者の影が濃くなった。彼の情熱をそのまま纏ったかのような、いつもの紅い騎士服――。


「出ておいでよ、騎士サマ? 優しくしてあげるからさ」


 振り上げられた長剣のシルエットを視認する。真正面からの斬りかかりとは、相変わらず驚くほどの素直さだ。接触が予想される部分に追加の魔力を流すと、より強固になった結界が強い虹色の光を放つ。


 しかし――。


「ん?」


 たしかに狙い通りの位置に、衝撃は訪れた。だが結界に斬りかかる愚か者の姿はない。騎士のものである王国製の長剣は結界に弾かれ、カシャンと虚しい音を立てて草地に落ちた。


「まさか投げたの? ちょっとリンちゃん、騎士がそれやっちゃダメっしょ」

「――問題ない」

「!」


 平坦な男の声を耳にし、アーガントリウスは深紫の目を見開いた。同時に霧を裂くようにして現れた黒々とした物体が、左方向から急接近してくる。


 禍々しいほどに厚い刃を有したその得物の形状は――戦斧おの


「オレは木こりだ」

「せ――セイちゃん!?」


 凶器への対処が先だと理解しつつも、知恵竜の目は前方から飛び出してきた人物の姿に釘付けになる。紅い騎士服――身幅がわずかに合わなかったのだろう、ぞんざいに羽織っただけだ――を身につけた青年の正体は、大戦斧を持ったセイルだった。

 

「見えてからじゃ遅いぞ、知恵竜」

「ッ!」


 走りながら乗せられた力が、横ざまに結界を殴りつける。急いでその箇所へと魔力を集めるが、びしりと大きな音を立て結界にヒビが走った。ヒト姿をしていても、さすがは竜人というところか。


「でも――それだけじゃね!」

「!」


 アーガントリウスがかざした手の下で、結界がまばゆい輝きを放つ。内部に侵入しようとしていた刃を無事に押し出すと、戦斧の持ち主である青年はわずかに仏頂面を歪ませた。


「はあッ!」

「わっ!?」


 背後から響いた暑苦しい気合に、アーガントリウスは思わず声を落とした。同時に、結界に走ったするどい衝撃を感知する。


「ホワード、貴様! 他人の剣を雑に扱うなッ!」

「リンちゃん!」


 顔だけで振り向けば、らんらんと闘志を燃やした騎士と視線がぶつかる。しかしその格好――セイルの軽装をまとい、金髪はずぶ濡れであった――を見た知恵竜は、こみ上げてくる感心とおかしさに口の端を持ち上げた。


「くく、すいぶん素敵な様相じゃない。でも足音はしなかった――まさか、霧のたちこめる湖を泳いできたっての?」

「潜水は得意です。それにこうでもしなければ、貴方の背後は取れなかった」


 言葉のとおり、策は功を奏したらしい。青年が結界に突き立てているのは、灼熱するように赤く輝く短刀だ。


「エルシーちゃんのナイフ。それも精霊の加護つきか」


 しっかりと握った柄にもう一方の手を添え、リクスンは体重を押し込む。セイルの戦斧を防ぐため結界は横方面の強化がなされていたが、背面はそうではない。ふたたびビシリという音が耳を打ち、アーガントリウスは嘆息する。


「いやー、びっくりした。2人ともお見事、お見事。結界にヒビ入れられたの、60年ぶりくらいだわ」

「!」


 健闘を讃えつつも、力強い得物を今度も弾いてやる。揃って後ろへ跳んだ若者たちを見回し、にっこりと笑んだ。


「でもそういう作戦は、必ず初手で成功させないとね? ほら、もう結界復活しちゃったよ」


 つるりとした結界が輝き、悔しそうな顔をしている戦士たちを嘲笑う。いつもの無表情を崩し、深く落胆した声でつぶやいたのは木こり青年だ。


「……惜しかった」

「ホワード貴様、またあっさりと! まだ勝負はついておらんぞ」


 ナイフを顎の前に構えたまま、リクスンがその嘆きに噛みつく。しかしセイルは髪色と真反対の色をした服を見下ろし、さらに瞳の影を濃くしてこぼした。


「窮屈な服を着た甲斐がなかった」

「それはこちらの台詞だッ! 前々から思っていたのだが、なんなのだこの薄着は!? とても戦闘に臨む装備とは思えん」


 今度は騎士が自身の装備を指差して叫ぶ。大事な肩や腹を剥き出しにした装備はたしかに、魔法使いである自分から見ても軽装だと感じるほどに薄い。泳いでくるためか素足なので、余計に哀れに思えた。


「泳ぎやすかっただろう」

「泳げんくせに得意げに言うなッ!」

「何より動きやすい。それに傷ついた肌はすぐに治るが、竜人化で破れた服は戻らない」

「自身の負傷よりも衣服の損傷を憂うなど、論外だ!」

「それが竜人の感覚だ」


 いつもの言い合いをはじめた若者たちを微笑ましく見守りたいところだが、アーガントリウスはちらと審判を見てうなずいた。


「楽しいおしゃべりもいいけどね、若者たち。時間、あと少しみたいよ?」

「く、まずい……! このままでは、

「ん?」


 リクスンの顔に浮かんだのは、制限時間への焦りとは何やら別の狼狽だ。セイルの視線も、相対者である自分から外されている。知恵竜がまさか、と木立へ目を向けた瞬間、ひゅんと一筋の光が飛んだ。


「時間切れだ――オレたちのな」


 無機質な声で木こりが言うのと同時に、近くの野原が爆ぜた。森に響く轟音に、午後の昼寝を楽しんでいた鳥たちがバサバサと飛び立っていく。


「ちょ、これ……エルシーちゃんの精霊矢!?」


 霧がかき消された野原の一部には、大岩サイズの穴が出現している。もうもうと煙をあげるその光景に、アーガントリウスは凍りついたように動かなくなった若者たちを見た。


「セイちゃん! お前の妹、ちょっと気合入れすぎでしょ!」

「オレたちの“装備交換びっくり作戦”が失敗したら、あいつがケリをつける――そういう策だ」

「無慈悲すぎない!? それでいいの兄貴!」


 このやりとりも、双方ができる限りの声を張っているからこそ通じたものだ。すでに3度の攻撃があり、穏やかだった湖のほとりは今や合戦場の最前線かと見まごう有様となっている。


『わ、わひゃあああ!?』

「! タルっち」


 くぐもった声を聞きつけアーガントリウスが振り向くと、防御壁の中で悲鳴をあげる審判を見つけた。砂時計と小箱を抱きつつ、尻尾を縮ませている。


『知恵竜さま! ほ、ほんとに大丈夫なんすよね、この結界』

「あー、うん……でも、危ないと思ったら移動してね。歩く速度くらいなら追従するようにしとくから」

『なんすかそのふんわりした措置! ひええ!』


 良い腕をもつあの射手に限ってそんなことはないだろうが、万が一にも直撃するとまずい。それに地形が変わるほどの攻撃が続くのも好ましくはなかった。


「ホワード妹ッ! 移動する、移動するから少し待てーーっ!」

「あいつがそんな隙を与えると思うか。この野原はもう消える運命だ」 

「話していたよりも攻撃が重いぞ!? まるでこちらに恨みでもあるかのようだ」

「じいさんが散々煽るからだろう。あいつは恨み深い」


 絶望的な顔でこちらを見た戦士たちに、アーガントリウスは肩をすくめる。非戦闘員に怖い思いをさせるのは本望ではない――その想いで、優美なブーツの先を木立へと向けた。



「はいはい、俺っちが動けばいいんでしょ。光栄に思ってよね」



 大魔法使いはそう呟き、いまだ霧が支配する森へと駆け出したのだった。

 

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