竜人と亡者とハニトー祭り:3
先導していた亡者を追い越したかぼちゃ羊たちの群れは、フィールーンたちを急かすようにして霧の彼方へと導いた。現実の時間にしてどのくらい歩いたのかわからなくなってきた頃、唐突に視界が開けた場所に出る。
「あれは……?」
霧に囲まれた草原のなかにぽつんと生える、色彩を失った樹。枝も葉も淡い灰色をしているその植物だが、王女たちの視線はある一点へと引きつけられた。
「蜂の巣があります!」
「はちみつだな」
「はちみつだ」
そろって同じ所感を漏らした木こり青年と亡者が、ふと顔を見合わせる。なぜ彼らはもう加工後の食品へと考えが飛ぶのだろうかとフィールーンは苦笑した。
『はにとー!』
期待しているのか、魔獣たちはわずかな羊毛をもこもこと震わせている。フィールーンは不安な心持ちで、枝に吊り下がっている大きな蜂の巣を見た。樹木と同じ灰色をした巣だが、住人たち――こちらも白っぽい蜂だ――は忙しそうに出入りをしている。
「俺が取ってくるよ。刺されても痛くないし」
「ええっ!? で、でも普通の蜂ではないでしょうし、亡者といえど危険が」
「ははは! 優しいな、フィールーンは。でも綺麗な顔が腫れ上がるところなんて見たくないからさ、任せてくれよ」
「エッドさん」
ひらひらと灰色の手を振り、エッドは外套を結んだ灯具を手放した。やはり浮いている。フィールーンがまじまじと見つめると、伸びをしていた亡者はおかしそうに教えてくれた。
「俺の“担当”がさ、この霧で迷子にならないようにって持たせてくれたんだよ。壊すと彼女、ものすごく怒るだろうから……ここで見ておいてくれるか?」
「は、はい。私でよければ――って、セイルさん!?」
「オレも採る」
大戦斧を構え、木こり青年が一歩前へと出た。真剣というよりはどこか不機嫌そうな仏頂面を見上げ、フィールーンは焦る。
「そんな! 危ないです」
「木こりは、蜂の動きをよく知っている。特殊な相手だろうが、一箇所も刺されなければいい話だ」
「そ、そうですけど」
「おお、良いじゃないか。その戦斧、蜂くらいは斬れるんだよな?」
「斬れない。叩き落とすだけだ」
「ありゃまあ……」
苦笑しつつも、エッドは了承の意を示している。止めるつもりでいたフィールーンだが、並び立つ2人の間に言い知れぬ闘志が流れているのを感じて黙った。
「行くぞ!」
エッドの掛け声を合図に、亡者と木こりは樹に向かって疾走する。危険を感じたらしい蜂たちが、わんわんと響く羽音と共に巣から溢れてきた。
「取りこぼすなよ!」
「……そちらこそ」
フィールーンの不安は杞憂だったらしい。屈強な武人の襲来に、蜂たちは為すすべもなく叩き落とされていく。大柄なセイルの細かな斧さばきも見事だったが、赤毛の亡者の動きに王女は感嘆せずにはいられなかった。
「すごい……!」
四方から襲いくる蜂へ、視線も飛ばさずに応対している。手刀でなぎはらい、腕のからくりで殴打して蹴散らし――かといえば、セイルの広い背を借りて飛び上がり、手足のすべてを使って蜂たちの雨を降らせることもあった。
「ふー、こんなもんか。やっぱり身体を動かすのはいいな!」
「……身軽なんだな」
「それって褒めてるのか? はは、君も若いのに相当動けると思うぞ。俺も剣を持っていたら、ちゃんと手合わせしたかったな」
転がる蜂たちの間で会話する2人を見守り、フィールーンはひとり息をついた。やはり争うのための出会いではなかったのだ。
「よーし、落とすぞ」
「ああ」
苦もなく樹に登ったエッドが宣言し、セイルも下方で手を広げる。西瓜ほどもある大きさの巣だが根本は細く、亡者の手刀であっさりと樹から落とされた。
「ほら、はちみつだ。パンと食え」
『はにとー!』
「セ、セイルさん。そのままというのは、さすがに……」
苦笑したフィールーンの前で、かぼちゃ羊の一体がぴょんと跳ねた。それに呼応するように、ぐいぐいと王女のバスケットが鼻で押される。
「あ、あのままでもいいんですか!?」
「まあ魔物だしな。パンも与えてやったらどうだ? トーストにはできないけど」
『はーにーとーッ!』
「え、そこは焼かなきゃいけないのか? 参ったな……」
亡者が肩をすくめて示したとおり、どこにも熱源はない。彼の灯具の光はどう見ても火ではないし、触ったら消えてしまいそうなほど頼りない。フィールーンは覚悟を決め、亡者へと意見した。
「あの! 私、火の魔法が少し使えるんです。やってみてもいいでしょうか」
「そうなのか、それは助かるよ」
「でも、ええと……たまに制御がきかなくて、失敗することも」
「構わないさ」
「大失敗したら、あの……竜人になったり、この草原を火の海にしたりするかもしれないんですけど」
「焼いた亡者なんて誰も食べないぞ?」
傷の走る頬を器用に爪で掻きながらも、エッドは結局フィールーンに任せてくれるらしい。あとのことは頼んだという意味で木こりに視線を送れば、無表情ではあったがしっかりとしたうなずきが返ってきた。
「では、始めましょう――最高の“ハニトー”作り!」
*
香ばしい麦パンの匂いと一緒に立ち上るのは、新鮮な蜂蜜のみずみずしい香りだ。草地に並んだ“ハニトー”から魅惑的な湯気が立つ様子を眺め、フィールーンは黒髪の下ににじんだ汗を拭った。
「で、できました!」
はじめの何切れかを炭にしてしまったが、日頃の鍛錬のおかげかすぐに塩梅は掴めた。表面をなぶる程度の火で、ちょうど良いトーストが出来あがる。
「……言うな、テオ。緊急事態だ」
セイルが切り分けた蜂の巣――いにしえの斧が蜜まみれである――をエッドが小粋に盛り付ければ、パンの熱でとろりと琥珀色のはちみつが流れ出た。甘い香りにつられ、点々と設置した食物に羊たちがわらわらと集まってくる。
『はにとっ! はにとー!』
『はーにとーっ♪』
普通の魔法よりも繊細な魔力の扱いは疲れたが、苦労の甲斐あってか魔獣たちの喜びようは微笑ましかった。小さな口で甘味をむさぼる彼らを横に、フィールーンたちは揃って草原に座り込んだ。
「ふたりとも、お疲れさん。このまま少し待機するぞ」
「は、はい。エッドさんも、お疲れさまでした」
「はは。亡者に疲労はないさ」
どこからか風が吹いてきて、笑う彼の赤髪を揺らしていく。締まった身体はたしかに俊敏な剣士を思わせるが、やはりフィールーンの目を引いたのはその血の気のない肌だった。
金の瞳は静かに霧の向こうを見つめたまま、亡者は楽しそうに言った。
「物知りな王女様でも、さすがに珍しいか」
「あっ、また私……! 申し訳ありません」
「良いって。俺も君たちのこと、興味あるしな。よかったら羊たちが食べ終わるまでの間、2人の冒険譚を聞かせてくれないか?」
「えっと……」
仲間をちらと見れば、こくりと了承が返ってくる。フィールーンは柔らかな草地の上で姿勢を正し、自分たちの旅のことを話した。
「――なるほど、2人はそれで“竜人”に。並みの力じゃないわけだ」
「お前がいた世界に、“竜人”はいないのか?」
「いないな、俺の知る限りじゃ。ログ――さっき話した親友なら、何か知ってるかもしれないけど」
「そ、そうだ。エッドさん、長々と私たちに付き合っていて良いんですか? もちろん、感謝はしているのですが」
明かりを持ってこの霧の海に踏み入るくらいだ、彼にだってなにか目的があるのだろう。フィールーンの焦った声に、亡者はやはりのんびりと答えた。
「良いさ。たぶんもう、今年の“
「ええっ!? すみません、なにかお祭りに向かう最中だったのですか」
「そんな大層なもんじゃないさ、来年もあるしな。甘いものを倍持っていけば、あいつもそんなに拗ねはしないだろ。というわけで、これ」
「?」
エッドが外套の物入れから取り出したのは、銀色の包み紙だった。ころんと形のよい球状の菓子を両手に受け取り、フィールーンは目を瞬かせる。
「お菓子、ですか」
「俺の愛しいひとが作った、特別製さ。きっと“あっち”にも、持っていける」
「……。あの、エッドさん――貴方は、“帰り道”がわかるんですか?」
自分にしては、実直な尋ねかたになってしまったと思う。しかし赤毛の亡者の微笑みを見ていると、早急に確かめておかねばならないような気がしたのだ。
「おかしなことを訊くんだな。迷子なのは、君たちのほうだろ?」
「そう、ですけれど。では――……って、わ!?」
急に左の肩が重くなり、フィールーンは驚いてそちら側を見た。見慣れた群青色の頭が、自分の肩に遠慮なく乗せられている。心臓が大きく跳ねたが、仲間の様子がおかしいことに気付いて王女は大きな声を出した。
「セイルさんっ!? ど、どうされたんですか!」
「……眠い」
「え?」
傾いだ上半身をそのままにし、セイルはぼそりとそう告げた。作業に疲れたとはいえ、体力豊富な彼がこんなにも早急に睡魔に襲われるだろうか?
『はにとーありがとー』
「!」
異様な魔力を放っているのは、木こり青年のひさの上に収まっていたかぼちゃ羊だった。黒い顔の中でつぶらな瞳が金色に輝いている。相反するように、セイルのまぶたはどんどんと下がっていき――
「セイルさん! しっかり」
「落ち着け、フィールーン。時間が来ただけだ」
「え?」
振り向くと、立ち上がったエッドが煌々と輝く灯具を見上げていた。なんだか怒っているようにチカチカと明滅しているそのランプを見、苦笑している。
「そう怒るなよ。良いじゃないか、天使様。こうして皆無事なんだからさ」
「エッドさん?」
「遅くなって悪かったな。今、俺の“担当”から連絡が入って、その魔物の正体がわかった」
「ええっ!」
いつの間にかフィールーンの周りに集まってきていた羊たちを見下し、亡者は外套を身体に巻きつける。
「そいつらは、あちらとこちらを行き来する魔物――いわゆる夢魔だ。自分たちに親切にしてくれた者には、幸福な夢をもたらすと言われている」
「で、でも! これは夢なんかじゃ」
「夢でいいんだ。王女様」
すとん、と膝の上に魔獣が乗ってくる。慌てたフィールーンだったが、その瞬間にぐらりと視界が揺れた。
「君たちは世の魔力が乱れる今日、ふしぎな夢へと誘われた。そこで出会った元勇者の亡者――“勇亡者”のことは、朝にはきっと忘れてしまう出来事だ」
「そ、んな……。いやです、私……忘れたく、ない」
「嬉しいことばかり言うな、君は」
白い草原が揺らぎ、魔獣の輪郭が幾重にもずれて見える。木こり青年が、ついにドサリと背後に倒れ込む音がした。
「ねむ、い……です」
「良いことだ。たくさん寝て食べて、笑って泣いて、恋をして――生きているうちにできる全部を、心から楽しんでおけよ」
「エッド……さん」
「心配しなくても大丈夫さ、王女様。死んでからも結構、楽しいこともあるんだぞ? むしろ俺は、そこからのほうが……いや、まあなんでもない」
赤毛の中にある顔が、とびきり明るく微笑んでくれる。生者と変わらぬ、灰色の死者の笑み。フィールーンは、ふわふわの羊毛に身を任せてしまいたい気持ちを抑えてその姿に手を伸ばした。
「エッドさん……。また――また、会えますか……?」
「ああ、きっとな。けど俺としては、その日がとても遠いことを願うよ」
亡者の掲げた明かりが、子供をあやすようにゆらゆらと左右に振られる。フィールーンの空色の瞳が昏くなり、意識が熱されたはちみつのごとく溶けていく。
「できれば君たちにとって、この出会いが悪夢じゃなく――気まぐれな誰かさんが仕掛けた、奇妙な悪戯として記憶されることを祈る。“
*
「……めさま! 姫様ぁーッ!!」
「そんなに心配することないわ、リンさん。あたしのパンもなくなってるし、どこかでこっそりおやつを楽しんでるのよ」
「どんな予想なのだ、ホワード妹!? 姫様がそんなことをなさるわけがないだろう!」
「そうなの? まあでも、あのお兄ちゃんが一緒だし……」
「兄に対する信頼はないのか!?」
にぎやかな言い合いの声を聞きつけ、フィールーンはハッと目を開いた。頬をつけている地面から、草の香りがする。緑色に色づいたそれらを見、慌てて身を起こす。
同時に、となりに転がっていたらしい木こり青年も、ぱちりと茶色の目を開いた。
「セイルさん! 大丈夫ですか」
「……ああ。ここは」
「リンたちの声がしました。私たち、戻ってこれたみたいです」
薄暗い森を見るに、時刻は夕方のようだ。心配する臣下に早く無事を伝えねばと腰を浮かしたところで、セイルが硬い口調でこぼす。
「――夢、だったのか。全部」
即答はできなかった。相変わらず意識を失う前の記憶は曖昧だ。見覚えがあるのは、空になったバスケットぐらいだ。自分たちはここでおやつを楽しみ、満腹になって不思議な夢を見ただけなのだろうか。
「あ……!」
ふと気づいて、フィールーンは旅装の物入れに手を入れる。指がすくいあげた銀の包み紙を目にすれば、その顔がぱあっと輝いた。
「やっぱり、夢だったみたいです」
菓子を受け取る前に魔獣の下敷きになっていた青年は、訳がわからないといった顔で王女を見た。
「甘くて不思議なこの夜にしか、あり得なかった夢――。でもきっと一生忘れられない、楽しい夢だったんです」
<おしまい>
*お読みいただき、ありがとうございました!よければ♡応援や☆評価、応援コメントなどお待ちしております。お気軽にどうぞ!
*このお話は、二つの作品の世界線が一時的につながったというお遊び仕様です。それぞれのキャラクターの活躍も見てやってもいいぞという方は、ぜひ本編にも遊びにいらしてください(*^^*)
☆王女フィールーンと木こり青年セイル――2人の“竜人”が繰り広げる、王道ファンタジーはこちら↓
『ドラグ・ロガーは嘘を斬るー不器用木こりとひきこもり姫に世界は救えるかー』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054979513362
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『勇亡者さまのラストクエスト―成仏したいので、告白させてください―』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891244985
お付き合いありがとうございました!また他の作品でお会いできる日を楽しみにしております♪
文遠ぶん
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