いい靴の日


 ~ 十一月九日(火) いい靴の日 ~

 ※削足適履さくそくてきり

  本末転倒。靴に足を合わせるってこと。




 なぜこんな余計なことになったのか。

 経緯をにわかに思い出せん。


「ま、負けない……、よ?」

「こっちは負けても構わんのだが」


 体育の授業すら。

 面白おかしいことになる。


 それもこれも。

 四百メートル走のタイムを。


 体育教師不在で計測しておけなんて。

 俺たちのクラスに言ったせい。


「よし! どっちが勝つか予想しようぜ!」

「舞浜だろ」

「秋乃ちゃんに決まってるでしょ」


 自分たちの計測そっちのけ。

 みんなが夢中で見守っているのは。


 頭を抱える俺と。

 その隣でストレッチなどしている。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 毎朝のランニングでは。

 俺とまったく変わらぬ速さで走るこいつだが。


 短距離走となれば。

 男子である俺に分がある。


 ……普通に走りさえすれば、な。


「いや、でもまともに考えれば……」

「立哉だよな?」

「でも別に何かを賭けるわけじゃねえから」

「そうだな。俺も舞浜に応援の一票だな」


 そんなみんなの下馬評は。

 現在、秋乃の勝利に十五票。

 俺に二票。


 何の気の迷いか、俺に入れてくれた奴らには悪いが。

 こっちが勝つなんてあり得ねえ。


 だって……。


「さ、さっきから、靴に何か細工してる……」

「してねえよ。さあ、スタート位置に立て」

「あやしい……」


 俺の目的は。

 秋乃に勝つためじゃなくて。


 隣で走るこいつを。

 無様に笑わせることなんだからな。


「そ、それにしても……、ね?」

「なんだよ」

「どうしてあたしと勝負したかったの?」

「そうなった経緯が思い出せんのだが。俺は、お前と走りたかっただけだぞ?」


 別に、並んで走る口実に。

 勝負を持ちかけたわけでもねえ。


 さっきからずっと思い出そうとしていたんだが。

 どうしてこうなったんだっけ。



 ……確か、女子の計測が始まる前。

 コース横に体育座りしていたパラガスを全員で焼却炉の中に突っ込んで。


 戻る道すがら、秋乃に声をかけて。

 一緒に計測しようと持ち掛けたんだ。


「それで確か……」


 秋乃が、ボケか本気か、あるいはネタか。

 二人三脚用の紐を持ってきてみんなを笑わせた後。


 甲斐がどえらい記録をたたき出して女子一同から黄色い歓声を浴びて。

 

 嫉妬した拓海君が、みんなの前で。

 そんなタイム、俺が切ってやると高々と宣言した直後。


 タイムじゃなくて靴ひもが切れて。

 盛大に転んで顔面を切って。

 大口叩いたことにしらを切りながら保健室へ連れて行かれて。


「あとは……」


 俺が秋乃と走るならと、鈴村さんと一緒に走りたい連中が予選会始めて。

 そんな鈴村さんは、憧れの王子くんと計測を済ませた後、感極まって鼻血を出して木陰に連れて行かれて。


 最近仲が悪いトラ男とりゅう君が何度も勝負するせいでみんなの計測が滞って。

 パラガスが復活してきたから掲揚ポールにぐるぐる巻きにしてきて。


「…………なんで短距離走一つでこんな騒ぎになるんだこのクラスは」

「お、思い出した? どうして勝負することになったのか……」

「まるで分からん」


 とにもかくにも。

 今はこうして、俺たちのどっちが勝つのか。


 無邪気に予想してはしゃいでる。



 ……そんな大騒ぎに、頭は痛いが。

 この状況を嫌がっているわけじゃない。


 むしろ願ったり叶ったり。

 今、俺が走れば全員が大笑いすること間違いなしだ。


 調子に乗ったやつらが持ったゴールテープ。

 秋乃はきっと、大笑いして足を止めるせいで。

 あれを切る事なんかできやしないだろう。


「それじゃ、位置について」


 スターターをやってくれる委員長。

 そんな彼女がにらみつけて来るが。


 いいんだよ、俺はこの姿勢のままで。

 早くスタートの号令かけろよ。


 なんせ、俺はここから。

 一歩も動く訳にいかないんだから。


「…………不真面目ね。そんな姿勢から走る気?」

「ああ、そうだ」

「やれやれね。それじゃ、よーい…………、どん!」



 ぴっこ♪

 ぴっこ♪

 ぴっこ♪

 ぴっこ♪



「「「わはははははははは!!!」」」



 よし、狙い通り!

 子供用の音が鳴る靴作戦で。

 笑いを独り占めだ!


 これには秋乃も笑ってるだろう。

 そう思いながら振り返ると。


「おい! どこ行く気だよ!」


 秋乃は、どういう訳か。

 昇降口目指して一直線。


 そして、山ほど抱えて持って来たのは。

 来客用のスリッパ。


「……は?」


 みんな揃って、眉根を寄せている間に。

 秋乃はスリッパを繋いで繋いで。

 やたら長くしてから右足に装着すると。


 その足を、ゴールに向けて一歩だけ踏み出して。

 ぽつりとつぶやいた。



「た、足りない、だと!?」



「「「わはははははははは!!!」」」

「ス、スポーツシューズメーカーに革命をもたらすと思ったのに……」

「うはははははははははははは!!! それがありならスタートと同時にゴールしとるわ!」


 くそう、一瞬でよくそんな事思い付くな!

 俺は昨日一晩考え抜いたってのに!


 悔しさと共に、天を仰ぐと。

 スピーカーから、聞き慣れただみ声が響いてきた。


『あー、お客様用のスリッパを隠した生徒。至急必要なので、一組玄関へ持って来い。そうすれば罪は不問にしてやる』


 そんな放送を聞いて。

 秋乃はわたわた慌て出したが。


「任せておけ。俺が行って来るから」


 ここは、勝負に負けた俺が。

 持って行くのが妥当だろう。


 冷やかしの声を背中に浴びながら。

 俺は、お客様と石頭が待つ昇降口へと向かって。



 ……そして。

 ピコピコ靴をお客様に履かせた罪により。


 現在、ここに立たされているというわけだ。



「…………お客様、爆笑してくれたのに」

「立哉~。普通、ポールに結わえる時は背中合わせにするもんだよな~?」

「喋るならポール越しにしろバカ野郎。唾がかかる」



 そんな俺の足元には。

 既に一時間を越えて未だ回り続けるストップウィッチが一つ転がっていた。

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