ハッピーバースデー

 ずっと、藤島鳴海になりたかった。

 『神様のメモ帳』を初めて読んだのは、高校二年生の頃だった。
 当時の自分は、かつて鳴海がそうだったように「自分が働いている姿をうまく想像できな」かった。
 小説家になりたい、という気概だけは持っていて、それ以外のことをしている自分の姿を思い描けなかった。
 結局、自分は鳴海のようにはならず、ずるずる進学して、卒業しても就職せず、あちこちを行ったり来たりしていた。
 それでも平然としていられたのは、「ニート」という存在にある種のプライドみたなものがあったからだと思う。
 ニートへの歪んだ憧憬を植えつけたのが、この『神様のメモ帳』シリーズだった。

 シリーズが完結したとき、当たり前だけど作中の藤島鳴海とは年齢がかけ離れていた。(最終巻のラストではひょっとしたら同年代だったかもしれないけれど)
 この後日談で、藤島鳴海は30歳になった。
 自分も、ほんの一週間まえに30歳になった。
 シリーズ完結で止まっていた鳴海たちの時間が、一瞬自分と重なった気がした。
 藤島鳴海と自分が、同じ時期に同じ歳になるということが(自惚れた言い方がゆるされるなら)運命めいて思えた。
 他の人からどうってことのないことが、とても嬉しかった。
 けっきょく、自分は「藤島鳴海」になることはできなかったのだけれど、まあ自分なりに頑張ろう、という気持ちがちょっとだけ芽生えて、ワケも分からず泣けてしまった。

 既にレビューとは言えない文章になってしまったけれど、自分にとって『神様のメモ帳』が終わった事実を受け止めるためには、必要な文章なんだと思う。
 だから僕はこの作品が読めて幸せだった。このレビューを書けて幸せだった。

 おめでとうナルミ。ハッピーバースデー。

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