第36話 軍師 郭星和

■郭星和視点


「ふむ……やはりすさまじいですね……」


 武定の軍勢が我々の陣に突撃してきたら既に八刻(約二時間)。

 見る限りたった千にも満たない兵で、よくぞここまで戦えているものだと感心せざるをえない。


「ふふ……これが、この大陸でも名高い“白澤”、ですか。これでは、たった一騎で戦況を覆すことも難しくはないでしょう」


 二人、三人とこちらの兵士が彼女に討ち取られていく中、私はつい口の端を持ち上げる。


「軍師殿! 何を悠長なことをおっしゃられているのか! あののせいで、兵達も浮足立っておるのですぞ!」


 隣に控える部将の一人である“こう元正げんせい”が、わざわざご丁寧にも軍師であるこの私の言葉に噛みついてきた。


「でしたら、あなたに“白澤”の討伐をお願いいたしましょうか?」

「む、むむ……!」


 ふふ、自分の武では敵わぬくせに、虚勢を張るからですよ。


「ならば! この“班明はんめい”にお任せくだされ! 必ずや、“白澤”の首を取ってまいりましょうぞ!」

「ほう……これは頼もしい。では、お願いできますか?」

「承知した!」


 班明殿が胸を強く叩くと、得物である三尖刀さんせんとうを手にし、馬にまたがって“白澤”の元へと向かった。


「馬鹿め……己の実力も量れぬとは……」

「不用意な行動で、規律が乱れることに気づいておらのぬか」


 班明殿の後ろ姿を眺めながら、部将達が口々に批判的な言葉を告げる。

 全く……少なくとも、武を頼りにする者の言葉とは思えませんね……。


「……あの“白澤”を、何とかこの陣営に加えたいのですが……」


 この戦を始める前、私は“白澤”を離間させるために一計を案じたが、やはり小手先の策では彼女を涼から引き離すことはできなかった。


 ならばと、私は陛下に進言して涼と戦を始めた。これも、“白澤”を崔の陣営に加えるために。

 それほど、彼女の武はこの大陸において圧倒的なのだ。


 崔がこの大陸で覇を唱えるためには、絶対に必要となる人材。

 それを手に入れるために、わざわざ本陣から離れてこの武定攻略の指揮を執っているのだから。


「む……軍師殿、それほど我等が信用できませぬか……」


 ああ……どうやら声に出てしまったようですね。


「ふふ、もちろん皆様の武は信頼しておりますよ? ですが……人材はどれだけあっても足りませぬので……」


 私は眉根を寄せる部将達に向かって、愛想笑いを浮かべながらそう告げる。

 まあ本音は、ここにいる部将全てと引き換えにしてでも、“白澤”が欲しいのですが。


 すると。


「ああ……班明殿は討ち取られてしまいましたか」


 乱戦の中、三尖刀さんせんとうを振り上げて攻撃を仕掛けた班明殿は、“白澤”の方天画戟ほうてんがげきによってその胴体に風穴が開き、そのまま落馬して地面に転がった。


「こ、これほどとは……」


 私の後ろで、部将達がどよめく。

 この私自身も、“白澤”の武にはただ声を失うばかりだ。


「ふ……ふふ……兵士達に伝えよ! “白澤”を円にして囲い込み、徐々に詰めてからめ取れ! そして……必ず、生かしたまま捕えるのだ!」

「はっ!」


 いくら“白澤”が万夫ばんぷ不当ふとう“の武将であったとしても、二万の兵を全て相手取ることはできまい。

 こちらの兵に少なからず被害は出るが、彼女と交換できるのであれば安いものだ。


「皆の者! ここが踏ん張りどころだ! 敵の指揮官を討ち取るまで、この我に続けえええええええ!」

「「「「「おおおおおおおおおー!」」」」」


 ふふ……まだまだ士気は衰えませんか。

 ですが、それがいつまで持ちますでしょうか……?


 その後も、“白澤”は次々と兵士を討ち取っていき、こちらの被害は彼女一人によって既に千の兵士が犠牲になっている。


 だが。


「はあ……はあ……っ!」


 ふふ、とうとう肩で息をするようになりましたね。


 このまま一刻も続ければ、膝を突きそうですが……ここは焦らず慎重に、少しずつ削っていくことにしましょう。


「さあ、あと一押しです。ここで手を緩めることなく、次々と兵をぶつけるのです。そうすれば、いかに“白澤”といえど……っ!?」


 その時……“白澤”を囲む円陣の一角を突き崩された!?


「ど、どうなっているのです!? 彼女に付き従う兵はもはや半数以下のはず! なのに、どうやって私の“車輪陣”を破ったというのですか!?」


 驚きのあまり、私は思わず立ち上がって突き崩された箇所を凝視する。


 あれは……武定からの援軍!?

 だけど、車輪陣は外側から攻撃を仕掛けても、常に流動的に動く兵の勢いを崩すことは不可能ですよ!?


 それを……っ!?


「……そういうこと、ですか……」


 武定の援軍の動きを見て、私はようやく理解した。

 あの援軍は、決して車輪陣を突き崩したのではなく、ただ、流動的な兵の動きに合わせ、自分達もその陣形の一部として加わった・・・・のだ。


 こうされてしまっては、最も重要である車輪陣の流れを無理やり止めるしか援軍を弾き出すことができない。


 ですが。


「ふ、ふふ……この私の車輪陣を、こうも簡単に破る知恵者がいるだなんて……欲しい・・・、ですね……!」


 最初は“白澤”だけ手に入れることができればよいと考えていた。

 だが、まさかそれに勝るとも劣らない……いえ、この私のを担える可能性のある逸材が眠っていただなんて……。


「やはり、陛下の反対を押し切ってこちらの軍を率いたのは僥倖ぎょうこうでした」

「ぐ、軍師殿……?」


 おやおや、いけません……あまりの嬉しさに、つい口の端が吊り上がっていたようです。


「白蓮様あああああああ!」

「っ!? 子孝っ!」


 援軍として来た武定の軍勢の中から一騎が飛び出し、叫びながら“白澤”へと駆けて行く。

 “白澤”も、まるでこれまでの疲労が浮かんでいた顔色が一変し、まるで恋焦がれている相手に出逢った女子おなごのような表情を見せているではないか。


 それを見て、私は何故か理解した。

 あの一騎駆けの兵士こそが私の車輪陣を破った者で、あの・・“白澤”の想い人なのだと。


「成程……では、これからはあの男を手に入れることを最優先としましょう。各将に伝令! “白澤”はさておき、あの一騎駆けをしている兵を捕えよ! 兵を捕らえた者こそが、この戦の勲功第一である!」

「っ!? は、ははっ!」


 私の指示を聞いた伝令及び諸将は、皆一様に驚きの表情を見せる。

 ふふ……そのような反応を見せる者も、この涼との戦が全て終わって一年もすれば気づくでしょうね。


 だが。


「っ!? ……ふう。ここまで私の陣を破ったのです。当然、ここから抜け出すことも容易、ということですか……」


 兵士は“白澤”を駆けながら拾い上げると、彼女の武を頼りにしながら車輪陣の腹を突いてこの戦場から離脱した。


「ふふ……今は・・は見逃しますが、あなた達は必ずこの崔が……私が、手に入れてみせますよ」


 走り去る二人の背中を眺めながら、私は口元を緩めた。

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