妖狐を売り飛ばした男の話(巻之二「狐の妖怪 きつねのようかい」)

 近江国おうみのくに武佐むさの宿場町に割竹わりたけの小弥太という者がいて、旅人に宿を貸す旅籠はたごを営んでいた。

 小弥太はもともと甲賀こうがに住んでいて、相撲を好み、膂力は強く、心根も不敵であったが、一昔前に今の在所に移り住み、旅籠の主人となった。


 あるとき小弥太は、所用があって篠原堤しのはらづつみを歩いているうちに日が暮れてしまった。道の前後には他に人もいない。ただひとり道を急いでいると、道の傍に一匹の狐が飛び出してきた。

 狐は人間の曝髑髏しゃれこうべをおのれの頭上に載せ、後ろ脚で立ち上がると、北に向かって礼拝しはじめた。

 当然、頭上の髑髏は礼をしたときに落ちてしまうのだが、それを拾っては頭の上に載せて、また礼拝をこころみる。

 落としてはまた載せて礼拝を繰り返すこと七、八度に及ぶと、ついに髑髏が狐の頭から落ちなくなった。

 髑髏をいただいたまま、立居は意のまま自在となり、さらに北に向かって何度も拝みはじめた。

 小弥太は不思議に思い、立ちどまってこれをながめていた。

 拝むこと百度ばかりになったかと思しきころ、狐はたちまち十七、八歳ぐらいの娘に姿を変じた。娘の美しさは国じゅうに並ぶ者がないのではないかと思われた。


 日はすでに暮れ果て、あたりは暗い。

 娘に化けた狐は、小弥太の前で、大声で泣きながら、いかにも哀れなようすで歩いてゆく。

 元来、肝が太い小弥太であったので、少しも恐れることなく娘のそばに近づくと、

「いかにこれは、どのようなお方であれば、なにゆえ日も暮れたこんな場所で、ただひとり悲しげに泣き叫んでいるのですか。どこにむかって歩かれるのですか」

「わたくしはここより北にある余五よごという郡の住人です。

 このごろ山本山を攻め奪おうと木下藤吉郎とかいう大将がやってきて、軍をひく道中に余五・木下きのもとのあたりをすべて焼き払ってしまいました。

 わたくしの親兄弟は山本山にて討ち死にし、母は兵乱をおそれて病となりました。

 そのようなところに軍兵が押し入ってきて、家にある財宝をひとつ残らず掠奪りゃくだつしていきました。そのとき母は声をあげてうらみごとをしたので斬り殺されてしまいました。

 わたくしはというと、あまりの恐ろしさに草むらの中に隠れ、なんとか生きながらえることができました。

 ですが、親もなければ兄弟もなし、誰も頼ることもできない孤児みなしごとなってしまいました。この世に身の置きどころもありませんので、今はただ身を投げて死のうと思うのですが、悲しさはたえがたく、こうして人目もはばからず泣いております」

 娘は泣きながらようやっと話しおわると、またわっと泣き出した。

「これはまさしく、狐がおれを騙して化かそうとしているのだな。逆に己がこの狐をたぶらかして、ひとつ金儲けでもしてみるか」

 小弥太は狐の話を聞いて、ある企みをひらめいた。

「ああ、なんと哀れな。

 親兄弟はみな亡くなり、頼るあてもないとは。ですが幸いにして、私の家はまことに貧しくはありますが、人ひとりを養うくらいだったらなんとかなります。

 わが家で真面目に働いてくれれば、私が後ろ盾になってあげましょう」

「まあなんという僥倖ぎょうこうでしょうか。

 哀れに思しめされて、養っていただけるのであれば、あなた様をわが父母の生まれかわりだと思ってお仕えいたします」

 小弥太の申し出に、娘は大よろこびで従ったので、武佐の旅籠へとつれて帰った。

 小弥太の妻の前でも、娘は同じように泣く泣く語るので、妻も哀れに思い、またその殊更にうるわしい姿かたちをみとめて、彼女のために骨を折り、かわいがった。

 その間、小弥太は妻に露ばかりも正体が狐であることは語らなかった。


 天正のはじめ(1573~)、近江国はようやく戦乱がおさまり、北郡は木下藤吉郎が領知するところとなった。

 そこに石田市令助いしだいちのすけという者が、京より下るついでに、武佐にある小弥太の旅籠に宿をとった。

 例の狐が化けた娘を目にすると、愛することかぎりなく、悩乱して、

「どうにかしてあの娘をわたしにくださらぬか」

 と小弥太にいってきた。

「歴々の諸大名がみな望んできましたが、いまだにどこへもやっておりません。私の生計のをよろしくあてがっていただけるのでしたら、娘をさしあげましょう」

 小弥太がそういえば、石田は金子百両を用意し、これを与えて娘を買い取り、岐阜へと連れかえった。


 娘には大変な才覚があり、何事においてもさかしく、機転もきくので、人の思うところに先立って物事を対処してしまうのだった。石田は、娘が自身の思うとおりに働いてくれるので、本妻をかたわらにおいて、ひたすら寵愛した。

 しかしこの扱いについて、娘は少しも驕りたかぶる気配も見せず、本妻の心を尊重し、

「わたくしはおもいものにございます。どうして奥方さまの御心にそむくことがありましょうや」

 と云って、夜となく昼となくまめまめしく仕えるので、本妻もさすがに憎くは思わず、親しげにこれを愛おしんだ。

 屋敷に出入りする人々にも、それぞれ相応に物などをとらせてやった。

 いつ買い求めているのか誰も見たことはないが、絹小袖きぬこそで袱紗物ふくさもの・針・白粉おしろいの類を取り出しては人に配る。

 そのうえ、麻績おうみつむぎ、縫物、絵描き、花結びといった技芸にもあかるく、

「賢女をもとめるならば石田の家に行くべし」

 とまでいわれるようになった。


 半年ほど経って石田はふたたび京へ上ることとなった。

「必ず忠義をもっぱらにして、私利をわすれ、千金よりも重い御身をつまらぬことに費やしてはなりませぬ。御家中のことはわたくしにお任せください」

 娘はそういって京へと送り出した。


「石田殿は妖怪に犯され精気を吸われておりまする!」

 高雄たかおの僧・祐覚ゆうがく僧都は、上京した石田に対面するなり喝破した。

「一刻もはやく療治しなければ命を失うことは必然。拙僧の見立てにまちがいはございませぬ」

 石田は祐覚の言をにわかには信じなかった。

「己をあざむこうとする売僧まいすの妄語なんぞ今にはじまったことではないわ」

 そう一笑に付した石田であったが、ほどなくして患いついた。

 顔は黄色くなり痩せこけ、身体の肉はそげおち、肌のあぶらもない。

 意識もはっきりしないようで、ぼんやりとして物事を正しく判断できない。

 家人らは驚いてさまざまに医療をほどこしたが効果はなかった。

 主人の病状に悩んでいたそのとき、高雄の僧祐覚がいっていたことを思い出し、彼を呼んで診てもらった。

「やはり拙僧の見立てはまちがっておらなんだか。はじめから信じていれば、今ごろこのように患いつくことはなかったろうに。

 だが、仏法の道というのは慈悲をせんとするもの。祈祷でもってこれを療治いたしましょう。すみやかに石田殿をつれて国元へ帰りなされ。拙僧も共にくだり、しるしをおみせしよう」

 家人らは驚愕しながらも、祐覚と夜どおし岐阜へ帰ると、護摩壇ごまだんをかざり、二十四行にじゅうしぎょうの供物・二十四の灯明・十二本のへいを立てて、四種の名香めいこうを焚き、一紙のはらいの祭文を読み上げた。


 維年これとし天正歳次としのやどり甲戌きのえいぬ今月今日、石田氏いしだうじそれがし妖狐のためになやまさる。

 それ二気はじめてわかれ、三才すでにきざし、物と人とおのおのそのたぐいにしたがって、性分せいぶんそのかたちをうけしよりこのかた、品位しなくらいみなひとしからず。

 ここに狐魅こみようありて、ほしいままかいをなし、木の葉をつづりて衣とし、髑髏しゃれこうべをいただきてかつらとし、かたちをあらためこびを生ず。

 かれ常にこおりを聴きて水を渡り、疑いをいたす事時として忘れず。

 尾を撃って火を出し、祟りをすこと更に止まず。

 この故に大安たいあん羅漢らかんの地にはしり、百丈は因果の禅をなじる。

 千年の怪を両脚りょうきゃくそしりにあらわし、一夫いっぷの腹を双手そうしゅたまものやぶらしむ。

 ここに石田氏某は軍戸ぐんこ将帥しょうすい武門ぶもん命士めいしなり。何ぞみだりに汝が腥穢せいえをほどこして、その精気をうばうや。

 身を武佐の旅館によせて、あい良家りょうか寝席しんせきおこさしむ。

 汝がかたち綏々すいすい、汝が名は紫々ししもってそのみにくきをいい、となえてそのはじをしめす者也。

 首丘しゅきゅうはそのもとを忘れざることをいうといえども、虎威こいるのかだましきことは隠すべからず。

 汝今すみやかに去れ。速やかに去れ。

 汝知らずや、九尾きゅうびちゅうせられて、千載せんざいにもゆるしなきことを。誰か汝が妖媚ようびをいとひにくまざらん。

 もしすみやかにしりぞき去らずは、州郡しゅうぐん大小の神社をおどろかし、四殺しせつの剣をもって殺し、六害りくがいの水に沈めん。


 誦文ずもんが終われば、にわかに黒雲たなびき、大雨降りはじめ、雷電おびただしく鳴りひびいたので、娘は大いに恐れ惑い、そのまま倒れて死んでしまった。

 おどろいた家人らが近寄ってみてみれば、娘は大きな古狐へと変じていた。

 古狐の頭上には髑髏が落ちることなく戴かれていた。

 娘がいろんな人につかわし、あたえた品々をあらためてみれば、絹小袖とみえていたものは芭蕉の葉、白粉といわれていたのは糠埃ぬかほこり、針だと思ったのは松の葉であった。

 石田氏の病はたちまち快癒し、涼やかな心地となった。

 一連のものごとをかえりみるに、怪しいということかぎりなかった。


 狐の死体は遠くの山奥にうずめ、霊符を押し貼り、墓所を祓った。

 石田氏には丹砂たんしゃ蟹黄かいおうなどを調合した薬をのませて、心身の根本を補わせた。

 サテ、武佐の割竹小弥太をたずねてみれば、狐を売った金子百両でもって富裕になり、家居を移してどこへいったのやら誰もしらない。

 まさに狐魅というものはよく人を惑わすもので、それにしても祐覚僧都の法験ほうげんはなんとすぐれたものかと人々は感嘆したということだ。

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