帯を拾ったら婚約者の妹と結婚することになった話(巻之二「真紅撃帯 しんくのうちおび」)

 越前国えちぜんのくに敦賀つるがの津に、若林長門守わかばやしながとのかみの一族だったが、武門をはなれて商人となり、金銀豊かになった檜垣ひがきの平太という者が住んでいて、彼には平次という一人息子がいた。

 隣には浜田はまだの長八という富裕な人が住んでいて、娘が二人いた。

 平次と姉妹は同じ年頃で、幼い時分は常に三人一緒に遊び歩いていた。


 平次の父の檜垣平太は、浜田の娘のうち、姉のほうを平次の妻にと願い、なかだちを立てて話をもちかけたので、浜田家のほうでもこれを承諾した。

 婚約の証に、酒や肴をととのえ、檜垣の家からは姉娘にと、真紅の撃帯うちおびをひとつ贈った。


 天正三年(1575)の秋、朝倉の残党が挙兵して、虎杖いたどり木芽峠このめとうげ鉢伏はちふせ今条いまじょう火燧ひうち吸津すいづ龍門寺りゅうもんじといった諸方の要害にたてこもった。

 そのなかでも檜垣平太が属する若林長門守は、河野こうの新城しんじょうに立てこもったので、織田信長・信忠父子は八万騎あまりを率いて敦賀に着陣し、木下藤吉郎に河野の城を取り囲ませた。

 平次の父の檜垣平太は、敦賀にいることで織田方に咎められることを恐れ、一家で立ち退き、所縁をたよって上京した。

 それから五年の歳月を京で過ごしたが、その間、敦賀へは少しの便りもよこすことができなかった。


 平次と婚約した長八の姉娘はその頃すでに十九歳、容顔美しく、求婚者も多かったが、

「わたしは幼き頃に平次と約束しました。

 ひとたび約束した以上は、たとえもうすでに捨てられていたとしても、再び誰かに縁付こうとは思いません。

 そのうえ、もし平次が生きて帰ってきたとき、わたしが他の誰かの妻となっていたら、誠に恥ずべき事態になるでしょう」

 と考え、縁談はすべて断り、朝夕屋敷の奥深くに引きこもっていた。

 平次の行方の恋しさを表にださず、たかが一時の手慰みのときにも彼のことばかり待ちわびて、人知れぬもの思いに涙を流すばかりであった。

 ついには心がくじけて病の床にふせてしまい、半年あまり後、とうとう亡くなってしまった。

 両親である長八とその妻は大いに嘆き悲しみ、小塩おしおというところの寺に姉娘を送った。

 その際、母は姉娘の額を撫でながら、平次が彼女に贈った真紅の撃帯を取り出し、

「これは汝の夫が贈ってくれた撃帯ですよ。このあと私たちが持っていてもどうしようもないから、黄泉までの道中の慰みにしなさい」

 といって、亡骸の腰に結んでやって、そのまま埋葬した。


 それから三十日ほど経って、平次が敦賀に帰ってきた。

 浜田長八はそれを知るやさっそく彼を家へ呼びいれた。

「これまでいったいどうしていたのだ。なんの便りもよこさないで」

「我が一族の若林長門守が河野の新城にたてこもり、信長公が八万騎あまりで敦賀に着陣しましたので、我々家族も若林の一族だと咎められ、捕縛されるのを恐れまして、とるものもとりあえず京都へと上り、所縁をたよってしばらく暮らしておりました。

 そんななか、両親が相次いで亡くなりましたので、かつて交わした彼女との約束が忘れられなかったこともあり、こうして帰ってきた次第です」

 平次がこれまでのことを語ると、浜田夫婦は涙を流した。

「そなたらが敦賀を去ってからというもの、姉娘はそなたを慕い、恋焦がれるうちに病となり、先月の初めについにこの世を去りました。久しく便りがないことをそれは恨みに思っていたようです」

 泣きながらそういうと、姉娘の硯のふたに書かれた歌をみせた。


 せめてやは香だににほへのはな

 しらぬ山ぢのおくにさくとも


 これをみた平次は、我が身のつらさが今更こみあげてきて、悲しさがかぎりなかった。

 そして持仏堂へ参り、位牌の前に香花を手向け念仏を唱えていると、平次の背後から浜田夫婦がやってきて、

「これ、汝が恋焦がれた平次の手向けであるぞ。よくよく受けなさい」

 そう声をかけるや、床に倒れ臥し、嘆き悲しんだので、平次をはじめ家人ら一同も声をそろえて泣き出した。

 そのさまはなんとも哀れとしかいいようがなかった。

「いまはそなたの父母もいないのだから、独り身で心細かろう。姉娘も死んでしまったからといってどうして他所にやろうか。婿むこになったものと思って我が家に住んで、どうにでも生活を営んでくだされ」

 夫婦は平次にそういうと、自邸の後ろに彼の住居を設えてくれたので、そこで暮らすことにした。


 こうして四十九日の中陰ちゅういんの法事も執り行い、平次に留守をたのむと、一家はこぞって小塩にある姉娘の墓へ詣でるためにでかけた。

 浜田一家が帰ってきた頃には、すでにたそがれ時であったので、平次は門まで出迎えた。

 おのおの家の中へとはいっていくなかで、今年十六歳になった妹娘が乗り物から降りる際に何やら落とすのがみえた。

 平次がこっそりそれを拾ってみれば、真紅の撃帯である。

 咄嗟に懐深くにおさめつつ、自宅へと帰り、灯のもとにひとり座して、物思いにふけった。


 夜も更けて人も静まったころ、妻戸に人の気配がする。

 戸を開けてみれば妹娘であった。

 妹娘はそのまま中に入ってきて、平次にささやいた。

「姉に先立たれて嘆き沈んでおりましたところ、先ほどわたくしが投げ落とした真紅の撃帯をあなたは拾われましたね。深い宿縁はわすれがたく、ここまで忍んでやってきました。わたくしと契りを結んで、偕老かいろうの語らいをいたしましょう」

 平次はこれを聞いて驚いた。

「それは到底許されることではありません。あなたの御両親のお情けをいただいて、現在こうして養っていただいているのに、お許しもいただかずに道理にそむいたことをおこなって、もしそのことがよそへ漏れたら、いったいどうなることでしょう。

 さ、さ、はよう戻られませ」

 妹娘は平次の態度に大いに怒って恨み言をした。

「わが父はあなたをすでに婿のように思っているからこそ、こうして我が家に住まわせて扶養しているのです。

 わたくしがここまでやってきた志を無下にするのであれば、身投げして死んで、その後はかならずあなたを悩ませて、生まれ変わっても御恨み申し上げますよ」

 これには平次も参ってしまい、おとなしく彼女の心にしたがうことにした。

 暁になると妹娘は起きて出ていった。

 それからは毎日、妹娘は日が暮れるとやってきて、朝になると帰っていった。

 平次も次第に妹娘に心をゆるし、二人は宵々の関守せきもりをうらむくらいにうちとけて、道理にあわない契りをなした。


 三十日ほど後、いつものように妹娘は平次の家へとやってきた。

「平次どの、今までわたくしたちのことは人に知られずにいられましたが、こういったことは漏れやすいので、もし露見したならば、どんな憂き目をみるかわかりません。わたくしを連れ、垣を越えて、跡がわからぬように一緒に逃げてくださいまし。そうすれば何の心配もなく夫婦の契りを結ぶことができます」

 妹娘にこういわれ、平次も道理に反した関係とはいえ、もはや情厚くすてがたいので、彼女をつれてひそかに逃げだすことにした。

 三国みくにの湊に住む被官ひかんの者をたよって逃げのびて、そこであれこれと説明して受け入れてもらい、一年ほど隠れ住んだ。


 そんなある日、妹娘がいいだした。

「両親のとがめをうけることを恐れて、あなたとここまで逃げてきて、一年の歳月が過ぎました。時もたち、両親もわたくしの気持ちに思いをめぐらして、今はいかようにも許してくださることでしょう。

 いざ、故郷に帰りましょう」

 平次もたしかにそうだなと思ったので、二人で敦賀へ帰ることにした。


 敦賀に到着すると、まずは妹娘を船に残して、平次のみ先に帰って事情を説明することにした。

 平次は浜田の家に到着すると、奥にとおされ、浜田夫婦と久しぶりに対面した。

「さてもお二方は私にあれほどお骨折りくださったにもかかわらず、お許しもなく、道理にそむく所業をなして不義の不名誉を受けましたこと、軽くない罪とは承知しておりますが、すでに時も経ったことですので、今はお怒りもゆるまれたのではないかと思いまして、こうして妹君をお連れして帰りました次第です。なにとぞわが罪をお許しください」

「それはいったいどういうことですか。なんとも得心がいかない話です」

 夫婦は困惑している。

 そこで平次は真紅の撃帯を取り出して、これが縁で妹娘と許されない関係になったこと、おとがめをおそれて他所へ逃げて暮らしていたことどもをありのままに語った。

 今度は浜田夫婦、大いに驚いて、

「その真紅の撃帯は、そのむかし、汝と姉娘の婚約の証として、汝が家よりいただいたもの。姉娘が亡くなったとき、亡骸に結んでやって一緒に埋めました。

 また、妹娘は一年以上前から重い病で臥せっていて、そなたと共に他所へ逃げるなどとてもできない体ですよ」

「そんな、でも、たしかにいま、船で待たせているのです」

 浜田が人を遣わして船の様子を見にいかせれば、船員のほかに誰もいなかった。

 これはいったいどういうことなのだと、夫婦が混乱していたところに、病床の妹娘が急に立ち上がるなり、ものに憑かれたようになって口ばしりはじめた。

「わたくしは平次どのと婚約しながら、早死にしたので、野辺におくられ、うずめられて塚の主となりましたが、平次どのとは深い宿縁があります。それゆえ今ふたたび、ここへときたわけです。

 願わくは、わたくしの妹を平次どのの妻としてください。そうすれば日頃の重い病も平癒することでしょう。これはわたくしの本心からの望みです。

 もしこれを叶えてくださらなければ、妹の命もわたくしと同じ道にひきこんで、黄泉路よみじの友といたします」

 家中の者たちはみな驚き怪しんで妹娘をみた。すがたかたちは妹娘だが、その立ち居ふるまい、話す声や言葉づかいはまさしく姉娘であった。

 二人の父である浜田長八がいった。

「汝はすでに死んだのだ。死してなお、どうしてそこまで執心深く想うのだ」

「わたくしは前世からの深い因縁によって、短い寿命となりましたが、閻魔大王さまにお暇をいただき、この一年あまり平次どのと夫婦の契りを結ぶことができました。

 今はこれまでと、黄泉路を帰ります。必ずわたくしの云ったとおりにしてくださいまし」

 妹の身体を借りて姉娘はいうと、平次の手をにぎり、涙を流して暇乞いをした。

 そして父母に手を合わせて拝むと、妹に云い聞かせるように、

「平次の妻となっても、くれぐれも女の道をよくまもって、父と母に孝行するのですよ。

 いよいよこれまでです」

 いうなり、わなわなと震えると、地に倒れ臥して、死んだようになった。

 驚いて、いそぎ顔に水をかけるなどすれば、妹娘は目を覚まし、病も平癒していた。

 これまでのことを問うても、ひとつも覚えていないとのことだった。


 それからのち、姉娘のいうとおり、平次と妹娘は夫婦となり、一家は姉娘のためにさまざまな仏事をいとなみ、その跡を弔った。


 この話を聞くたびに、不思議なこともあるものだと人々は思ったそうだ。

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