Day30 『余り者の勇者』(お題・はなむけ)

 キィ……。

 落ちそうなくらい、どんよりとした灰色の曇り空。昨日より一段と低い湿った冷たい風が吹く中、公会堂の屋上の扉が開いた。

「貴女がミリーへの最初の依頼人だと聞きまして……」

 ガスが出てくる。その肩にはいつものように『姉や』のフランが乗っていた。

「スージーさんについて報告に来ました」

 『恋心』が離れた衝撃で、一時的に記憶喪失状態だったスージーは、戻ったことにより無事記憶を取り戻した。そして、転がり落ちた沢から助けてくれた、きこり一家の主人と山を下るのを『銀嶺の主』の配下の魔狼が見送ったという。

「二月以上も彼女の面倒をみてくれた親切な人ですから、無事、彼女を家まで送り届けてくれるでしょう」

 近々、出発するタラヌス山脈越えの今年最後の郵便馬車に、ジョンから事件の一部始終を書いた手紙を、リヨンの彼女の実家に送るらしい。

「タラヌス山脈は来月の半ばには通行止めになりますから、ジョンさんとスージーさんが再会出来るのは来年の春頃になってしまいますが」

 ガスは早咲きの寒芍薬の花をシルベール伯爵夫人像に供えた。

 リサの言ったとおり、春の芍薬の花が咲く頃には、二人は式をあげるだろう。

「ところで、坊ちゃま。坊ちゃまはお嬢のように夫人像に報酬をお願いしなくて良いの?」

 ガスもスージーを助ける為に随分、尽力している。ぷるぷる揺れるフランに彼は苦笑した。

「オレの願いはいつも一つだし、それはオレ自身で叶えることだし……」

 鉛色の雲に覆われた西の空に目を向ける。タラヌス山脈は靄に白く霞んで見えない。

「晩秋の相談窓口も、ミリーが特に目立つこともなく終わって良かった」

 あの向こう、ペジュール公国の先にあるエポナ山脈の、更に向こうに聖ユグリング皇国がある。一年前の春、アルスバトル家に二人目の勇者がいると知り、その勇者を自分の配下に遣わすよう使者を送ってきた、皇帝の治める大陸中央平原の国が。

 アルスバトル家にこれまで、一代に二人、勇者が生まれたことは三回あった。その最初の二人目の勇者は皇帝の配下として皇国に遣わされ、魔物討伐や皇国の騎士との闘技会、勇者の血を継ぐ為の複数人との結婚で、身体と心を病んで早くに亡くなった。

 それ以来、二人目の勇者は隠して育てることになっている。

 ミリーの前の二人目の勇者は、そうして育ち、市井の人として生涯を終えた。

 そして彼女もまた、そうなるはずだったのだが……。

「初代『勇者』と魔王の決戦から百五十年。大航海時代を経て、海沿いの交易の盛んな西方諸国、東方四国の方が、皇国より栄えだしている……」

 ペジュール公国に皇国の貴族の息子が入り婿に入ったのも、これまででは考えられなかったことだ。

 それにつれ、皇国の神秘の象徴であった『魔法』も、他の魔法の盛んでない国々から入ってきた『からくり』に押されている。大陸の魔法は『血』で使う。三百年前の『魔導師狩り』より、大きく数を減らした『魔法が使える人』は、その後、魔法貴族、魔法僧として皇国や聖ユグリング教の保護を受けてきた。が、どうしても薄まる血にもうセシルやミリーのような『先祖返り』でもない限り、まともな魔法は使えなくなっている。

 だからこそ、皇国は……。

 ミリーは現在、諸国から独立した組織、聖獣神殿の聖騎士という立場に守られている。聖獣神殿は初代『勇者』とその仲間達が諸国の民を魔王の残した禍から救う為に設立した組織。今も民間人では手に負えない魔物とのトラブルを請け負う場所として、厚い信頼と支持を受けている。

 その神殿の顔を立て、一度は要求を下げた皇帝だが、ミリーが目立った活躍をすれば、それを口実にまた彼女を寄越せと言ってくるだろう。

「年々、落ちていく皇国の権威を今一度、勇者で盛り立てようと考えているらしいから」

 それを避ける為には、彼女は『無能』の烙印を押されようとも目立ってはいけないのだ。

「ミリーの勇者としての『誰かの役に立ちたい』という優しい心を押さえ込み過ぎないように……でも、口実を付けられることのないように……」

 難しいが、そのバランスを取り続けるのが、彼女と依頼でも人生でも組む自分の役目だ。

「……坊ちゃま……」

「大丈夫だよ、フラン。オレは『オレがミリーを幸せにする』為にやっているんだから」

 ガスが小さく笑うと、背後で扉が開いた。

「ガス、ここにいたんだ」

 ミリーが顔を覗かせる。

「よく解ったね」

「僭越ながら、影が奥方様を案内し申したでござる」

 ガスの淡い影から影丸が現れる。

「スージーさんのことを夫人像に報告してたんだ。ミリーの方は家霊さんの件、上手くいった?」

「うん。カゲマルを挟んで話し合いをしたら、人形さんもただ単に家霊さんとお友達になりたかっただけだって解ったの」

 二人は意気投合して、最後はきゃっきゃと楽しそうにおしゃべりしていたという。

「そう。良かったね」

 ミリーが屋上に出てくる。「依頼、ありがとうございました」と影丸と共に夫人像に礼を言う。

「あ……」

 一段と湿気った風が吹くと四人の周囲に白いものが舞い始めた。

「雪……」

「初雪だね。そろそろ、うちの店への冬の魔物の相談が始まるな」

 薄暗くなった空から、白い羽根のような雪が次々と落ちてくる。

「帰ろうか」

 ガスがミリーの手を握る。

「うん」

 きゅっと握り返してくる彼女にふにゃりと笑んで、彼はその手をひいて扉へと向かった。

 

 ガスの肩からぴょんと降りたフランは夫人像を見上げた。

「坊ちゃまはああ言ったけど……」

 二人の幸せは、まだまだ危うい薄氷の上にあるようなものだ。

「坊ちゃまは本当にお嬢が好きで、お嬢も坊ちゃまが大好きなのよ」

 そんな二人を幼い頃から見てきた『姉や』として。

「坊ちゃまの代わりに私がお願いして良いかしら? 私に近い将来、二人にはなむけの言葉を言わせてちょうだい」

 結婚おめでとう。お幸せに……と。

「フラン、帰るよ」

 扉から二人が呼ぶ。

「頼んだわよ」

 フランは夫人像の前でぷるんと揺れると、雪の中をぴん、ぴんと扉に向かった。

「フラン、あんなところに居たら風邪ひくよ?」

「スライム殿も風邪をひくのでござるか?」

「ああ。人間の風邪とはまた違うけど、動きが鈍くなって震えが止まらなくなるんだ」

「ほら、フラン。私の上着の中に入って」

 四人の声が遠くなり、扉が閉まる。

 供えられた寒芍薬が風に揺れる。舞う薄片の中、シルベール夫人像は、ただ微笑みを浮かべて立っていた。


『余り者の勇者』と不思議相談窓口 END

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余り者の勇者と不思議相談窓口 いぐあな @sou_igu

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