Day8 幻影(お題・金木犀)

 カチャン! カップが床に落ちる。

「どうされましたか!? 奥様!!」

 慌てて駆けつけるメイドに

「あ……あそこに父が……」

 女主人が窓の外を指す。

 秋が深まり庭木が美しく紅葉した庭には人、一人いない。

 首を傾げるメイドに彼女は震えながら顔を両手で覆った。

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 今日の依頼は『椎の木通り』の人達から『おばけ屋敷』と呼ばれている、お屋敷の調査。

 なんでも昔、この家には強盗が入ったそうで、たった一人、幼い娘さんを除いて、家族全員が殺されてしまい、その後、遠縁の方が管理していたという。

『私がその生き残りの娘です』

 依頼人は最近、お屋敷に引っ越してきたという、お年を召した未亡人で、二年前亡くなった御主人が、一人で生きるには十分過ぎる資産を残してくれたので、産まれ育ったお屋敷を買い取ったという。その後、お屋敷を掃除し、家具を運び、メイドと二人きりの生活が落ち着いた頃、それが見えるようになったのだ。

『亡き父が、母が、姉と兄が、生きていたときと同じような姿で屋敷に現れるのです』

 暖炉の前でくつろいでいたり、来客室で花を生けていたり、書斎で本を読んでいたり、庭で遊んでいたり……お屋敷のあらゆるところに、当時のように暮らしている姿が浮かぶのだという。

『特に恨みがましい顔も言葉も発しませんが……やはり、一人生き残った私を恨んで出てきているのでしょうか?』

 依頼人は怯えながら、私達に調べてくれるよう頼んだ。

 

「特に死霊の気配はしないでござる」

 屋根裏から薪小屋の隅まで見てきた影丸が告げる。

「カゲマルがそう言うのなら幽霊ではないかも」

 私も屋敷内を歩いてみたけど、特に邪気というか、恨みの思念は感じなかった。

 ただ、もんやりと屋敷全体からこう……なんていうかうっすらと気配みたいなものは感じる。

「これはあれね」

 フランが私の肩で天井に向かって身体を揺すった。

「貴方、言いたいことがあるなら、私が聞くからはっきり言いなさい」

 

 庭に二卓、テーブルを出す。クロスを敷き、お茶のカップとお菓子を並べる。メイドさんがポットを持ってくる。ふんわりと金木犀の香りのするお茶、桂花茶の香りが流れた。

「家族での最後のお茶会は、もう少し早い時期で、庭には当時は珍しい金木犀が香っていました」

 金木犀は桜と並んで、東方貿易で人気の植木で、今は街の生け垣によく使われている。

 花の散ってしまった金木犀の代わりに、桂花茶をカップに注ぎ、私達が座ったテーブルの隣の、誰もいないテーブルにも置く。ゆるりと秋風が吹くと蜃気楼のように、そこに身なりの良い男性と女性、可愛らしい少女と男の子が現れた。

 メイドさんが必死に悲鳴をかみ殺す隣で、依頼人が目を潤ます。

「あのときのままだわ……」

 当時、あの女性と男の子の間に幼い依頼人が座っていたらしい。

「このお屋敷の屋敷霊が貴女が帰ってきたことが嬉しくて、歓迎のつもりで御家族の生きていた頃の幻影を見せていたんです」

 私の説明に依頼人の頬を涙が伝う。

「ありがとう」

 彼女はお屋敷に向かって礼を言った。

「もう一度、お父様とお母様、お姉様とお兄様に会えて嬉しかったわ。……でもね、ずっと見続けるのはつら過ぎるから、これきりにして下さるかしら」

 お屋敷がキシリと鳴る。

 また秋風が吹く。その風に溶けるように人影は消えていった。

 

 依頼人:『おばけ屋敷』の老未亡人

 依頼:『おばけ屋敷』の幽霊の調査

 報酬:桂花茶

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る